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シリーズ【大指揮者列伝】クリストフ・フォン・ドホナーニを知っていますか?

クリストフ・フォン・ドホナーニは1929年ドイツで生まれた。祖父はハンガリーの著名な作曲家エルンスト・フォン・ドホナーニ。父ハンス・フォン・ドホナーニは1902年ウィーンに生まれ、ドイツで法律家となり、反ナチスのレジスタンス活動に身を投じた。ヒトラー暗殺計画に加担したためキリスト教神学者だった叔父ともども1945年4月8日に強制収容所で処刑された。享年43歳。ドイツが無条件降伏したのは6月5日、たった2ヶ月後のことである。2003年イスラエルは彼の功績を讃え、ヤド・ヴァシェム(ホロコースト)記念館の壁にドホナーニの名を刻んだ。

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(↑ハンス・フォン・ドホナーニ生誕100年を記念したドイツの切手)

父がナチスに殺された時、クリストフは15歳だった。彼の解釈に何か音楽を突き放して見つめているような冷めた視線を感じるのは、恐らくその根底に人間不信があるからではないかと僕は考えている。感情移入した(emotional)とか、情熱的(passionate)といった言葉とは対極にある芸術諦念虚無感が支配する世界と言い換えても良いだろう。なおクリストフの兄クラウスは政治の道に進み、ハンブルク市長を務めた。超エリート一家である。

辰巳渚
辰巳渚

クリストフ・フォン・ドホナーニはウィーン・フィルと英デッカにメンデルスゾーン:交響曲全集、ベルクのオペラ「ヴォツェック」「ルル」など夥しい録音を行ったが、恐らく1995年のブラームス/シェーンベルク編:ピアノ四重奏曲第1番 他のCDが最後だろう。その後両者の関係はプツリと途絶えてしまう。1984-2002年にクリーヴランド管弦楽団の音楽監督、97-08年にフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者を務めた。2004年から北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者となったが、だんだん携わるオケの質が低下していると感じるのは僕だけだろうか?

悲惨だったのがデッカにクリーヴランド管弦楽団と全曲レコーディングしようとしたワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」4部作だ。序夜「ラインの黄金」は93年12月に、第一夜「ワルキューレ」は92年11月に録られた。デッカとしてもショルティ/ウィーン・フィル(1958-65)以来、久々(2度目)のスタジオ録音になる筈だった。しかし計画は途中で頓挫、第二夜「ジークフリート」以降は実現しなかった。なんと中途半端な!前代未聞の醜聞(スキャンダル)!!

結局デッカとの契約はあと5年残されていたのに、首を切られてしまった。人気がなくCDが全く売れなかったとはいえ、酷い話だ。新譜が出ないから日本でも忘れ去られ、近年では「え、未だ生きてたの?」「引退したんじゃない?」とSNSで囁かれる始末。88歳、バリバリの現役です。ヘルベルト・ブロムシュテットより2歳若い。2018年もパリ管の指揮台に立っている。

どっこい生きている。

ドホナーニの特徴はまず明晰であること。セッション録音の技術も相まってだろうが解像度が高く、オーケストレーションの細部まで隈無く聴こえる。見通しが良く非常に精緻だ。そしてバーンスタインとか大植英次みたいな「オレ流」、つまり主観的表現ではなくあくまで客観的。音楽そのものに語らせる。ドホナーニは作品(楽譜)になにも足さないし、なにも引かない。タメとか外連味とかとは無縁で、大見得を切ったりはしない。でも、神は細部に宿る。だからといって冷え切った(cold)とか、よそよそしいということもない。せいぜい人肌程度の温もりはある。レニーみたいに熱くならないだけだ。日本酒で喩えるなら凍結酒ではなく、「ぬる燗」。

彼の指揮するブラームス:交響曲第1番 第1楽章は「ダ・ダ・ダ・ダン」という「運命」の動機(モティーフ)が、他の指揮者の誰よりも鮮明に聴こえてくる。だからこそこのシンフォニーが「ベートーヴェンの第10交響曲」と呼ばれる理由が了解出来るのだ。因みに調性はハ短調であり、ベートーヴェンの第5番と同一。アーノンクールは「死を意味する調性」だと語っている。

クリーヴランド管とはブルックナーのシンフォニーを3−9番まで録音した。贅肉を削ぎ落としたスリムな響きで、淀むことなく素っ気ないくらいサクサク進む。鈍重でソース焼きそばのようにこってりした朝比奈隆の信者(ブルヲタ←ほぼ全員男性)が多い日本で、決して粘らず、あっさり爽やか透明な彼のブルックナーは「物足りない」「神々しさがない(←そもそもドホナーニはキリスト教の神を信じていない)」「こんなのブルックナーじゃない!」と非難轟々、散々こき下ろされた(ドホナーニは塩焼きそば。或いは朝比奈=豚骨ラーメンに対する、ざるそばと評しても良いかも知れない)。しかしフルトヴェングラー、カラヤン、ベーム、ヴァントなど重厚な大巨匠の時代が終わり、「颯爽とした」「軽い」ピリオド・アプローチ(アーノンクール、ガーディナー、ノリントン、ラトル、ミンコフスキ、パーヴォ・ヤルヴィ、ロト、クルレンツィスら)の洗礼を受けた21世紀のいま見直すと、新鮮な驚きや発見がある。そろそろドホナーニも再評価されて良いのではないだろうか?

それにしてもドホナーニ時代クリーヴランド管の鉄壁のアンサンブルは驚異的だ。ジョージ・セルの死後、ロリン・マゼール統治下の低迷期を抜けて、第2の黄金期を築いたと言っても過言ではなかろう。

最後に推薦ディスクをご紹介しよう。本来ならドホナーニを語る上でオペラは外せない。ベルク「ヴォツェック」「ルル」そしてR.シュトラウス「サロメ」「エレクトラ」といったところが代表的演目だろう。しかしオペラを聴覚のみで鑑賞することは決してお勧めしない。歌詞対訳なしでは十分な理解を得られないし、その条件を満たす(日本語で書かれたテキストが付随する)国内盤CDを入手することは現在、ほぼ不可能だ。というわけで、彼が振るオペラをお愉しみになりたければDVDでご鑑賞ください。

更にクリーヴランド管とレコーディングしたブルックナー交響曲集や、ベートーヴェン&ブラームス交響曲全集のCDは現在極めて入手困難な状況である。そもそも今やCDを買う時代ですらない握手券としてのCDの価値は唯一の例外とする)。それは既に骨董品収集家(マニア)=化石人類の領域だ。世界の趨勢はダウンロードや配信サーヴィスであり、未だにCDが売れているのは日本だけ。(アイドル・ヲタ以外の)日本の高校生の殆どがCDを一度も買ったことがないというのが実情である。故に推薦アルバムはiTunesでダウンロード出来たり、Amazon MusicやNaxos Music Library (NML)で聴けるものに絞った。

  • メンデルスゾーン:交響曲全集 ウィーン・フィル
    (強いて一曲に絞るなら「スコットランド」)
  • ドヴォルザーク:交響曲 第7−9番 クリーヴランド管
    (強いて一曲に絞るなら「新世界より」)
  • ベルリオーズ:幻想交響曲 クリーヴランド管
  • バルトーク/ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲 クリーヴランド管
  • ショスタコーヴィチ:交響曲 第10番 クリーヴランド管
  • マーラー:交響曲 第6番 クリーヴランド管

ショスタコーヴィチはヒリヒリするくらい非情で無機質。スターリン政治の恐怖が浮き彫りにされる。ベルリオーズにファンタジーは皆無で、あちらこちらから研ぎ澄まされた狂気が迸る。また眼前に寂寞として荒涼たる景色が果てしなく広がるマーラーを聴きながら心に浮かぶのは、ダンテ「神曲」地獄篇に登場する《この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ》という銘文である。余談だが、未完に終わったマーラーの交響曲第10番 第3楽章は楽譜に「プルガトリオ(煉獄)」と書かれている。マーラーがダンテを読んでいたことは間違いない。

さて、次回のシリーズ【大指揮者列伝】はイギリスの指揮者ジョン・バルビローリ(Sir John)を取り上げる予定。「バルビ節」とは何か?を紐解いていこう。7月中には記事をupしたい。何しろ夏といえばディーリアスの季節だから。

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