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2018年12月10日 (月)

愛と憎しみの構造

イギリスの教育家A・S・ニイル(Alexander Sutherland Neil, 1883-1973)はその著書"Summerhill"の中で次のように書いている(一部でマザー・テレサの言葉とされているが、それは誤り)。

Love and hate are not opposites. The opposite of love is indifference.
憎しみは反意語ではありません。と対立する感情は無関心です」

これを初めて聞いた時にハッとした。慧眼である。彼の並外れた人間観察力、洞察力に感じ入った。

はある日突然、憎しみに変わることがある。おそらく憎悪・怨恨による殺人で最も多いのは親子や夫婦、あるいは恋人の別れ話のもつれであろう。家族や近親者以外の赤の他人を「殺したい」というほど憎む機会は滅多にない。交通事故などで家族が死に至り、その加害者を憎むことはあろうが、これも愛が変形した感情である。またストーカー殺人は一方通行の、過剰な、歪んだ愛の成れの果ての姿だ。つまり憎悪はコインの表と裏であり、いつでも変換可能なのだ。〈相手のことを強く想う〉という意味において同じと言える。よって次のような構造が成り立つ。

愛≒憎しみ(変換可能) ↔ 無関心

家族とは、によって一つに結ばれたであると同時に、呪い束縛にもなり得る。後者の具体的姿が児童虐待であり、配偶者暴力(domestic violence)もそう。

ここでシェイクスピアの戯曲を考えてみよう。

「ロミオとジュリエット」はする若い男女が、モンタギュー家とキャピュレット家という二つの血族の憎しみの抗争に巻き込まれる悲劇である。

「オセロー」の主人公は妻デズデモーナを愛しているが、部下イアーゴーの計略により彼女が浮気していると誤解し嫉妬の炎を燃やした挙句に、憎しみ変換され、殺してしまう。

「ハムレット」の主人公は死んだ父親の無念を晴らすため、再婚した叔父と母を憎み、殺す。

「リア王」は年老いた王が自分の三人の娘のうち、誰が自分のことを本当に愛し、誰が疎んじているかを見誤る悲劇である。

「マクベス」はマクベス夫人(配偶者)の口車に乗せられて破滅する男の話。

つまりこれらの作品は全て、呪いとしての家族を描いていると言えるだろう。

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