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2018年12月

2018年映画ベスト39&個人賞発表!

2018年に劇場で初公開された作品及び、Netflix, Huluなどインターネットで配信された映画を対象とする。ただし、「ザ・クラウン」「ゲーム・オブ・スローンズ」「ストレンジャー・シングス」「侍女の物語(The Handmaid's Tale)」など連続ドラマは除外する。タイトルをクリックすれば過去に僕が書いたレビューに飛ぶ仕組み。

ここで断っておかなければならないのは、本来「花筐」と「勝手にふるえてろ」は東京で17年に公開された作品だが、関西での公開が遅かったために今年に入れた。

またアカデミー監督賞(アルフォンソ・キュアロン)並びにアカデミー外国語映画賞の大本命「ROMA/ローマ」(メキシコ代表)と、「メアリーの総て」「グリンチ」「シュガーラッシュ・オンライン」のレビューは年末までに間に合わなかったので、年が明けてから書く予定。悪しからず。

  1. ペンギン・ハイウェイ
  2. 若おかみは小学生!
  3. 花筐/HANAGATAMI
  4. ROMA/ローマ
  5. 万引き家族
  6. 勝手にふるえてろ
  7. リズと青い鳥
  8. アリー/スター誕生
  9. アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル
  10. ミッション・インポッシブル/フォールアウト
  11. 未来のミライ
  12. ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書
  13. レディ・プレーヤー1
  14. スリー・ビルボード
  15. シェイプ・オブ・ウォーター
  16. ラブレス
  17. メアリーの総て
  18. シュガーラッシュ・オンライン
  19. ウインド・リバー
  20. カメラを止めるな!
  21. インクレディブル・ファミリー
  22. ファントム・スレッド
  23. ザ・スクエア 思いやりの聖域
  24. 生きのびるために
  25. ボヘミアン・ラプソディ
  26. パディントン2
  27. デトロイト
  28. 羊と鋼の森
  29. ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男
  30. 来る
  31. ちはやふる ー結びー
  32. グレイテスト・ショーマン
  33. アンダー・ザ・シルバーレイク
  34. アナイアレイション ー全滅領域ー
  35. グリンチ
  36. 犬ヶ島
  37. ゲティ家の身代金
  38. フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
  39. クワイエット・プレイス
監督賞:大林宣彦(花筐/HANAGATAMI
主演女優賞:松岡茉優(勝手にふるえてろ
助演女優賞:安藤サクラ(万引き家族
主演男優賞:ブラッドリー・クーパー(アリー/スター誕生
助演男優賞:サム・エリオット(アリー/スター誕生
スタント賞:トム・クルーズ(ミッション・インポッシブル/フォールアウト
脚本賞:吉田玲子(リズと青い鳥若おかみは小学生!
撮影賞:アルフォンソ・キュアロン(ROMA/ローマ
編集賞:大林宣彦花筐/HANAGATAMI
美術賞:篠原睦雄(リズと青い鳥
衣装デザイン賞:マーク・ブリッジス(ファントム・スレッド
作曲賞:アレクサンドル・デスプラ(シェイプ・オブ・ウォーター
歌曲賞:「グレイテスト・ショーマン」より"This Is Me"
今年最高の台詞:「俺はガンダムで行く!」(レディ・プレーヤー1
 

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U.S.A.〜大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 サンタコンサート2018

12月21日(金)大阪ビジネスパーク TWIN21アトリウムへ。大阪桐蔭高等学校吹奏楽部のサンタコンサートを第2部より聴く。指揮は梅田隆司先生。

今年の桐蔭吹部の躍進は凄まじかった。やはりその切掛を作ったのは甲子園における野球部の快進撃と、その応援であることは間違いない。

10月27日(土)、日本テレビ「嵐にしやがれ」で吹奏楽部が取り上げられ、櫻井翔が大阪桐蔭高校に来校した。

11月に公開された映画「ボヘミアン・ラプソディ」では20世紀フォックスの公式MVで桐蔭が演奏した。

11月15日(木)は読売テレビ「ベストヒット歌謡祭 2018」でDA PUMPとコラボ、大阪城ホールで「U.S.A.」を演奏。12月11日にはNHK「わが心の大阪メロディー」に出演し、再びDA PUMPと「U.S.A.」を共演した(@NHK大阪ホール)。

またDREAMS COME TRUEがNHK朝ドラ「まんぷく」で歌った〈あなたとトゥラッタッタ♪〉のシングルでも桐蔭が演奏している(こちら)。

さて、サンタコンサートはマーチングから始まった。

  • ヴェルディ:歌劇「アイーダ」凱旋行進曲
  • ジョン・ウィリアムズ:映画「スター・ウォーズ」
  • ミシェル・ルグラン:映画「ロシュフォールの恋人たち」より
    〈キャラバンの到着〉

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桐蔭の〈キャラバンの到着〉はパンチが効いていて、何度聴いても感動する。紛うことなきルグランの最高傑作。

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最早〈銀河鉄道999〉と並び、彼らの十八番(おはこ)と呼んでも過言ではないだろう。

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次に、

  • アラン・メンケン:映画「美女と野獣」
  • 甲子園リクエストコーナー:あんたの花道(天童よしみ)

「美女と野獣」で梅田先生は手にバラを持って指揮された。

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ここでリクエストコーナー。大阪桐蔭野球部の生徒が登場し、バットで打ったボールを掴んだ観客が曲目リストの中から選ぶ仕組み。

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まず選ばれたのは、

  • クロード=ミシェル・シェーンベルク:ミュージカル「レ・ミゼラブル」
続いて、
  • サンタが街にやってくる In Swing
  • エルトン・ジョン、ハンス・ジマー:映画「ライオンキング」(リクエスト)
  • タケカワ・ユキヒデ(樽屋雅徳 編):銀河鉄道999

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ここで第2部終了。休憩をはさみ第3部へ。

  • ウィンター・ワンダーランド In Swing

ノリノリで最高!

梅田先生が嵐の「翔ちゃん」が桐蔭にやって来た時のエピソードを語った後に、

  • 嵐メドレー
  • Linked Horizon:アニメ「進撃の巨人」から〈紅蓮の弓矢〉
  • シャーマン兄弟:メリー・ポピンズ(リクエスト)
  • ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー(リクエスト)

「メリー・ポピンズ」は久しぶりということだったが、僕は昨年のサンタコンサートのリハーサルでちょっと聴いただけで、本番での演奏は初体験。すっごく良かった。

「ラプソディ・イン・ブルー」は冒頭のクラリネット・ソロが滅茶苦茶上手い!プロ顔負け。Jazzyでgroovy。うねりがあって雰囲気抜群だった。

  • 葉加瀬太郎:情熱大陸

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そしてDA PUMPの「U.S.A.」登場!

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男子6人が踊った。

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最後は定番/鉄板のアンコール、

  • 銀河鉄道999
  • ディズニー映画「ピノキオ」から〈星に願いを〉

で〆。

余談だがスティーヴン・スピルバーグ監督が今まで撮った映画の中で、彼自身が脚本を書いた作品が2つだけある。「未知との遭遇」と「A.I.」である。そして面白いことに、どちらもピノキオが登場する(「未知との遭遇」には〈星に願いを〉の旋律も流れる)。手塚治虫「鉄腕アトム」もピノキオをベースにしており、「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー作品賞・監督賞を受賞したギレルモ・デル・トロ監督は次回作として「ピノキオ」を準備中だ(Netflixで配信予定)。またピノキオは旧約聖書のヨナ記と深い関係がある。

今回ちょっと残念だったのはクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が聴けなかったこと。でも多分、来年2月17日の定期演奏会で演奏してくださいますよね、梅田先生?

ところで桐蔭には是非、BSテレ東の番組「エンター・ザ・ミュージック」(HPはこちら)に出演してもらいたいなぁ、と以前から考えている。関西フィルの正指揮者・藤岡幸夫さんが司会を務め、世界的なサクソフォン奏者・須川展也さんと藤岡さんが全国各地の吹奏楽団を訪問する企画があるんだ。既に千葉県の市柏とか福岡県の精華女子が出演している。藤岡さんは熱血漢で面白い人だし、須川さんと共演出来たらバンドにとって大きな財産になると思うんだよね。

また来年聴きたい曲のリクエストとして、2月1日(金)に公開されるディズニー映画「メリー・ポピンズ・リターンズ」と、7月19日(金)に公開される新海誠監督「天気の子」(公式サイトはこちら)の主題歌(今回組むバンドは未発表)を挙げておく。

「メリー・ポピンズ」の作曲はシャーマン兄弟だが、「リターンズ」で作詞・作曲したのはスコット・ウィットマンとマーク・シェイマン(ふたりは公私共にパートナーである)。このコンビによるブロードウェイ・ミュージカル「ヘアスプレー」はトニー賞を受賞した。他にミュージカル「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」や「チャーリーとチョコレート工場」がある。

僕が最初にマーク・シェイマンの才能に刮目したのはメグ・ライアン、ビリー・クリスタル主演の映画「恋人たちの予感」(1989)。卓越したジャズ・アレンジが実に心地よかった。で、皆さんに是非観て頂きたいのが「サウスパーク/無修正映画版」(1999)!全編ミュージカル仕立てで、アカデミー歌曲賞にノミネートされた"Blame Canada"(すべてカナダのせいにしろ!)は笑える。特に最高なのは「レ・ミゼラブル」のパロディ"La Resistance"。抱腹絶倒間違いなし。トレイ・パーカー監督のミュージカル愛が溢れ出す。因みにトレイ・パーカーは後にブロードウェイに進出し、ミュージカル「ブック・オブ・モルモン」(2011年初演)でトニー賞9部門を独占した。

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ビヨンセからレディー・ガガへ〜映画「アリー/スター誕生」

評価:A+ 公式サイトはこちら

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まずはこちらからお読みください。

上の記事に書いたとおり、「スター誕生」4回目の映画化である。

僕が今回のリメイクの話を聴いたのは2011年だった。その頃はクリント・イーストウッド監督ビヨンセ主演で企画が動いていた。

ところが!撮影直前になってビヨンセの妊娠が発覚、完全に白紙撤回になってしまった。つまりビヨンセは自分の女優としてのキャリアよりも、「女の幸せ」を選択したのだ。プロ意識が欠けた、大馬鹿者である。同時期にビヨンセ主演でディズニー・ミュージカル「アイーダ」映画化という構想もあったが、こちらもポシャってしまった。彼女の罪は重い。

不意打ちを食らった気の毒なイーストウッドは完全にこのプロジェクトに興味を失い、彼が監督した映画「アメリカン・スナイパー」で主演を務めたブラッドリー・クーパーに譲ってしまう。しかし以前からミュージカル映画を撮りたいと考えていたイーストウッドは代わりにブロードウェイ・ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」を映画化し(2014年)、キネマ旬報ベスト・テンでその年の外国映画ベスト・ワンに選出された。

ブラッドリー・クーパーは主演と監督を兼任することになり、ヒロインにレディ・ガガを決めたとき、イーストウッドに報告に行ったそうである。その時、言われたのは「やめとけ」。後に完成した映画を観て、イーストウッドは自分が間違っていたことを素直に認めた。

僕は2度目の映画化、ジョージ・キューカー監督ジュディ・ガーランド主演のバージョンがとても好きである。特にジュディがバンドの仲間たちと"The Man That Got Away"を歌っているときに、ジェームズ・メイソンが店に入ってくる場面は何度観ても痺れる(動画はこちら)。そしてデイミアン・チャゼル監督はこの名シーンを映画「ラ・ラ・ランド」で再現している(男女入れ替わりバージョン→こちら)。「アリー/スター誕生」ではガガがゲイ・クラブでシャンソン「バラ色の人生」を歌う場面に相当する。

ガガは若い頃、ストリップクラブで働いていたことがあり、劇中で彼女は音楽プロデューサーから「君は鼻が高すぎるからスターになれない」と言われたと語るが、これも彼女の実体験である。また「私が書いた曲」と歌い出す"Shallow"(浅瀬)も実際にガガの作詞/作曲である(アカデミー歌曲賞受賞、間違いなし)。つまり本作は虚実の皮膜を縦横無尽に行き来するスリリングな構造になっており、そこがガガの強み。アカデミー主演女優賞、本当にいけるんじゃないかな!

ブラッドリー・クーパーは本作に取り組む前に全く歌ったことがなかったそうなのだが、どうしてどうしてじっくり聴かせるし、プロの歌手そのものだった。役者って凄い!

またクーパーの腹違いの兄を演じたサム・エリオットがいい味出しているんだ。

キャメラは常に主人公たちを半径1m以内から捉えており、殆どがクローズ・アップからバスト・ショットまで。その近接性が独特の個性を醸し出していた。

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D. ハーディング/パリ管 ✕ I. ファウスト@ザ・シンフォニーホール

12月19日ザ・シンフォニーホールへ。

Paris

ダニエル・ハーディング/パリ管弦楽団を聴く。

  • ベルク:ヴァイオリン協奏曲(独奏 イザベル・ファウスト)
  • クルターグ:サイン、ゲームとメッセージより
    für den, der heimlich lauschet(ソリスト・アンコール)
  • マーラー:交響曲第1番「巨人」
  • エルガー:エニグマ変奏曲より第9変奏「ニムロッド」(アンコール)

客席は6−7割の入り。ハーディングは札幌公演の際に雪で滑り転倒、足を骨折したため、車椅子でステージに登場した。しかし本人はいたって元気、精力的な指揮ぶりで安心した。

僕は新ウィーン楽派から無調音楽に至る音楽史に対して否定的見解を持っている。

しかしベルクのコンチェルトは例外だ。文句なく美しいレクイエムである(献辞に”ある天使の思い出に”とある)。ファウストにはクラウディオ・アバド/モーツァルト管と共演した素晴らしいCDがあり、2012年度レコード・アカデミー大賞を受賞した。また〈ベルリン・フィル デジタル・コンサートホール〉のアーカイブにはアバド/ベルリン・フィルと同曲を演奏した映像が収められており、それらを繰り返し鑑賞して今回のコンサートに臨んだ。

第1楽章には透明感があり、雪の結晶を連想させた。透き通るような哀しみ。第2楽章はfurious(怒り狂った)状態から、祈りへ(後半部にJ.S.バッハのコラール「われ満ち足れり」が静かに流れる)。結局この作品はベルクの遺作になったので、自分自身への鎮魂歌という側面もあるだろう。そういう意味において、モーツァルトのレクイエムに近いと言える。

マーラーは対向配置。最弱音が美しい。音楽は瑞々しく精緻、ハーモニーの解像度が極めて高い。「誰かの演奏にどこか似ている……」聴きながら必死に考えて、クラウディオ・アバド/シカゴ交響楽団の録音(1981)に思い至った。僕は発売時にLPレコードを買ったのだが、冒頭弦楽器のppp(フラジオレット)が聴こえないのでスレテオのボリュームを上げると、ffの大音量に飛び上がるというダイナミックレンジが広い、当時としては超優秀デジタル録音で、演奏もキレッキレだった。アバドは89年にベルリン・フィルと再録音するのだが、こちらの方はぼんやりした凡演だった。閑話休題。

第2楽章のスケルツォは弾け、全体として青春の光と影のコントラストが鮮やかだった。病んでいない真っ直ぐなマーラー。ハーディングのアプローチは的確だ。

ただ惜しむらくは、今回のプログラムにフランスものがなかったこと。折角のパリ管なのだから聴きたかったなぁ。

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風間杜夫 主演「セールスマンの死」@兵庫芸文

12月8日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」を初観劇。

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演出は長塚圭史、出演は風間杜夫、片平なぎさ、山内圭哉、菅原永二、村田雄浩ほか。

「セールスマンの死」は1949年にニューヨークで初演され、ピューリッツァー賞を受賞した。演出はエリア・カザン(映画監督として「波止場」「エデンの東」「草原の輝き」がある)、主演はリー・J・コップ(映画「波止場」「十二人の怒れる男」「エクソシスト」)。

余談だがアーサー・ミラーはマリリン・モンローと結婚したが61年に離婚した。

僕は20世紀を代表する演劇作品として、絶対次の3本だけは観ておかなければいけないとず〜っと考えていた。テネシー・ウィリアムズ「欲望という名の電車」(ピューリッツァー賞受賞)と、サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」(ノーベル文学賞受賞)、そして「セールスマンの死」である。前2者は既に鑑賞済みだったので、漸く満願成就、想いを果たせた。

なおエリア・カザンは「欲望という名の電車」初演の演出も手がけ、彼が監督を務めた映画版はアカデミー主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)・助演男優賞・助演女優賞・美術賞を受賞した。凄腕だ。

しかしラズロ・ベネディク監督、フレデリック・マーチ主演の映画「セールスマンの死」(1951)の評判は芳しくなく、むしろフォルカー・シュレンドルフ監督、ダスティン・ホフマン主演のテレビ映画(1985)の方が高い評価を得ている(何と!主人公の息子をジョン・マルコヴィッチが演じている)。

長塚圭史は大林映画「花筐/HANAGATAMI」で役者として知っていたが、彼が手がける舞台作品はお初。手堅い演出でズシリと心に響いた。次回は是非、マーティン・マクドナーの戯曲を観たい!

風間杜夫はさすがの上手さで、その名演に舌を巻いた。多分現時点でこの役を演れる役者は日本に他にいないのでは?

主人公のウィリー・ローマン(63歳)は今で言う〈認知症〉と推定される。彼が見る幻想(回想)に登場する兄ベンは山師であり、アラスカで金鉱を掘り当て大儲けした。つまりベンは冒険心溢れる人であり、堅実なセールスマンを選択したウィリーの〈なれなかった(大胆な)自分〉を表象している。また隣人チャーリーとその息子バーナードもまた、成功したビジネスマン&敏腕弁護士( Winner)であり、ウィリーとその息子たち(Loser)とは好対照をなす。やはり〈なれなかった(理想の)自分たち〉を表象しているのである。この二項対立の設定が秀逸だなと甚く感心した。チャーリーの具体的職業は劇中で明らかにされない。だから彼は実在の人物なのか、それともウィリーの脳内の住人なのか、はっきりしないところも憎いねぇ。

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百人一首と新海誠「君の名は。」

人生も半ばを過ぎて、最近しばしば〈我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉について考えるようになった。

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ポール・ゴーギャンがタヒチ島で描いた絵のタイトルである。 

そんな折、清川あさみ(絵)最果タヒ(著)「千年後の百人一首」を読んだ。最果タヒは兵庫県神戸市出身の詩人(32歳)。詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」は何と2017年に映画化され、キネマ旬報ベスト・テンの日本映画第1位に選ばれた。

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彼女が百人一首を現代語訳したというか、現代詩として再創造(re-creation)した書物と言っても良いかも知れない。巻末に簡潔な原文の解説があるのも嬉しい。

これを読むまでは、お恥ずかしながら上方落語に登場する「千早振る」と、「崇徳院」の〈瀬をはやみ……〉くらいしか知らなかった。

本を手にとったきっかけはRHYMSTER宇多丸がパーソナリティを務めるTBSラジオ「アフター6ジャンクション」 #アトロク に最果タヒが出演したのを聴いたこと。そもそも広瀬すず主演の映画「ちはやふる」三部作が大好きなので、百人一首に興味を惹かれていたのである。

小倉百人一首は平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた公家・藤原定家によって選定された。平安時代に台頭した武士貴族支配の世界を転覆せしめ、権力を掌握して古代を終焉させた時期に合致する。

武士(もののふ)は武装集団=軍人だから、当然ながら知性よりも肉体重視である。戦で勝利したものが「正義」になる。理屈もへったくれもない。つまり鎌倉幕府の成立は軍事国家が生まれたことを意味するわけで、天地がひっくり返ったと理解すべきだろう。マッチョな武家では体力的に劣る女性は男性より当然低く見られるわけで、男尊女卑社会である。だから以後、女流作家や歌詠みも鳴りを潜めた。しかし「源氏物語」や「枕草子」が生まれた平安時代はそうではなかった。

つまり現在では【武士道・侍=日本人の精神】のように言われるが、それは比較的近代の話であり、日本人古来の心のあり方は全く違うものだったのである。

百人一首を読んでまず気がつくのは、やたらめったら恋の歌が多いこと。調べたところ、なんと四十三首もある!恋愛至上主義。まるで新海誠監督のアニメーション映画みたいだと想った。

恋愛至上主義なのは、当時の平均寿命が30歳前後(男性33歳、女性27歳)だったことと無関係ではあるまい。「老境」とか「枯れる」とは無縁の世界だったのだ。

平安時代の男女は、なかなか会うことすら出来なかった。女性は御簾内に籠もり、姿を見せない。美女だと評判を聞いた男は何度も何度も手紙や和歌を交わし、そして漸く対面することが出来た。その形態は夜になると男が女のもとに通い、明け方に帰っていくというものであった。

新海誠が殆ど自分ひとりで創ったデビュー作「ほしのこえ」(2002)は地球と、はるか彼方の宇宙に引き離された男女が、携帯電話(当時のガラケー)のメールを交わす物語である音声ではない。正に和歌の世界ではないか。

Hosi

僕が死ぬほど好きな「秒速5センチメートル」(2007)では【東京↔栃木】【種子島↔栃木】に引き離された男女が手紙で文通する。ここでも音声は用いられない

そして爆発的大ヒットとなった「君の名は。」(2016)ではスマートフォンが大活躍するのだが、男女の連絡手段は交換日記であり、瀧が三葉に電話を掛けると通じない

つまり新海誠は話される言葉を信じていない人の心の想いを伝えられるのは書かれた言葉だけなのである。「君の名は。」で瀧が”すきだ”という気持ちを伝えるのも、口頭ではなく文字である。

Suki

「言の葉の庭」(2013)には古文の教師・雪野百香里が登場し、〈雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ〉という万葉集の短歌を言い残して高校生の主人公タカオと別れる。後日雨の日に再会した時にタカオは万葉集の返し歌 〈雷神の 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹し留めば〉を口ずさむ。また「君の名は。」の発想の原点は古今和歌集に収録された小野小町の歌〈思ひつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを〉であり、ユキちゃん先生(雪野百香里)も再登場する。

百人一首に戻ろう。女性歌人の作品は二十一首。当時は「男女共同参画社会」であった(内閣府のHPへ)。

」が詠まれたのは十二首ある(太陽は皆無)。

季節では、

  • 春:八首
  • 夏:四首
  • 秋:二十首
  • 冬:五首

秋が圧倒的に多い。また春(八首)のうち、桜を詠んだものが六首ある

時刻で見ると、

  • 夕方:四首
  • 夜を詠んだ歌:十五首
  • 明方:十一首

これらの総和は、昼を詠んだと考えられる二十三首を軽く上回っている。

撰者である定家の父・藤原俊成は宮廷歌人であり、第八十三首に選ばれている。そして「幽玄」や「あはれ」「艶」の美意識を提唱した。

もののあはれ」は無常観に立脚した哀愁に通じており、無常とは生滅変転して移り変わり、片時も同じ状態に留まらないことである。

幽玄」は無意識から意識へ、夢から形あるものに移行する時(境界)に立ち現れるものであり、アボリジニ(オーストラリア先住民)の概念〈ドリームタイム〉に近い。

百人一首で詠まれる夕方(「君の名は。」における〈かたわれ時〉)と明方は【昼↔夜】の境界域であり、「幽玄」「あはれ」が立ち現れる瞬間である。そして夜の「」には満ち欠けがあり、無常の象徴となる。

新海誠「君の名は。」のも重要な役割を果たす。【半月=片割れ】であり、相手が欠けた状態を示し、【満月=ふたりの結合】を意味し、三日月は三葉の暗喩である。

百人一首に夕方よりも明方の歌が多いのは、朝が〈男女の別れ〉を意味するからだろう。

秋の歌が多いのは秋が【夏(生)→冬(死)】の境界に位置する季節だからである。【落葉=人が死にゆく時】を意味し、春の桜も開花から一週間ほどで散るので、やはり人が死にゆく時の暗喩となっている。そこに「もののあはれ」がある。

第九十九首の詠手は後鳥羽天皇である。貴族復権を掲げて承久の乱を起こし鎌倉幕府と戦ったが破れ、隠岐に流された。

第百首の順徳天皇は後鳥羽院の息子で、父の倒幕計画に参画したため佐渡に流され、その地で亡くなった。彼の歌、

ももしき(百敷;宮中を意味する)や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり

は王朝時代に終止符を打つ一首となった。

このように百人一首もまた、【貴族社会→武家社会】の境界に位置しているのである。

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P. ヤルヴィの「ザ・グレイト」とH. ハーンのモーツァルト@兵庫芸文

12月15日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

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パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団、ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)で、

  • モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
  • モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第5番
  • J.S.バッハ:パルティータ第3番より”プレリュード”(ソリスト・アンコール)
  • J.S.バッハ:パルティータ第1番より”サラバンド”(ソリスト・アンコール)
  • シューベルト:交響曲第8番ハ長調「ザ・グレイト」
  • シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ(アンコール)

パーヴォ率いるオーケストラは時に鹿の如く、しなやかに跳躍する。ソファで子供が無邪気に飛び跳ねているように弾力性に富み、柔軟な音楽を繰り広げた。

ヒラリーはエレガントで可憐なモーツァルトを奏でた。アンコールの大バッハは厳しい音楽だが、まぁるい音で優しさに包まれる。”サラバンド”は荒野に咲いた一輪の赤い花。

現在はギドン・クレーメルにしろ五嶋みどりにしろ、バッハの無伴奏ソナタやパルティータを弾く時はノン・ヴィブラート奏法(ピリオド・アプローチ)が主流である。しかしハーンはヴィブラートを捨てない。だからといって装飾過多に陥ることもなく、気品に満ちているのだからさすがである。

彼女は1979年生まれなので現在39歳だが、その美貌は一向に衰える気配がない。驚嘆すべき人だ。

プログラム後半のシューベルトは生命力が横溢する。ダンス・ダンス・ダンス!哀しみを帯びた第2楽章ですら踊り出したくなる。終楽章は草原を仲間たちと馬で駆ける疾走感があった。

シューベルトは「未完成」交響曲を作曲した時期に梅毒の宣告を受け、意気消沈していた。

しかしこのハ長調交響曲ではそのうつ状態から完全に立ち直り、あたかも「世界は美しい!」と全身で生を謳歌しているようだ。

パーヴォの解釈を「セカセカしている」と否定的に評したレビューを読んだが、僕は些かもそうは思わない。快速テンポこそハ長調交響曲に相応しく、寧ろ昔の巨匠たちのように重々しく演奏すべきではないと確信する。

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望海風斗 主演/宝塚雪組「ファントム」

12月11日(火)宝塚大劇場へ。モーリー・イェストン(作詞・作曲)ミュージカル「ファントム」を観劇。

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主なキャストはファントム:望海風斗(のぞみふうと)、クリスティーヌ:真彩希帆(まあやきほ)、キャリエール:彩風咲奈 (あやかぜさきな)、シャンドン伯爵(役替り):朝美絢(あさみじゅん)ほか。    

今回は2004年宙組、06年花組、11年花組に続く宝塚での4度目の上演であり、望海風斗は3回目の出演になるという。そして僕は全バージョンを観ている。                 

演出も初演時から色々様変わりしている。まず新曲が入っている。"What will I do"は元々、韓国版のため用意された楽曲だったらしい。そしてスクリーンに映し出される映像が増えた。

宙組初演時にはエリックが"My Mother Bore Me"(私を生んだ母)をひとりで歌う場面で、背景に赤ちゃんを抱く母親のどデカい絵が登場し、僕は思わず「ダサっ……」と嘆息した。「やっぱり中村一徳(演出家)は小池修一郎と比べるとセンスがない」と悲観に暮れたものだ。しかし時の洗礼を受けその少女漫画風の安っぽいイラストもなくなり、随分と洗練された印象を受けた。

望海風斗の歌はなかなか聴かせるが、ダンスが下手。容姿は地味だなと想った。真彩希帆は可憐なルックで魅了された。透明感ある歌声も素晴らしい!オールタイム・ベスト「クリスティーヌ」認定。彩風咲奈もしっかり/しっとりと歌を聴かせ、初演でキャリエールを演じた樹里咲穂に肉薄した。

総じて見応えあるプロダクションだった。

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来る

評価:A

Kuru

「へレディタリー/継承」に引き続き、〈呪いとしての家族〉のお話である。

外連味たっぷりの、ド派手なエンターテイメントだ。面白い!公式サイトはこちら

本作を観ながら感じたのは、「これって日本版『エクソシスト』だな」ということ。「エクソシスト」で少女に取り憑いた悪霊を祓うのはカトリック教会の神父だが、「来る」では神道+仏教の総力戦となる。

中島哲也監督は「告白」同様、冴え冴えとした画面の感触が作品の世界観にぴったり寄り添っていた。

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へレディタリー/継承

評価:D

Heredi

公式サイトはこちら

家族の物語である。しかし愛とか絆ではなく、呪いとしての家族を描いている。詳しくは下記事に書いた。

脚本・監督を努めたアリ・アスターの実体験に基づいているとのことだが、確かに相当な恨みとか心的外傷(トラウマ)はしっかり伝わってくる。そして冒頭のドールハウスを用いたトリッキーな長回しや、昼間の家の外観が夜の外観に一瞬で切り替わるジャンプカットなど映像センスに長けていることは認める。

しかし僕は本作が嫌いだ。生理的に受け付けられない。観終わって、いやーな気持ちになる。

評価:D

この監督にとって家族が忌まわしいものであることは十分理解した。しかしその私怨を表現するためにご都合主義のシナリオをでっち上げる姿勢には感心しない。プロットが余りにも杜撰だ。

警告!以下ネタバレあり。



ー Are you ready? ー



映画の発端で夫婦の会話から、娘がナッツを食べるとアナフィラキシー・ショックを起こすことが言及される。彼らはそのことに十分気を配っている。

そこへ高校生の息子が友人宅のパーティへ行きたいと言い出す。息子が飲酒するのではないかと心配した母親はお目付け役として妹を連れて行けと命令する。まずこの母親の態度に思慮が欠けている。普通なら「絶対にナッツが入ったものは食べさせないでね」と釘を刺すだろう。

ふたりはパーティ会場に到着。妹が邪魔な兄は「お前はそこでケーキでも食べていろ」と指示し、妹は素直にそれに従う。ありえないだろう!かくして悲劇は起こる。

アホかと言いたい。

あと事故発生後、警察が現場検証をしないのもあまりにも不自然だ。

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愛と憎しみの構造

イギリスの教育家A・S・ニイル(Alexander Sutherland Neil, 1883-1973)はその著書"Summerhill"の中で次のように書いている(一部でマザー・テレサの言葉とされているが、それは誤り)。

Love and hate are not opposites. The opposite of love is indifference.
憎しみは反意語ではありません。と対立する感情は無関心です」

これを初めて聞いた時にハッとした。慧眼である。彼の並外れた人間観察力、洞察力に感じ入った。

はある日突然、憎しみに変わることがある。おそらく憎悪・怨恨による殺人で最も多いのは親子や夫婦、あるいは恋人の別れ話のもつれであろう。家族や近親者以外の赤の他人を「殺したい」というほど憎む機会は滅多にない。交通事故などで家族が死に至り、その加害者を憎むことはあろうが、これも愛が変形した感情である。またストーカー殺人は一方通行の、過剰な、歪んだ愛の成れの果ての姿だ。つまり憎悪はコインの表と裏であり、いつでも変換可能なのだ。〈相手のことを強く想う〉という意味において同じと言える。よって次のような構造が成り立つ。

愛≒憎しみ(変換可能) ↔ 無関心

家族とは、によって一つに結ばれたであると同時に、呪い束縛にもなり得る。後者の具体的姿が児童虐待であり、配偶者暴力(domestic violence)もそう。

ここでシェイクスピアの戯曲を考えてみよう。

「ロミオとジュリエット」はする若い男女が、モンタギュー家とキャピュレット家という二つの血族の憎しみの抗争に巻き込まれる悲劇である。

「オセロー」の主人公は妻デズデモーナを愛しているが、部下イアーゴーの計略により彼女が浮気していると誤解し嫉妬の炎を燃やした挙句に、憎しみ変換され、殺してしまう。

「ハムレット」の主人公は死んだ父親の無念を晴らすため、再婚した叔父と母を憎み、殺す。

「リア王」は年老いた王が自分の三人の娘のうち、誰が自分のことを本当に愛し、誰が疎んじているかを見誤る悲劇である。

「マクベス」はマクベス夫人(配偶者)の口車に乗せられて破滅する男の話。

つまりこれらの作品は全て、呪いとしての家族を描いていると言えるだろう。

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【総括】20世紀の芸術(現代美術・現代音楽)とは一体、何だったのか?

僕は20世紀後半(昭和40年代〜平成)を生きてきた。小学校4年生くらいからクラシック音楽を聴くようになったが、当初から不思議に思っていたことがある。

コンサートで演奏されるのは大体19世紀の作曲家(リスト/ワーグナー/ブルックナー/マーラー)までで、20世紀以降の現代音楽は殆ど取り上げられない。強いて言えばストラヴィンスキー「春の祭典」やバルトーク「管弦楽のための協奏曲」など数曲あるが、それでもせいぜい20世紀前半止まりだ。

結局、シェーンベルク/ヴェーベルン/ベルクら新ウィーン楽派、ブーレーズ/ノーノ/シュトックハウゼンらセリー音楽トータル・セリエリズム)といった無調音楽は一般聴衆から拒絶され、コンサートのメイン・プログラムに入れると全く集客出来ず、閑古鳥が鳴くという状況が現在も続いている。

20世紀の聴衆が現代音楽に対して嫌悪感を抱き、そっぽを向いてしまった主な理由として〈シェーンベルクによる十二音技法の発明無調音楽への完全移行〉という流れが挙げられる。はっきり言って、聴いていて心地よくない。不快だ。我々の耳は依然として調性音楽を求めている。では何故、〈作曲家の意志↔聴衆の嗜好〉に埋めようのない乖離が起こってしまったのか?そこにはヨーロッパ人が根強く持つ進歩思想、つまり【芸術は、新しい形式が古いそれに続くという、進歩の状態に絶えずある】と見なす思想が横たわっている。

進歩思想は生物の進化論と深く関わっている。ここで多くの人が持つ誤解を解いておきたいのだが、チャールズ・ダーウィンは進化(evolution)という言葉を使っていない。彼の著書「種の起源」に登場するterm(用語)はmodification(変更・修正・調整)である。種の保存(遺伝)、自然選択(淘汰)、存在し続けるための努力(生存競争)がその理論の根幹を成す。つまりダーウィンは〈遺伝子の突然変異→環境に適応したものが生き残る〉ことを主張しているのであって、その変化は必ずしも進化を意味しない。例えば人間の足の指を考えればいいだろう。使わないから退化している。手指の変化と真逆の関係にあるのだ。

進歩思想の深層にはキリスト教(およびユダヤ教)が潜んでいる。旧約聖書の創世記によると、最初の男アダムは神に似せて造られた。つまり人間は神の似姿であり、成長とともに父親(理想像)に近づかなければならないという強迫観念妄執に彼らは囚われている。これを父性原理という。

1970年代くらいまで欧米人(と西洋かぶれの日本の知識人・エリート大学生)は本気で進歩史観を信じていた。【歴史とは人間社会のある最終形態へ向けての発展の過程である】と見なす歴史観である。イギリスにおけるホイッグ史観がその代表例で、【歴史とは人類が理性によって現状を克服し、精神の自由を実現させていく過程である】とするドイツのヘーゲル史観や、カール・マルクスによる唯物史観も同様。マルクスにとっての最終形態は共産主義社会の到来であり、その実現(=正義)のためには暴力革命も肯定される。その成れの果ての姿が連合赤軍によるあさま山荘事件であり、(テルアビブ空港乱射やダッカ日航機ハイジャックなど)日本赤軍事件であった。

音楽における進歩思想は【無調音楽という新しい進歩の段階に入ったのだから、いまさら調性音楽という前の段階には逆行出来ない】ということになるだろう。故に20世紀に調性音楽を守ろうとした作曲家たちは「時代遅れ」「ナンセンス!」という烙印を押され、映画音楽やミュージカルなどのジャンルに散っていった。その代表例がエリック・ウォルフガング・コルンゴルト、ジョン・ウィリアムズ、ニーノ・ロータ、クルト・ワイル、レナード・バーンスタイン、スティーヴン・ソンドハイム、アンドリュー・ロイド・ウェバー、久石譲らである。

映画音楽に使用したモティーフを流用したコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は1947年に初演されて以降、半世紀に渡って馬鹿にされ、蔑まれ、無視され続けてきた。しかし21世紀に入り漸く調性音楽の復権が進み、日本でもオーケストラの定期演奏会でしばしば取り上げられるようになった。

現代美術においてもは進歩思想が跋扈した。つまり具象を否定し、抽象絵画に走ったのである。そして鑑賞者の共感と支持を完全に失った。このように20世紀における現代音楽と現代美術、そして共産主義国家建設という壮大な実験(と失敗)は完全にリンクしていた

僕に言わせれば芸術における進歩思想は愚の骨頂であり、殆ど狂気の沙汰である。文学や演劇を例に取れば分かり易いだろう。ここで読者に2つ質問をしよう。

  • あなたは紫式部「源氏物語」よりも、村上春樹の小説の方が進歩(進化)していると思いますか?
  • あなたは古代ギリシャ悲劇「オイディプス王」「エレクトラ」やシェイクスピアの作品よりも、現代演劇の方が進歩(進化)していると思いますか?

全くナンセンスな問いだ。それぞれの時代に様式(style)の変化はあるだろう。しかしそれは進歩ではない。そしていつの時代にも優れた作品と、そうでないものがある。それだけのことだ。同時代の人間にはその真価を見抜けず、時の洗礼を経なければ判らないこともある(例えばマーラーやコルンゴルトの音楽)。それが自然淘汰である。

また進歩史観の間違い・迷妄も次の2つの問いにより簡単に証明出来る。

  • あなたは19世紀ドイツの首相ビスマルクよりも20世紀に普通選挙で首相に就任したアドルフ・ヒトラーの方が優れた政治家だと思いますか?
  • あなたはエイブラハム・リンカーンよりもジョージ・W・ブッシュの方が優れたアメリカ大統領だと思いますか?

賭けてもいい。少なくとも過去2,000年間、人間性(humanity)は一切進化していない。もし人類が進化していると思うのなら、それは単なる錯覚である。代わって間違いなく進化していると言えるのは科学技術であり、富の再分配など社会(補償)制度、つまりsystemだ。

確かに人類の知識(知恵)は増えている。でもそれは進化じゃない。文字という媒体(現代ではコンピューター)により知識の蓄積が可能となり、それを幼少期から効率よく脳に詰め込むための教育制度(system)が発達したのだ。履き違えてはいけない。

故に人の心(意識+無意識=自己)を表現する芸術に、進化などあろう筈がないのである。

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レディー・ガガがアカデミー主演女優賞を受賞する、これだけの理由(「万引き家族」や「未来のミライ」の話もしよう)

日本では12月21日に公開される「アリー/スター誕生」に出演したレディー・ガガの演技に対して絶賛の嵐が巻き起こっている(映画公式サイトはこちら)。アカデミー主演女優賞にノミネートされるのは100%確実、授賞式で彼女の名前が呼ばれる可能性も高い。

女優に関してのみ適応されるのだが、映画の中で自分自身で歌うと、アカデミー賞を受賞し易いという鉄則がある。先鞭をつけたのが「メリー・ポピンズ」(1964)のジュリー・アンドリュース。背景には「マイ・フェア・レディ」映画化に際してのすったもんだがあった。詳しくは下記事に書いた。

その後この鉄則に当てはまる女優たちを列挙しよう。「ファニー・ガール」のバーブラ・ストライサンド、「キャバレー」のライザ・ミネリ、「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」のリース・ウィザースプーン、「シカゴ」のキャサリン・ゼタ・ジョーンズ、「ドリームガールズ」のジェニファー・ハドソン、「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイ、「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーン等々。ね、沢山いるでしょう?そしてジュリーにしろバーブラにしろ、ジェニファー・ハドソンもそうだけれど、確かに歌唱力は圧倒的だが演技に関しては???……頭の中で沢山の疑問符がくるくる回る。50年以上という長きにわたり、歌ったら有利である事実は揺らがない。

もう一つ挙げるなら、レディー・ガガは今や、昨年ハリウッドを席巻した #Me Too 運動のシンボル的存在になっていることである。彼女は19歳のときに音楽プロデューサーにレイプされたことをラジオで告白し、何年間もセラピーに通ったとその苦悩を語った。そしてガガはアメリカの大学キャンパスで起きた性的暴行の被害者を取り上げたドキュメンタリー映画"The Hunting Ground"のために作詞・作曲した<Til It Happens To You>でアカデミー賞歌曲賞にノミネートされ、授賞式でレイプ被害者たちと共にパフォーマンスを披露した。熱狂的なスタンディングオベーションで迎えられたことは言うまでもない(その時の報道記事はこちら)。

人は物語を求める。お膳立ては整った。あとは幕が上がるのを待つばかり。

なお「スター誕生」は今回、4回目の映画化である。ウィリアム・A・ウェルマンが監督し、1937年に公開された「スタア誕生」ではジャネット・ゲイナーがアカデミー主演女優賞にノミネートされた。ジョージ・キューカーが監督した1954年版ではジュディ・ガーランドがアカデミー主演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞ではミュージカル・コメディ部門で受賞した。1976年版ではバーブラ・ストライサンドが作詞・作曲し歌った〈愛のテーマ〉がアカデミー歌曲賞を受賞し、バーブラはゴールデングローブ賞(ミュージカル・コメディ部門)で主演女優賞に輝いた

話は変わるが、日本代表の是枝裕和監督「万引き家族」がアカデミー外国語映画賞にノミネートされるのは、ほぼ確実な情勢である。2008年「おくりびと」受賞以来の快挙となる。ただし、今回の受賞はメキシコ代表のアルフォンソ・キュアロン監督「ROMA」で間違いない。

それと、運がよかったら細田守監督「未来のミライ」が長編アニメーション部門にノミネートされるかも知れない。日本では評判が悪かったが、あちらでの評価はすこぶる高いみたい。今から愉しみだね。しかし受賞するのは多分ディズニー/ピクサーの「インクレディブル・ファミリー」だろう。

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続・終物語

今まで長らく封印してきたのだが、遂にそれを解き、西尾維新原作の〈物語〉シリーズについて語ることにしよう。

僕が最初に観たのは2016年1月から17年1月にかけて東宝で公開された三部作の劇場アニメ「傷物語」(I 鉄血篇、 II 熱血篇、 III 冷血編)だ。時系列で言えば〈物語〉の発端に位置する。正直、これだけではどうもピンとこなかったので当ブログでは取り扱わなかった。

映画館に足を運んだきっかけは、「魔法少女まどか☆マギカ」に打ちのめされたからである。

「まどマギ」の新房昭之が〈物語〉シリーズの総監督を務めており、シャフトが制作したアニメをもっと観たいと思った。また「まどマギ」で異空間設計(プロダクションデザイン)を担当した劇団イヌカレーも参加している。

その後、AmazonプライムやNetflix、Huluで配信されたものを断続的に観た。アニメが製作された順番に列記すると、

  • 化物語(全十五話)
  • 偽物語(十一話)
  • 猫物語〈黒〉(四話)
  • 〈物語〉シリーズ セカンドシーズン(二十八話)←「猫物語〈白〉含む
  • 憑物語(四話)
  • 終物語 (二十話)

となる。結局合計すると八十五話!他にもiOS,Android向けにリリースされたアプリにて配信された「暦物語(十二話)があるらしい。時期的には「終物語」上・中巻(2015年10-12月に地上波で放送)と下巻(2017年8月12・13日にBS11で放送)の間。沢山の〈物語〉の集合体であり、時系列がバラバラなので、こうやって書いていてもややこしくて頭が混乱する。ま、そこがこのシリーズの醍醐味でもあるのだが。

〈物語〉シリーズを一言で評すなら、〈ハーレム〉のお話ということになるだろう。高校三年生の主人公・阿良々木暦はありとあらゆるタイプの女性たちからモテモテになる。ツンデレ(戦場ヶ原ひたぎ)、メガネっ子・巨乳(羽川翼)、ロン毛の妖女(キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード)、幼女(忍野忍)、小学生少女(八九寺真宵)、ロリ系中学生(千石撫子)、ボーイッシュでBL好きの後輩高校生(神原駿河)、妹系ていうか正真正銘の妹!(阿良々木火憐/月火)、能面・影(忍野扇)、ツインテール・学級委員長で攻撃的性格(老倉育)、はんなり京都弁(影縫余弦)、童女・人形(斧乃木余接)、「何でも知っている」自信家(臥煙伊豆湖)等々。

わかりやすく言えば1994年に発売され、一世を風靡した「ときめきメモリアル(ときメモ)」みたいな感じかな。つまり恋愛シュミレーションゲームだ。ここで声を大にして言っておくが、僕自身は「ときメモ」をしたことは一切ないし、興味もなかった。プレステ自体持っていないしね(こういう言い訳を一々しないといけないので、〈物語〉シリーズを語るのは気が重い)。余談だが「ときめきメモリアル」は97年にフジテレビ制作で実写映画化された。その時ヒロイン・藤崎詩織を演じたのが吹石一恵で、今は福山雅治の奥さんね(僕は映画版も未見)。

恐らくこのハーレム状態がヲタクたちの妄想を膨らませ(王様気分)、絶大な支持を得て息の長い作品となっているのだろう。女性たちにとっては何が面白いんだかさっぱり理解出来ないかも知れないが、逆ハーレムの少女漫画「王家の紋章」を想い出して欲しい(プリンセス気分)。両者は鏡像の関係で全く同じ構造なのだ。「王家の紋章」も1976年10月の連載開始から未だに続いている(42年間!)。

キャラクター・デザイン:渡辺明夫が描く女の子たちは「萌え」というヲタクの心をくすぐる。東宝の川村元気プロデューサーが岩井俊二の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のアニメ映画化を企画した際、新房昭之に監督を依頼すると同時に「キャラクター・デザインは是非、渡辺明夫さんで」と指名したのは、〈物語〉シリーズのことが頭にあったからである。

また〈物語〉シリーズ恋愛シュミレーション怪異仕様となっている。怪異とは妖怪変化や幽霊のこと。つまり水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」や手塚治虫「どろろ」の雰囲気を兼ね備えている。

で僕が一番好きなキャラクターは貝木舟(かいきでいしゅう)。詐欺師(悪役)として登場するのだが、どこか憎めない屈折したキャラクター。一筋縄ではいかず、人間に深み(闇)がある。特にセカンドシーズン恋物語」の彼は最高だね。あとネーミング・センスが上方落語「狼講釈」「べかこ」「深山隠れ」に登場する丹坊堅丸(どろたんぼうかたまる)みたい。因みに江戸時代の画家・鳥山石燕の今昔百鬼拾遺」には田坊(どろたぼう)という妖怪が登場する。

「まどマギ」もそうだが、新房昭之の演出は極めてスタイリッシュ。画面を横溢する無数の縦線と横線。そして時折アクセントとして登場する円。カッケー!首を曲げる独特なポーズ「シャフ度(シャフト角度)」のこともこのシリーズを通して学んだ(「まどマギ」や「打ち上げ花火」にも出てくる)。

で「終物語」で完結したと思わせておいて、「続・終物語」って一体どういうこと!?と狐につままれたような気分である。

Zoku

評価:B+

TOHOシネマズでイベント上映を鑑賞。公式サイトはこちら。上映時間は148分。はじめにテレビ放送ありきの企画であり、それを劇場公開用につなげたものなので長め。導入部は「鏡の国のアリス」を彷彿とさせる。つまり今までの〈物語〉シリーズに登場したキャラクターの反転した姿であり、返しの世界が描かれる。だから多分、本編を知らないと意味不明だろう。

まぁ、それなりに面白かった。おまけみたいなものだから。

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贋作・桜の森の満開の下

10月19日(金)新歌舞伎座@大阪市で野田秀樹(作・演出)「贋作・桜の森の満開の下」を観劇した。

Sakura

妻夫木聡・深津絵里・天海祐希・古田新太・藤井隆・門脇麦・野田秀樹といった超豪華出演陣で、チケット券面には「公演当日、本人確認をする場合がありますので、身分証明書を持参してください」と記載されていたのだが、結局実施はされなかった。

天海は大海人皇子(後の天武天皇)を演じ、男役なのでビッタリ!因みに宝塚歌劇には大海人皇子と中大兄皇子(後の天智天皇)の確執を描く「あかねさす紫の花」(作・演出:柴田侑宏)という名作がある(現役時代に天海はこれに出演していない)。

国造りと”鬼”のはなしである。桜吹雪が舞い、日本的様式美が堪能出来る。本作は歌舞伎化されているが、能舞台を彷彿とさせるところもある。

深津絵里演じる夜長姫が最後に煙のように消え去る演出はまるでハロルド・プリンス演出のミュージカル「オペラ座の怪人」みたいだった。帰宅後調べてみると「贋作・桜の森の満開の下」が劇団「夢の遊民社」で初演されたのは1989年2月。「オペラ座の怪人」ロンドン初演が1986年、日本初演が88年4月なので、野田がインスパイアされたのは間違いない。

尚この公演は2019年3月にWOWOWで放送される予定である。

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