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續・君たちはどう生きるか?

息子へ。そして未来を生きる若い人へ。

記事「君たちはどう生きるか?」をupした後、どうしても書き足らないという思いに駆られ、追記することにした。もうしばらくお付き合い願いたい。人生の先輩からの、ささやかな言葉の贈り物として受け取ってもらえたら嬉しい。

⑪想像力を働かせよ!

道を歩いていて、ゴミのポイ捨てを見ると、悲しくなる。そういう行為を平気で出来る人間に何が欠けているかといえば「想像力」だろう。つまり自分が捨てたゴミを他者が見てどういう気持になるのか、誰がそれを拾ってゴミ箱に捨てるのか、そこまで考えなさい。言い換えるなら物事を主観的に捉えるだけではなく、他者の目で自分を見ることが出来るかどうか=客観性が問われている。それが公共心道徳だ。気配りとも言う。未来を見据える力を養い、想像力を働かせるためには高度な知性を要する。

⑫よく生きるとは「問いを立てる」こと。

ニーチェとかドゥルーズら哲学者の書いた本をいくつか読んで学んだことは、「問いを立てる」ことの大切さである。

誰にでも当てはまる根本的な問いは「自分とは何者なのか?」ということだろう。分かっているようで実は誰も知らない。一生懸命考えても、答えは日々変化してゆく。それが面白い。また僕がしばしば問うのは「日本人とは一体何者なのか?」や、「どうして自分はこんなに次から次へと映画を観続けるのか?(もうすぐ三千本に達する)」「どうして人は、物語を必要とするのか?」等である。これらについて既にいくつか考察を書いた。

書かれたことは既に抜け殻である。いま同じお題を与えられたら、内容はまた違ったものになるだろう。思考は絶え間なく変貌を遂げる(生成変化)。

⑬「白か黒か」「Yes.かNo.か」ではなく、その中間を狙え。

よく「日本人は曖昧で、Yes.かNo.かはっきりしない」と外国人から非難される。確かに国際社会において態度を明確に示さないのは相手の理解を得られないし、損だ。ただ余り両極端に偏るよりも、その間を進むことが大切な場合もある。例えばある二国間関係を考えた場合、「敵か味方か」の二項対立でぶった切ることは極めて危険。敵→戦争だ!と短絡的思考に繋がるかも知れない。現在、アメリカと日本は同盟関係にあるが、だからといってアメリカの主張の言いなりになるわけにもいかない。良いことを良いとして賛成し、悪いことは悪いとして反対する、是々非々の対応が望まれる。

コンピュータの計算処理は2進法、「0か1か」だ。つまりデジタルは二項対立の世界である。よって「デジタルではなく、アナログ人間になれ!」全か無かではなく、グラデーション(段階的変化)で思考する能力を身に着けなさい。

例えば人間を「男らしい」と「女らしい」の二分法で切断するのではなく、その境界域にいるゲイなどLGBTの人々、つまり価値観の多様性を認めることが肝心だ。

朝日新聞や東京新聞など、日本の左翼ジャーナリズムは安易に「ネトウヨ」という言葉を使いたがる。

世の中を単純に右と左に分けたほうが分かり易い。だから彼奴らはそういう図式に持ち込みたい。しかし実際は、真の右翼と真の左翼は極めて少数派であり、大半の人々は中道である。そのことは忘れられがちだ。そもそも現在、日本の有権者の50%強は「無党派層」である。選挙ごとに投票先を変えている。二項対立で思考する時代はとっくの昔に終わったと言えるだろう。

⑭高貴な人間になれ!

この項目はニーチェ著「ツァラトゥストラはかく語りき」に深く関連している。

人は自分より不幸な人間に慰めを見出すというしたたかな劣弱さを持ち、自分の良く知る身近な人間が、自分よりも多少の幸福を得た時、なんとも許しがたい感情に囚われる。すなわち嫉妬である。そして自分の欲望を満たそうと復讐心に燃える。ニーチェはこれをルサンチマン(怨恨)と呼んだ。弱者、被支配者が「自分たちこそ善き者、正義だ」と強者、支配者に対して開き直る価値の転倒。朝鮮文化における「恨(ハン)」も同根である。慰安婦問題日韓合意に基づき日本政府が10億円を拠出したにも関わらず、韓国政府が合意を踏みにじり慰安婦問題を相変わらず言い立ててくる根底にはこのルサンチマン/恨(ハン)がある。そこには嘗ての【ユダヤ人(キリスト教)↔ローマ帝国】の対立構造が二重写しになる。韓国人は「神に選ばれた善なる民」ユダヤ人の受難に自分自身の境遇を、また自らの民族の境遇を重ねて見ており、韓国人にクリスチャンが多い理由の一つがそこにある(2005年韓国統計庁の発表に拠ると総人口のうち、プロテスタントとカトリック信者を合わせると29.2%。対して日本は1%程度である)。古くから中国にある「華夷思想(かいしそう)」は、中央の文明なる「」に対する周辺の野蛮なる「」という世界観であり、韓国は、我々はに属しているけれど、日本はではないかと考えている(参考文献:西尾幹二、呉善花「日韓 悲劇の深層」祥伝社新書/西尾幹二「ニーチェとの対話」講談社現代新書)。なお、恨(ハン)」について詳しく知りたければ、1993年の韓国映画「風の丘を越えて/西便制」を御覧あれ。

ここで卑近な例を挙げよう。あおり運転」でバイクと車が衝突し、バイクを運転していた人が死亡するという事件がしばしば報道される。その主な原因は追い越しである。後ろから走って来たバイクに抜かれた。頭にきたので猛スピードを出して急接近し、パッシングしたり煽ったために事故を引き起こした。多分犯人もあとから振り返って「どうしてあんなバカなことをしたのだろう?」と途方に暮れていることだろう。発端は些細なことだ。冷静に考えれば人の命を奪うほどの案件ではない。頭に血が上り、常軌を逸していたとしか考えられない。

 行動とは ーたとえいかように些細な行動であろうともー およそ事前には予想もしなかった一線を飛び越えることに外ならない。事前に済ませていた反省や思索は、いったん行動に踏み切ったときには役に立たなくなる。というより、人は反省したり思索したりする暇もないほど、あっという間に行動に見舞われるものなのだ。(西尾幹二「人生について」新潮社)

あおり運転をした被疑者の心理を分析するなら、自分が徒競走(かけっこ)をしているような錯覚に囚われたのであろう。カーレースと言い換えても良い。後ろから来た者=自分より劣った者に抜かされた。敗北した、馬鹿にされたような気がする。許しがたいという嫉妬が芽生え、復讐心がメラメラと燃える。そして行為に及んだというわけだ。ルサンチマン/恨(ハン)と同じ構造である。車という密室のために相手とコミュニケーションを取る事が出来ない状況も事態を悪化させたと言える。会話を交わせば「馬鹿にされた」というのが単なる誤解、妄想であったと気付けたかも知れないのだが……。

運転中にクラクションを鳴らされることによる怒りと、それによるトラブルも同様の心理メカニズムである。公衆の面前で叱られ、恥をかかされた。自尊心を傷つけられた。上から目線に対する復讐

ではどうすればこうした衝突を回避出来るだろう?それは「高貴な人間」になることである。ニーチェの言葉を借りるなら、

孤独のなかへ、友よ、逃げろ。(中略)ハエたたきになるのは君の運命じゃない。

となる。くだらぬ相手と諍いを起こすくらいなら、一歩退き、自分を大切にしなさい。黙って通り過ぎるに越したことはない。

被害者側(追い越した方)で考えるなら、相手のちっぽけな虚栄心を傷つけないよう、恨まれないよう細心の注意をはらうべきだということに尽きるだろう。

高貴な人間」は羞恥心を持っている。行動を起こす前に、ちょっと待ってみようか?一呼吸おいて、今まさに為そうとすることが恥ずかしい行為ではないかよく考えよう。そして、

高貴な人間は、他人に恥ずかしい思いをさせないようにする。(ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」)

羞恥心は非常に高度で、奥深い感情である。生まれたばかりの赤ん坊はまず最初に泣く。暫くして笑い怒るようになる(早い子の場合、生後1ヶ月半頃からと言われている)。一般に、喜怒哀楽は生後4ヶ月頃にはっきりしてくる。これらは原始的な感情だ。しかし子供が恥ずかしさを感じ始めるのは2〜3歳ごろからと考えられている。Lewisらによる次のような研究がある(1989)。平均生後22ヶ月の子供の鼻にこっそりと口紅を塗る。そして子供たちに鏡を見せ、鼻についた口紅を拭き取ろうとするかどうかを観察するのである。

USJなどテーマパークや、ホテルのロビーにたむろしているアジアから来た外国人旅行者の団体客が大声で騒いだり、傍若無人に通路を塞いだりして閉口することがある。また近隣諸国を旅すると、バスや電車に乗るときに列に並ばなかったり、駅構内や電車内で排泄行為をするといった信じられない光景を目にすることもある(こちらの記事)。彼らに決定的に欠けているものは何か?それは公共心(他人の目で自分を見る能力)及び羞恥心である。「人の振り見て我が振り直せ」という故事があるが、彼らを反面教師として、そういう人間に成り下がらないよう心がけたいものだ。

⑮「考える」ことを人任せにするな。

2018年7月8日(日)に放送されたNHKスペシャル「オウム 獄中の告白 〜死刑囚たちが明かした真相〜」を観た。その中で坂本弁護士一家殺害について、元オウム真理教幹部・早川紀代秀(7月6日死刑執行)の次のような手記が紹介された。

私の誤りは、グル(麻原彰晃)は間違うことがないと信じていたことです。悪行をなす前に殺害するという慈悲殺人の理論は、その手段が誤りであったことは明らかです。

これを読み僕が強く感じたのは、「あゝこの人は、自分で考えることを放棄して、他者に思考の全てを委ねてしまったんだな」ということ。つまり思考停止に陥っていた。これが洗脳(mind control)の正体であり、新興宗教の信者にありがちなことである。

若松孝二監督による映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」などを観ると、オウム真理教による一連のテロ事件と、連合赤軍の若者たちによる「あさま山荘事件」の類似点の多さに驚かされる。首謀者に一流大学出身者が多いことも共通している。

結局、マルクス主義も一種の宗教なのだ。【ブルジョアジー(資本家、支配階級)=悪で、プロレタリアート(労働者階級)=善】という幻想。オウムの場合は【坂本弁護士や霞が関(日本政府)=悪で、信者=善】という妄想。その原理は抑圧された人々の、恵まれた人々に対する嫉妬・怨嗟ルサンチマンである。そしてマルクスの「資本論」がバイブルという構造。マルクス主義者にとってはマルクスの言葉が絶対であり、そこに疑義を挟む余地はない。

マルクスとエンゲルスは「共産党宣言」に中で次のように書いた。

共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。

こうしてブルジョアジーに対する殺人は正当化された。下剋上という階級闘争により実権を握ったソビエト共産党は絶対悪=ロシア皇帝ニコライ2世一家を皆殺しにした。彼らにとっては「善行を施した(慈悲殺人)」と言ってもいい。フランス革命の再現である。そして革命の成果といえば、権力を握り、贅沢三昧をする人間が交代しただけであった。

普通選挙でナチ党を第一党に選び、アドルフ・ヒトラーを首相にした当時のドイツ国民の心情もこれによく似ている。第一次世界大戦に敗北し、ドイツは膨大な賠償金を背負わされた。インフレは天文学的数字に膨れ上がり、物価水準は25,000倍を超えた。10兆マルク紙幣という代物まで発行されたという。「どうして自分たちだけ、こんな苦しい生活を強いられなければならないのか?何も悪いことをしていないのに。不公平だ」「それに引き換えユダヤ人は新聞などマス・メディアや、(ロスチャイルド家など)銀行を牛耳り、自分たちだけ美味しい思いを独占している。絶対に許せない!」こうして嫉妬・恨み=ルサンチマンを募らせ、ヒトラーの言葉に盲目的に付き従うことになる。

故にこの第⑮項は【⑦正義とか悪、不変の真理を説くものを信じるな。徹底的に疑え!】に接続している。

ツイッターをしていると、有名人の発言をリツィートばかりして悦に入っている人を時に見かける。自分は空っぽなのに、他人の言葉で「ひとかどの人物」になったような勘違いをしている輩、虎の威を借る狐だ。どうして自身で思惟し、言葉を紡ぐ努力をしないのだろう?

また以前、某社会人吹奏楽団の掲示板に拙ブログへのリンクが貼られ、「この人は僕が言いたかったことを全て代弁してくれている」と書かれていて無性に腹が立った。「自分が言いたいこと」を言語化する能力・技量すらないくせに、人の褌(ふんどし)で相撲を取るな!こうした依存心はその辺にうっちゃって、君たちは自分自身の足でしっかりと大地を踏みしめ、自立した人間になりなさい。

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