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2019年2月

月夜に冴え渡る奇想〜映画「ファースト・マン」と〈セカイ系〉

評価:A+ 公式サイトはこちら

Man

僕は天才デイミアン・チャゼルが大好きだ。

以前からチャゼルは〈セカイ系〉映画監督と言われていた。〈セカイ系〉とは元々、新海誠監督が2002年にアニメ「ほしのこえ」でデビューした頃に生まれた言葉だ。【主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと】(Wikipediaより引用)であり、「君の名は。」も典型的〈セカイ系〉である。

で「ファースト・マン」を観た率直な感想は、「これって完全に〈セカイ系〉の話じゃん!?」だった。月に立つという「人類の偉業」「英雄譚」が、〈きみとぼくの距離〉という小さな物語に収束していく。言うまでもなく、ぼく=ニール・アームストロング/きみ=妻ジャネットのことだ。映画の最後、ふたりはガラス一枚を隔てて向かい合う。そこで「果たしてふたりの距離は近いのか?遠いのか?」という問いが観客に突きつけられる。映画「ラ・ラ・ランド」も同様の幕切れだった。チャゼルの「セッション」「ラ・ラ・ランド」「ファースト・マン」はいずれも〈ふたりの世界〉を描いている。ふたり以外の登場人物は所詮、背景・書き割りに過ぎない。アポロ11号の搭乗員(他2名)も同様。なお、後にニールとジャネットは離婚する。

新海誠の全作品も〈きみとぼくの距離〉がテーマであり(距離=空間と時間)、「君の名は。」のラストシーンもふたりが向かい合っている。

あと「ファースト・マン」の奇想にあっと驚かされたのは、間違いなく本作の中でニール・アームストロングは「月に行けば(小児がんで亡くなった)娘に逢える」と信じているんだよね。いやいや、この際史実がどうだったかなんて問題じゃない。事実、月面着陸した場面で、娘との想い出が8mm(16mm?)フィルムで彼の脳内に再生されるのだ。な、なんてな映画なんだ!ある意味〈電波系〉〈とんでも〉と言える。でもだからこそ僕の大好物。で僕が想起したのが「ラ・ラ・ランド」でミアが歌う"Audition"の歌詞。

A bit of madness is key
to give us new colors to see

ちょっとした狂気が鍵なの
それが私たちに新しい色彩を見せてくれる

いやはや、「ファースト・マン」も十分狂っている。

本作で月は完全にメタファーとして存在している。

【解釈①】月=黄泉の国:ギリシャ神話でオルフェウスが死んだ妻エウリディケを連れ戻すために冥界に下る。日本神話におけるイザナギとイザナミの物語と同じ。つまりここでも「君の名は。」に繋がっている。

【解釈②】月=ユング心理学における集合的無意識(Collective unconscious):アニメ「コードギアス」シリーズではCの世界と呼ばれ、そこでは死者とも再会出来ることになっている。

日本で月はしばしば和歌に詠まれた。だから集合的無意識のシンボルと言える。そういえば「君の名は。」でも、月の満ち欠けが重要な意味を帯びていた。

【解釈③】月=死んだ娘が生前見たの世界:ユング心理学では個人的無意識なので、それは集合的無意識Cの世界)へ繋がっている。

Mu

ここでフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが彼の著書「シネマ」で、ミュージカル映画「巴里のアメリカ人」「恋の手ほどき」を撮ったヴィンセント・ミネリ監督について論じた一節を引用しよう。

ダンスはもはや世界を描く夢の運動ではなく、みずからを深め、ますます激しくなり、別の世界へと入るための唯一の方法となる。その別の世界とは、ある他者の世界、ある他者の夢あるいは過去なのである。(中略)ミネリにおいてミュージカルは、かつてないほど記憶の、夢の、時間の謎に近づいた。現実的なものと想像的なものとの識別不可能な点に近づくようにして。それは夢についての奇妙で魅惑的な着想であり、夢はある他者の夢につねにかかわっていればいるからこそ、あるいは傑作『ボヴァリー夫人』におけるように、夢そのものが、人を貪り食う仮借ない力能を、みずからの現実の主体として構成しているからこそ、折り込まれた夢である。
(ドゥルーズ著/宇野邦一ほか訳「シネマ 2*時間イメージ」法政大学出版局)

つまり、ミネリは〈他者の夢の中に入っていく〉という着想に取り憑かれていた。それはデイミアン・チャゼルの描く世界にもすっぽり当てはまる。「ラ・ラ・ランド」にはミネリが監督した「巴里のアメリカ人」や「バンド・ワゴン」へのオマージュが溢れている。そしてヒロイン・ミアは最後に他者の夢=ハリウッド映画(もっと具体的に言えば「カサブランカ」)の世界(ラ・ラ・ランド)に呑み込まれて、そこから抜け出せなくなってしまうのだ。

「ファースト・マン」の主人公もまた、娘の夢の中に入ってゆく。それを象徴するのがラストシーンでニールとジャネットの間を隔てる一枚のガラスだ。

だからアポロ11号の打ち上げシーンが余りにも哀しく、ニールが不憫で、僕は不覚にも泣いてしまった。

「ファースト・マン」は音響設計が素晴らしい。がたがた揺れるネジの音、宇宙船の軋み。閉所恐怖症の人には耐え難い体験となるだろう。この部門でアカデミー賞をあげて欲しかった!

あと映画ファンには数々のお楽しみが用意されている。まず冒頭、X-15の飛行実験帰還後にニールはチャック・イエーガーに遭遇する。みんな大好き「ライトスタッフ」への目配せだ。また中盤、ジェミニ8号のドッキング・シーンで音楽が優雅なワルツに変わるのは勿論、「2001年宇宙の旅」(ヨハン・シュトラウス「美しく青きドナウ」)へのオマージュである。

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"Do the right thing !" - 検証 オスカー2019、宴のあと

心底がっかりした。「グリーンブック」の第91回アカデミー作品賞受賞は「ドライビング Miss デイジー」(1989)時代への逆戻りだ。この愚行に対して「ブラック・クランズマン」のスパイク・リー監督が激怒した(記事はこちら)!!当然だ。1989年は彼の最高傑作「ドゥ・ザ・ライト・シング」が公開された年。スパイク・リーは脚本賞にノミネートされるも受賞を逃し、しかも作品賞・監督賞にはノミネートすらされなかった。監督賞にはズラリ、白人の名前ばかりが並んだ。本来なら作品賞も監督賞も「ドゥ・ザ・ライト・シング」が受賞すべきだった。監督賞にノミネートされなかった映画が作品賞を受賞するという今年の珍事も「ドライビング Miss デイジー」という悪夢の再現である

答え合わせをしよう。僕の予想で的中したのは監督・助演女優・主演男優・助演男優・脚色・視覚効果・撮影・長編ドキュメンタリー・編集・外国語映画・録音・メイクアップ・作曲・歌曲・長編アニメーション・短編アニメーションの計16部門。過去最多的中数は20部門なので、トホホな結果となった。

そこで他の人がどれくらい当たったか調べてみた。映画評論家・清水節氏の的中が14部門、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」 #アトロク #utamaru に出演している、アカデミー賞予想がライフワークというメラニーさんが15部門、総合映画情報サイト オスカーユクエさんがたった11部門だったので、意外にもまずまずの成績かな。読者の皆さん、僕より沢山予想が的中した日本人がもしいたら、是非ご教示ください。

さて、「女王陛下のお気に入り」が本命と思われていた衣装デザイン・美術・脚本の各賞で受賞を逃したので、「ははん、今年はイギリス勢にオスカーを与えないつもりだな」と思っていたらまさかの終盤、主演女優賞でオリヴィア・コールマンの名が告げられたので「ここかよ!」と驚愕した。会場もそんな雰囲気だった。グレン・クローズが可哀想。果たして彼女にもう一度、チャンスは訪れるのか!?もしミュージカル映画「サンセット大通り」が実現すれば、可能性は高いと思うのだが……。

映画評論家・町山智浩氏をはじめとして多くの人が「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」を本命に挙げていた視覚効果賞で「ファースト・マン」を当てた時は鼻高々だった。しかし落とし穴は作品賞で待ち構えていた。

今から3年前、第88回アカデミー賞で俳優部門にノミネートされた20人が全て白人だったことで、「白すぎるオスカー」に対して抗議運動が起こり、映画芸術科学アカデミーの会長(当時)シェリル・ブーン・アイザックスは多様性(Diversity)を受け入れるため、新規アカデミー会員を大量に増やした。それは〈女性・非白人・アメリカ国外の映画人〉を中心とするものだった。シェリル自身がアフリカ系アメリカ人である。だから例えば「未来のミライ」の細田守監督も既にアカデミー会員で、今回投票している。

お陰で今年の受賞者は随分様変わりした。アフリカンな「ブラックパンサー」が衣装デザイン賞と美術賞を受賞したことがそれを象徴している。また短編実写・短編ドキュメンタリー賞はどちらも女性が受賞した。シェリルが撒いた種=多様性(Diversity)はしっかりと実を結んだのである。だからスパイク・リーは受賞スピーチで彼女に謝辞を述べた。

授賞式のオーケストラを指揮したのは黒人で、In Memoriam(追悼)場面でジョン・ウィリアムズ作曲の音楽を演奏したロサンゼルス・フィルを振ったグスターボ・ドゥダメルはベネズエラ人。きめ細やかな配慮が行き届いていた。

今年のハイライトは脚色賞のプレゼンターとしてサミュエル ・L・ジャクソンが登場し、スパイク・リーの名を読み上げた時だろう。二人は固く抱擁を交わした。余りにも遅すぎた初受賞であった。サミュエルは当然「ドゥ・ザ・ライト・シング」にも出演しており、オバマ前大統領が夫人のミシェルと初デートで観た映画が本作なのである。そしてスパイク・リーは高らかに"Do the right thing !"と叫び、スピーチを締めくくった。

監督賞のプレゼンターに「シェイプ・オブ・ウォーター」のギレルモ・デル・トロが登場し、同じメキシコの朋友アルフォンソ・キュアロンに渡したのも良かった。受賞者が記載されたカードの入った封筒を開いて、「発音が難しいな」と呟いたのは、お約束とはいえ愉しかった。例えばデル・トロの「パンズ・ラビリンス」にはキュアロンがプロデューサーとして名を連ねている。

しかし撮影・外国語映画・監督賞と3部門をキュアロンに与えておいて、大トリの作品賞で「ROMA/ローマ」を外すとは、やはりNetflix(配信系)だけには絶対に最後の牙城を明け渡さないぞという強い意思表明であり、アカデミー会員の保守性が顕になった。そこまでして映画館主たちを守りたいのか!?実に残念だが、城が攻め落とされるのはもう時間の問題。首を洗って待っておれ。

主演男優賞を受賞したラミ・マレックは両親がエジプト人ということで、アラブ系俳優として初受賞だそうである。それで思い出したが、本来なら「アラビアのロレンス」(1962)でオマー・シャリフ(エジプト出身)が助演男優賞を受賞すべきだったんだよなー。偏見に満ちた歴史的なミス・ジャッジだった。なおオマー・シャリフは後に「ドクトル・ジバゴ」「ファニー・ガール」などに主演した。

またラミをはじめ今年は「ボヘミアン・ラプソディ」が最多4部門を受賞したが、受賞者の誰一人として、スピーチで「監督」にクレジットされたブライアン・シンガーへ謝辞を述べなかったことは、予想されたこととはいえ極めて異常な事態だった。

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2019年 アカデミー賞大予想!

恒例の第91回アカデミー賞受賞予想である。相当自信がある(鉄板)部門には◎を付けた。

  • 作品賞:ROMA/ローマ
  • 監督賞:アルフォンソ・キュアロン(ROMA/ローマ)◎
  • 主演女優賞:グレン・クローズ(天才作家の妻 40年目の真実)
  • 主演男優賞:ラミ・マレック(ボヘミアン・ラプソディ)◎
  • 助演女優賞:レジーナ・キング(ビール・ストリートの恋人たち)
  • 助演男優賞:マハーシャラ・アリ(グリーンブック)◎
  • 脚本賞(オリジナル):女王陛下のお気に入り
  • 脚色賞(原作あり):ブラック・クランズマン◎
  • 視覚効果賞:ファースト・マン
  • 美術賞:女王陛下のお気に入り
  • 衣装デザイン賞:サンディ・パウエル(女王陛下のお気に入り)◎
  • 撮影賞:アルフォンソ・キュアロン(ROMA/ローマ)
  • 長編ドキュメンタリー賞:Free Solo
  • 短編ドキュメンタリー:Black Sheep
  • 編集賞:ボヘミアン・ラプソディ
  • 外国語映画賞:ROMA/ローマ◎
  • 音響編集賞(Sound Editing):ファースト・マン
  • 録音賞(Sound Mixing):ボヘミアン・ラプソディ◎
  • メイクアップ賞: バイス◎
  • 作曲賞:ルドウィグ・ゴランソン(ブラックパンサー)
  • 歌曲賞:Shallow(アリー/スター誕生)◎
  • 長編アニメーション賞:スパイダーマン:スパイダーバース◎
  • 短編アニメーション賞:Bao
  • 短編実写映画賞:マルグリット

今年のアカデミー賞授賞式最大の課題となるのは、ズバリ〈Diversity(多様性)〉である。異物(非白人,LGBT, ect.)を排除する時代は終わった。どこまでお互いの違い(肌の色、性癖、宗教、価値観)を認め合えるのか?それは今のアメリカ合衆国が真剣に向き合わなければならないテーマでもある。

だから作品賞を、今更「ドライビング Miss デイジー」(1989)もどきの、「グリーンブック」が獲っちゃ絶対にいけないのだ。我々はもっと先に進まなければならない。今年与えられるべき作品は「ROMA/ローマ」か、「ブラックパンサー」しかない。

メキシコ映画「ROMA/ローマ」の受賞は新時代の夜明けを告げることになる。

  1. 外国語の映画が作品賞を受賞するのは史上初
    (「アーティスト」はフランス映画だがほぼ無声。最後に英語で喋る)
  2. 外国語映画賞と作品賞のダブル受賞は史上初
  3. 配信系(Netflix)作品の受賞も史上初

つまり「ROMA/ローマ」受賞はアカデミー賞が英語圏の映画人たちのためだけの祭典ではなくなったことを高らかに宣言し、同時に「映画を映画館で観る時代の終焉」を告げるものとなる。それだけの覚悟がアカデミー会員にあるのか、しっかりと見届けたい。

「ROMA/ローマ」がオスカーを攫うと、直ちにその影響はカンヌ国際映画祭に波及することになる。フランスでは、劇場公開された作品は公開から3年経たなければストリーミング配信できないという独自のルールがあり、Netflixのコンペ参加を拒んできた。しかし今後、名監督が次々とNetflixで撮り、他の映画祭を席巻する状況になれば、相対的にカンヌのコンペに参加する作品の質が低下するという事態に直面することになる。時代の潮流を押し止めることは出来ない。遅かれ早かれカンヌは必ず、Netflixに門戸を開かざるを得ない状況に追い込まれる。勝敗は決した。

実は今年、一番注目すべき部門は美術賞衣装デザイン賞なのである。いずれも「女王陛下のお気に入り」と「ブラックパンサー」が拮抗しており、どちらに転ぶか分からない状況なのだ。アメリカ人は昔からヨーロッパ文化に対して強い劣等感を抱えており、アカデミー会員はコスチューム・プレイに弱い。「恐れ入りました、歴史の浅い我々には到底敵いません」と萎縮し、容易に平伏しちゃうんだよね。だから従来の法則に従えば「女王陛下のお気に入り」が圧倒的に有利な筈なのだけど、もし「ブラックパンサー」が受賞したら、これは画期的事件だ。

主演女優賞は個人的にレディ・ガガにあげたい。しかしグレン・クローズは7回目のノミネートで未だ無冠だし、現在71歳なので多分これが最後のチャンス。だから功労賞として彼女にオスカーは行くだろう。ポール・ニューマンが「ハスラー2」で、アル・パチーノが「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」で主演男優賞を受賞したときと同じ。誰にあげるか(人)が重要であり、(受賞)対象作品自体に意味はないのだ。「天才作家の妻 40年目の真実」を観たけれど、正直僕は彼女の演技を卓越したものだとは思わなかった。通常運転レベルかな。それより彼女主演のミュージカル映画「サンセット大通り」の企画は現在も生きているのかどうかを知りたい。

それから僕は「ボヘミアン・ラプソディ」におけるラミ・マレックの演技が大嫌いだ。あの口に綿を含んだような喋り方が我慢ならない。お前は「ゴットファーザー」のマーロン・ブランドか!?本当は「バイス」のクリスチャン・ベールに獲って欲しい。

演技部門でもし波乱があるとしたら、助演女優賞のレイチェル・ワイズ(女王陛下のお気に入り)くらいかな。

撮影賞は「ROMA/ローマ」か、ポーランド映画「COLD WAR あの歌、2つの心」。

編集賞は「ボヘミアン・ラフソディ」か「バイス」のどちらか。

「ボヘミアン・ラプソディ」は勢いがあるので、もしかしたら音響編集賞と録音賞の両方獲っちゃうかも。でも「ファースト・マン」の〈音〉の演出は圧巻だった。

実は今回の予想で最大の博打は視覚効果賞である。当初は「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」にしていたが、昨日「ファースト・マン」を観て、土壇場でこちらに変更した。はっきり言って「ファースト・マン」の特撮は地味で、素人の僕たちにはその凄さがよく分からない。ところが2015年の大波乱のことを想い出したのである。「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を押しのけて、地味な「エクス・マキナ」が受賞した。これは当てた人は世界的に見てもほぼ皆無だった。どうもアカデミー会員はCGを多用する作品を評価しない傾向にある。だから、巨大なLEDフロントスクリーンを背景に宇宙を合成するなどアナログ的手法を用いた「ファースト・マン」の方が好印象なのでは?と考えたのである。この無謀な選択が、吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知る。

しかしこれで「グリーンブック」が作品賞を受賞したら、最悪だな……。

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【考察】何故、虹を詠んだ和歌は希少なのか?

神戸生まれの詩人・最果タヒの著書「千年後の百人一首」「百人一首という感情」に続いて現在、「万葉集」「古今和歌集」「新古今和歌集」を読み進めているところである。若い頃の僕は完全に理系人間だったので、自分が将来古文に親しむようになろうとは夢にも思わなかった。人生先のことは分からないものである。

そもそも百人一首に興味を持ったのは広瀬すず主演の映画「ちはやふる」三部作のおかげ。だから原作漫画を書いた末次由紀には感謝しなければならない。また「万葉集」や「古今和歌集」を読みたいと思ったのはアニメーション映画「言の葉の庭」「君の名は。」を観たことが切掛なので、ただただ新海誠監督に感謝あるのみ。映画って本当に素晴らしい。

百人一首を一通り読んで激しい違和感を覚えた。〉を詠んだ歌が一首もないのである。

7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた「万葉集」(全部で四千五百首以上ある)で〈〉を詠んだものは、次のたった一首しかない。群馬県の歌である。

伊香保〈いかほ〉ろの 八尺〈やさか〉のゐでに 立つ虹〈のじ〉の あらはろまでも さ寝をさ寝てば
(榛名山麓にある高い堤に立つ虹のように、人目につくほどあなたと共寝さえできれば、なにも悔いることはない)

これ以降は、「玉葉和歌集」に収録された藤原定家(1162-1241)の、

むら雲の 絶え間の空に 虹たちて 時雨過ぎぬる をちの山の端

あたりまで、ほぼ皆無である。なんとこの間、五百年も経過している。

〉は儚く、美しいのに、何故和歌の素材として忌避されるのか?ここにはきっと何か、重大な秘密が隠されている筈である。ぞわぞわした。その理由を探求する過程で、〈古代人の心〉つまり古来日本人の持つ無意識・深層心理が見えてくるのではないか?僕はそう考えた。

最初に立てた仮説は、「古代人はあまり虹を見る機会がなかったんじゃないか?」というものだった。雨があがり、日光が差し込んできた瞬間に虹は生まれる。狩猟民族なら虹を見る機会も多かろう。しかし日本人は農耕民族である。しかも着物だから濡れると厄介なので雨天時に出歩いたりしない。特に平安時代、和歌を読んだのはもっぱら天皇や貴族だったわけで、屋敷にこもった状態で虹に遭遇する機会など殆どなかったのではなかろうか?

しかし、どうも説得力に乏しい。もやもやした気持ちが残る。貴族だって〈野駆け〉(花見やもみじ狩りなど、山野を歩き回って遊ぶこと)をしたわけだし、天皇も〈行幸〉(外出)中に雨に降られることもあっただろう。滝にだって虹は出るし……

というわけで僕は答えを求めて、さらに調査を続けた。そして〈〉の語源を調べていて、衝撃的な事実を知った。

岩波書店の「広辞苑」ではについて次のように説明されている。

形声。「虫」(=へび)+音符「工」(=つらぬく)。にじを、空にかかる大蛇に見たててできた文字。

またWikipediaのの項には次のような説明がある。
「虹」を意味する漢字(虹、蜺、蝃、蝀)に虫偏が多く存在する点を見ても解る通り、中国語では、虹を蛇や竜の一種と見なす風習が多い。

エエッ、これってアボリジニ(オーストラリアの先住民)神話にしばしば登場する虹蛇Ngalyod;ンガルヨッド)と全く同じ発想じゃないか!!青天の霹靂だった。

つまり古代中国人も、遠く離れたアボリジニも虹と蛇を同一視していた。正にフランスの構造人類学者レヴィ=ストロースが言うところの〈野生の思考〉であり、ユング心理学における集合的無意識Collective unconscious:アニメ「コードギアス」シリーズではCの世界と呼ばれる)の産物以外の何物でもない。

「万葉集」は全文が漢字で書かれており、漢文の体裁をなしている。この時代は中国文化の影響が大きく、天智(てんじ)天皇の近江朝(おうみちょう)には漢文学が隆盛をきわめた。

つまり古代日本人は、〈〉を結びつけて考える中国の概念を共有していたということになる。

古代において、蛇は禍福に強く関わっている存在だった。以下「民族大辞典」より日本各地での伝承をご紹介しよう。

「蛇が道を横切ると悪いことが起きる」(宮城県)
「蛇に道切りをされると、なにか持ち物を落とすから、蛇に道を横切られた時は三歩退け」(奈良県吉野郡)
「蛇の夢を見れば験が悪い」(三重県四日市)
「蛇の夢を見れば、よくないことが起こるから、氏神様にお参りしなければならない」(長野県)

僕が住む兵庫県宝塚市には蛇神社がある。宝塚で幼少期を過ごした手塚治虫の漫画「モンモン山が泣いているよ」にこの蛇神社が登場する。

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蛇は水を司る。全国で信仰されている水神さまは大抵、蛇や龍(または河童)を祀っている。

つまり〈虹=蛇〉は干ばつ時にという恵みをもたらすが、時には人々に牙を向き、川の氾濫など洪水を引き起こす怖ろしい神(災厄)にもなり得る。

中国の神話に登場する四神(しじん)とは四方の神、すなわち

  • 東ー青龍(せいりゅう)
  • 西ー白虎(びゃっこ)
  • 南ー朱雀(すざく):火の象徴。鳳凰。
  • 北ー玄武(げんぶ):水神。カメの甲にが巻きついた形に表す。

を指す。やはり蛇が水神を表象している。江戸時代の祭りには「四神旗」が必ずといってよいほど使われ、落語「百川」でも言及される。

だから雅(みやび)で「もののあはれ」を表現する短歌の世界に、畏れ多い存在である〈虹=蛇〉が登場しないのは当たり前なのではないだろうか?こうして僕の疑問は氷解した。

ところが明治維新以降、突如として〉は和歌の世界に立ち現れる。

明治・大正・昭和を生きた与謝野晶子(1878-1942)の歌に次のようなものがある。

小百合さく 小草がなかに 君まてば 野末にほひて 虹あらはれぬ
とき髪を 若枝にからむ 風の西よ 二尺に足らぬ うつくしき虹
わが恋は 虹にもまして 美しき いなづまとこそ 似むと願ひぬ

晶子はこの他にも多数、を詠んでいる。

また昭和生まれの俵万智には幼子を見つめる母の想いを詠んだ、次のような美しい歌がある。

一生を見とどけられぬ寂しさに振り向きながらゆく虹の橋

つまり「万葉集」から千年以上経過し、虹=蛇〉という結びつきがすっかり忘却の彼方へ追いやられてしまった。そこへ明治以降、〈虹は美しい〉という新しい概念が欧米から輸入され、人々の意識に定着し、和歌の世界にも取り込まれた。そういうことなのではないだろうか?

映画「オズの魔法使い」でジュディ・ガーランドが歌った〈虹の彼方に(Over the Rainbow)〉こそ、欧米人の虹に対する見方を代表するものである。

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大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会2019とディズニー「ファンタジア」

2月17日(日)フェスティバルホールへ。大阪桐蔭高等学校吹奏楽部定期演奏会を聴く。指揮は総監督の梅田隆司先生。

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つい先日亡くなった屋比久勲先生が指揮する「エルザ」も5年前に大阪桐蔭の定演で聴いた。

また2018年度の吹部の躍進(メディアへの露出)については詳細に下記事に書いたので、ここでは繰り返さない。

さて、昨年の定演のレビューで大阪桐蔭吹部が全日本吹奏楽コンクール(全国大会)で金賞を受賞するときの法則を分析した。

今年は新たに発見した【法則3】について述べてみたい。

2018年の全国大会で大阪桐蔭が取り組んだ課題曲IV コンサートマーチ「虹色の未来へ」〈郷間幹男〉を聴きながら、「梅田先生らしからぬ、精彩を欠いた演奏だなぁ。何でだろう?2016年の課題曲III「ある英雄の記憶」〈西村友〉はあんなに生き生きとした素晴らしい演奏だったのに」と思った。何しろ関西は〈マーチの丸谷〉が君臨しているだけに分が悪い。聴き手(審査員を含む)は無意識のうちに淀工の演奏と比較してしまうだろう。そこでハタと気がついたのである。調べてみると、案の定だった。

大阪桐蔭が全国に輝いた2009年、10年、11年、16年は全て非マーチ作品を課題曲に選んでいる。そしてマーチを選んだ07年、15年、18年はいずれも銀賞に終わっている。これが【法則3】だ。ところで2019年度吹コンの課題曲は5曲中3曲がマーチだ。さあ、どうする?

今年度、大阪桐蔭が自由曲に選んだのはデュカス「魔法使いの弟子」。梅田先生は同曲で1995年大阪市立生野中学校、2000年大阪市立城陽中学校を全国大会に導いている(いずれも銀賞)。また2005年の城陽中でも「魔法使いの弟子」を選んだが、関西大会止まりだった。

ここで、こちらのインタビュー記事(2007年)をお読み頂きたい。以下原文のまま梅田先生の発言を引用する。

僕はどちらかというとフランスの曲が好きなんですよ。中学を指導していた時に交響詩「魔法使いの弟子」(デュカス)という曲で全国大会に2回出場したことがあって、あの曲もやってみたいと思うんですけど...高校の部では全国に行けないかな(笑)。

つまり当時、梅田先生は「魔法使いの弟子」で全日本吹奏楽コンクール金賞を獲れないと考えておられたのだろう。だから18年度のターゲットは他にあったのではないだろうか?それはズバリ、選抜メンバー(上限55人)ではなく、生徒全員で出場出来る日本管楽合奏コンテストである。そして2度目の最優秀グランプリ/文部科学大臣賞(1位)受賞という成果を得た。

今回定演のプログラムは、

第1部 マーチング

〈魔法の「夢」の世界〉

  • デュカス(梅田隆司編):交響詩「魔法使いの弟子」

〈歴史の「夢」を訪ねて〉

  • レスピーギ(杉本幸一編):「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲
  • ハンス・ジマー:アニメ映画「プリンス・オブ・エジプト」より
  • レスピーギ:交響詩「ローマの祭」より
  • グノー:アヴェ・マリア
  • フォーレ:付随音楽「ペリアスとメリザンド」よりシチリアーナ
  • レスピーギ:交響詩「ローマの松」より

第2部 座奏中心(クィーン・メドレーはマーチング)

  • 甲子園リクエスト・コーナー〈サーカス・ビー〜夏疾風〜アフリカン・シンフォニー〜アゲアゲホイホイ〜かっせー!パワプロ〜ダイナミック琉球〜サウスポー〜You are スラッガー〜We Will Rock You〜ウィリアム・テル序曲〉
  • 吹奏楽部の歩み〈LOSER〜Lemon〜メトロノーム〜アイネクライネ〜ピースサイン(以上 米津玄師)〜青春の輝き(カーペンターズ)〉
  • スペシャル・コラボ・コーナー〈嵐メドレー・ドリカムメドレー・U.S.A.(DA PUMP)〉
  • 卒業生を送る歌〈ダイヤモンド(コブクロ)〉
  • クイーン(Queen)メドレー〈I Was Born To Love You〜Don't Stop Me Now〜We Will Rock You〜Bohemian Rhapsody〜We Are the Champions〉
  • 中島みゆき:時代(アンコール)
  • 銀河鉄道999(アンコール)
  • 星に願いを(アンコール)

「魔法使いの弟子」は柔らかい音色で軽やかな演奏。とってもフランス的だった。水が溢れる場面はマーチングで巧みに波や渦を表現する。

この交響詩で誰しも連想するのはディズニー不朽の名作「ファンタジア」(1940)だろう。日本軍による真珠湾攻撃の1年前に北米公開されており、こんな豊かな国に勝てるはずもない(日本公開はGHQ占領終結後の55年)。ミッキーマウスが魔法使いの弟子を演じている。

現在小学校1年生の息子に「ファンタジア」のDVDを繰り返し観せてきたが、その過程で僕はこの作品の偉大さがより深く理解出来るようになってきた。冒頭J.S.バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」では抽象画の線が教会の尖塔や、ステンドグラスから差し込む光を描写する。つまりキリスト教を意識した作りになっている。ストラヴィンスキー「春の祭典」(ニーチェの言う”デュオニュソス的”芸術)では地球創世記〜生命の誕生〜恐竜時代の終焉までを描く。ベートーヴェン「田園交響楽」(”アポロン的”)ではギリシャ神話の神々が総出演する。またムソルグスキー「はげ山の一夜」に登場する魑魅魍魎たちは、ヨーロッパにキリスト教が浸透する前の土着信仰を象徴している。ハロウィン的だが、ハロウィンの起源は古代ケルト人による(キリスト教にとっては異教徒の)祭りである。だから夜明けを告げる教会の鐘の音と共に彼らは消え去り、シューベルト「アベ・マリア」でキリスト教に戻り幕が降ろされるのだ。そして3曲目に登場する「魔法使いの弟子」で描かれるのは旧約聖書の世界である。弟子による魔法の失敗で洪水になる場面は〈ノアの箱舟〉であり、最後に魔法使いが登場し、水を二つに割り、鎮める。これは映画「十戎」や「プリンス・オブ・エジプト」で描かれた〈出エジプト記〉に基づいている。つまりモーゼによる紅海の〈海割り〉だ。またミッキーの夢の中で無数の流星が落ちてくる情景は天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市〈ソドムとゴモラ〉(創世記)を想起させる仕掛けになっている。非常に巨視的な作品だ。余談だが、ディズニーに私淑していた漫画の神様・手塚治虫の未完に終わったアニメ「森の伝説」は「ファンタジア」への熱烈なオマージュで、チャイコフスキーの交響曲第4番が全編に流れる。

何故こんなことをくどくどと書くかといえば、「ファンタジア」は梅田先生が台本を執筆された定演の第1部〈歴史の「夢」を訪ねて〉と密接に結びついているからである。物語はクレオパトラとシーザーの出会いとシーザーの暗殺に始まり、皇帝ネロによるキリスト教徒弾圧(「ローマの祭」〜チルチェンス)から一転、キリスト教の国教化、中世ヨーロッパの暗黒時代を経てルネッサンス期の到来、そして魔女狩りや一神教(キリスト教)に対する批判があって現代に至るという、ローマ史を俯瞰する巨視的な作品である。ディズニーの「ファンタジア2000」にレスピーギ「ローマの松」が採用されていることも見逃してはならないだろう。

そして最後〈アッピア街道の松〉が演奏されている時に背後のスクリーンに【すべての道はローマに通ず】ルート地図が示され、それがいつしか飛行機の空路に変わり、東方に向かって2025年に開催される大阪万博に到達するという演出の離れ業・飛躍があり、僕は「成る程、これは正に共時的作品だな」と甚く感銘を受けた。

元々、通時的/共時的とはスイスの言語学者ソシュール(1857-1913)が提唱した概念である。通時的とは、時間は〈過去→現在→未来〉という不可逆的・一方通行の流れであり、それと共に人類は進歩の歴史を歩んでいるとする考え方。一方、共時的とは、〈過去・現在・未来は同時にここにある〉とする考え方。時間は循環する。「ツァラトゥストラはかく語りき」でニーチェが提唱した〈永劫回帰〉とほぼ同じことを言っていると見做して良いだろう。この概念をフランスの構造人類学者レヴィ=ストロース(1908-2009)は神話論理に応用した。レヴィ=ストロースによると、神話とは通時的であると同時に共時的物語でもあるという。彼は共時的という概念を説明するためにオーケストラの総譜を例に挙げるのだが、詳しいことは下記事をお読みください。

共時的とは何か、を体感するために参考となる代表的映画をいくつか挙げておこう。イングマール・ベルイマン「野いちご」、フェデリコ・フェリーニ「8 1/2」、アラン・レネ「去年マリエンバートで」、大林宣彦「さびしんぼう」「はるか、ノスタルジィ」、そして細田守「未来のミライ」である。

さて、レスピーギ「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲の原曲は弦楽合奏であり、杉本幸一による吹奏楽編曲は、より古楽風になっておりとても良かった。なお桐蔭の甲子園オリジナル応援曲「You are スラッガー」は杉本幸一作曲である。

甲子園リクエスト・コーナーは例年通りバットで客席に向けて打ったボールをキャッチした客が曲を指名する仕組み。今までは野球部の選手がステージに呼ばれて打つことがしばしばあったが、空振りしたり飛距離が出ないという散々の体たらくだった。今回は会場からバッター志望を募り、小学生が1階席後方に飛ばしたり、ボールが2階席に届いた人もいて大いに盛り上がった。

また梅田先生から、今年は春の選抜高校野球大会に大阪桐蔭野球部は出場しないが、名古屋代表の東邦高校の校長から直々の依頼があって、友情応援で甲子園に吹部が行くことになったと発表があった。

吹奏楽部の歩みでは米津玄師の作品が5曲演奏されたのだが、どうせなら僕が一番好きな「打上花火」も聴きたかったなぁ……。

大阪桐蔭は昨年、DA PUMPとテレビで2度共演したが、中継会場となった大阪城ホールの収容人数は1万人。12月に出演したドリカムのライヴではオールスタンディングなので1万5千人規模だったという。ドリカムメドレーは〈未来予想図 II〜LOVE LOVE LOVE〜大阪LOVER〜連続テレビ小説『まんぷく』主題歌「あなたとトゥラッタッタ」〉。「大阪LOVER」って初めて聴いたけれど、歌詞がすごく面白かった。

「U.S.A.」は昨年12月のサンタコンサートよりも、7人の男子生徒の踊りが格段に上手くなっていたので目を瞠った。相当練習を積んだんだね。ブラボー!

「ボヘミアン・ラプソディ」は昨年日本で公開された映画の中で、邦画・洋画併せてNo.1の興行成績をあげた。現在も絶賛公開中でバケモノ的大ヒットとなっている。なんでも「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の記録を抜いたとか。世界的に見ても日本は米国に次ぐ第2位の興行成績だそう。何とQueenのお膝元、イギリスよりも当たっているのだ。「レ・ミゼラブル」といい、「グレイテスト・ショーマン」といい、日本人ってミュージカル映画や歌ものが心底好きなんだねぇ。で大阪桐蔭吹部は20世紀フォックスからオファーを受けて公式ミュージック・ヴィデオ(MV)を撮ったわけだが、これ多分、DVD/Blu-ray発売時には特典映像として収録されるのではないだろうか?生徒さんたちにとっては掛け替えのない一生の宝物になるだろう。

今回演奏されたのは、公式MVよりもロング・バージョン。"I Was Born To Love You"は1985年に発売されたフレディ・マーキュリーのソロアルバムに収録された楽曲で、「ボヘミアン・ラプソディ」には登場しない。映画を観て初めて知ったのだが、フレディが最後の恋人ジム・ハットンと交際を始めたのが84年。つまりシングル盤が発売された当時、リスナーの多くは女性に宛てたラブソングだと考えたわけだが、実はYou=ジム・ハットンだったんだね。そして歌詞をよくよく見ると、

Yes, I was born to take care of you, ha

とある。日本人だと「お前の面倒は俺が見るよ」とか、「君の世話は僕に任せて」とかないとは言えないけれど(でも前世代の感覚だ)、欧米人の男性が女性に言う口説き文句としては考えにくいんじゃないかな。「はぁ、何様のつもり?」とか大喧嘩になりそう。

クイーン・メドレーはポップで切れがあり、この日最高のパフォーマンスだった!因みに僕が今まで聴いててきた中で、大阪桐蔭の史上ベスト・パフォーマンスを5つ挙げたい(アンコール「銀河鉄道999」は別格チャンピオンとする)。

  • ポーギーとベス
  • ミュージカル「銀河鉄道の夜」(西村友)
  • キャラバンの到着(映画「ロシュフォールの恋人たち」より)
  • ラ・ラ・ランド
  • クイーン・メドレー

梅田先生、桐蔭が吹コン自由曲でクラシック音楽ではなく、ミュージカル作品を取り上げる日を僕は首を長くして待っています。

アンコールの定番「銀河鉄道999」ではステージ上のミラーボールに、四方からスポットライトを当てて、とっても綺麗だった。演出が年々進化している!

最後に、僭越ながら今後の定期演奏会で聴きたい曲をリクエストさせていただきます。今年4月に梅芸で再演されるフレンチ・ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」とか如何でしょう?例えば〈エメ♪(Aimer=愛)〉は是非、桐蔭生徒さんたちのコーラスで聴いてみたい究極の名曲です(ミュージカル界のプリンス・山崎育三郎と乃木坂46の生田絵梨花の歌唱をこちらからどうぞ)。あと〈世界の王♪〉は凄く吹奏楽向きだと思います(育三郎と城田優のパフォーマンスでどうぞ)。年齢的にも高校生にぴったりの題材ですしね。

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21世紀に生まれた、夢のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」(字幕版/吹替版)

「メリー・ポピンズ リターンズ」は1964年に公開された「メリー・ポピンズ」の実に54年ぶりの続編である。物語の設定としては前作の25年後ということになっている。

評価:AAA (←これ以上はありません)

Marypoppinsreturns

パーフェクト、文句なし!軽く前作を超えた。字幕版と吹替版の両方を鑑賞。

公式サイトはこちら

ロブ・マーシャル監督は振付師出身である。元祖メリー・ポピンズことジュリー・アンドリュースが主演したブロードウェイ・ミュージカル「ビクター ビクトリア」(1995年初演)も振付を担当した

映画監督としてはアカデミー作品賞を受賞したミュージカル「シカゴ」(2002)が名高いが、実はその前にテレビ映画「アニー」(1999)を振付・監督し、これが途轍もない大傑作なのである。NHKで一度放送されたが、日本でソフト化されていないのが到底信じられない。僕は北米版DVDを所有していて、息子(現在小学校1年生)に何度も観せた。ブロードウェイ初演時にアニーを演じたアンドレア・マカードルがショーの場面でゲスト出演し、「回転木馬」「ラグタイム」のオードラ・マクドナルド(トニー賞6度受賞!!)や「キャバレー」のアラン・カミング(トニー賞受賞)、「きみはいい人 チャーリー・ブラウン」「ウィキッド」のクリステン・チェノウス(トニー賞受賞)など綺羅星のミュージカル・スターたちが脇を固めている。

Annie

ロブ・マーシャルがスティーヴン・ソンドハイム作詞・作曲のブロードウェイ・ミュージカルを映画化した「イントゥ・ザ・ウッズ」(2014)からは、エミリー・ブラントとメリル・ストリープが「メリー・ポピンズ リターンズ」にも参加している。

前作で煙突掃除夫バートと銀行の頭取ドース・シニアの二役を演じたディック・ヴァン・ダイクが本作でもドーズ・ジュニアとして登場。なんと愉しそうにタップ・ダンスまで披露してくれたので、感動のあまり僕は思わず泣きそうになった。撮影時御年92歳だぜ!?パニック映画「タワーリング・インフェルノ」でも少し踊った晩年のフレッド・アステアのことを想い出した。そしてフィナーレでは風船売りとしてアンジェラ・ランズベリーが登場。彼女はソンドハイムの「スウィーニー・トッド」でトニー賞のミュージカル主演女優賞を受賞している。またディズニー・アニメ「美女と野獣」(1991)ではポット夫人の声をあて、アカデミー賞を受賞した主題歌を歌った。やはり本作撮影時92歳

ガス灯の点灯夫(Lamplighter)ジャックを演じるリン=マニュエル・ミランダ(吹替:岸祐二)といえば、トニー賞を11部門受賞し話題を席巻したミュージカル「ハミルトン」の作詞・作曲・脚本・主演を全部一人でこなした天才である。何とピューリッツァー賞まで獲ってしまった!ディズニー映画「モアナと伝説の海」では主題歌"How Far I'll Go"を作詞・作曲し、アカデミー歌曲賞にノミネートされている。彼はガチガチの民主党支持者でリベラルを気取り、反トランプ(政権)色を鮮明に打ち出している。「ハミルトン」のカンパニーはペンス次期副大統領観劇時に騒動を起こし、物議を醸した(ハミルトン事件)。また「ハミルトン」のオーディションにおいて募集対象が「白人を除く全人種」と表記したことでも話題となった(記事はこちら)。つまりミランダは明白な人種差別主義者である。心底嫌な奴で僕は人として軽蔑するが、しかし悔しいけれど本作のパフォーマンスは圧巻で、グーの音(ね)も出ない。天は彼にどんだけ才能を与えるんだ!と嫉妬心すら覚えるくらいである。

エミリー・ブラントは顔も声も先代ジュリー・アンドリュースに似ても似つかないが、その視線とか仕草とかで「あ、メリー・ポピンズがそこにいる」としっかり感じさせる。お見事。彼女がアカデミー主演女優賞にノミネートされなかったのが信じられない。エミリーの代わりに候補入りした「ROMA/ローマ」のヤリッツァ・アパリシオはそれまでに全く演技経験のないズブの素人だからね、過大評価である。そして吹替版の平原綾香は、正直エミリーよりも歌が上手い。

メリーのいとこ・トプシーを演じるメリル・ストリープの歌は島田歌穂が吹替ているが、こちらもオリジナルを凌駕している。なお島田はミュージカル「レ・ミゼラブル」国際キャスト版CDでエポニーヌ役に抜擢され(日本人で唯一)、エリザベス女王の御前でも歌った。またマイケル役の谷原章介や姉ジェーンを演じる(元劇団四季)堀内敬子も良かった。

リン=マニュエル・ミランダやアンジェラ・ランズベリーはオリジナル音声の方が味があるので、結論として字幕版と吹替版は甲乙つけ難しといったところ。

なお、劇中で言及される〈トプシー・ターヴィーTopsy Turvy〉とは「逆さまの」という意味で、ディズニー・アニメ「ノートルダムの鐘」にも出てくる。

前作では笑うと空中に浮かぶメリーのおじさんが登場したが、今回いとこのトプシーは世界がひっくり返るという趣向で愉しい。

また前作でメリーとバート、子どもたちは煙突を通って屋上に登るが(up)、今回は地下に降りる(down)という具合に対称を成している。

「リターンズ」で強く感じたのは、「アニー」の時もそうだったが、ロブ・マーシャルは子供の扱いが極めて上手いということ。みんな生き生きしている。また彼は本作でも振付を兼任しているが、特に群舞が素晴らしい。「アニー」ではウォーバックス氏の使用人たちの群舞が圧巻だった("I Think I'm Gonna Like It Here")。

「リターンズ」の噴水に於けるダイナミックなダンス・シーンは、間違いなくジーン・ケリー主演のMGM映画「巴里のアメリカ人」へのオマージュであろう。その直後に点灯夫たちが長い点火棒を肩に担いで行進する場面は「ザッツ・エンターテイメント パート3」に収録された、ジュディ・ガーランド主演「ハーヴェイ・ガールズ」(1946)のたいまつの行進(March of the Doagies)を彷彿とさせる。またロイヤルドルトン・ミュージックホールでのメリーとジャックのパフォーマンス(ヴォードヴィル仕立て)を観ながら、僕はMGM映画「イースター・パレード」(1948)におけるジュディ・ガーランドとフレッド・アステアの姿が二重写しになった。

前作の音楽はシャーマン兄弟だったが、本作の作詞・作曲はスコット・ウィットマンとマーク・シャイマンが担当した。ふたりは公私共にパートナーであり、ブロードウェイ・ミュージカル「ヘアスプレー」でトニー賞を受賞。他に「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」や「チャーリーとチョコレート工場」がある。アカデミー歌曲賞にノミネートされた「幸せのありか」は「チム・チム・チェリー」ほどcatchy(人の心を捉える、人気を呼ぶ)ではなく地味で、全体的にold-fashionedではあるが、高品質と言えるだろう。

大人に成長したジェーンとマイケルがメリーに再会する場面で前作の歌「お砂糖ひとさじで(A Spoonful of Sugar)」の旋律が劇伴で流れ、銀行の頭取ドース・ジュニアが2ペンスの話をする場面で「2ペンスを鳩に」、大団円の風船で飛ぶ場面では「凧をあげよう」が流れるといった具合で、何だかワクワクした。あとバンクス姉弟のお母さんは女性参政権運動に熱を入れていたのだが、ジェーンは労働組合活動に熱心という設定になっており、ああ親子だなぁと説得力がある。

前作最大の見せ場は、メリーたちが(バートが描いた)絵の中に入っていく場面だが、実写とアニメの融合は既にミュージカル映画「錨を上げて」(1945)において、ジーン・ケリーと(「トムとジェリー」の)ジェリーが共演を果たしている。ジーン・ケリーは自身が監督も兼任した「舞踏への招待」(1954)でさらにこの融合実験を推し進めており、「メリー・ポピンズ」の手法は決して新しくない。一方「リターンズ」ではメリーや子どもたちが、壺の表面に描かれた絵の中に入ってゆく。今回はアニメのキャラクターが2Dで、背景が3Dという離れ業を成し遂げている。壺だから弯曲があり、その設定も巧妙に生かされているのでほとほと感心した。珠玉のファンタジーである。

映画館の暗闇に身を沈めている間、本当に至福の時を過ごすことが出来て歌が終わる度に拍手したい衝動に駆られた。今や映画「レ・ミゼラブル」のトム・フーパー(現在ロイド・ウェバー作曲の「キャッツ」を撮影中。出演はイドリス・エルバ、テイラー・スウィフト、イアン・マッケラン、ジュディ・デンチ、ジェニファー・ハドソンほか)や、「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル、そしてロブ・マーシャルと卓越したミュージカル映画監督が沢山いて、心強い限りである。

ところで、ミュージカル「ミス・サイゴン」映画版の監督は一体誰になるのだろう?(2016年には「スラムドッグ$ミリオネア」「スティーブ・ジョブズ」のダニー・ボイルが交渉中というニュースが流れたのだが……)

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チャイコフスキー革命!〜クルレンツィス/ムジカエテルナ@フェスティバルホール

2月14日(木)フェスティバルホールへ。クルレンツィス/ムジカエテルナを聴く。

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テオドール・クルレンツィスはギリシャ・アテネ生まれの46歳。サンクトペテルブルク音楽院で学び、ロシアのウラル山脈の麓に位置するペルミを本拠とするアンサンブル、ムジカエテルナを創設した。

クルレンツィスを一躍時代の寵児へと押し上げたのは、チャイコフスキー「悲愴」とマーラーの交響曲第6番のCDで2年連続レコード・アカデミー大賞に輝いたことである。これは前例のない快挙であった。

わかりやすく言えば、彼はカルロス・クライバー級のカリスマ/スーパースター/風雲児なのである。

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ヴァイオリン独奏はモルドヴァ出身のパトリシア・コパチンスカヤ。彼女のリサイタルは以前、ザ・フェニックスホールで聴いている。出自についても下記事で詳しく解説した。

曲目は、

  • チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
  • 藤倉大:kusmetche(クズメッチェ) 
    ソリストアンコール 日本初演
  • チャイコフスキー:交響曲 第6番「悲愴」

弦は古典的対向配置。コンチェルトは座奏だったが、後半のシンフォニーではチェロとチューバ以外、全員立奏で度肝を抜かれた。チャイコフスキーでこんなのは前代未聞である。前半は指揮台なし、後半ありで、クルレンツィスは指揮棒を使用せず。

コパチンスカヤは赤いスリッパを履いて登場。本番では裸足で演奏した。

囁くような弱音で始まり、次第に前のめりになり野性の本能を剥き出しにする。獲物を狙うの姿勢。彼女は〈歌う〉というよりは〈呪術的〉な音色を奏でる。

クルレンツィスの足は鹿のようにスリムで、踊るように動く。時にふたりは向かい合い、互いに煽りオデコがぶつかりそうなくらい接近する。

第2楽章は「ジプシーの夜」。野営地で焚き火を囲んだロマたちの姿が幻視される。

第3楽章のテンポは変幻自在。自由度が高く、破天荒規格外の演奏だった。

このコンチェルトがロマの音楽に聴こえたのは初めての体験だった。コパチンの父親がツィンバロン(ハンガリーを中心に中欧・東欧地域で演奏されている打弦楽器)奏者であることと、決して無関係ではないだろう。

アンコールで披露された作曲家・藤倉大は1977年大阪生まれ、現在はイギリス在中。だからフェスティバルホール@大阪で演奏されたのには大きな意味がある。ブルガリアのダンス・リズムがベースになった楽曲だという(藤倉夫人はブルガリア人)。ちなみに直木賞・本屋大賞をダブル受賞した恩田陸の小説「蜜蜂と遠雷」が映画化され10月4日に公開されることが決まったが、劇中に演奏されるピアノコンクール2次予選の課題曲「春と修羅」を藤倉が作曲するとつい先日発表された。

立奏の「悲愴」はオーケストラ全体が一つの有機体となり、大きなうねり/ グルーヴ(groove)を感じた。立奏は吹奏楽のマーチングに繋がるし、ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オケによるバーンスタイン「ウエストサイド物語〜マンボ」のパフォーマンスを想起させた(熱狂の映像はこちら!)。

第2楽章は儚く、息も絶え絶え。中間部のティンパニの連打はまるで心音のよう。

第3楽章は抜群の機動力を発揮しグイグイ引っ張り、最終楽章の悲痛な叫びに至る。我々はズルズルと底なし沼に引きずり込まれ、虚空に呑まれる。ニーチェの言葉〈お前が深淵を覗く時、深淵もまたお前を見返しているのだ〉(「善悪の彼岸」)が脳裏に浮かんだ。

最終音が消え、クルレンツィスが手を下ろすまでの約1分間。長い沈黙に聴衆もよく堪えた。未曾有の体験だった。

これはチャイコフスキー・レヴォリューションだ。アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスが衝撃的なヴィヴァルディ「四季」のLPレコードで、世間に殴り込みをかけてきた日のことを想い出す。ピリオド・アプローチ革命の夜明けであった。

賛否両論も当然あろう。クルレンツィスについて来れない守旧派、哀れな者たちはとっとと、惨めに消え去れ!残ることを選びし我々は新しい風を全身に浴び、見たこともない景色を目の当りにするのだ。

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春風亭一之輔 独演会@兵庫芸文

2月11日(月・祝)兵庫県立芸術文化センター中ホールへ。春風亭一之輔の落語を初めて聴く。

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  • 春風亭きいち:寄合酒
  • 春風亭一之輔:鈴ヶ森/ガマの油
  • 林家たけ平:相撲風景
  • 春風亭一之輔:百川

一之輔は現在41歳。2012年3月に真打昇進した際、〈二十一人抜きの大抜擢!〉と巷で評判になった。

開口一番、NHK大河ドラマ『いだてん』を観てますよと。古今亭志ん生を演じるビートたけしについて、「本物の志ん生師匠よりも、何喋っているんだかさっぱり分からない」と会場を沸かす。なお、志ん生は昭和36年(1961年)に脳出血で倒れ、半身不随となった。よって〈病後〉に芸風が変わった。

また立川談春原作『赤めだか』ドラマ版でビートたけしは立川談志を演じており、「いま志ん生師匠や談志師匠を演れるのは、たけしさんしかいない」とも。

テレビ『林家三平ものがたり』で三平を演じたのが山口達也、『赤めだか』では新井浩文が”立川ダンボール”という落語家に配役された。またNHKプレミアムドラマ『人生、成り行き 天才落語家・立川談志 ここにあり』では若き日の談志を小出恵介が演じた。

「だからテレビで落語家を演じた俳優は、後に警察沙汰なるという法則があるんです」と一之輔。そして盗人の噺「鈴ヶ森」へ。上手いねぇ〜。なおビートたけしも〈フライデー襲撃事件〉で逮捕歴がある。

一之輔の口跡には畳み掛けるようなリズム感があり、聴いてきて実に心地よい。なるほど、評判通り彼は天才だ。柳家喬太郎を初めて聴いたときのような、新鮮な驚きがあった。

「百川」ではマクラで〈四神旗〉の説明があった。四神(しじん)とは四方の神、すなわち

  • 東ー青龍(せいりゅう)
  • 西ー白虎(びゃっこ)
  • 南ー朱雀(すざく):火の象徴。鳳凰。
  • 北ー玄武(げんぶ):水神。カメの甲に蛇が巻きついた形に表す。

を指す。大変勉強になった。そうか、アニメ『コードギアス』の登場人物、枢木スザクとその父・枢木ゲンブの名は四神由来だったんだね。

今回の独演会で些か残念だったのは三席とも滑稽噺だったという点。一之輔の怪談噺や人情噺も聴いてみたいと、強く思った。

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笑福亭鶴瓶 落語会 2019@兵庫芸文

1月25日(金)兵庫県立芸術文化センターへ。笑福亭鶴瓶の落語を聴く。

  • 笑福亭鶴瓶:鶴瓶噺
  • 笑福亭鶴笑:立体西遊記
  • 笑福亭鶴瓶:徂徠豆腐
  • 遠峰あこ:アコーディオン歌謡
  • 笑福亭鶴瓶:明烏 ネタおろし

鶴瓶は開口一番、「痩せたでしょう」と。長野県で撮影中の映画の役作りで7キロ減量したという。2019年11月公開予定で、その時点では情報解禁前でタイトルを明かさなかったが、後に平山秀幸監督の「閉鎖病棟」だと判明。共演は綾野剛と小松菜奈。鶴瓶談によると小林聡美も出演しているらしい。

現在はテレビ/ラジオでレギュラー番組を8本持っていて、落語の方は昨年180席高座に上がった。

平山監督から長文の手紙を貰い、10年ぶりの映画主演を決めた。「忙しい人だから(かえって)時間があるだろう」と言われたそう。時間は工夫して作り出すものだから。

鶴笑はマクラで心斎橋2丁目劇場(1999年閉館)にダウンタウンが出演していた頃、漫才の合間に落語を演じ苦闘した日々を語り、得意のパペット落語で会場を沸かせた。

遠峰あこは持ち歌「秋田音頭」「私の大阪環状線」「哀愁のマグロぶつ」「両国」などを披露。こういうタイプの芸人さんは関西にいないので、凄く愉しかった。アコーディオン芸人といえば嘗て「おしどり」のマコがいたが、お江戸に行ってしまった。あちらで政治(福島原発事故問題)にのめり込み、次期参院選では立憲民主党から出馬するのだとか。何やってんだか……。閑話休題。

「徂徠豆腐」は一年前の兵庫芸文落語会でネタおろししたもので、一年間全国を廻り、練り上げた成果をもう一度聴いてもらいたいと。

この日のネタおろし「明烏」は遊郭で展開される艶噺。上方から江戸に移植された古典落語は多数あるが、「この噺を上方に持ってきてもええやろ」と考えての今回の口演となった。吉原から新町(大坂で唯一江戸幕府公認だった花街)に舞台が移されている。鶴瓶が遊女を演じると、〈大阪のおばちゃん〉みたいになり違和感があるのだが、こういう滑稽噺は流石に上手い。大いに笑った。

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映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」

評価:A

Rebelrye

映画公式サイトはこちら

新井浩文の逮捕を受けて現在、彼が出演した映像作品の全てが観れなくなっているが、男性たちに対するセクハラ問題で失脚したケヴィン・スペイシーが出演している本作が公開されることの不思議。今の日本てちょっと、変じゃない?創造された作品に罪はないよ。例えばNHKオンデマンドは三谷幸喜が脚本を書いた大河ドラマ「真田丸」の配信を停止したが、「真田丸」に出演した時点で新井は犯罪者だったわけではないのだから。反応が過敏過ぎる。

さて、J・D・サリンジャーの小説「ライ麦畑でつかまえて」は大学生の頃に読んだ。しかしサリンジャーがノルマンディー上陸作戦に一兵士として参戦し、その時に書きかけの「ライ麦畑」の現稿を持って行っており、ユダヤ人強制収容所を目の当たりにしてPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しんだこととか、本作を観るまで全く知らなかった。これ以上の〈地獄〉はないだろう。なお、サリンジャーの父はポーランド系ユダヤ人だった。また彼の恋人だったウーナ・オニールが18歳でチャップリンと電撃結婚したという事実にも驚かされた。ウーナの娘ジェラルディン・チャップリンは映画「ドクトル・ジバゴ」に出演するなど女優として活躍した。

アメリカに帰国後も手が震えるなどPTSDの症状から逃れられなかったサリンジャーがヒンドゥー教の尊師シュリ・ラーマクリシュナに傾倒し、瞑想とヨガを始めたというエピソードもとても興味深かった。

あとサリンジャーがニューヨークの喧騒を逃れ、ニューハンプシャー州の田舎で隠遁生活を始めた頃に知り合い、結婚したクレア・ダグラス役をルーシー・ボイントンが演じていたのでハッとした。ルーシーは映画「ボヘミアン・ラプソディ」でフレディ・マーキュリーの恋人役だったひと。とっても綺麗な女優さんで、もしかしたら現役で僕の一番のお気に入りかも。

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イルミネーション「グリンチ」とディズニー「シュガー・ラッシュ:オンライン」

「グリンチ」

評価:B 公式サイトはこちら

Grinch

「怪盗グルー」シリーズで脇役のミニオンが大人気になったように(スピン・オフも製作された)、イルミネーション・エンターテイメント(ユニバーサル・スタジオの子会社)作品の特徴は、精巧に組み立てられたプロットというよりは、寧ろキャラクター重視という色合いが濃い。特に「SING/シング」。

「グリンチ」も例外ではなく、話の面白さよりもキャラが立っているなぁという印象。

ドクター・スースによる原作絵本は2000年にジム・キャリー主演で実写映画化もされている。

本作を観ながら感じたのは、これってディケンズの「クリスマス・キャロル」をベースにしているんじゃないか、ということ。頑固者の初老の男がクリスマス直前にふとしたきっかけで少年時代に引き戻されて、最終的に改心する物語。構造が全く同じだ。

「シュガー・ラッシュ:オンライン」

評価:A 公式サイトはこちら

Ralph

前作はアーケードゲーム(業務用ゲーム機)内のお話だったが、今回はラルフとヴァネロペがインターネットの世界に飛び出した!

脚本が練りに練られている。YouTubeとかeBayをネタにしたギャグが最高に可笑しい。またディズニー・プリンセス総出演が壮観だし、〈王子様依存型ヒロイン〉という過去の自社路線を徹底的にからかい、セルフパロディにしてしまう潔さには感服する。ディズニーもすっかり変わった。

ウォルト・ディズニーが生きていた時代を第一次黄金期とすると、ジェフリー・カッツェンバーグが築いた第二次黄金期(「リトル・マーメイド」から「ライオンキング」まで)を経て、「アナと雪の女王」「ベイマックス」など第三次黄金期をもたらした立役者は間違いなく(低迷期に解雇され後に復帰した)ジョン・ラセターである。本作でもエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねている。

しかし #MeToo 運動の余波で〈ハメられて〉、CCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)だったラセターは放逐された。ディズニー&ピクサーの前途には今、もくもくと暗雲が立ち込めている。

失脚したラセターは既にスカイダンス・アニメーションのトップに就任することが決まっており、それと前後して「トイ・ストーリー3」「リメンバー・ミー」のリー・アンクリッチ監督がピクサーを退社すると表明した。アメリカのアニメーション・スタジオの勢力地図は間もなく、すっかり塗り替えられることになるだろう。「面白くなってきやがった!」(宮崎駿「ルパン三世 カリオストロの城」より)

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紅ゆずる主演 宝塚星組「霧深きエルベのほとり」ほか

2月27日(日)宝塚大劇場へ。宝塚星組「霧深きエルベのほとり」「ESTRELLAS(エストレージャス) ~星たち~」を鑑賞した。

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「霧深きエルベのほとり」は菊田一夫が台本を書き、1963年に星組が初演した。菊田一夫と言えばラジオドラマ「君の名は」が有名で、その放送時間帯は「銭湯が空になる」という伝説を残した。またペテン師2人が繰り広げる珍騒動を描いた戯曲「花咲く港」は1943年に映画化され、木下惠介監督のデビュー作となった。

彼の名前を冠する菊田一夫演劇賞は大変権威のある賞で、東宝「エリザベート」におけるタイトルロールの演技に対して花總まりが演劇大賞を受賞したことは記憶に新しい。

流石に半世紀以上前の作品なので、古臭さを感じなかったと言えば嘘になる。しかし、そこそこ面白く悪くなかった。今まで散々、死ぬほど詰まらないたオリジナル作品を宝塚大劇場で観てきたので。例えば同じ港町を舞台にした作品で小池修一郎(作・演出)の「アデュー・マルセイユ」(春野寿美礼サヨナラ公演)があるが、あれなんかより本作の方がよっぽどマシ。

水夫カールを演じた紅ゆずるは滑舌が悪く、歌も余り上手くないので精彩を欠く。この人のベストは「ガイズ&ドールズ」のネイサン・デトロイト。あの公演は神がかったキャストだった。

ヒロイン・マルギット役の綺咲愛里は美人だし、文句なし。

圧巻だったのが男役二番手の礼真琴。歌が絶品で"That's Takarazuka !"と快哉を叫びたくなったし、彼女のダンスには色気がある。素晴らしいトップになるだろう。

上田久美子の演出は舞台奥行きの使い方が抜群に上手い。例えば前方で主演のふたりが芝居をしていると、奥で別の〈何か〉が進行しているといった具合。あと「ビール祭りの ビールの泡から 二人は浮かび出た♪」という歌の場面で、ふたりがせり上がってくる趣向が愉しい。オープニングに大階段を登場させたのも華やかで、大変結構。

中村暁演出によるショーは可もなく不可もなし。そもそも、星組だから星をテーマにするという発想が安直過ぎる。

小学校1年生の息子の初宝塚体験となったが、退屈だったみたいで、幕間に「もう帰りたい」と言い出して宥めすかすのに大変苦労した。因みに彼のお気に入りは劇団四季の「キャッツ」。インドネシアの影絵などを取り入れた「ライオンキング」はちょっと高尚過ぎたみたい。

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