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2018年8月

【考察】映画「ペンギン・ハイウェイ」と宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

評価:AA (最高はAAA)

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大傑作!暫定今年のベスト・ワン(邦画・洋画併せて)。公式サイトはこちら。監督はこれが長編デビュー作となる石田祐康。

森見登美彦の原作は日本SF大賞を受賞している。仕掛けは本格的だ。

森見の小説は「四畳半神話大系」「有頂天家族」「夜は短し歩けよ乙女」が既にアニメ化されており、実にアニメーションとの親和性が高い。

そして脚色を担当した劇団「ヨーロッパ企画」@京都の上田誠と森見が組むのは「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」に続いて今回が3度目。抜群の相性の良さを示している。パーフェクトだ。

この物語のヒロインである〈お姉さん〉の姿に二重写しになって見えた人物が二人いる。松本零士「銀河鉄道999」のメーテルと、岩井俊二監督「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の及川なずな(奥菜恵)である。「銀河鉄道999」は勿論、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を下敷きにしており、岩井が執筆した「打ち上げ花火」の原作小説「少年たちは花火を横から見たかった」もまた、「銀河鉄道の夜」の冒頭部を読み上げる場面から始まる。つまり〈お姉さん〉≒メーテル≒なずな≒カムパネルラであり、「ペンギン・ハイウエイ」における小学校4年生の主人公アオヤマくん≒ジョバンニという図式が成立する。孤独な少年ジョバンニは友人カムパネルラとふたりきりで銀河鉄道に乗り込んで旅をするが、それは「銀河鉄道999」の星野鉄郎とメーテルも同様であり、「打ち上げ花火」の島田典道となずなは”かけおち”するために電車に乗ろうとするが、果たせない(後のアニメ版ではふたりきりで乗り込むことに成功する)。そして「ペンギン・ハイウエイ」のアオヤマくんと〈お姉さん〉も電車に乗って街を離れようと試みる。

「銀河鉄道の夜」「銀河鉄道999」「ペンギン・ハイウエイ」にもう一つ共通するのは死の匂いである。一見関係なさそうな「打ち上げ花火」にも、”かけおち”を持ちかけられた典道が、なずなと次のような会話を交わす場面がある。

典道「二人で・・・死ぬの?」
なずな「それは心中でしょ」

そしてアニメ版でなずなの母と”かけおち”し、サーフショップを開いた父は海で溺死している。

「ペンギン・ハイウエイ」に登場する〈海〉という概念はとても魅力的だ。映画「コンタクト」「インターステラー」における〈ワームホール〉みたいなものだろう(この二作品を監修したキップ・ソーンは2017年ノーベル物理学賞を受賞した)。また僕は〈真空崩壊〉も連想した(詳しくはこちら)。

ここで宮沢賢治が書いた絵をご覧いただこう。

Kenji

背景に宇宙が在り、空間の裂け目からいくつもの手が伸びる。「ペンギン・ハイウエイ」の 〈海〉に、どこか似ていませんか?

アオヤマくんは〈お姉さん〉と一緒に体験した冒険を通じて、宇宙とか世界の果てについて思惟する。ジョバンニのように。そして初めて死を身近に意識し、大人への階段を一歩登る。少年期の終わり。哲学的であり、秀逸なジュブナイル映画である。

また〈お姉さん〉の声を当てた蒼井優が素晴らしかったことも特筆に値する。

ー 最後にネタバレでもう一言 ー

Are you ready ?

銀河鉄道に乗ったカムパネルラは生者ではなく、既に死んでいる。メーテルが生身の人間なのか、機械人間なのかは未だに意見が別れており、結論は出ていない(松本零士は「メーテルは”人間”です」と言っているが、それでは説明がつかない点が多々ある。作家とは信頼できない語り手である)。また「打ち上げ花火」のなずなの正体は人魚(セイレーン)なのではないかと僕は考えている。最後は水のきらめきの中に消えてゆくし、岩井俊二は「ウォーレスの人魚」という小説を書いているくらいだからね。そして「ペンギン・ハイウエイ」のアオヤマくんは最後に「お姉さんは人間ではない」という結論に達する。やはりこれら4作品は繋がっているのである。

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【考察】映画「カメラを止めるな!」の構造分析と三谷幸喜

評価:A+ 公式サイトはこちら

この映画を一言で評すなら、(三谷幸喜&東京サンシャインボーイズ「ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな」+フランソワ・トリュフォー「映画に愛をこめて アメリカの夜」+「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」)÷3である。

これ以上何を書いてもネタバレになるので、以下ネタバレ全開で語ります。未見の方はご注意ください。

Camera

用意はよろしいか?

Ready,go !

映画の冒頭はB級ホラー仕立てであり、その低予算ぶり、素人臭さから言って「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の雰囲気に近い。ストーリー的にはジョージ・A・ロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」とか「ゾンビ」なのだけれど、意図的にそのクオリティーに達していない。

すると途中から《ホラー映画を撮影中のクルーを本物のゾンビが襲う、というプロットの映画を撮っているクルーの舞台裏(back stage)を描く》という構造が立ち現れてくる。つまり三重入れ子構造になっているのだ。

Ireko

二重構造なら古くはシェイクスピア「ハムレット」から、映画「Wの悲劇」とか「リズと青い鳥」などの前例があるが、三重というところが本作のユニークなところである。そして彼らが撮っているホラー映画が①生放送で、②全編ワンカットの長回しという条件がつくことにより、ドタバタ(シチュエーション)コメディに転化するという仕掛けだ。それは上演中の芝居(三谷幸喜&東京サンシャインボーイズ「ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな」)とか、radioの生放送(三谷幸喜&東京サンシャインボーイズ「ラヂオの時間」)における舞台裏のてんやわんやと同じ構造を持つことになる。タイトルの「カメラを止めるな!」は、演劇における(どんなトラブルが起ころうと途中で)「幕を降ろすな」と同義である。

三谷幸喜が小劇団「東京サンシャインボーイズ」時代に指針にしていたのは「がんばれベアーズ」などのバディ・ムービーである。つまり《仲間が一番》ということ。何かの困難に直面し、チームワークで一丸となってそれを切り抜ける。その精神が「カメラを止めるな!」にも受け継がれている。特に最後の組体操=人間ピラミッドで、そのスピリットをしっかり「絵」として見せた技には唸った。こうして綻びかけていた家族の絆もしっかりと修復された。脚本・監督の上田慎一郎、大した才能である。

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吹奏楽 vs. オーケストラ

2017年、全日本吹奏楽コンクール高校の部に出場した30団体のうち、クラシック音楽を編曲したものを自由曲に選んだのは12団体であった。その前年は13団体。つまり、全体の40%以上を占めていることになる。

吹奏楽の起源は軍楽隊にある。故に基本は行進曲であり、コンクールの課題曲でマーチを演奏する団体が多い(丸谷明夫/淀川工科高等学校吹奏楽部はマーチ以外を絶対に選ばない)。

自由曲にオーケストラ曲の編曲が未だに多いのは、指揮者のクラシック音楽への憧れ劣等感が潜在意識の中にあるからではないか?と僕は考えている。しかしそれでは所詮、吹奏楽はオーケストラの代用品に過ぎず、オリジナルを凌駕することは絶対に出来ない。全く無駄な努力のように想われる。

吹奏楽関係者がクラシック音楽へ注ぐ愛情は片思い、単なる一方通行に過ぎず、クラシック音楽ファンは吹奏楽など見向きもしない。吹奏楽はあくまで《アマチュアが演奏するための音楽》でしかなく、《鑑賞に耐えうるものではない》と大半の人々は考えている。嘘だと思うなら近くにいるクラシック音楽愛好家に「アルメニアン・ダンスって聴いたことある?」と訊ねてご覧なさい。アルフレッド・リードの名前すら誰も知らないから。月刊誌「レコード芸術」の新譜批評に「吹奏楽」部門が新設されたのは2010年、たった8年前のことである。

吹奏楽コンクール全国大会の自由曲にチャイコフスキーを選ぶと、金賞が受賞出来ないことはよく知られている。屋比久勲/福工大付属城東高は「白鳥の湖」、石津谷治法/習志野高は「くるみ割り人形」と「眠れる森の美女」、畠田貴生/東海大付高輪台高は「白鳥の湖」で全国大会に臨んだが、いずれも銀賞に終わっている。彼らの演奏を聴いて感じるのは、「チャイコフスキーが作曲したオーケストラ曲の最大の魅力は優美に奏でる弦楽器にある」ということ。弦抜きだと魅力が半減してしまうのだ。違和感しかない。

吹奏楽の演奏に対する褒め言葉でよく見かけるのが「木管の響きが、弦をこすって出したような音色になっている」というものだが、だったら弦楽器で演奏すれば済むことじゃない?馬鹿みたい。まがい物は所詮、まがい物。模倣品・贋作・ものまね芸人が本物の価値を上回ることなど決してないのである。吹奏楽にはもっと、別の良さがあるだろう。しっかりと独自の道を歩むべきだ。

クラシック音楽の中で編曲が新たな価値を生み出した代表例を見てみよう。

  • J.S.バッハ/ストコフスキー 編:トッカータとフーガ、小フーガほか
  • ムソルグスキー/ラヴェル 編:展覧会の絵
  • サティ/ドビュッシー 編:ジムノペディ 第1,3番
  • ブラームス/シェーンベルク 編:ピアノ四重奏曲 第1番
J.S.バッハ/ストコフスキーの原曲はオルガン・ソロ、ムソルグスキーとサティはピアノ・ソロ、ブラームスがカルテットで、それらがオーケストラ曲に生まれ変わっている。つまり編成が拡大されている。逆に、例えばベートーヴェンの交響曲やワーグナーの歌劇をリストがピアノの連弾や独奏曲に編曲しているが、成功したものは皆無である。オーケストラ曲→吹奏楽曲の場合も全く同様だ。

だから全国大会に出場するような実力を持つ指導者の方々には、是非もっと吹奏楽のオリジナル作品に取り組んで頂きたい。日本も優れた作曲家を沢山輩出しているのだから。

ただし、クラシック音楽→吹奏楽へのアレンジで成功しているものもごく僅かながらある。

  • リスト/田村文生 編:バッハの名による幻想曲とフーガ
  • J.S.バッハ/伊藤英明 編:シャコンヌ
  • J.S.バッハ/森田一浩 編:シャコンヌ

リストの原曲はピアノまたはオルガン独奏曲であり、バッハは無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータである。やはり編成を拡大することで新しい価値を生み出しているのだ。

それから原曲がポップスや映画音楽、ミュージカルの場合は全く話が別である。こういった音楽は基本的にオリジナル原理主義ではなく、アレンジして演奏されるのが前提の世界だからである。過去の吹奏楽コンクールで深い感銘を受けたアレンジ物を挙げよう。

  • シェーンベルク/宍倉 晃 編:ミュージカル「ミス・サイゴン」
    大滝 実/埼玉栄高等学校吹奏楽部 2002年 金賞
  • アーノルド/瀬尾宗利 編:映画「第六の幸福をもたらす宿」より
    (井田重芳/東海大学付属札幌高等学校 2006年 金賞
  • シェーンベルク/森田一浩 編:ミュージカル「レ・ミゼラブル」
    (宇畑知樹/伊奈学園総合高等学校 2013年
    金賞

また僕が定期演奏会で聴いた、梅田隆司/大阪桐蔭高等学校による「キャラバンの到着」(ミュージカル「ロシュフォールの恋人たち」より)や、ミュージカル「銀河鉄道の夜」「ラ・ラ・ランド」も実に素晴らしかった!こういうのをもっとコンクール全国大会で聴きたいのである。

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シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第7回/ミクロス・ローザ(ロージャ・ミクローシュ)篇

まず最初に、シリーズ《映画音楽の巨匠たち》過去記事をご紹介しよう。

今回ご紹介したいのはハンガリー出身の作曲家ミクロス・ローザ。ハンガリー読みでは日本語同様に姓・名の順で表記するのでロージャ・ミクローシュとなる。アカデミー作曲賞に17回ノミネートされ、「白い恐怖」「二重生活」「ベン・ハー」で3度受賞した。

ローザといえば泣く子も黙る《史劇の達人》である。「ベン・ハー」「エル・シド」「クォ・ヴァディス」「ジュリアス・シーザー」「ヤング・ベス」「黒騎士」「円卓の騎士」「キング・オブ・キングス」「ソドムとゴモラ」など枚挙に暇がない。ローマ帝国時代の音楽の雰囲気を巧みに醸し出しながらも、しっかりとハンガリー民謡の節回しを仕込んでいるところがさすが匠の技である。

僕の考えるローザの映画音楽ベストを挙げる。

  1. ボヴァリー夫人(1949)
  2. 白い恐怖(1945)
  3. ベン・ハー(1959)
  4. 針の眼(1981)
  5. 炎の人ゴッホ(1956)
  6. キング・オブ・キングス(1961)
  7. エル・シド(1961)
  8. 失われた週末(1945)
  9. シャーロック・ホームズの冒険(1970)
  10. ヤング・ベス(1953)
  11. 悲愁(1979)
  12. ジャングル・ブック(1942)
  13. リディアと四人の恋人(1941)
  14. シンドバッド黄金の航海(1973)
  15. プロビデンス(1979)

「ボヴァリー夫人」は、ミュージカル映画「巴里のアメリカ人」「バンド・ワゴン」「恋の手ほどき」で知られるヴィンセント・ミネリ監督作品だが、僕はミネリの最高傑作だと信じて疑わない。本作についてはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズによる卓越した分析があるので、そちらを是非ともお読み頂きたい。下記事に引用している。

ローザの音楽も実に素晴らしい。特に圧巻なのが舞踏会シーンで流れるワルツ。狂気が疾走する。ミネリはこの音楽をThe "Neurotic Waltz"(神経症的円舞曲)と呼んだ。途轍もない渦の中に呑み込まれる印象。ヒロイン(ジェニファー・ジョーンズ)が夢に貪り喰われる瞬間が描かれる。お勧めはエルマー・バーンスタイン/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏(ステレオ録音。オリジナル音源はモノラル)。iTune Storesで「Madame Bovary」「バーンスタイン」というキーワードを入力し検索すれば購入出来る。また映画のDVDはAmazonで入手可能。

ボヴァリー夫人」が公開された1940年代、ハリウッドでは映画にフロイトの精神分析を絡めることが流行っていた。アルフレッド・ヒッチコック監督の「白い恐怖」もその一つである。幻想シーンのイメージはシュルレアリスムの画家サルバドール・ダリが起用された。この映画のテーマもズバリNeurosis(神経症)である。「白い恐怖」は電子楽器テルミンが使用された。映画でテルミンを初めて使用したのはローザである。これに関しては面白いエピソードがあるので下記事で紹介した。

There

一方で「白い恐怖」の音楽はとてもロマンティックだ。映画を元に再構成した、華麗なピアノ協奏曲版もあるのでお聴きあれ。

ローザの遺作は「スティーブ・マーティンの四つ数えろ」(1982)だが、「針の眼」はその一つ前、晩年の大傑作である。スパイ・スリラーとして映画の出来もよく、これを観たジョージ・ルーカスは監督のリチャード・マーカンドを「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」に抜擢した。高校生の時、僕は「針の眼」のサウンドトラックLPレコードを購入し、繰り返し聴いた(その時点で映画は未見だった)。成人してCDで買い直そうと考え、輸入CDショップ(タワーレコードかHMV)で見つけたのだが、何と値段が5,000円以上もした!多分、限定版(limited edition)だったのだろう。迷いに迷った挙げ句、断念した。結局その後一切お目にかかることは出来なかった。四半世紀探し求め続けた……そして今ではiTune Storesでダウンロード出来るようになった。良い時代になったものである。

イエス・キリストの生涯を描く「キング・オブ・キングス」はもう冒頭の「ホザンナ」の合唱からその荘厳さに圧倒される。

「エル・シド」は中世スペイン地方のムード満点。

「シャーロック・ホームズの冒険」はヤッシャ・ハイフェッツが初演したローザのヴァイオリン協奏曲 第2番が流用されている。ホームズは趣味でヴァイオリンを弾くので。ハイフェッツの演奏はCDで聴くことが出来る。

「ヤング・ベス(悲恋の王女エリザベス)」は若き日のエリザベス一世を描く。後日《Fantasy on Themes from "Young Bess "》(「ヤング・ベス」の主題による幻想曲)というコンサート・ピースに再構成された。パイプ・オルガンが前面に押し出され、重厚な金管アンサンブルに対峙する。また映画半ばでグレゴリオ聖歌「怒りの日」が立ち現れる。

ビリー・ワイルダー監督「悲愁(Fedora)」は、もうひとつの「サンセット大通り」。どちらもウィリアム・ホールデンが出演している。

「ジャングル・ブック」の魅力は野性味。

「リディアと四人の恋人」は「舞踏会の手帖」「パリの空の下セーヌは流れる」などで知られるフランスの巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が第2次世界大戦勃発により、アメリカに疎開している際に撮った作品。同時期に彼は「運命の饗宴」も製作した。ピアノ協奏曲仕立てなのが素敵。

「シンドバッド黄金の航海」は「シンドバッド七回目の航海」(1958)の続編で、前者の音楽を担当したのはヒッチコック映画で名高いバーナード・ハーマン。両者を聴き比べてみるのも一興だろう。

というわけで次回《映画音楽の巨匠たち》はバーナード・ハーマンか、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト、あるいは久石譲を取り上げたいと考えている。誰がいい?リクエストお待ちしています。

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ジャンヌ・ダルクに魅せられた女優〜イングリッド・バーグマンとマリオン・コティヤール

アカデミー監督賞・主演女優賞を受賞したミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」のヒロイン、ミア(エマ・ストーン)の部屋には巨大なイングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)のポスターが張ってあった。ミアは映画「カサブランカ」(1942)の彼女に憧れているという設定である。

Lala

スウェーデンからハリウッドに渡った大女優イングリッド・バーグマン(「ガス燈」「追想」でアカデミー主演女優賞を2度受賞、「オリエント急行殺人事件」で助演女優賞を受賞)はジャンヌ・ダルクに囚われていた。「白い恐怖」「汚名」「山羊座のもとに」と3本のヒッチコック映画に出演した時も、撮影の合間にヒッチにジャンヌを演りたいと熱心に語っていたという。そして彼女はブロードウェイで「ロレーヌとジャンヌ」という戯曲に出演し、その映画化「ジャンヌ・ダーク」(1948)でも主演の座を射止めた(アカデミー主演女優賞にノミネート)。監督は「風と共に去りぬ」「オズの魔法使い」のヴィクター・フレミング。彼は映画公開直後に心筋梗塞で亡くなったのでこれが遺作となった。

Jeanne

映画は興行的に大失敗で、製作費を回収することすら出来なかった。しかしジャンヌに取り憑かれているイングリッドがこれで満足する筈もなかった。

1949年、イングリッドはネオレアリズモ(イタリアン・リアリズム)の「無防備都市」をハリウッドで観て感激した。彼女は自分がいかにこの映画を賞賛しているか、いかにロッセリーニ監督作品への出演を望んでいるという内容の手紙をロッセリーニに送った。この縁で彼女はイタリアに飛び、1950年「ストロンボリ/神の土地」に出演した。二人はたちまち恋に落ち、彼女はロッセリーニの子を身籠った。実はイングリットは既に37年に歯科医と結婚しており、娘もいた。つまり不倫の関係だったのである。これは大スキャンダルとなり、アメリカ上院議会でも取り上げられた。そして彼女はハリウッドから完全に追放された。

イタリアでイングリットはさらにジャンヌ・ダルクに挑む。前夫と離婚が成立しロッセリーニと再婚を果たした彼女は、夫の演出でフランスの作曲家オネゲルの劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」をヨーロッパ各地で演じた後、1954年に映画化・主演している。凄まじい執念だ。正にジャンヌ・ダルクになろうとした女と言えるだろう。

Stoll

なおこの後、イングリッドはロッセリーニと破局し、「追想」(56)で劇的なハリウッド復帰を遂げることになる。アカデミー賞授賞式では彼女の友人であるケーリー・グラントが代理でオスカー像を受け取った。また娘のイザベラ・ロッセリーニも女優となり、映画「ブルーベルベット」「複製された男」等に出演している。

さて、現代のジャンヌ・ダルクといえば、「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」でアカデミー主演女優賞を受賞したフランスの女優マリオン・コティヤールにとどめを刺す。彼女は2015年3月4日、5日にフィルハーモニー・ド・パリで山田和樹/パリ管弦楽団とオネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を演じ、続く6月10日〜13日の4日間、ニューヨークのエイブリー・フィッシャー劇場でアラン・ギルバート/ニューヨーク・フィルと共に同オラトリオに出演した。また2012年スペインのバルセロナにおける彼女のパフォーマンスはDVDになっている。

Cotillard

美しく、入魂の演技で、完璧に彼女はジャンヌ・ダルクになり切っている。Bravissimo !!!

なお、このDVDを購入されたい方はこちらからどうぞ。

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宮古島へ!

8月4日から7日にかけて沖縄県宮古島でヴァカンスを満喫した。

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大学生の頃、サークルの先輩から「宮古島はいいよ」と聞かされていた。しかし中々行く機会が訪れなかった。社会人になり、沖縄本島や石垣島では泳いだが、お世辞にも綺麗な海とは言い難かった(藻が多かった)。そして沖縄の食事は不味かった。最悪だったのは石垣島のヤギ汁。オエーッ!!

宮古島の海はエメラルドグリーンで透明度が高く、本当に美しかった。泊まったのは宮古島東急ホテル&リゾーツである。写真は部屋からの眺め。

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与那覇)前浜ビーチは東洋一とも言われ、Marine Diving Web(マリン ダイビング ウェブ)というサイトでは2017年ビーチ部門で世界一に選出された(今年は第二位)。

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少なくとも僕が泳いだことのあるフィリピンのセブ島より断然良かったし、ニューカレドニアのウベア島やイル・デ・パンの海に匹敵すると思った。因みにウベア島は原田知世主演、大林宣彦監督の映画「天国にいちばん近い島」(1984)のロケ地であり、宮古島は大林映画「風の歌が聴きたい」(1998)のロケ地である。

Wind

「風の歌が聴きたい」でヒロインを演じた中江有里は、どうやら今年7-8月に広島県尾道市及び福山市で撮影された大林監督の新作「海辺の映画館ーキネマの玉手箱(仮題)」に出演しているようだ(他に浅野忠信、南原清隆、常盤貴子、稲垣吾郎、渡辺裕之ら)。閑話休題。

宮古島の気温は同時刻の関西よりも大体3℃くらい低く、地元の人によると真夏でも33℃を超えることはないという。湿度も低く、夜風は涼しく、クーラーなしで寝られると想った。今や沖縄は避暑地なのか!?如何せん日本の気候は狂っている。

ビーチではゴーグルで海底まで見通せて、沢山魚が泳いでいるのが見えた。グラスボートで珊瑚礁まで行くと、クマノミ(ニモ)など熱帯魚が観察出来たし、ウミガメにも遭遇した。夜はホテルの屋上から眺める満天の星空に吸い込まれるような気持ちになった。

またホテルのレストランが美味しかったのには驚かされた。特に海藻。もずくとかプチプチの海ブドウが新鮮で、全く臭みがない。意外にも(失礼!)地元の魚で握った寿司もいけた。舐めていた沖縄料理を見直した。

今後、リゾートに行くなら毎回宮古島でいいやと想った。

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「ミッション・インポッシブル/フォールアウト」とヒッチコック映画

評価:A+

トム・クルーズ56歳。「サザエさん」の磯野波平 (54) より2歳上回っている。驚異的なタフ・ガイだ。よく撮影中に死ななかったなと、本作を観ながら唖然とした。ちなみにビルからビルに飛び移るシーンで足を骨折し、撮影は6週間中断している。

Mission

公式サイトはこちら

前作「ローグ・ネイション」のオペラ「トゥーランドット」@ウィーン国立歌劇場における首相暗殺計画は、明らかにアルフレッド・ヒッチコック監督「知りすぎていた男」(1955)へのオマージュであった。また悪の組織に潜入していた女スパイが、主人公のせいで首領から疑いの目を向けられるというプロットは、ヒッチコック「北北西に進路を取れ」(59)からの引用である。

今回は《螺旋階段をトムが登るのを俯瞰で捉える→屋根から屋根に飛び移る》という流れがあり、これはヒッチコック「めまい」(58)のジェームズ・スチュアートを彷彿とさせる。またトムがミサが行われている教会で敵に囲まれる場面は「北北西に進路を取れ」における骨董品のオークション会場シーンの再現だ。そしてクライマックス、断崖絶壁で展開される死闘は「北北西に進路を取れ」におけるラシュモア山といった具合。

またクリストファー・マッカリー監督はパリでのカーチェイス・シーンについて、クロード・ルルーシュ監督の短編「ランデヴー」を参考にしたと語っている。「ランデヴー」は2016年に「男と女」がリヴァイヴァル上映された折に併映され、僕はそれを観て度肝を抜かれた。

Lelouch

映画史上に燦然と輝くカーチェイスといえば、直ぐ思い出すのがスティーヴ・マックィーン主演ピーター・イェーツ監督の「ブリット」(1968)、ジーン・ハックマン主演ウィリアム・フリードキン監督「フレンチ・コネクション」(71)、そして逆走が鮮烈だった、ロバート・デ・ニーロ主演ジョン・フランケンハイマー監督「RONIN」(98)である。

はっきり言う。「フォールアウト」のアクション演出は間違いなくこれら名作群を凌駕している。逆走もちゃんとあるしね。どえらい傑作だ。近年の「ミッション・インポッシブル」シリーズはしっかりチームワークが出来ているし、第1作目、第2作目の頃(トムの独擅場)と比べて明らかに進化している。

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真価が分かるまで、一朝一夕にはいかないクラシック音楽について語ろう。

僕がクラシック音楽を本格的に聴き始めたのは小学校4年生の頃である。きっかけとなったのはシモーネ/イ・ソリスティ・ヴェネティが来日し、地元・岡山での公演を聴きに行ったこと。その予習としてわが家にあったアーヨ(ソロ・ヴァイオリン)&イ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディ「四季」のLPレコードを繰り返しかけた。

ヴィヴァルディ「四季」が入門として最適だったのは標題音楽だからである。物語があるので分かり易かった。

クラシック音楽を聴く初心者男性は大抵、標題音楽とか派手なオーケストラ曲が入口となる。女性だと幼少期からピアノを習っている場合が多く、ショパンやモーツァルトの器楽曲から入る場合もある。しかしそこから室内楽や、古楽(ルネサンス、バロック音楽)、現代音楽に進む人はごく一握りに過ぎない。

そこで僕がその魅力に開眼するに至るまで、数十年を要した作品を今回はご紹介していきたい。クラシック音楽の奥座敷会員制倶楽部へようこそ。若い人たちにとって、なんらかの参考になれば嬉しい。勿論、僕の意見を押し付けるつもりは毛頭ない。長く生きていると考え方(意識)や感じ方(感覚所与)に生成変化が起きることがある。そういうことを心に留めておいて欲しいのである。

1)J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ、チェロ組曲
2)J.S.バッハ:マタイ受難曲

3)ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲 第13−15番
、大フーガ
4)ベートーヴェン:後期ピアノソナタ 第30−32番

5)シューベルト:後期ピアノ・ソナタ 第19−21番

6)ショスタコーヴィッチ:ヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラ・ソナタ

7)ショスタコーヴィチ:交響曲 第15番

8)モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
9)フランツ・シュミット:交響曲 第4番

ご多分に漏れず、僕も小学生の頃は交響曲や管弦楽曲、協奏曲ばかり聴いていた。中学生でオペラに目覚め、ヴェルディやプッチーニ、ワーグナーに夢中になった。大編成で派手に鳴る音楽ばかりである。それらに比べ室内楽は地味で、特にJ.S.バッハの無伴奏の楽曲なんて、「一体、これの何が面白いんだ?」とサッパリ解らなかった。結局、目覚めるまでに30年以上もの歳月を費やしてしまった。

バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ無伴奏チェロ組曲を一言で評すなら、故スティーブ・ジョブズの座右の銘が最も相応しいであろう。

洗練を極めると簡素(シンプル)になる
( Simplicity is the ultimate sophistication. )

これはiPhoneのデザインにも通じるし、日本の茶道や、枯山水にも当てはまるだろう。ジョブズは京都を愛し、俵屋旅館に泊まり、西芳寺(苔寺)などを訪ねた。またの思想に多大な影響を受けた。中・高校生が竜安寺の方丈庭園(石庭)を見学しても、その良さってなかなか理解出来ないでしょう?バッハの音楽も然り。わび(侘び)・さび(寂)幽玄は日本人の専売特許ではない。

マタイ受難曲は宗教曲ということで初心者には敷居が高い。僕も「キリスト教徒じゃないと関係ないんじゃないの?」と若い頃は思っていた。しかし作曲家・武満徹が死ぬ直前に病床で、ラジオから流れてきたこの曲を熱心に聴いていたというエピソードを知ってから俄然興味が湧いた。彼の心に去来したものは何だったのか?そのことについて考えたことを下の記事に書いた。

「マタイ」は人類にとって究極の音楽遺産である。〜すべての道はバッハに通ずことを、貴方も何時かきっと解る日が来るだろう。

Bach

2018年1月に雪で足を滑らせ頭を打ち、外傷性頭蓋内損傷のため死去した礒山雅・国立音楽大学招聘教授(享年71歳)はバッハ研究で名高い音楽学者だが、「聖母マリアの夕べの祈り」について次のようなことを書いている。

私が無人島に持っていきたい曲は、モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り Vespro della Beata Vergine》である。《マタイ受難曲》ではないのですか、とよくいわれるが、さすがの《マタイ》も《ヴェスプロ》の前では色褪せる、というのがかねてからの実感である。中世以来連綿と続いてきた、「マリア崇敬」の芸術――その頂点が美術ではラファエロの聖母像にあるとすれば、音楽では、間違いなくこの作品にあると思う。

<講談社学術文庫「バロック音楽名曲鑑賞辞典」より> 

聖母マリアの夕べの祈り」は1610年にヴェネツィア共和国で出版された。今から400年も前のことである。シェイクスピアの「マクベス」が上演されたという最古の記録が残っているのが1611年グローブ座なので、丁度同時代だ。日本では1603年に江戸幕府が開かれたばかり。気宇壮大で宇宙的広がりが感じられる音楽である。礒山氏も書いているが、モンテヴェルディが楽長も務めたヴェネツィアのサン・マルコ教会で1989年に収録されたジョン・エリオット・ガーディナー指揮/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団による演奏を収録した映像(DVD)をまず第一に推したい。また礒山氏が音楽ディレクターを務めた、いずみホール@大阪市で今年11月7日に《ヴェスプロ》が演奏される。詳しくはこちら。僕も聴きに行きます。そういえば礒山さんを最後にお見かけしたのは、イザベル・ファウストによるJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータの2夜連続全曲演奏会@いずみホールだった。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲だと、入門編として聴き易いのはラズモフスキー第1-3番(通し番号で第7−9番)だろう。そして第11番「セリオーソ」。しかし後期の第13番以降は掴みどころがなく、敷居が高い。まず4楽章形式ではなくなるし、〈第1楽章がソナタ形式で第2楽章が緩徐楽章……〉という「定形」から逸脱して、どんどん自由になってゆく。初心者には到底歯が立たない。しかし作品に何度も拒絶されながらも挑み続け、作曲家の孤高の境地(魂)に少しでも触れることが出来た時、高い山の山頂に立ったような得も知れぬ達成感が貴方を待ち受けている。それは無意識の深層に在り、における悟りの境地と言っても良いかも知れない。

同じことが後期ピアノ・ソナタにも言える。最初は表題のついた「悲愴」「月光」「熱情」「ワルトシュタイン」「告別」「テンペスト」あたりがとっつき易いだろう。しかしその更に奥に、深淵な世界が広がっているのだ。後期のソナタやカルテットの特徴はスケールが大きい変奏曲とフーガ。ベートーヴェンは明らかにJ.S.バッハに回帰しようと欲している。ゴルトベルク変奏曲や、数々のオルガン曲(「幻想曲とフーガ」「パッサカリアとフーガ」等)が彼の目指す先にある。

なお、高校の音楽科に通う学生たちを描く青春小説「船に乗れ!」の中で、作者の藤谷治は「ベートヴェンのピアノソナタ第28番、イ長調がこの世のすべてのピアノソナタの中で、一番好きだ」と書いている。この気持も共感出来る。

オーストリアのピアニスト、アルフレート・ブレンデルはベートーヴェンピアノ・ソナタ 第30-32番や、シューベルト後期ピアノ・ソナタ 第19−21番は、3曲まとめて1セットで考えるべきだと述べている。シューベルトの3曲は1828年9月、彼が死を迎える2ヶ月前に一気に書き上げられた。

シューベルトのピアノ・ソナタは冗長で退屈だとず〜っと思っていた。その深みに気が付いたのは、ほんのつい最近のことである。切掛はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したトルコ映画「雪の轍」に第20番の第2楽章が使用されていたこと。また第21番の第1楽章はアカデミー視覚効果賞を受賞したSF映画「エクス・マキナ」で流れた。

シューベルトは31歳の若さで没したが、自分自身の死期を悟っていた。梅毒感染を宣告され、その治療を受けていたのである。死を意識しながら後期ソナタを作曲したという点を抑えておくことが鑑賞する上でとても大切だ。第21番の第1楽章は左手が迫り来る死神を表現し、右手が美しく儚い白鳥の歌を歌う。詳しくは下記事に書いた。

ショスタコーヴィチの音楽は謎に満ちている。幾重にも屈折し、一筋縄ではいかない。彼のオペラ「ムツェンクス郡のマクベス夫人」はスターリンを激怒させ、1936年にソ連政府の機関紙「プラウダ」から痛烈な批判を浴びた。さらに1948年から58年まではジダーノフ批判に晒された。彼は国家から「革命に奉仕する芸術」、つまり社会主義リアリズムの精神に則ることを強制された。無茶苦茶な話だ。これに抵抗したショスタコは、如何にして政府高官を騙すかを徹底的に考え抜き、入念な偽装工作を自作に施した。つまり彼の本心を見抜くには覆われたベールを次から次へと剥いでいかなければならない。厄介だ。ことについては下記事で論じた。

最後の交響曲 第15番は1971年に書き上げられた。この頃作曲家は右手の麻痺と2度目の心臓発作に苦しんでいた。第1楽章についてショスタコは「玩具屋で起こるようなこと」と語ったことがある。拍子抜けするくらい軽い諧謔皮肉パロディ精神に満ち溢れ、《ウィリアム・テル》序曲からの引用もあり、サーカス小屋の雰囲気を感じるのは僕だけではないだろう。【笑い】は庶民が公権力に牙を剥き、"No."を突き付けるための方便だ。道化師の哀しみ。第2楽章は苦渋に満ちている。そして第4楽章はワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》から「運命の動機」が重要なモティーフとして引用される。続いて登場する旋律はグリンカの《故なく私を誘うな(悲歌)》。歌詞はこちら。「過ぎ去った日々を蒸し返すな/私の微睡みを妨げるな/寝させておいてくれ」はある意味、語り部の死を暗示させる。さらに、この3音はワーグナー《トリスタンとイゾルデ》前奏曲の冒頭部にも共通している。つまり終楽章は告別の歌なのだ。クルト・ザンデルリンク/クリーヴランド管弦楽団のCDでどうぞ。

1968年に作曲されたヴァイオリン・ソナタと75年に完成し、ショスタコ最後の作品となったヴィオラ・ソナタ諦念虚無に支配されている。スターリンやソビエト共産党との間で展開された死闘の果に、燃え尽きて真っ白な灰になった自画像が淡々と描かれる(漫画「あしたのジョー」の最後を想い出して欲しい)空恐ろしい音楽だ。

1934年に初演されたフランツ・シュミット交響曲 第4番については下記事で述べた。

日本では未だ知られていない作曲家の生涯、このシンフォニーが書かれた時の状況、ナチス・ドイツとの関係など詳しく書いたので参照されたい。お勧めのCDはメータ/ウィーン・フィルの演奏。また《デジタル・コンサートホール》に加入すれば、キリル・ペトレンコ/ベルリン・フィルの演奏で愉しむことも出来る。

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アカデミー長編アニメーション映画賞候補作「生きのびるために」

「生きのびるために」は米アカデミー長編アニメーション映画賞にノミネートされ、仏アヌシー国際アニメーション映画祭2018では長編コンペティション部門で観客賞と審査員賞を受賞した(日本から出品された「未来のミライ」は無冠に終わった)。アニー賞では長編インディペンデント作品賞を受賞。「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」で知られるアイルランドのスタジオ、カートゥーン・サルーン製作で、監督はノラ・トゥーミー(女性)。彼女は「ブレンダンとケルズの秘密」でトム・ムーアと共同監督を務めた。

Bread

日本では劇場公開されず、現在既にNetflixから配信中。

やはりアカデミー賞にノミネートされた「ブレンダンとケルズの秘密」も「ソング・オブ・ザ・シー」もアイルランドの伝承やケルト神話に基づく作品だったので、最新作がタリバン政権下のアフガニスタンが舞台になっているのには面食らった。

カナダの児童文学作家デボラ・エリスの小説が原作で、同じ主人公パヴァーナで「さすらいの旅」「希望の学校」という三部作になっているようだ(さ・え・ら書房から日本語訳が出版されている)。彼女は1997年、1999年の二度にわたりパキスタンのアフガン難民キャンプを訪れ、女性や子どもたちからタリバン支配下のアフガニスタンについて聞きとり調査をしたという(詳細はこちら)。

映画を観ると、しっかりとカートゥーン・サルーン印が刻印されていたので感心した。その特徴は2つに集約される。

  1. キャラクター・デザインが「円」を基本にしていること。
  2. 現実の物語とアフガニスタンの神話が同期する(synchronize)。
厳しい現実をテーマにして、こういう切り口があろうとは!いやはや恐れ入りました。必見。

評価:A

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ウルフギャング・ステーキハウス 大阪店へ

7月20日(金)ウルフギャング・ステーキハウス 大阪店(Wolfgang's Steakhouse Osaka)で食事をした。

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ここはブルックリン@NYにある名門ステーキハウス「ピーター・ルーガー」で40年以上活躍したウルフギャング・ズウィナーが独立し、2004年にマンハッタンで創業した。その後ワイキキ、マイアミ、ビバリーヒルズに支店が出来、日本国内の第1号店である六本木店はアメリカ国外初出店となった。

僕は2001年8月末に1週間ニューヨークのマンハッタンに滞在し、数多くのブロードウェイ・ミュージカルを観た。9・11同時多発テロの2週間前のことである。具体的には「オペラ座の怪人」、「プロデューサーズ」(ネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック主演、スーザン・ストローマン演出)、「ザ・ミュージック・マン」(スーザン・ストローマン演出)、「キャバレー」(ブルック・シールズ主演、映画「007 スカイフォール/スペクター」を監督したサム・メンデスと映画「シカゴ」「メリー・ポピンズ・リターンズ」を監督したロブ・マーシャルが共同演出)、「42nd Street」を観劇した。実はワールドトレードセンター( WTC )ビル最上階にあったレストランにディナーの予約をしていたのだが、その当日マチネで観た「キャバレー」の劇場(キット・カット・クラブ)の空調がとても寒く、ホテルに戻ると発熱し寝込んでしまったので電話でキャンセルした。結局9・11でWTC自体が消滅してしまったので、訪れる機会は2度となかった。

ニューヨーク滞在中に「ピーター・ルーガー」に行った。18年間(当時)ザガット・サーベイのステーキハウス部門でトップの座に君臨し続けていた店である。宿泊していたマリオット・マーキスからタクシーに乗ろうとすると、5台連続で乗車拒否された。マンハッタン島より外に位置するブルックリンの治安が悪く、運転手に尻込みされたのである。因みにバーブラ・ストライサンドはこの街に生まれ育った。

「ピーター・ルーガー」で食べたミディアムレアの肉は表面がカリカリ、中がジューシーで絶品だった。生涯食べたステーキの中で文句なし、ぶっちぎりNo.1。正直、神戸牛とかはサシ(脂肪)が多すぎて、食べている途中に気分が悪くなる。そんなことが一切なかった。

だから「ウルフギャング・ステーキハウス」には大いに期待して行った。肉の味は「ピーター・ルーガー」を上回るとは言わないが、ほぼ互角。日本国内でこれだけのものが食べられるのなら何の文句もない。それに加え、ここ独自の魅力はロブスターにある(「ピーター・ルーガー」のメニューにはない)。直前まで生きていた海老をスチームするので新鮮、全く臭みがない。極上!故に総合評価で「ウルフギャング」に軍配を上げる。オリジナル・カクテルもみな美味しかった。

近い内に是非、再訪したい。

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