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2018年9月

プーと大人になった僕

評価:B+

Christopherrobin

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極上とは言えないが上出来。前提としてディズニー・アニメ「くまのプーさん」(2011年版)を観ておいた方がbetterだろう。実質的な続編となっている。それに1977年の「くまのプーさん 完全保存版」が加わればperfect。この2作にエピソードの重複はない。

プーさんはいわば、惚けたおっさんだ(フーテンの寅さんに近い)。昔の言葉で言えば「うつけ者」。でもそこに味がある。理性的に考え、合理的生活を送る都会人が見失ったものが、彼や「100エーカーの森」の住人たちにはしっかり見えている。

7歳の息子と一緒に日本語吹き替え版を鑑賞。クリストファー・ロビン役を吹替した堺雅人の声はピッチが高いので、ユアン・マクレガーの声とのギャップになかなか馴れなかった。

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マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー

評価:F

Mammamia

救いようのない駄作。久しぶりに地雷を踏んだ。前作のレビューはこちら

一作目同様ABBA(アバ)の歌が全編に散りばめられたジューク・ボックス・ミュージカルだが、表題曲「マンマ・ミーア」のみならず、「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」など楽曲の重複が多過ぎ。物語のバカバカしさは前作を遥かに上回っている。くだらん。死ぬほど退屈した。

コリン・ファースやピアーズ・ブロスナンは歳をとったなぁ。もうお爺ちゃんだ。考えてみれば前作から10年経過している。

僕が今回注目していたのが、ディズニー実写版「シンデレラ」のヒロインを射止めた、英国が世界に誇る絶世の美女リリー・ジェームズがどれくらい歌えるのか?ということ。結論から言うとドナ役メリル・ストリープよりはマシ、ソフィー役アマンダ・セイフライドには及ばずといったところかな。まぁ、そこそこね。

それにしてもメリル・ストリープの若い頃がリリー・ジェームズという設定はいくら何でも無理がある。年齢的にメリルが「ディア・ハンター」に出ていた頃だぜ!?

Meryl_streep James

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SNSがもたらした〈福音〉と〈罠〉。〜本谷有希子(著)「静かに、ねぇ、静かに」

本谷有希子という名前はつい先日、2018年9月12日(水)まで全く知らなかった。認知するきっかけになったのはその前日にTBSラジオで放送された、ラップグループ・RHYMSTER 宇多丸がパーソナリティを務める「アフター6ジャンクション」(通称:アトロク)である。彼女がゲストとして登場し、最新刊「静かに、ねぇ、静かに」の話をしたのである(パートナーは宇垣美里アナ)。これを通勤時にラジオクラウド(iPhone)で聴いて、俄然興味が湧いた。

早速Amazon.co.jpKindleで探してみた。すると、なんと!3つの中編からなる「静かに、ねぇ、静かに」のうち、最初の物語『本当の旅』が【刊行記念 無料試し読み】で、まるごとダウンロード出来ることが判明した(最後まで読める)。太っ腹!!

Silent

本谷は1979年生まれで現在39歳。石川県に生まれ高校卒業後上京、ENBUゼミナール演劇科に入学し、松尾スズキに師事した。その後女優となり2000年に「劇団、本谷有希子」を旗揚げ、劇作家・演出家としての活動を開始した。「遭難、」で鶴屋南北戯曲賞を史上最年少で受賞。「幸せ最高ありがとうマジで!」で岸田國士戯曲賞を受賞した。小説の方は「ぬるい毒」で野間文芸新人賞、「嵐のピクニック」で大江健三郎賞、「自分を好きになる方法」で三島由紀夫賞、「異類婚姻譚」で芥川賞を受賞している。純文学新人賞三冠作家は彼女が史上3人目となった。

『本当の旅』の語り部は〈ハネケン〉。彼は友人の〈づっちん〉、〈ヤマコ〉と三人でマレーシア旅行に出発する。テーマはズバリSNS。彼らはグループラインで頻繁にやり取りし、”インスタ映え”に血道を上げる。

むちゃくちゃ面白かった!本谷は底意地が悪い作家である。全編悪意に満ちている。そういう意味で「OUT」「柔らかな頬(直木賞受賞)」の桐生夏生を彷彿とさせた。読んでいてヒリヒリするし、どよんとした読後感が残るので読者を選ぶ作家と言えるかも知れない。好き嫌いがはっきりと分かれるだろう。一部の人にとっては、歪んだ鏡で自分を見るのを強いられているようで、不快な気持ちになる筈だ。

この小説に登場する仲良し三人組は僕に言わせればグロテスクなモンスターである。それも人畜無害な。しかし本人には全くそんな自覚がなく、自分たちはリア充だと錯覚しているのだからイタい。貧しい彼らは、しっかり働いて裕福な暮らしをしている周囲の人々を見下している。価値の転倒。ニーチェが言うところのルサンチマン(強者に対して復讐心を燃やす、弱者の鬱屈した心)だ。つまりローマ帝国に支配されて苦しんでいたユダヤ人(イエス)が、「いや、貧しい自分たちこそ正義だ!」と開き直ったのと同じ構造がここにはある。

〈ハネケン〉たちは生きている実感がない。むしろSNSという仮想空間にこそリアル(本当)を感じる。正にヴァーチャル・リアリティである。彼らに欠如しているのは皮膚感覚だ。指で触って感じること、痛み、匂い、舌で感じる味覚。そして辛い、厳しい現実は写真をトリミング(画像の不必要な部分を切り取ること)したり、動画を編集したりすることで排除出来る、なかったことに出来ると信じている。本谷はそんな彼らを容赦なく狂気の淵へと追い込む。

僕にとってこの小説は「あるある」「わかる!」の連続だった。例えばこんな情景を日常生活でしばしば見かける。喫茶店やファーストフードで友達同士やカップルが向かい合って座っているのだが、各々が俯向いてスマホを弄(いじ)っている。「一緒にいる意味なくね?」というゾワゾワした違和感。

またインスタグラムで「今日はお昼にこれ食べました」といちいち写真付きで報告する人々。「そんなことに興味がある人が一体全体、地球上の何処にいるんだ??」肥大化する自意識承認欲求私が、私が、私が……。なんの価値もない、ちっぽけな自分のことばかり延々と喋り続けていることの滑稽さ。

人間は皆、孤独である。そして寂しい思いを抱えて生きている。インターネットがなかった頃の女子大生は大抵一人で下宿にいることはなく、友達の家に泊まりに行ったり、深夜に長電話するというのが常だった。SNS最大の効用は、誰かと常に「繋がっている」と錯覚出来ることだろう。しかしSNSの登場で、果たして人は孤独から脱出出来たのだろうか?

「静かに、ねぇ、静かに」が炙り出すのは、インターネットやSNSが仕掛けた罠、落とし穴だ。しかし一方で、ネット世界が存在しなければ僕がこの小説に出会うことがなかったのも紛れもない事実である。

SNSが我々にもたらすのは幸福なのだろうか?それとも不幸なのだろうか?結局は切れ味鋭い包丁と同様、使い方次第ということなのだろう。

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【解説】「ペンギン・ハイウェイ」〜〈海〉と〈お姉さん〉に関する考察

森見登美彦の小説は以前から大好きで、今までに「太陽の塔」「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」「【新釈】走れメロス他四篇」「有頂天家族」「宵山万華鏡」「夜行」を読んでいる。しかし日本SF大賞を受賞した「ペンギン・ハイウェイ」は未読であり、映画版が余りにも素晴らしすぎたので、これを機会に一気呵成に読み通した。

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上記事で〈海〉とは〈ワームホール〉みたいなものだろうと僕の考えを書いたのだが、なんのことはない、小説の中で何度もワームホールについて言及されていた。

本作はポーランドの作家スタニスワフ・レムが執筆したSF小説「ソラリス(ソラリスの陽のもとに)」に触発されている。歯科医院で小学校4年生の主人公アオヤマくんがいじめっ子のスズキくんに対し、歯の中にばい菌がいっぱいになって、歯をぜんぶ抜かないと治らない〈スタニスワフ症候群〉という嘘の病気について語るエピソードがある。

「ソラリス」は2度映画化されている。アンドレイ・タルコフスキー監督の1972年「惑星ソラリス」@ソ連と、ジェームズ・キャメロン製作、スティーブン・ソダーバーグ監督の2002年「ソラリス」@アメリカ合衆国である。1965年に出版された原作小説の日本における最初の翻訳「ソラリスの陽のもとに」はロシア語からの重訳であり、さらにソ連に於ける検閲を考慮し四百字詰め原稿用紙四十枚分に及ぶ削除箇所があった。その後、「ソラリスの陽のもとに」を高校生の時に読んで魅了され、ポーランド語を学んだという沼野充義によるポーランド語原典からの完全翻訳版が2015年にハヤカワ文庫SFより刊行された。

これはソラリスの〈海〉が、その上空にある惑星観測ステーションに勤める研究者の記憶をもとにコピー人間(似姿)を造る、つまり死者を実体化(擬態)する物語である。

海は地球上の生命のすべての起源であり、なるものである。「ペンギン・ハイウェイ」ではそれを〈お姉さん〉のおっぱいが象徴している。そしてペンギンは〈お姉さん〉=が生む子供たちだ。また海は命を与える存在であると同時に、命を奪う者でもある。それは3・11東日本大震災で我々の多くが実感したことだ。

映画「ペンギン・ハイウェイ」には出てこないが、原作小説には〈お姉さん〉が日曜日に教会に通っていることが言及されている。ここで〈お姉さん〉に聖母マリア像が重ねられていることが分かる。キリスト教におけるマリアは古来、海の星の聖母(Stella Maris)と呼ばれていた。希望の印、導きの星であり、船乗りにとってステラ・マリスとは航海の目印となる北極星を指すとか、宵の明星=金星のことだとする説もある。つまり〈海〉=〈お姉さん〉=聖母マリアという三位一体が成り立ち、さらにマリア→海の星→宇宙へと繋がっているのである。

〈お姉さん〉は〈海〉の創造物である。これは間違いない。では〈お姉さん〉の原型(prototype)は何か?つまり〈海〉は何に基づいて似姿を創ったのだろう?小説に次のような記述がある。

 彼女(お姉さん)の顔を観察しているうちに、なぜこの人の顔はこういうかたちにできあがったのだろう、だれが決めたのだろうという疑問がぼくの頭に浮かんだ。(中略)そして、ぼくがうれしく思うお姉さんの顔がなぜ遺伝子によって何もかも完璧に作られて今そこにあるのだろう、ということがぼくは知りたかったのである。

ここで僕が考えたのは、〈海〉はアオヤマくんの心の中にある女性の理想像、ユング心理学で言うところのアニマ(元型 archetype)を実体化したのではないか?という仮説である。ゲーテの言葉で言い換えるなら「永遠に女性的なるもの」。しかしそうするとアオヤマくんが〈お姉さん〉の生まれ故郷、海が見える坂の街の場所を知らなかったという矛盾が生じる。彼はそもそも本物の海を見たことがない。

「もし私が人間でないとして、海辺の街の記憶はなんだろう?」
 お姉さんは路地を歩きながら言った。「私だってお父さんやお母さんのことを憶えているし、自分が今まで生きてきた思い出があるよ。それもぜんぶ作りもの?」
「ぼくにはわかりません」

ということは、彼女は何らかの理由で早逝し、〈海〉が残された両親の記憶から似姿を創ったのかも知れない。

次に〈お姉さん〉の言う海辺の街はどこだろう?と想像してみる。真っ先に連想したのは森見が書いた「夜行」の舞台となった尾道市である。しかし海辺の街の坂の上には教会があるという記述があるので当てはまらない。大林映画でも分かる通り、尾道は寺と神社の町なのだ。ならば海+坂道+教会といえば長崎市や神戸市が候補に挙げられる。もし長崎ならば〈お姉さん〉は原爆投下で命を落としたのかも知れない。その時〈海〉は長崎に出現していて、〈海〉自身が〈お姉さん〉を記憶していたのだろう(両親も同時刻に亡くなった筈なので)。

物語の最後に〈お姉さん〉は消失する。言い換えるなら〈海〉に還る。この場面で僕が想い出したのは、押井守監督のアニメーション映画「攻殻機動隊」である。主人公の草薙素子はインターネットという〈海〉に溶けて〈神〉になる。何だか似ていませんか?未来のアオヤマくんは素子を探し続けるバトーになるわけだ。

そこで僕は森見登美彦が押井守について言及した記事がないか探した。つまり、自分が立てた説の裏を取ろうと考えたのである。そして……あった、あった!

森見は大森望(書評家)との、「夜は短し歩けよ乙女」を巡っての対談で次のように語っている。

大森 つげ義春の『ねじ式』とか、あるいは押井守を連想したんですが。
森見 押井守さんも好きなので、入ってるだろうと思います。ボーッとしてると、押井守と宮崎駿が自動的に出てくるんです。
大森 たしかに、『千と千尋の神隠し』っぽいところもあるし。

             (「本の旅人」2006年12月号より)

また朋友・明石氏(現在は弁護士)との対談で、次のような発言もある。

明石 なぜか、いきなり盛り上がったなあ。夕方になって日が傾いた頃に、突然森見君が「押井守を知ってるか」って言い出して(笑)。「短篇集のレーザーディスクとか一式持ってるから、今から俺の下宿に観に来るか」って。
森見 それはね、高校の時には、誰とも押井守の話とかできなかったんですよ、まったくまわりに通じなくて。そしたら明石君が押井守の名前を知ってたから、「この人なら!」と思ったんでしょうね(笑)。
明石 たまたま『攻殻機動隊』が好きだっただけなんですけどね。後日森見君の家に泊まったら、押井守のレーザーディスクをかたっぱしから見せられた(笑)。

       (「文藝」2011年5月号 【森見登美彦】特集より)

最後に。「ペンギン・ハイウェイ」に登場するジャバウォックとチェスゲームはルイス・キャロル「鏡の国のアリス」からの引用である。そして「ソラリス」もまた、に映る自己(self)についての物語なのだ。

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ウインド・リバー

評価:A

Wind

ドゥニ・ヴィルヌーヴがメガホンをとった映画「ボーダーライン」と、アカデミー作品賞にノミネートされた「最後の追跡」(日本では直接Netflixから配信)の脚本家テイラー・シェリダンが脚本・監督を務めた。

公式サイトはこちら

ワイオミング州にある保留地で発生した殺人事件を追う新人女性FBI捜査官と、彼女に協力する現地の凄腕ハンター(野生生物局職人)を主人公としたクライム・サスペンス仕立ての映画である。しかし作品の狙いは謎解きにはなく、徐々にアメリカ先住民(Native American)に対してスポットライトが当てられていく。

ヨーロッパからアメリカ大陸に渡ってきたピューリタン(清教徒)を主とする植民者たちは先住民を虐殺し、肥沃な土地を奪い、全国土の3%にも満たない保留地へと彼らを強制移住させた。そのアメリカの暗部/恥部が本作を通して浮き彫りにされる。

ウインド・リバーは極寒の、想像を絶する不毛の土地である。そこへ押し込められた先住民たちの静かな、しかし絶望的な叫びを体感せよ。

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インクレディブル・ファミリー

評価:A

Incredibles2

公式サイトはこちら。前作「Mr.インクレディブル」も2004年公開時に映画館で観ているのだが、何しろ14年前の話なので当ブログも未だ開設していなかった。更に遡って当時書いた拙レビューを発見した。こちら

ブラッド・バード監督は安定の面白さ。ただ実写への進出作(「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル 」「トゥモローランド」)がイマイチだったので、アニメの世界の戻ってきてくれて本当に嬉しい。ド派手なアクションのてんこ盛りで、息もつかせぬとは正にこのこと。

007シリーズのジョン・バリーを彷彿とさせるマイケル・ジアッキーノのJazzyな音楽も乗りに乗っている。エンド・クレジットでMr.インクレディブル、イラスティガール、フロゾン各々のテーマソングが流れるのがご機嫌だ。

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