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2019年1月30日 (水)

【考察】魔女とは何者か?〜リメイク版「サスペリア」を観る前に絶対知っておくべき2,3の事項(ユング心理学など)

評価:A 公式サイトはこちら

Sus

ダリオ・アルジェント版「サスペリア」(1977)が公開された時、僕は小学生だった。だから当然映画館に行っていないが、「決して、ひとりでは見ないでください」というキャッチコピーが流行り、子どもたちの間でも大いに話題になった。ループするゴブリンの音楽も心底怖かった。

アカデミー作品賞にノミネートされた「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督による41年ぶりのリメイク版も同じコピーが用いられている。

アルジェント版は、上品に評すなら〈鮮血の美学〉ということになろう。しかし身も蓋もない言い方をすれば、可憐な処女たちが真っ赤な血に染まる光景を見て楽しむ〈悪趣味な見世物小屋映画〉である。現代では余り使われなくなった言葉だが、スプラッター映画の代表作と言える。そのルーツを辿ると19世紀末から20世紀半ばまでフランス・パリに存在した見世物小屋「グラン・ギニョール劇場」にたどり着く。日本だと江戸末期から明治時代にかけ流行った無惨絵が相当するだろう。

上映時間99分のアルジェント版に対し、リメイク版は152分。何と53分も長くなっている!実に1.5倍。凝りに凝った再創造で、高尚な、全くの別物(別ジャンル)に仕上がっている。レイヤー(層)が幾重にも重ねられ、一筋縄ではいかない。はっきり言って原典を超えたね。

舞台となるのはオリジナルと同じ1977年のベルリン。しかしアルジェントが無視した当時の西ドイツを取り巻く政治的状況ードイツ赤軍が引き起こした一連のテロ事件「ドイツの秋」ーが今回は丹念に描かれる。またバレエ学校で教えるのもトウシューズを履くクラシック・バレエから、裸足で踊るモダン・ダンスに変換されている。これは実在したドイツの振付師マリー・ヴィグマン(1886-1973)によるNEUE TANZ(ノイエ・タンツ)をベースにしている。彼女の代表作はズバリ〈魔女の踊り〉だ。

クラシック・バレエが目論むのは究極的に〈重力からの開放〉である。それは天空を目指し、一歩でも〈神=天国〉に近付こうとする。つまり背景にキリスト教がある。一方、新版「サスペリア」の舞踏はあくまでも大地に根ざし、地面に這いつくばろうと志す。ベクトルが間逆なのだ。僕は〈デュオニュソスの饗宴〉のイメージなのではないか?と感じた。キリスト教にとってデュオニソスは排斥すべき異教の神であり、哲学者ニーチェは著書「悲劇の誕生」の中でディオニュソスを陶酔的・激情的芸術を象徴する神として、アポロンと対照的な存在と考えた。つまり次のような関係性がある。

  • クラシック・バレエ=アポロン的 ←対立→ NEUE TANZ〈魔女の踊り〉=ディオニュソス的

また大地に根ざしたディオニュソス的舞踏として、ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽「春の祭典」が挙げられよう。ニジンスキー振付による1913年パリのシャンゼリゼ劇場での初演は阿鼻叫喚の大混乱に陥り、一大センセーションを巻き起こしたことは余りにも有名である(映画「シャネル&ストラヴィンスキー」で描かれた)。それは反キリスト的だったからだ。新版「サスペリア」の舞踏は「春の祭典」を彷彿とさせる。

オリジナル版「サスペリア」ではバレエ学校(=魔女の館)の校長エレナ・マルコスが〈嘆きの母 Mater Suspiriorum〉であることが明らかになり、やはりアルジェントが監督した映画「インフェルノ」には〈暗闇の母 Mater Tenebrarum〉、「サスペリア・テルザ 最後の魔女」には〈涙の母 Mater Lachrymarum〉が登場する。この三人の母は魔女の総元締め、ラスボスであり、シェイクスピア「マクベス」に登場する三人の魔女が原型だろう。彼女たちはキリスト教における三位一体=〈父(神)〉〈子(イエス)〉〈精霊〉と対になっている。またリメイク版「サスペリア」ではパトリシア、サラ、オルガという三位一体もある。

オリジナル版で「魔女」は邪悪な者、つまりキリスト教における悪魔(脱天使)として描かれていた。しかしリメイク版は違う。

リメイク版にはオリジナル・キャラクターとして心理学者ジョセフ・クレンペラー博士が登場する。言語学者でユダヤ系ドイツ人のヴィクトール・クレンペラー(1881-1960)がモデルである。彼は第二次世界大戦下をドイツ国内で生き抜き、「私は証言するーナチ時代の日記」を書いている。戦後は東ドイツの大学で教鞭をとった。有名な指揮者オットー・クレンペラーは従兄弟にあたる。因みにオットーはナチス政権が樹立された1933年にスイス経由でアメリカに亡命した。

ジョセフ・クレンペラー博士の部屋にカール・グスタフ・ユングの著書「転移の心理学」が置かれている。これ、非常に重要。書名を日本語字幕にちゃんと書き起こした松浦美奈の翻訳を称賛したい。彼女は作品の本質を深く理解している。

クレンペラー自身、戦争の混乱の中、生き別れになった妻アンケ(オリジナル版のヒロイン、ジェシカ・パーカーが演じる)に対して抱いている罪悪感を、無意識のうちに行方不明になった少女パトリシア(クロエ・グレース・モレッツ)に投影している転移。またヒロイン・スージー(ダコタ・ジョンソン)は幼少期に母に虐待された記憶があり、彼女が抱く〈理想の母親像〉をマルコス・ダンス・カンパニーの振付師マダム・ブランに投影する転移。ラスボスのエレナ・マルコスが〈マザー〉と呼ばれるのも転移だ。マルコスは腐敗しつつある自らの肉体を捨て、若い娘の体を「器」として、魂を転移しようと画策する。

ここでユング心理学における〈(シャドウ)〉について述べたい。詳しくは河合隼雄(著)「の現象学」(講談社学術文庫)を読まれることをお勧めする。平易な文でサクサク読める。

ユングは〈(シャドウ)〉を「自分がなりたくないと思うもの」「苦手なものや生き方」と定義した。自分が自分の要素としては受け入れられなくて、無意識の中に抑え込み蓋をしたは消えてなくなってしまったわけではなく、しっかりと〈無意識〉の中に存在する。そしてある時、ひょんなことから〈〉が他者に投影される(転移)。河合隼雄は以下のように述べている。

 集団のの肩代わり現象として、いわゆる、いけにえの羊(scapegoat)の問題が生じてくる。ナチスドイツのユダヤ人に対する仕打ちはあまりにも有名である。すべてはユダヤ人の悪のせいであるとすることによって、自分たちの集団の凝集性を高め、集団内の攻撃を少なくしてしまう。つまり、集団内のをすべていけにえの羊に押しつけてしまい、自分たちはあくまでも正しい人間として行動するのである。家族の中で、学級の中で、会社の中で、いけにえの羊はよく発生する。それは多数のものが、誰かの犠牲の上にたって安易に幸福を手に入れる方法であるからである。(中略)

 ナチスの例に典型的に見られるように、為政者が自分たちに向けられる民衆の攻撃を避けようとして、外部のどこかにの肩代わりをさせることがよくある。ここでもすでに述べたような普遍的な影の投影が始まり、ある国民や、ある文化が悪そのものであるかのような錯覚を抱くようなことになってくる。 
    〈河合隼雄「影の現象学」より〉

9・11同時多発テロの翌年、アメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)がイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」と決めつけたのも影の投影である。イラク戦争でアメリカは勝利したが、ブッシュ政権が主張した「大量破壊兵器」は結局、見つからなかった。所詮はまぼろし、イリュージョン影の投影)に過ぎなかったのだ。

魔女」とは何者か?それは一神教であるキリスト教がヨーロッパ大陸に浸透する前からあった土着の民間信仰である。しかしキリスト教は彼女たちを敵と見做し、「邪悪な者」として迫害した(魔女狩り)。すなわち影の投影である。いけにえの羊(scapegoat)ーナチス・ドイツがユダヤ人に対してした行為と同じ構造があり、リメイク版「サスペリア」はこの見地に立脚している。もの凄く高度なことを成し遂げている。

アメリカから来たヒロイン・スージーがキリスト教の一派、メイナイト教会からの逸脱者(異端)であるということも見逃せない。メノナイトから分派したのがアーミッシュで、アーミッシュについては映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」をご覧あれ。メノナイトの人々はドイツからアメリカに渡った移民であり、ここにドイツ→北米→ベルリンという循環構造がある。

ルカ・グァダニーノ監督はゲイであることを公表している。カトリック教会において、ゲイは異端であり、排斥の対象である。だから自分の身の上をスージーに重ねている側面もあるのではないか?と感じた。

つまり本作には次のような等式が成立する。

ダンスカンパニー(魔女の巣窟)≒キリスト教団の反転/陰画(ネガ)≒ドイツ赤軍≒第三帝国(ナチス・ドイツ)≒フリーメイソン(大きな「目」や、上向き三角形と下向き三角形の結合がシンボル)

そして「組織は必ず教条主義に陥り、腐敗する」という信念が映画全体を貫いている。恐るべき作品である。

スージーの実家には次のような警句が額縁に入れられ、飾られている。

「母はあらゆる者の代わりにはなれるが、何者も母の代わりにはなれない」(A mother is a woman who can take the place of all others, but whose place no one else can take.)

つまり「母は影の投影転移)の対象にはならない」ということだ。最後まで観れば本作が「そして母になる」がテーマの映画であったことが判明するだろう。

オルガが鏡の間に閉じ込められ、拷問(?)を受ける場面は江戸川乱歩の怪奇小説「鏡地獄」を想い出した。なお、江戸川乱歩もゲイである。またホラー映画と見せかけて、最後は〈愛の物語〉に収束するという手法は、大林宣彦監督の「HOUSE ハウス」や「麗猫伝説」を彷彿とさせる。「HOUSE ハウス」は北米版Blu-ray,DVDが発売されており、イタリアでも上映された。ルカ・グァダニーノが観ている可能性は充分ある。そして驚くべきことに「HOUSE ハウス」の公開年はオリジナル版「サスペリア」と同じ1977年なのである!

俳優ではティルダ・スウィントンが圧倒的に素晴らしい。彼女を観るためだけにでも映画館に足を運ぶ価値がある。マダム・ブラン、クレンペラー博士(ルッツ・エバースドルフという偽名で)、そしてラスボスのマルコス(=嘆きの母??)の一人三役をこなしている。

イギリスの役者には「変装の名人」というカテゴリーがあり、その代表格がアレック・ギネス(初代オビ=ワン・ケノービ)、ピーター・セラーズ(クルーゾー警部)、そして現在はティルダ・スウィントンである。ギネスは日本人に化けたこともあり( "A Majority of One" )、彼がセラーズと共演した「マダムと泥棒」(1955)は両者が火花を散らし、実にスリリングだった(「名探偵登場」でも共演)。ティルダが男に変装するのはこれが初めてではなく、ヴァージニア・ウルフの小説を映画化した「オルランド」(1992)では男女の区別なく、転生を繰り返す主人公を演じた。

Suspiria

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» サスペリア [象のロケット]
1977年、アメリカ人女性スージー・バニヨンは、カリスマ振付師マダム・ブランの目に留まり、ドイツのベルリンを拠点とする世界的舞踊団<マルコス・ダンス・カンパニー>に入団する。 しかし、不可解な出来事が頻発し、ダンサーが次々と失踪してしまう。 一方、心理療法士クレンペラー博士は、ダンサーの患者パトリシアの行方を捜すうち、舞踊団の闇に近づいていく…。 ホラー。 ≪決してひとりでは見ないでください。≫... [続きを読む]

受信: 2019年2月 1日 (金) 23時07分

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