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【いつか見た大林映画】第8回「いのちのセミナー」〜大林宣彦、大いに語る。

5月20日(日)、大阪市京橋にある松下IMPホールへ。大林宣彦監督の講演を聴く。

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講演のタイトルは、
「あなたのいのちと私のいのちを考える
   〜あなたと私は人であるから〜 」

【以下、メモより書き起こし】

いま僕は癌という同居人がいます。よく彼と話をします。「おい、がんよ。お前さんは宿子(やどこ)で俺が宿主(やどぬし)だ。もし俺を殺したらお前さん住む場所がなくなっちゃうぞ。だから仲良くしようや」そう言っているうちに気が付いちゃったのね。そうか、地球=宿主、人間=宿子なんだとね。僕たちはオゾン層破壊とか温暖化とかで地球を虐めている。人間も癌だ。欲望の度が過ぎている。もっと我慢しなくちゃいけない。人間は理不尽な生き物でね、もっと他の生物に対して優しい気持ちを持ったほうが良い。

昔の日本人は下駄を履いていました。下駄っていうのは靴と違って踏みつけたアリを8割殺さないのね。「急がば回れ」という言葉があるでしょう?「回れ」というのはその間に「考えなさい」ということ。そうすれば「正気」になれる。

映画「花筐」が唐津でクランクインする前日、2016年8月24日に「肺がん ステージ4 余命3ヶ月」と宣告されました。それから1年半経ちましたが、薬が効いて(注釈:分子標的薬「イレッサ®〘ゲフィチニブ〙」)いまこうして生きています。今年で80歳になりました。あと30年、映画を撮ります。

僕が子供の頃は「人生50年」と言われていました。だから25歳になった時考えたのね。あと残り半分、どう生きようか?

僕は医者の家に生まれました。医院には看護師さんらが50人位働いていた。戦争中でしたけれど女たちは僕の頭を撫でながら口々に「君死にたまふことなかれ」と与謝野晶子の詩を諳んずるんです。そこに彼女たちの想いが込められていた。おおっぴらに「戦争反対」を公言できる時代ではありませんでした(注釈:敗戦時、大林監督は7歳だった)。子供の頃、僕は「戦争に負けたら殺される」と死ぬ覚悟をしていました。

皆さんに言いたいのは「子供を舐めちゃいかんぞ」ということ。子供とは「未来を生きる大人」なんです。僕は「敗戦少年世代」です。僕たちは「戦後派」になれなかった。大人=写し絵。大人は信じられない、裏切られたという想いを抱えて生きて来た。戦後しばらく経って判ったのですが、従軍した日本兵の9割は餓死や特攻などで日本人に殺された。やがて朝鮮戦争が勃発し、日本はその経済効果で潤った。当時家庭の食卓にビーフステーキが出てきてびっくりしたものです。嘗て青筋を立てて「鬼畜米英!」と叫んでいたことなんかコロッと忘れて、大人たちは高度経済成長に浮かれた。彼らには規範がなかった。

戦後まもなく、寺山修司が夜の海辺でタバコを吸いながら詠んだ短歌があります。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

落語家・立川談志も僕と同じ世代(2歳年上)で、生き残ったことの贖罪を感じていた。敗戦後「これからオレたちはどうやって生きたら良いんだ?」と途方に暮れたと生前僕に語ってくれました。

「火垂るの墓」の高畑勲監督は「映画で平和を作る」という意志が明快だった。それは僕が黒澤明監督から次のような言葉で託されたことでもあります。

大林くん、人間というものは愚かなものだ。戦争はすぐに始められるけど、平和にたどり着くには少なくとも400年はかかる。俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界中を平和にしてみせるけれど、人生がもう足りない。だが俺が80年かけて学んだことを、君なら60年で出来るだろう。そうすると20年は俺より先に行けるぞ。君が無理だったら君の子供、さらにそれがダメなら君の孫たちが少しずつ俺の先を行って、きっと世界から戦争をなくせる。それが映画の力だ。

黒澤明監督は「絵描きじゃ食えんから」と映画会社・東宝の社員になりました。そして会社をクビになり、黒沢プロダクションを立ち上げた。アマチュアとなってプライベート・フィルム「夢」を撮った。そこで初めて原発事故を描いたんです。

先日、山形県の森林道をタクシーで通っていたら、妻の恭子さんが「ここって『おもひでぽろぽろ』の場所じゃない?」と言ったんです。見たことがあるような風景が広がっていた。すると運転手さんが「その通りです。ここでロケハンされました」と教えてくれました。実写映画ではこういう体験があったけれど、アニメーションでは初めてでした。「火垂るの墓」もそうですが、高畑勲監督は庶民の暮らしをつぶさに描いている。「かぐや姫の物語」では最後に月からお迎えがきますが、天人には感情がない。そして、かぐや姫は人間の感情に絶望して月に帰る。

僕が幼い頃親しんでいた漫画「のらくろ」の主人公は真っ黒の野良犬で、上官は白犬でした。軍隊は居心地がいい場所として描かれていた。僕らは大日本帝国の「正義」のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし、敵(連合国側)も自分たちの「正義」を信じて戦った。結局、勝った国の「正義」が正しいということになった。なんだ、戦争とはそういうものか。だから僕は「正義」なんか信じない。その代りに「正気」でものを言う。

プラカードは担がない。映画監督は「表現者」であって「政治家=権力者」じゃない。芸術には平和を手繰り寄せる力があり、庶民の願いが込められているのです。

花火が打ち上げられて爆発することを「散開」と言います。何の役にも立ちません。しかし上空から投下され地上で「散開」すると爆弾となり、経済効果を生む。

「この空の花 長岡花火物語」を撮った長岡のお年寄りは花火の音を聞くと空襲の記憶が甦る。だから花火が見られない。忘れたい。でも「語り部」になることが責任だと考えておられる。

人は忘れる。でも映画は忘れない。映画は”風化しないジャーナリズム”なんです。

3・11東日本大震災の日、僕は以前「なごり雪」を撮った九州の大分県臼杵市にいました。周りの人から「監督、ついていましたね」と言われた。震源地から離れているから。嘗て「敗戦少年」だった僕は、とんでもない、逃げるは恥だと思った。でも説得されて直ちに現地に行くのは思い留まりました。後に親しくしているフジテレビの記者から被災地の様子を聞きくと、現地ではトイレも大行列だから彼は遠慮してオムツを履いて取材したそうです。津波に流された学校の先生が一人の子供を助けて漂流物に捕まって浮かんでいた。海中からお年寄りが助けを求めて彼の足にしがみついてきた。しかしお年寄りまで助けようとしたら全員沈んでしまう。だから先生は無我夢中で足で蹴って引き離し、お年寄りは沈んでいった。その時の目が忘れられない。人間が人間を信じられない。「私はこれからどう生きたら良いのでしょう?」と先生は記者に泣きながら語ったそうです。結局このエピソードは放送されなかった。何でも表現すればいいというものではありません。映画作りは現実よりも想像力を働かさなければいけない。

カタルシスという言葉があります。お芝居を見て、泣いて笑って、鬱屈した気持ちが浄化される事を言います。僕は戦争映画でカタルシスを描いてはいけないと思っています。映画にはそもそも、気持ちがいいというカタルシスが濃厚にあるんです。だから危険。反戦映画を撮っているつもりでも、結果的には好戦映画になってしまう恐れがあります。

敗戦後しばらくはGHQの占領政策に基づき、公開される外国映画が選別されていました。1939年に製作された「風と共に去りぬ」が日本で公開されたのはサンフランシスコ講和条約が発効され日本が主権を回復した52年。その理由は奴隷制度が描かれていたからです。「正しい」民主主義の国アメリカの恥部を見せるわけにはいかなかった。

ハリウッド映画というのは実はヨーロッパの人々、戦争難民が作ったものです。「カサブランカ」のマイケル・カーティスはハンガリー・ブタペスト出身でハンガリー名はケルテース・ミハーイ。ゲーリー・クーパー演じる保安官が妻や街の住人からも見放され、1人きりで4人の殺し屋に立ち向かう西部劇「真昼の決闘 High Noon」を撮ったフレッド・ジンネマンはオーストラリア・ウイーンで生まれたユダヤ人アルフレート・ツィンネマン。彼の両親はホロコーストで殺されました。そして"High Noon"を観て「こんな開拓者魂の欠片もない代物は西部劇じゃない」と怒った生粋のアメリカ人ハワード・ホークスはそのアンチテーゼとして「リオ・ブラボー」を撮った。

ヒトラーが愛人のエヴァ・ブラウンを撮った16mmのプレイベート・フィルムがあります。これが美しんです。だから怖い。パートナーの大林恭子さんは東京大空襲を経験していますが、「映画で戦争は描けない」と言っています。

【以下、聴衆からのQ & A へ】

「10歳の娘が将来、良い大人になりたい。と言っています。どうすればいいでしょうか?」という母親の質問に対し、

【監督の回答】映画を観なさい(会場から笑い)。良い子供、つまりベテランの子供であり続けなさい。

映画「プラトーン」の監督であり、ジャーナリストでもあるアメリカのオリバー・ストーンがロシアのプーチン大統領に1年半に渡ってインタビューしたドキュメンタリー番組がBSで放送されました。それを観ると、プーチンさん、素敵なおじさんです。ニュース・報道から受ける強面の印象(イメージ)とは違った素顔が見えてくる。

キューブリック監督「博士の異常な愛情」は核戦争の恐怖を描いた良い映画です。でも僕と考え方は違う。映画とは観客それぞれの哲学(フィロソフィー)を生み出すものであり、自分自身を確立する(自分が自分になる)手段なんです。正直に私でありたい。

平和ってヒョイッと生まれるんです。先日開催された平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック。アマチュア=庶民の祭典。そこから南北朝鮮の対話が始まった。

戦争が恐ろしいのは、被害者(被爆者)になるからだけではなく、加害者(真珠湾攻撃)にもなるからです。大切なことは「あなた」を「わたし」のように見ること。

少年時代に「人類が16歳になるとこの世から消滅する」というSF小説を読んだことがあります。それに共感して僕は16歳以上になるのはやめて、ベテランの16歳になろうと決意しました。決して16歳の自分を裏切ってはいけないぞ、「僕が16歳だったらどうするか?」を基準に生きてきました。

25歳で歩き方を変えました。(散策するのではなく、真っ直ぐ)行って帰ってくる。気持ちを変えると同じ景色も違って見えてくる。振り向くことが大切なんです。同じ人でも違って見えてくる。

最近は「ゆるキャラ」がブームですね。実はゆるキャラの第一号は映画なんです。日本は戦争に負けてしまって、「映画でメッセージを言うのはもうやめよう。映画は時間つぶしの愉しい娯楽であればいい」となってしまった。アメリカ映画も昔は「ネバーギブアップ」という精神がありましたが、ベトナムの敗戦で無力になってしまい、ニュー・シネマ以降は「ネバーギブアップ」がない映画になった。今の若い人たちに言いたいのは「ゆるキャラになるな、濃いキャラになれ」ということです。

ピースサイン、知ってますよね?あれを始めたのはイギリスのチャーチル首相です(注釈:映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」にこのエピソードが登場する)。指で「V」の形を作り、Victory(勝利)を意味します。勝利による平和。つまり平和になったのは広島・長崎に落とした原爆のおかげというわけです。だから敗戦国の日本人が"V for Victory"サインをするのは妙な話ですね。

原爆投下から数年後、広島には「よく効く頭痛薬・ピカドン」なるものがありました。東京から読売ジャイアンツが来広するとなると、「巨人の原爆打線来る!」と新聞がはしゃいだ。大人たちは敗戦から何も学ばず、そのまま来てしまった。

情報は「他人事」です。でも映画には「他人事」を「自分事」に取り戻す力がある。

手話は国によって違います。「世界共通にすればいいのに」という意見があります。しかし唯一、世界共通のサインがある。それが"I LOVE YOU"。共通語として作られたのがエスペラント語。これは「文明」なんです。それに対して手話は「文化」です。

映画のストーリーが今まで何を語ってきたかを一言で言えば、「人は傷つきあって、許しあって、愛を覚える」ということです。 価値観がそれぞれ違うんだから、必ず傷つけ合う。傷つけあうんだけど、お互いのことを語り合って理解していけば、あなたのようにまったく違う人と一緒にいることで、私は幸せだなぁと想うようになる、これが愛というものなんですよ。 (手話とともに)  "I LOVE YOU"。

【こうして熱のこもった講演は予定時間を30分超過して終わった。監督はまだまだ喋り足りなそうだった。】

そして7月2日、尾道では実に20年ぶりとなる新作映画「海辺の映画館ーキネマの玉手箱(仮題)」がクランクインした。広島への原爆投下までを描く。プロデューサーは奥山和由。なんと浅野忠信が、久しぶりに大林映画に復帰するという!「青春デンデケデケデケ」(1992)以来である。

登場人物の名前に馬場毬男(ばばまりお←マリオ・バーヴァ)、鳥井鳳助(とりいほうすけ←フランソワ・トリュフォー)、団茂(だんしげる←ドン・シゲール)。全て大林監督が劇場用映画デビュー当時に考えていたペンネームである(怪奇映画/恋愛映画/アクション映画で使い分ける)。そして《瀬戸内キネマ》が物語の舞台となる。《瀬戸内キネマ》は「麗猫伝説」(撮影所として)と「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」(映画館として/最後に炎上)にも登場、これが3回目となる。

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