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究極のカルト映画「ピクニック at ハンギング・ロック」の衝撃と、ドリームタイム

ピーター・ウィアーが監督したオーストラリア映画「ピクニック at ハンギング・ロック」は豪州で1975年に封切られ、日本公開は11年後の1986年4月だった。有名な役者が出ているわけではないし、そもそも本邦で上映される予定はなかった。

Picnicathangingrock

状況に変化が生じたのはウィアーがハリウッドに渡り、ハリソン・フォード主演で「刑事ジョン・ブック 目撃者」を撮ったことに端を発する。日本公開が1985年6月22日。アカデミー賞では作品賞・監督賞・主演男優賞・脚本賞・作曲賞・撮影賞・美術賞・編集賞の8部門でノミネートされ、脚本賞・編集賞の2部門を受賞した。つまり「目撃者」が高く評価され、有名になったおかげで過去の出世作が発掘されたというわけだ。

僕は「目撃者」を映画館で観て甚く感銘を受けた。「ピクニック at ハンギング・ロック」については日本公開当時にキネマ旬報の特集記事を読んだ。そこに書かれていたのは〈1900年の聖バレンタインデー。オーストラリアにある寄宿学校の女生徒たちが山にピクニックに出かけ、失踪するという実際に起った事件に基づいている。しかし最後まで真相は明かされない難解な映画〉といった内容だった。この紹介文に尻込みし、結局鑑賞するのを見合わせた。

30年以上の時を経て、「ピクニック at ハンギング・ロック」はすっかりカルト映画の仲間入りをした。そしてつい先日、WOWOWで放送されたのを機会に初めて観て、雷に打たれたような衝撃を受けた。打ちのめされた。なんて素晴らしい作品なんだ!巷の評判を信じた僕が大馬鹿だった。間髪入れず充実した特典ディスクが付いたBlu-rayを購入した。

ピーター・ウィアーの作品はこれまでに「危険な年」「目撃者」「モスキート・コースト」「いまを生きる」「トゥルーマン・ショー」「マスター・アンド・コマンダー」と観てきたけれど、紛れもなく「ピクニック at ハンギング・ロック」こそが彼の最高傑作であり、それだけに留まらずオーストラリア映画史上のベスト・ワンだと断言出来る。「マッドマックス」なんか目じゃない。

Directors

インターネット上で検索すると、未だに本作が実話だと信じている人が少なくないのだが、明らかに間違いである。特典ディスクに原作者ジョーン・リンジーのインタビューが収録されているが、彼女はTrue storyだなんて一言も言っていない。また映画の最後にも〈この作品はフィクションです。もし実在の人物・団体と類似していたしても、全くの偶然です。〉とクレジットされる。

1998年、本作がクライテリオン・コレクションとしてDVDで発売された時、映像も音もブラッシュアップされディレクターズ・カット版として生まれ変わった。非常に高画質だ。そして驚くべきことに、再編集によりオジリナル版よりも7分短くなったのである(大抵は長くなる)。Blu-rayにはオリジナル版も収録されているのだが、正直カットされたシーンは確かに蛇足であり、再編集版の方が引き締まって更に良くなっている。特典映像にはヒロイン・ミランダ役:アン・ランバートのコメントが入っていて、「公開されたら映画は観客みんなの共有財産よ。たとえ監督といえども手を加える権利なんか無いわ。短くするなんて!!」と激怒しているので、笑ってしまった。逆に同級生イルマ役のカレン・ロブソンは監督から手紙を貰い、彼女の出演場面を新たにカットした理由が述べられ、「決して君の演技が拙かったわけじゃないんだ」と書き添えられていたそうで、まんざら嫌でもなさそうだった。

神隠し(Spirited Away)に遭った女学生ミランダは、言わば美の化身として描かれている。劇中、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」に喩えられるし、彼女の姿と白鳥が二重写しになったりもする。ルッキノ・ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」(1971)の少年タッジオみたいなものだ。

究極の美は手が届かない存在だ。「ベニスに死す」の主人公・作曲家アッシェンバッハは最後にタッジオに向けて手を伸ばすが、触れることは叶わない。また「ピクニック at ハンギング・ロック」の校長室に飾られた、英国のフレデリック・レイトン男爵が1895年に描いた絵画「燃え上がる6月(Flaming June)」がとても印象的だ。

Flaming_june

右奥に配置されたキョウチクトウには毒性があり、微睡みから死への移ろいの可能性を示唆している。また遠景に見えるのはエーゲ海に浮かぶロードス島である。

映画に於いてこの絵は、イギリスからの植民者の末裔である女学生たちの、19世紀ヴィクトリア朝時代の堅苦しい宗教的・道徳的拘束(手袋、コルセットなど)からの開放を象徴している。

彼女たちは何処に消えたのか?「町山智浩の映画ムダ話」を聴いて、そのヒントが後年ピーター・ウィアーが撮った豪州映画「ザ・ラスト・ウェーブ」(1977、日本未公開)にあることを知り、早速Amazon.co.jpからDVDを取り寄せて観た。

Thelastwave

〈黒い雨や大粒の雹(ひょう)が降るなど異常気象が続くオーストラリア。先住民・アボリジニ同士の殺人事件を担当することになった白人弁護士(リチャード・チェンバレン)は、大陸が津波に襲われ水没する予知夢に連夜悩まされていた……。〉

主人公がアボリジニ文化を研究するウィットバーン博士を訪ねる場面があるのだが、その博士を演じるのは「ピクニック at ハンギング・ロック」で女生徒たちと共に蒸発したマクロウ先生役ヴィヴィアン・グレイである。彼女はアボリジニ独特の考え方「ドリームタイム(夢の時)」について解説する。アボリジニは(我々が知覚出来る)現世と、ドリームタイムという、並行する二つの世界を同時に生きている。彼らにとってはむしろドリームタイムの方が本物(real)なのだ。ドリームタイムは無限の、精霊(Spirit)の周期であり、彼らには”時間”(過去→現在→未来という不可逆的流れ)という概念がない……。

つまり「ピクニック at ハンギング・ロック」の失踪した女生徒とマクロウ先生は、ドリームタイムの世界に移行した、と解釈すれば全ての謎が氷解する。ハンギング・ロックで時計が止まった理由や(ドリームタイムには過去→現在→未来という流れがない)、巨大な石がトーテム(象徴)としてドリームタイムへの入口となったこと、等々。

「ピクニック at ハンギング・ロック」にアボリジニは一切、登場しない。しかしハンギング・ロック(岩)そのものと、そこに登場するトカゲや鳥など動物たちがアボリジニのメタファーなのである(ドリームタイムの中で彼らは他の動物に変容・転生する能力を持つと神話は語る)。それは白人文化とアボリジニ文化との衝突を意味している。劇中で繰り返し、「少女たちは誰かにレイプされて殺されたのではないか?」という問いが発せられるが、そこに白人たちの、「我々が蹂躙・虐殺したアボリジニの人々から、いつか復讐されるのではないか?」という恐怖心・潜在意識が反映されている。〈異文化との遭遇〉という主題は後にウィアーが監督した「刑事ジョン・ブック 目撃者」で再び取り上げられることになる。

こうして考察していくと、2年後に公開されたスティーヴン・スピルバーグ脚本・監督の「未知との遭遇」(1977)が、「ピクニック at ハンギング・ロック」から多大な影響を受けていることが判る。岩山がトーテム(象徴)の役割を果たしていること(異次元との接触点)、失踪した人々のうち帰還する者もいるが、主人公ロイ(リチャード・ドレイファス)は家族を捨て、あっちの世界に行ったきりになってしまうなど、はっきり言って、物語の構造は全く同じである

「ピクニック at ハンギング・ロック」で、イギリスから叔父の家に遊びに来ていた青年マイケルはミランダに一目惚れし、捜索にも参加する。彼が湖畔でミランダの幻を見る場面には、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第2楽章が静かに流れる。実は映画「いまを生きる」にも「皇帝」第2楽章が登場する。アメリカ・バーモント州にある全寮制学院ウェルトン・アカデミーに就任した英語教師(ロビン・ウィリアムス)がロンドンに残してきた妻の写真を見ながら、彼女に手紙を書くシーンだ。つまり男性が遠く離れた女性を想う時、「皇帝」が流れるという法則がウィアーにはあるようだ(全寮制の学校が舞台となり、生徒のひとりが自殺するという状況も両者に共通している)。ちなみに彼が監督した「フィアレス」では「皇帝」の第3楽章が使用されているらしい。どんだけ好きなんだよ!!

また寄宿学校の校長室には英国の画家ハーバート・トーマス・ディックシーが1900年に描いた"The Watcher on the Hill"も飾られている。

Watcheronthehill

この虎はまるで、ドリームタイムに無断で侵入しようとする余所者を入り口で見張っている番人のようだ。校長先生はこれに拒絶され、崖から突き落とされたのだろう。

町山氏からドリームタイムという言葉が飛び出した時、武満徹(1930-1996)が「夢の時(Dreamtime)」というオーケストラ曲を書いていることを直ちに思い出した。調べてみると案の定、アボリジニの概念を題材にした作品だった。

俄然興味が湧いた。もっともっと詳しく知りたい!こうなったら徹底的にドリームタイムについて勉強してみよう。そう僕は決意したのだった。

続く To Be Continued...

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