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2018年10月19日 (金)

神話としての「タイタニック」〜トム・サザーランド演出ブロードウェイ・ミュージカル再演

10月17日(水)梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティへ。ミュージカル「タイタニック」大阪公演初日を観劇。

Titanic

トム・サザーランド演出版・初演のレビューは下記。

今回の配役は、アンドリュース(設計士):加藤和樹、イスメイ(オーナー):石川禅、機関士:藤岡正明、一等客の客室係:戸井勝海、ジム・ファレル(三等客):古渡辺大輔、通信士:上口耕平、アリス・ビーン(二等客):霧矢大夢、アイダ・ストラウス(一等客):安寿ミラ、イシドール・ストラウス:佐山陽規、ケイト・マーフィー(三等客):屋比久知奈、船長:鈴木壮麻ほか。

それにしても芥川英司(劇団四季時代)→鈴木綜馬→鈴木壮麻と芸名をよく変える人だなぁ(本名は鈴木孝次)。でも初演の船長役:光枝明彦より良かった。傲慢で身勝手なオーナーを演じた石川禅もはまり役。概して役者陣のアンサンブルはお見事!

3年前のレビューにも書いたが、トム・サザーランドの演出は舞台装置が余りにも簡素で、不満が残る。例えば、タイタニックが氷山に衝突し、沈没しかかった場面で装置が傾くわけでもなく、救命ボートを海面に降ろす場面でもボートそのものが存在しないので、「あとは観客の皆さんの想像力で補ってください」と言われても限界があるだろう。抽象的描写で、状況が分かり辛い場面が多々あった。

だからといってブロードウェイのオリジナル・プロダクションのように大掛かりな装置を組むとツアーのための運搬が困難になり、大阪公演は実現不可能だったろう(演出変更になる前の「ミス・サイゴン」のように)。痛し痒しである。

モーリー・イェストンの音楽は文句なしに素晴らしい。特に第一幕 終盤(氷山にぶつかるまで)。ワルツが続き、優雅でありながら何処か物悲しさが漂う。

初演の感想で「グランド・ホテル形式の台本が古臭くてイマイチ」と書いたのだが、今回考えを改めた。

1912年に発生したタイタニックの悲劇は最早、20世紀の神話と言えるだろう。1931年頃に書かれたと推定される宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に於いて既にタイタニック号の乗客が登場する。

南北アメリカ大陸の先住民の神話を詳細に研究したフランスの構造人類学者レヴィ=ストロースは「神話論理」四部作で次のように説く。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

本作の場合、調停不可能根源的(二項)対立とは、言うまでもなく生と死である。どうして人は死ななければならないのか?納得出来る答えはない。だから我々は普段、そのことを忘れて(忘れようと努力して)生きている。しかし「タイタニック」の物語は、遅かれ早かれ誰にでも(一等客であろうと三等客であろうと)分け隔てなく、死が訪れるのだ(生者必滅)ということを思い出させてくれる。だったら、残された人生を一日一日、精一杯生きるしかない。メメント・モリ(自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな)、カルペ・ディエムseize the day:その日の果実を摘め/その日をつかめ)。そう僕は得心がいった。正に神話による調停作用、カタルシス(精神の浄化作用)である。そして勿論、小説「銀河鉄道の夜」にもこのカタルシスがある。

またミュージカル「タイタニック」には欧米が築いた近代合理主義・科学技術文明の終焉レクイエム)が描かれているのだ、と感じられた。オーナーのイスメイが「タイタニックは不沈。この船そのものが救命ボートだ(だからボートが足りなくても大丈夫)」と豪語する場面があるのだが、この万能感は正に「人間は神になり代われる存在なのだ」という幻影を示している。彼の発言の根底にはキリスト教徒が持つアントロポモルフィズム(人間形態主義/人神同形論)つまり、神を人間と同じような姿で想像するという基本理念がある(神は最初の男アダムを、神に似せて創造したー「創世記」)。また「ノアの箱舟」のイメージを重ねてもいるのだろう。しかしイスメイの誇大妄想野望は、氷山という自然との遭遇で呆気なく打ち砕かれるのである(文化⇔自然の二項対立)。

〈時間というのは過去→現在→未来という不可逆的・一方通行の流れであり、その中で人類は着実に「進歩」して来た。そしていつの日にか神に近づくことが出来るであろう〉これが欧米人が一般的に抱いて来た歴史観である。しかし、それは果たして本当だろうか?だったらどうして20世紀にアドルフ・ヒトラーやポル・ポトのような為政者が誕生したのだろう?「進歩」の果てに中国の文化大革命が成立したのか?アメリカ大統領について言えば、イラク戦争を引き起こしたジョージ・W・ブッシュはエイブラハム・リンカーンよりも「進歩」しているのだろうか?疑問符ばかりである。

〈人類の歴史は「進歩」の歴史〉という、通時的歴史観は崩壊した。これからはもっと共時的に思考する姿勢が求められている。そう、20世紀の神話「タイタニック」は我々に語りかけているように僕には思われるのである。

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