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2018年9月 6日 (木)

【解説】「ペンギン・ハイウェイ」〜〈海〉と〈お姉さん〉に関する考察

森見登美彦の小説は以前から大好きで、今までに「太陽の塔」「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」「【新釈】走れメロス他四篇」「有頂天家族」「宵山万華鏡」「夜行」を読んでいる。しかし日本SF大賞を受賞した「ペンギン・ハイウェイ」は未読であり、映画版が余りにも素晴らしすぎたので、これを機会に一気呵成に読み通した。

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上記事で〈海〉とは〈ワームホール〉みたいなものだろうと僕の考えを書いたのだが、なんのことはない、小説の中で何度もワームホールについて言及されていた。

本作はポーランドの作家スタニスワフ・レムが執筆したSF小説「ソラリス(ソラリスの陽のもとに)」に触発されている。歯科医院で小学校4年生の主人公アオヤマくんがいじめっ子のスズキくんに対し、歯の中にばい菌がいっぱいになって、歯をぜんぶ抜かないと治らない〈スタニスワフ症候群〉という嘘の病気について語るエピソードがある。

「ソラリス」は2度映画化されている。アンドレイ・タルコフスキー監督の1972年「惑星ソラリス」@ソ連と、ジェームズ・キャメロン製作、スティーブン・ソダーバーグ監督の2002年「ソラリス」@アメリカ合衆国である。1965年に出版された原作小説の日本における最初の翻訳「ソラリスの陽のもとに」はロシア語からの重訳であり、さらにソ連に於ける検閲を考慮し四百字詰め原稿用紙四十枚分に及ぶ削除箇所があった。その後、「ソラリスの陽のもとに」を高校生の時に読んで魅了され、ポーランド語を学んだという沼野充義によるポーランド語原典からの完全翻訳版が2015年にハヤカワ文庫SFより刊行された。

これはソラリスの〈海〉が、その上空にある惑星観測ステーションに勤める研究者の記憶をもとにコピー人間(似姿)を造る、つまり死者を実体化(擬態)する物語である。

海は地球上の生命のすべての起源であり、なるものである。「ペンギン・ハイウェイ」ではそれを〈お姉さん〉のおっぱいが象徴している。そしてペンギンは〈お姉さん〉=が生む子供たちだ。また海は命を与える存在であると同時に、命を奪う者でもある。それは3・11東日本大震災で我々の多くが実感したことだ。

映画「ペンギン・ハイウェイ」には出てこないが、原作小説には〈お姉さん〉が日曜日に教会に通っていることが言及されている。ここで〈お姉さん〉に聖母マリア像が重ねられていることが分かる。キリスト教におけるマリアは古来、海の星の聖母(Stella Maris)と呼ばれていた。希望の印、導きの星であり、船乗りにとってステラ・マリスとは航海の目印となる北極星を指すとか、宵の明星=金星のことだとする説もある。つまり〈海〉=〈お姉さん〉=聖母マリアという三位一体が成り立ち、さらにマリア→海の星→宇宙へと繋がっているのである。

〈お姉さん〉は〈海〉の創造物である。これは間違いない。では〈お姉さん〉の原型(prototype)は何か?つまり〈海〉は何に基づいて似姿を創ったのだろう?小説に次のような記述がある。

 彼女(お姉さん)の顔を観察しているうちに、なぜこの人の顔はこういうかたちにできあがったのだろう、だれが決めたのだろうという疑問がぼくの頭に浮かんだ。(中略)そして、ぼくがうれしく思うお姉さんの顔がなぜ遺伝子によって何もかも完璧に作られて今そこにあるのだろう、ということがぼくは知りたかったのである。

ここで僕が考えたのは、〈海〉はアオヤマくんの心の中にある女性の理想像、ユング心理学で言うところのアニマ(元型 archetype)を実体化したのではないか?という仮説である。ゲーテの言葉で言い換えるなら「永遠に女性的なるもの」。しかしそうするとアオヤマくんが〈お姉さん〉の生まれ故郷、海が見える坂の街の場所を知らなかったという矛盾が生じる。彼はそもそも本物の海を見たことがない。

「もし私が人間でないとして、海辺の街の記憶はなんだろう?」
 お姉さんは路地を歩きながら言った。「私だってお父さんやお母さんのことを憶えているし、自分が今まで生きてきた思い出があるよ。それもぜんぶ作りもの?」
「ぼくにはわかりません」

ということは、彼女は何らかの理由で早逝し、〈海〉が残された両親の記憶から似姿を創ったのかも知れない。

次に〈お姉さん〉の言う海辺の街はどこだろう?と想像してみる。真っ先に連想したのは森見が書いた「夜行」の舞台となった尾道市である。しかし海辺の街の坂の上には教会があるという記述があるので当てはまらない。大林映画でも分かる通り、尾道は寺と神社の町なのだ。ならば海+坂道+教会といえば長崎市や神戸市が候補に挙げられる。もし長崎ならば〈お姉さん〉は原爆投下で命を落としたのかも知れない。その時〈海〉は長崎に出現していて、〈海〉自身が〈お姉さん〉を記憶していたのだろう(両親も同時刻に亡くなった筈なので)。

物語の最後に〈お姉さん〉は消失する。言い換えるなら〈海〉に還る。この場面で僕が想い出したのは、押井守監督のアニメーション映画「攻殻機動隊」である。主人公の草薙素子はインターネットという〈海〉に溶けて〈神〉になる。何だか似ていませんか?未来のアオヤマくんは素子を探し続けるバトーになるわけだ。

そこで僕は森見登美彦が押井守について言及した記事がないか探した。つまり、自分が立てた説の裏を取ろうと考えたのである。そして……あった、あった!

森見は大森望(書評家)との、「夜は短し歩けよ乙女」を巡っての対談で次のように語っている。

大森 つげ義春の『ねじ式』とか、あるいは押井守を連想したんですが。
森見 押井守さんも好きなので、入ってるだろうと思います。ボーッとしてると、押井守と宮崎駿が自動的に出てくるんです。
大森 たしかに、『千と千尋の神隠し』っぽいところもあるし。

             (「本の旅人」2006年12月号より)

また朋友・明石氏(現在は弁護士)との対談で、次のような発言もある。

明石 なぜか、いきなり盛り上がったなあ。夕方になって日が傾いた頃に、突然森見君が「押井守を知ってるか」って言い出して(笑)。「短篇集のレーザーディスクとか一式持ってるから、今から俺の下宿に観に来るか」って。
森見 それはね、高校の時には、誰とも押井守の話とかできなかったんですよ、まったくまわりに通じなくて。そしたら明石君が押井守の名前を知ってたから、「この人なら!」と思ったんでしょうね(笑)。
明石 たまたま『攻殻機動隊』が好きだっただけなんですけどね。後日森見君の家に泊まったら、押井守のレーザーディスクをかたっぱしから見せられた(笑)。

       (「文藝」2011年5月号 【森見登美彦】特集より)

最後に。「ペンギン・ハイウェイ」に登場するジャバウォックとチェスゲームはルイス・キャロル「鏡の国のアリス」からの引用である。そして「ソラリス」もまた、に映る自己(self)についての物語なのだ。

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