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2018年6月18日 (月)

映画「万引き家族」をめぐるイデオロギー論争(政戦)を叩き斬る!

カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)に輝いた「万引き家族」に対して右翼と左翼の両陣営が熾烈な戦い(イデオロギー論争)を展開している。

右翼の主張の代表例を挙げる。

高須クリニック院長のツィートは6月1日に発せられた。「万引き家族」の公開は6月8日である。マスコミ試写しか行われていない段階で、果たして高須氏はちゃんと映画を観た上で発言したのだろうか?どうもそうとは考え難い。結局、右翼による是枝批判の多くは中身も知らず、タイトルの印象だけで発信されている。作品も観ずに論じるなどは愚の骨頂である。そもそも「万引き家族」という名詞のみで、それを肯定しているのか、否定しているのか判断出来ますか?例えば「アドルフ・ヒトラー」という映画を中身も知らずに、「ヒトラーを賛美するなどけしからん!」と難癖つけるようなものではないか。

本作で描かれている家族は特殊な例である。だからといってそれを是枝監督は一般化して、日本の行政/体制批判をしているわけではない。我が国の「恥」を晒すことが目的じゃない。そもそもそんな内容だったらケイト・ブランシェットらカンヌの審査員たちの心を動かす筈はないではないか。つまりテーマ(Invisible people;見えない人々)に普遍性があり、国境を超えて観客の琴線に触れるものがあったということである。

一方、左翼の連中も相変わらずどうかしている。そもそも今回の論争の発端は一部ジャーナリストが、カンヌのパルム・ドール受賞に対して安倍首相が是枝監督を祝福しなかったことをフランスのマスメディア(フィガロ紙)が批判したと煽ったことにある。この《外圧を利用する》というのは日本の左翼の常套手段であり、朝日新聞によるいわゆる従軍慰安婦問題キャンペーンもまず韓国側を焚きつけることから始まった(後に朝日新聞社は誤報を謝罪)。30年経っても同じ手口で、全く進歩がない。外国人が何を騒いでいようが、はっきり言ってどうでもよろしい。我田引水のこじつけで、安倍政権批判をしたいだけでしょ。じゃあ訊ねるが、今村昌平監督が「楢山節考」でパルム・ドールをさらった時、中曽根康弘首相(当時)は直ちに祝意を述べましたか?宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」がベルリンで金熊賞を受賞した時、小泉首相は?全く馬鹿げている。

また是枝監督が韓国紙・中央日報のインタビューに応じて語ったことを取り上げ、鬼の首を取ったように映画を安倍政変批判に結びつけようとする愚か者たちがいる。

ドイツの哲学者フルードリヒ・ニーチェが芸術家について語った言葉を引用しよう。

彼は自分の作品や自分について的外れなことを語り、言ったり考えたりする。こうしたことは、創造的な芸術家にあって、ほとんど正常な状態のように、私には思える。ー親ほど自分の子供を知らない者はない。
 (村井則夫 訳「喜ばしき知恵」)

つまり小説家や映画監督は信頼できない語り手」であり、彼らの発言を鵜呑みにすべきではない。作品が語ろうとすることは、あくまでその作品自体に耳を傾けるべきだろう。作品が全てだ。原一男監督のドキュメンタリー映画「全身小説家」をご存知だろうか?小説家・井上光晴に取材した作品で、結論として彼の発言が全くの嘘っぱちであることが暴かれてゆく。

以下、是枝監督のブログ(6月5日)から引用する。

 正直な話、ネットで『万引き家族』に関して作品を巡ってではなく飛び交っている言葉の多くは本質からはかなり遠いと思いながら、やはりこの作品と監督である僕を現政権(とそれを支持している人々)の提示している価値観との距離で否定しようとしたり、逆に擁護しようとしたりする状況というのは、映画だけでなく、この国を覆っている「何か」を可視化するのには多少なりとも役立ったのではないかと皮肉ではなく思っている。(中略)個別の取材で記者に問われれば、専門家ではないが…と断りを加えた上で(この部分は大抵記事からはカットされる)自分の社会的・政治的なスタンスについては可能な限り話す。そのことで自分の作った映画への理解が少しでも深まればと思うからである。これを「政治的」と呼ぶかどうかはともかくとして、僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。

映画という文化をダシにして、イデオロギー論争に持ち込もうとするな!恥を知れ、と言いたい。

僕の基本スタンスは「思想(マルクス主義)を憎んで人(作品)を憎まず」なので、左翼映画監督の作品も結構観てきた。代表例を挙げよう。

今井正(真昼の暗黒、橋のない川)、山本薩夫(真空地帯、あゝ野麦峠)、熊井啓(地の群れ、海と毒薬)、大島渚(日本の夜と霧、戦場のメリークリスマス)、山田洋次、高畑勲、宮崎駿

故に政治的メッセージ、イデオロギー色が強い「左翼映画」とはどういうものか、実態を把握しているつもりだ。そして是枝監督作品はそれらとは一線を画しており、反体制的ではないと断言出来る。

また文部科学大臣が是枝監督に対面して祝意を伝えたいとの意向を伝えると、「公権力とは距離を保つ」ことを理由に辞退したことに対して、「文化庁の助成金を貰っているのに矛盾している」と批判があった。しかし《助成金を与える=政府がスポンサー》では決してない。

日本芸術文化振興会は「我が国の優れた映画の製作活動を奨励し、その振興を図るため、日本映画の製作活動を助成します」としている。《陸軍省後援 情報局國民映画》と銘打たれた木下惠介監督「陸軍」(1944)とは全く異なるシステムであり、あくまで中立な立場での税金の投入だ。現政権に対して忖度(そんたく)する必要は全くない。

「公権力とは距離を保つ」という監督の姿勢は映画が政治のプロパガンダとして利用された過去の反省を踏まえてのことだろう。その頂点を成すのがレニ・リーフェンシュタール監督がナチ党の全国党大会を記録した「意志の勝利」(1934)であり、1936年ベルリン・オリンピックを記録した「オリンピア(民族の祭典/美の祭典)」だ。過ちを繰り返してはならない。

さて、「万引き家族」の評価はA+。公式サイトはこちら

是枝監督の「そして父になる」には《家族とは血の繋がりなのか?それとも一緒に過ごした時間なのか?》という問いがあった。そのテーマが本作では更に深化されている。さらに児童虐待/育児放棄を扱った「誰も知らない」の要素も加味されており、文字通り是枝作品の集大成となっている。

「家族って何だろう?」「絆って何?」と色々考えさせられる。

安藤サクラ(32)の演技が圧巻!他に樹木希林(75)、柄本明(69)、リリー・フランキー(54)、松岡茉優(23)、城桧吏(11)、佐々木みゆ(6)と各世代を代表する芸達者が集まった。

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生きるために、家族になった。 東京の下町で暮らす、ある大きな秘密を抱えた一家を描く、異色のヒューマンドラマ。 貧しい生活を送る彼らは、家族ぐるみで万引きなどの軽犯罪を繰り返す。 是枝裕和監督は、デビュー作の「幻の光」から昨年の「三度目の殺人」に至るまで、ほぼ一貫して“家族”をモチーフとしてきた。 新生児の取り違えを描いた「そして父になる」で、彼は「家族を形作るのは血のつながりか?...... [続きを読む]

受信: 2018年6月22日 (金) 15時45分

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