僕がクラシック音楽を本格的に聴き始めたのは小学校4年生の頃である。きっかけとなったのはシモーネ/イ・ソリスティ・ヴェネティが来日し、地元・岡山での公演を聴きに行ったこと。その予習としてわが家にあったアーヨ(ソロ・ヴァイオリン)&イ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディ「四季」のLPレコードを繰り返しかけた。
ヴィヴァルディ「四季」が入門として最適だったのは標題音楽だからである。物語があるので分かり易かった。
クラシック音楽を聴く初心者男性は大抵、標題音楽とか派手なオーケストラ曲が入口となる。女性だと幼少期からピアノを習っている場合が多く、ショパンやモーツァルトの器楽曲から入る場合もある。しかしそこから室内楽や、古楽(ルネサンス、バロック音楽)、現代音楽に進む人はごく一握りに過ぎない。
そこで僕がその魅力に開眼するに至るまで、数十年を要した作品を今回はご紹介していきたい。クラシック音楽の奥座敷、会員制倶楽部へようこそ。若い人たちにとって、なんらかの参考になれば嬉しい。勿論、僕の意見を押し付けるつもりは毛頭ない。長く生きていると考え方(意識)や感じ方(感覚所与)に生成変化が起きることがある。そういうことを心に留めておいて欲しいのである。
1)J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ、チェロ組曲
2)J.S.バッハ:マタイ受難曲
3)ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲 第13−15番
、大フーガ
4)ベートーヴェン:後期ピアノソナタ 第30−32番
5)シューベルト:後期ピアノ・ソナタ 第19−21番
6)ショスタコーヴィッチ:ヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラ・ソナタ
7)ショスタコーヴィチ:交響曲 第15番
8)モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
9)フランツ・シュミット:交響曲 第4番
ご多分に漏れず、僕も小学生の頃は交響曲や管弦楽曲、協奏曲ばかり聴いていた。中学生でオペラに目覚め、ヴェルディやプッチーニ、ワーグナーに夢中になった。大編成で派手に鳴る音楽ばかりである。それらに比べ室内楽は地味で、特にJ.S.バッハの無伴奏の楽曲なんて、「一体、これの何が面白いんだ?」とサッパリ解らなかった。結局、目覚めるまでに30年以上もの歳月を費やしてしまった。
バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータや無伴奏チェロ組曲を一言で評すなら、故スティーブ・ジョブズの座右の銘が最も相応しいであろう。
洗練を極めると簡素(シンプル)になる
( Simplicity is the ultimate sophistication. )
これはiPhoneのデザインにも通じるし、日本の茶道や、枯山水にも当てはまるだろう。ジョブズは京都を愛し、俵屋旅館に泊まり、西芳寺(苔寺)などを訪ねた。また禅の思想に多大な影響を受けた。中・高校生が竜安寺の方丈庭園(石庭)を見学しても、その良さってなかなか理解出来ないでしょう?バッハの音楽も然り。わび(侘び)・さび(寂)や幽玄は日本人の専売特許ではない。
マタイ受難曲は宗教曲ということで初心者には敷居が高い。僕も「キリスト教徒じゃないと関係ないんじゃないの?」と若い頃は思っていた。しかし作曲家・武満徹が死ぬ直前に病床で、ラジオから流れてきたこの曲を熱心に聴いていたというエピソードを知ってから俄然興味が湧いた。彼の心に去来したものは何だったのか?そのことについて考えたことを下の記事に書いた。
「マタイ」は人類にとって究極の音楽遺産である。〜すべての道はバッハに通ず〜 ことを、貴方も何時かきっと解る日が来るだろう。
2018年1月に雪で足を滑らせ頭を打ち、外傷性頭蓋内損傷のため死去した礒山雅・国立音楽大学招聘教授(享年71歳)はバッハ研究で名高い音楽学者だが、「聖母マリアの夕べの祈り」について次のようなことを書いている。
私が無人島に持っていきたい曲は、モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り Vespro della Beata Vergine》である。《マタイ受難曲》ではないのですか、とよくいわれるが、さすがの《マタイ》も《ヴェスプロ》の前では色褪せる、というのがかねてからの実感である。中世以来連綿と続いてきた、「マリア崇敬」の芸術――その頂点が美術ではラファエロの聖母像にあるとすれば、音楽では、間違いなくこの作品にあると思う。
<講談社学術文庫「バロック音楽名曲鑑賞辞典」より>
「聖母マリアの夕べの祈り」は1610年にヴェネツィア共和国で出版された。今から400年も前のことである。シェイクスピアの「マクベス」が上演されたという最古の記録が残っているのが1611年グローブ座なので、丁度同時代だ。日本では1603年に江戸幕府が開かれたばかり。気宇壮大で宇宙的広がりが感じられる音楽である。礒山氏も書いているが、モンテヴェルディが楽長も務めたヴェネツィアのサン・マルコ教会で1989年に収録されたジョン・エリオット・ガーディナー指揮/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団による演奏を収録した映像(DVD)をまず第一に推したい。また礒山氏が音楽ディレクターを務めた、いずみホール@大阪市で今年11月7日に《ヴェスプロ》が演奏される。詳しくはこちら。僕も聴きに行きます。そういえば礒山さんを最後にお見かけしたのは、イザベル・ファウストによるJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータの2夜連続全曲演奏会@いずみホールだった。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲だと、入門編として聴き易いのはラズモフスキー第1-3番(通し番号で第7−9番)だろう。そして第11番「セリオーソ」。しかし後期の第13番以降は掴みどころがなく、敷居が高い。まず4楽章形式ではなくなるし、〈第1楽章がソナタ形式で第2楽章が緩徐楽章……〉という「定形」から逸脱して、どんどん自由になってゆく。初心者には到底歯が立たない。しかし作品に何度も拒絶されながらも挑み続け、作曲家の孤高の境地(魂)に少しでも触れることが出来た時、高い山の山頂に立ったような得も知れぬ達成感が貴方を待ち受けている。それは無意識の深層に在り、禅における悟りの境地と言っても良いかも知れない。
同じことが後期ピアノ・ソナタにも言える。最初は表題のついた「悲愴」「月光」「熱情」「ワルトシュタイン」「告別」「テンペスト」あたりがとっつき易いだろう。しかしその更に奥に、深淵な世界が広がっているのだ。後期のソナタやカルテットの特徴はスケールが大きい変奏曲とフーガ。ベートーヴェンは明らかにJ.S.バッハに回帰しようと欲している。ゴルトベルク変奏曲や、数々のオルガン曲(「幻想曲とフーガ」「パッサカリアとフーガ」等)が彼の目指す先にある。
なお、高校の音楽科に通う学生たちを描く青春小説「船に乗れ!」の中で、作者の藤谷治は「ベートヴェンのピアノソナタ第28番、イ長調がこの世のすべてのピアノソナタの中で、一番好きだ」と書いている。この気持も共感出来る。
オーストリアのピアニスト、アルフレート・ブレンデルはベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第30-32番や、シューベルトの後期ピアノ・ソナタ 第19−21番は、3曲まとめて1セットで考えるべきだと述べている。シューベルトの3曲は1828年9月、彼が死を迎える2ヶ月前に一気に書き上げられた。
シューベルトのピアノ・ソナタは冗長で退屈だとず〜っと思っていた。その深みに気が付いたのは、ほんのつい最近のことである。切掛はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したトルコ映画「雪の轍」に第20番の第2楽章が使用されていたこと。また第21番の第1楽章はアカデミー視覚効果賞を受賞したSF映画「エクス・マキナ」で流れた。
シューベルトは31歳の若さで没したが、自分自身の死期を悟っていた。梅毒感染を宣告され、その治療を受けていたのである。死を意識しながら後期ソナタを作曲したという点を抑えておくことが鑑賞する上でとても大切だ。第21番の第1楽章は左手が迫り来る死神を表現し、右手が美しく儚い白鳥の歌を歌う。詳しくは下記事に書いた。
ショスタコーヴィチの音楽は謎に満ちている。幾重にも屈折し、一筋縄ではいかない。彼のオペラ「ムツェンクス郡のマクベス夫人」はスターリンを激怒させ、1936年にソ連政府の機関紙「プラウダ」から痛烈な批判を浴びた。さらに1948年から58年まではジダーノフ批判に晒された。彼は国家から「革命に奉仕する芸術」、つまり社会主義リアリズムの精神に則ることを強制された。無茶苦茶な話だ。これに抵抗したショスタコは、如何にして政府高官を騙すかを徹底的に考え抜き、入念な偽装工作を自作に施した。つまり彼の本心を見抜くには覆われたベールを次から次へと剥いでいかなければならない。厄介だ。ことについては下記事で論じた。
最後の交響曲 第15番は1971年に書き上げられた。この頃作曲家は右手の麻痺と2度目の心臓発作に苦しんでいた。第1楽章についてショスタコは「玩具屋で起こるようなこと」と語ったことがある。拍子抜けするくらい軽い。諧謔、皮肉、パロディ精神に満ち溢れ、《ウィリアム・テル》序曲からの引用もあり、サーカス小屋の雰囲気を感じるのは僕だけではないだろう。【笑い】は庶民が公権力に牙を剥き、"No."を突き付けるための方便だ。道化師の哀しみ。第2楽章は苦渋に満ちている。そして第4楽章はワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》から「運命の動機」が重要なモティーフとして引用される。続いて登場する旋律はグリンカの《故なく私を誘うな(悲歌)》。歌詞はこちら。「過ぎ去った日々を蒸し返すな/私の微睡みを妨げるな/寝させておいてくれ」はある意味、語り部の死を暗示させる。さらに、この3音はワーグナー《トリスタンとイゾルデ》前奏曲の冒頭部にも共通している。つまり終楽章は告別の歌なのだ。クルト・ザンデルリンク/クリーヴランド管弦楽団のCDでどうぞ。
1968年に作曲されたヴァイオリン・ソナタと75年に完成し、ショスタコ最後の作品となったヴィオラ・ソナタは諦念と虚無に支配されている。スターリンやソビエト共産党との間で展開された死闘の果に、燃え尽きて真っ白な灰になった自画像が淡々と描かれる(漫画「あしたのジョー」の最後を想い出して欲しい)。空恐ろしい音楽だ。
1934年に初演されたフランツ・シュミットの交響曲 第4番については下記事で述べた。
日本では未だ知られていない作曲家の生涯、このシンフォニーが書かれた時の状況、ナチス・ドイツとの関係など詳しく書いたので参照されたい。お勧めのCDはメータ/ウィーン・フィルの演奏。また《デジタル・コンサートホール》に加入すれば、キリル・ペトレンコ/ベルリン・フィルの演奏で愉しむことも出来る。
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