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2018年11月11日 (日)

《聖母マリアの夕べの祈り》@いずみホールと、「マリア崇敬」について

11月2日(水)いずみホールへ。

  • モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
  • カヴァッリ:サルヴェ・レジーナ(アンコール)

を聴く。演奏はジャスティン・ドイル/RIAS合唱団、カペラ・デ・ラ・トーレ(ピリオド楽器アンサンブル)。独唱は、

ソプラノ:ドロテー・ミールズ、マーガレット・ハンター
テノール:トマス・ホッブズ、マシュー・ロング

Izumi

今回のシリーズ【古楽最前線!ー躍動するバロック】を企画・監修した礒山雅・国立音楽大学招聘教授は2018年1月に雪で足を滑らせ頭を打ち、外傷性頭蓋内損傷のため死去した(享年71歳)。礒山氏はバッハ研究で名高い音楽学者だが、《聖母マリアの夕べの祈り》について次のように書いている。

私が無人島に持っていきたい曲は、モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り Vespro della Beata Vergine》である。《マタイ受難曲》ではないのですか、とよくいわれるが、さすがの《マタイ》も《ヴェスプロ》の前では色褪せる、というのがかねてからの実感である。中世以来連綿と続いてきた、「マリア崇敬」の芸術――その頂点が美術ではラファエロの聖母像にあるとすれば、音楽では、間違いなくこの作品にあると思う。

<講談社学術文庫「バロック音楽名曲鑑賞辞典」より> 

ここで礒山氏の言う「マリア崇敬」について考察してみよう。

(ユダヤ教及び)キリスト教は父性原理の宗教である。旧約聖書の「創世記」において、神はまず自分の姿に似せ最初の男アダムを創り、アダムの肋骨から最初の女イヴを誕生させた。つまり男がで、女はということになる。また、三位一体:〈父と子と精霊〉に女性は含まれない

父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。母性がすべての子供を平等に扱うのに対して、父性は子供を能力や個性に応じて分類する。

フランス人はまさに父性原理の権化であり、首と胴体を「切断する」ギロチンはフランス人が発明した。21世紀の現在もフランス人は赤ちゃんが生まれると、幼少期から夫婦と別室に寝かせる。子供を早くから自立させることが目的とされるが、つまりは親子の情や絆を「切断」しているわけだ。フランス人の多くが冷淡な性格なのは、ここに原因があるのではないかと僕は勘ぐっている。

そんな父性原理に対して、母性原理を導入して補完しようとした動きが「マリア崇敬」なのではないかというのが僕の考えである。

「マリア崇敬」はイタリアを中心に盛んとなった。世間一般にイタリア人=マザコンと言われることと(→こちらのブログを参照あれ)、母性原理導入とは無関係ではないだろう。スーパーマリオの口癖「マンマ・ミーア!」(ミュージカルの題名にもなった)は「なんてこった!」という意味で用いられるが、直訳すると「僕のお母ちゃん!」である。英語なら"Oh,my God !"なわけで、つまり〈神(父)→母〉に変換されている。「マリア崇敬」がこの慣用句にも潜んでいるのだ。イタリア人がどれくらい母親を大切にし、甘えているかは、フェデリコ・フェリーニ監督作品などイタリア映画を観ればよく分かる。

一方、ドイツのヨハン・ゼバスティアン・バッハの受難曲(Passion)やミサ曲、カンタータは父性原理に貫かれており、非常に厳格である。余りマリアに触れられることはない。この「切断する」厳しい父性原理はベートーヴェンに引き継がれた。

マリアに焦点が当てられた宗教曲「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」の名作を作曲したのは、パレストリーナ、ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、ロッシーニなどやはりイタリア人が中心であり(チェコのドヴォルザーク作も素晴らしい)、ドイツ・オーストリア・フランス・イギリスの作品は極めて稀だ。フランス人のプーランクが「スターバト・マーテル」を作曲しているという反論もあろうが、彼はゲイだから。一般にゲイの人に「どうして結婚されないんですか?」と尋ねると「母が素晴らしすぎたから」という答えが帰ってくる。ニーノ・ロータ(作曲家)や木下惠介(映画監督)、淀川長治(映画評論家)がそうだった。閑話休題。

演奏について。色彩豊かな合唱が素晴らしく、ソリストも特に透明感のあるドロテー・ミールズ、たおやかで美しいトマス・ホッブズの歌声が絶品だった。

僕は予習としてヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂で収録されたジョン・エリオット・ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツのDVDを繰り返し鑑賞して臨んだのだが、指揮に関してはガーディナーの方が躍動感で勝っていると思った。

あと楽器編成が両者で相当異なっていたので面食らった。カペラ・デ・ラ・トーレは18人の編成で、いささか音が薄っぺらく感られた。

今回の上演では途中、サラモーネ・ロッシ、ビアージョ・マリーニ、ガスパロ・ザネッティが作曲した当時の器楽曲や、グレゴリオ聖歌「私を見てはならない」が挿入された。またガーディナーの映像同様に、要所要所でソリストと合唱が場所を移動して歌った。

《聖母マリアの夕べの祈り》について、モンテヴェルディ研究者のジルケ・レオポルト博士は「それは、さまざまな機会に応じて配置を入れ替え、編成を変えて上演することのできる、小品のゆるやかな連合体なのです」と書いている。

言い換えるならば、J.S.バッハ以降の音楽とは違って、【古楽とは、ジャズのジャムセッション(Jam session)・即興演奏( Improvisation)の如く、自由度が高くて変換可能な音楽である】と、僕は理解した。

礒山さんがもし生きておられたら、さぞかし今回の演奏を歓び、心から愉しんで聴かれたことだろうと、しみじみ思った。

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