【考察】日本人は何故、CDを買い続けるのか? 〜その深層心理に迫る
外部記事で次のようなものがある。
- なぜ日本人は未だにCDを買い続けるのか(VICE JAPAN)
- 日本以外で「CDが売れる国」ドイツでついにCD購入が5割を切る(ALL DIGITAL MUSIC)
つまり現在、日本はCDが世界で一番売れている国なのだ。他の国は全て音楽ストリーミング配信を聴くか、iTunesなどダウンロードに完全移行している。
正にガラパゴス化である。どうしてこんな珍妙・奇異な現象が我が国だけで起こっているのだろう?
ここで議論の混乱を避けるため、現象を2つに分ける必要がある。①AKB48や坂道グループのCDの売上げ②それ以外 である。①の理由は明白。CD購入は音楽を聴くためではなく、「握手券」や「”総選挙”の投票用紙」としての価値に置き換えられている。いわゆる「AKB商法」だ。ファンは同じCDを大量に買い、封入された「握手券」だけを抜き取って後は捨てる。
僕が注目したいのは②の方。「握手券」「チェキ券」「CDお渡し会参加券引き換えチケット」など付加価値・特典がないCDを日本人が未だに買い続けるのは何故なのか?そこにはどのような心理的要因が働いているのであろう。
クラシック音楽CDを買い続けている人のブログやtwitterの投稿を読むと、どうやらその理由は次の2つに集約されるようだ。①配信よりもCDの方が高音質である。②(空気や振動のように実体がない)音楽を物質(もの)として所有していないと、どうも心もとない。安心出来ない。
そこでまず①について検証してみた。僕が持っているクラシック音楽CDと、同じ音源をデジタル音楽配信サービスSpotifyで聴き比べるブラインド・テストを行った。試聴機はTechnicsのハイレゾ対応一体型ステレオシステムOTTAVA f SC-C70である。被験者は複数人参加してもらった。そしてCDに対してSpotifyの音質に遜色はなく、むしろ音源によってはSpotifyの方が勝っているという結論に達した。これはクラシック音楽専門配信サービスNAXOS Music Libraray(NML)も同様である。
そもそも音質にこだわるならばハイレゾ(High Resolution)音源をダウンロードすれば良いだけのこと。CDを圧倒的に上回る情報量を持っており、その音質は最早新次元である。ピアソラ(バンドネオン)の「ライヴ・イン・ウィーン」をハイレゾで購入したが、目の前で本人が演奏していると錯覚するくらいの〈生音〉に驚愕した。ビル・エヴァンスの音源も、まるで僕自身がヴィレッジ・ヴァンガード(マンハッタンにあるジャズクラブ)でグラス片手に彼のピアノを聴いているような臨場感がある。つまり①は、なんの根拠もない風評・幻想に過ぎない。
②は悪く言えば〈物欲〉、よく言えば〈ものを大切にする心〉なのだが、その根底には〈付喪(つくも)神〉が無意識のうちに存在しているのではないかと僕は考える。つまり〈(実体のある)CDには音楽の神様が宿っている〉という土着信仰である。
〈付喪(つくも)神〉とは、日本に伝わる、長い年月を経た道具などに神や精霊(霊魂)などが宿ったものである。 荒ぶれば禍をもたらし、和(な)ぎれば幸をもたらすとされる。〈九十九神〉とも書き、「長い時間」「多種多様な万物」という意味合いを含んでいる。
〈つくも〉とは元々〈つつも(次百)〉であったと言われている。古語で、ものの満ち足らないことを意味する〈つつ〉に、百を意味する〈も〉を加えることで、「百に一足りない」という意味になっている。
〈つつも〉から〈つくも〉に転訛(なまった)のは平安初期に成立した「伊勢物語」からとされており、主人公である在五中将(=在原業平)が、老いてもなお色恋を求め自分(業平)の家に来て覗き見する老婆を詠んだ歌に登場する。
百年(もゝとせ)に 一年(ひとゝせ)たらぬ つくも髪 我を恋ふらし 面影にみゆ
(百歳に一年足りない白髪の老婆が私を恋しく思っているらしい。まぼろしになって見える。)
つまり〈九十九(つくも)髪〉とは白髪のことを指す。この時既に魑魅魍魎・山姥のイメージが重ねられている。余談だが、埼玉県には女性の長い髪を御神体とする「毛長(けなが)神社」がある。詳細はこちら。
〈九十九髪〉という言葉が〈付喪神〉に転じたのは室町時代と言われており、「伊勢物語抄」では百鬼夜行のこととされる。
かの有名な妖刀〈村正〉伝説も〈付喪神〉である。(映画化・テレビドラマ化・宝塚歌劇で舞台化もされた)藤沢周平の小説「蝉しぐれ」には〈秘剣村雨〉なんて妖刀が出てくるし、ゲーム・アニメ・2.5次元ミュージカルなどで大人気「刀剣乱舞」の刀剣男士は全員〈付喪神〉である。日本人はこういうのが大好物なのだ。
ニニギノミコトが日本を統治するために天から舞い降りるとき、天照大神(アマテラスオオミカミ)から託された鏡・剣・勾玉を〈三種の神器〉という。うち〈草薙剣〉は名古屋にある熱田神社の御神体となっている。
また奈良県にある石上神社の御神体である〈布都御魂(ふつのみたま)〉は日本神話に現れる建御雷命(タケミカヅチノミコト)の所有していた霊剣で、命(ミコト)の分身とされる。
一方、欧米諸国に目を転じると自由意志を持った〈付喪神〉に該当するものはほぼ皆無である。強いて挙げるなら、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」に登場するトネリコの樹に刺さったノートゥング(剣)や、アーサー王伝説に登場するエクスカリバーくらいだろう。エクスカリバーは石に刺さった剣で、それを引く抜くことがアーサー王の血筋の証明となる。ノートゥングの役割も全く同じ。つまり〈剣=神〉ではなく、それを所有する者が英雄(あるいは王位継承者)であることを認証するための道具に過ぎない。「ハリー・ポッター」シリーズでホグワーツ魔法学校入学時に、生徒たちが入る寮を決める〈組分け帽子〉みたいなものだ。
日本では石や岩も御神体になっている。京都・伏見稲荷の境内社である「御剱社(みつるぎしゃ)」や、群馬県の「榛名(はるな)神社」、三重県の「花の窟(はなのいわや)神社」がそれに該当する。
無機物を神と見做す思想は、オーストラリアの先住民アボリジニの神話にも見られる。彼らの言う〈ドリームタイム〉に登場する先祖は、岩や石に变化(へんげ Metamorphose)する。嘗ては「エアーズロック」と呼ばれた、オーストラリア大陸にある一枚岩「ウルル」も、彼らの先祖(神)そのものである。故に「ウルル」は2019年10月26日から観光客向けの登山が禁止となる。
それから、次に語ることは日本人に限ったことではないが、「映画は映画館で観るべきだ」と主張する人々が少なからずいる。スティーヴン・スピルバーグ監督もその一人で、Netflixなど配信サービスの映画がアカデミー賞を受賞するのは相応しくないと強硬に反対の姿勢を貫いている。フィルムで撮っていた時代なら僕も意義を認めるが、現在はデジタル撮影/デジタル上映が殆ど。理性的に判断すれば、映画館で観るメリットは皆無だろう。
結局、上記の人々は潜在意識の中で映画館の暗闇を〈映画の神様が降臨する社(やしろ)/教会〉のような場所として神聖視しているのではないだろうか?こうなると理屈ではなく最早宗教であり、彼らを説得し、翻意を促すことは極めて困難である。実に厄介な話だ。
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