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2018年6月 5日 (火)

平原綾香、柿澤勇人(主演)ミュージカル「メリー・ポピンズ」と、その構造分析

19世紀後半ヨーロッパで発展したクラシック・バレエの究極の目標は「重力からの開放」なのだと最近僕は考えるようになった。ダンサーはトウシューズで爪先立ち、あたかも重力が存在しないかのように片足でポーズ(アラベスクなど)をとったり、高速回転する。そしてより高い跳躍を競う。その精神(ある意味、「人間を家畜のように飼い馴らそうとする神への反逆」)はフィギュアスケートに受け継がれている。

ギリシャ神話に登場する王、オイディプス(Oidipūs)は「oidi(腫れた)」と「足(pus、pos)」を合わせた言葉で、「腫れた足」を意味している(この神話を基にフロイトは「エディプス・コンプレックス」という概念を打ち立てた)。イタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグ(1939- )は彼の著書「闇の歴史」の中でオイディプス王の神話群を分析し、そこに片足の不自由という主題が潜んでいると指摘した。オイディプスは大地に縛られている存在であり、故に彼は跛行しなければならない。なお、人間を大地に縛り付けているのは言うまでもなく重力である。

クラシック・バレエのみならず、「重力からの開放」を虎視眈々と狙っているのはパメラ・トラバースが執筆した児童文学「メアリー・ポピンズ」も同様である。さらにその意志は宮崎駿監督のアニメーション映画に繋がっている。故にこれら作品群は神話の構造を持っている。

6月3日(日)梅田芸術劇場へ。ミュージカル「メリー・ポピンズ」を観劇。

「キャッツ」「オペラ座の怪人」「レ・ミゼラブル」で知られる大プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュが手がけ、ディズニー映画版でアカデミー作曲賞及び歌曲賞(チム・チム・チェリー)を受賞したシャーマン兄弟の音楽がそのまま流用されている。振付は「くるみ割り人形」やアダム・クーパーが出演した「白鳥の湖」で名高いマシュー・ボーン。

Marypoppins

出演者は、

メリー・ポピンズ:平原綾香、バート:柿澤勇人、バンクス氏:山路和弘、バンクス夫人:木村花代、バード・ウーマン/ミス・アンドリュー:島田歌穂ほか。

Img_1778

映画「メリー・ポピンズ」はなんといってもこれでアカデミー主演女優賞を勝ち取ったジュリー・アンドリュースの印象が強い。

そして平原綾香はジュリーが主演した映画「サウンド・オブ・ミュージック」製作50周年記念版DVD/Blu-rayで彼女の吹き替えを担当している。これがとっても良かったので「メリー・ポピンズ」も期待していた。そして文句なしに素晴らしかった!これだけ歌える人だと、聴いていて本当に気持ちがいい。僕が舞台ミュージカル女優の歌に心底魅了されたのは純名里沙(宝塚時代〜東宝「レ・ミゼラブル」まで)、平野 綾(「モーツァルト!」「レディ・ベス」)そして「ミス・サイゴン」の本田美奈子くらいかな?平原もその仲間入りを果たした。

カッキー(柿澤)は軽妙なバートがぴったり!彼の舞台は色々観てきたが、劇団四季時代「春のめざめ」以来のはまり役ではないだろうか?

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舞台版は映画版とかなり異なっていたので驚いた。まず映画に登場した、笑うと空中に浮き上がってしまうアルバートおじさんのエピソードが丸々カットされている。逆に映画で出てこなかったミス・アンドリュー(バンクス氏幼少期の乳母。メリーが去った後、バンクス家にやって来る)が舞台版で復活。また楽曲「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」や「凧をあげよう」が歌われる位置(状況)が違う。そして映画版より舞台版の方が断然気に入った!

特に僕が感動したのが、バートが重力に逆らい劇場の壁・天井をタップダンスしながら360度ぐるっと回る場面。これは明らかにフレッド・アステアが主演したMGMミュージカル映画「恋愛準決勝戦」(1951)へのオマージュである(視聴はこちら)。スタンリー・ドーネン監督が編み出したこの特別な撮影方法は後に映画「2001年宇宙の旅」「ザ・フライ」「ポルターガイスト」等で再利用されたが、まさか舞台で再現されようとは想像だにしなかった。度肝を抜かれた。

以下、作品の構造分析をするが、フランスの社会人類学者レヴィ=ストロース(1908-2009)の手法に倣った。

「メリー・ポピンズ」にはいくつかの二項対立がある。まず重要なのが、

  • 天空↔地上

であり、空から舞い降りるメリー・ポピンズは両者間を循環する第三項だ。シェイクスピア「夏の夜の夢」の妖精パック同様、神出鬼没で気まぐれなトリックスターだとも言える。バートと彼の仲間である煙突掃除人たちは地上と空の中間地点である屋根の上に棲息する。彼らも境界に潜み、自由に行き来するトリックスターである。だからメリーとバートは旧知の仲なのだ。因みに平原は演出家から、「メリーの正体は宇宙人なんだ」と言われたそう。

他に(二項対立仲介する)第三項として、

  • 天と地を結ぶ雨
  • 地上から天空に向かって揚げる凧
    (第二幕で凧と共にメリーは降りてくる)
  • 垂直方向に伸びる煙突から上空に立ち昇る煙
が挙げられる。また次のような二項対立もある。
  • 男↔女(1910年に時代設定した映画版でバンクス夫人は女性参政権運動に血道を上げている。舞台版では元女優で現在主婦という設定に)
  • 大人↔子供
  • 厳(いかめ)しい職場;銀行(建前)↔家庭(本音)
  • 富裕層(バンクス一家)↔召使い、鳩の餌売りをする老婆
  • メリー・ポピンズ(一匙の砂糖)↔ミス・アンドリュー(苦い毒消しの薬)
バンクス氏と婦人の喧嘩や、子供たちとバンクス氏の対立を仲介し、摩擦を緩和調停する役割を果たすのがメリー・ポピンズとバートである。これがトリックスターの本分だ。そして両極の項を結びあわせ、両者が混じり合うことを望むなら、その手段であり条件となるのが「穢れ」である。それ故にメリーとバートは煙突の筒を通って煤だらけになる。
抜群の面白さだったので、間違いなく再演されるだろう。今から待ち遠しくて仕方がない!

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