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2018年4月 5日 (木)

石丸幹二 主演/ミュージカル「ジキル&ハイド」に認める反キリスト(Anti-Christ)思想

3月31日(土)梅田芸術劇場へ。レスリー・ブリッカス作詞・台本、フランク・ワイルドホーン作曲のミュージカル「ジキル&ハイド」を観劇。

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「ジキル博士とハイド氏」と言えば二重人格を描いた小説として余りにも有名である。これぞ正に二項対立の代表例であり、そもそも表題自体が一人の人物を二分割したものである。

このミュージカルに登場する二項対立を挙げてみよう。

ジキル↔ハイド
善↔悪
正気↔狂気
純潔・貞操↔欲望
慈心・徳行↔偽善
建前↔本音
仮面↔素顔
平和(和合・協調)↔戦争(闘争)
天国(聖職者)↔地獄(業火に焼かれる)

エマ(貴族)↔ルーシー(娼婦)
純粋無垢↔汚れ
豊か↔貧しい

ヘンリー・ジキル博士の悲劇は、自分の人格を善と悪に完全分割しようとしたことにある。今回の観劇で初めて理解したのは、この設定が強烈なキリスト教批判(Anti-Christ)になっているということ。キリスト教だけではなく、西洋人の思考方法そのものが批判の対象になっているとも言える。

父性原理」を特徴とするキリスト教は【天使↔悪魔】/【天国↔地獄】/【光↔闇】を完全に分離切断する。そして両者を媒介調停/循環)する第三の項(e.g. トリックスター)を決して認めない。言い換えるなら衝突を緩和する緩衝地帯境界領域を設けない。ここが「母性原理」に生きる我々日本人や、南北アメリカ原住民らが有する「野生の思考」との決定的違いである。

キリスト教では【禁欲↔欲望】も分離されるのでカトリックの聖職者は生涯独身を貫く(その反動で神父による子どもたちへの性的虐待が絶えない。詳しくは映画「ダウト~あるカトリック学校で~ 」や、アカデミー作品賞を受賞した「スポットライト 世紀のスクープ」をご覧あれ)。

性は男と女に二分され、その境界領域に立つLGBTの人々は差別され続けてきた。

またデカルトが主導した17世紀哲学の二元論は心身(精神と肉体)の絶対的断絶を受け入れた。

精神病院を最初に創設したのもヨーロッパ人である。彼らは【正気↔狂気】を識別し、後者を隔離しようとした。1656年フランスではルイ14世の指導により精神障害者、犯罪者、浮浪者を収容する総合施療院が建設された。こうした人々を「監禁」「排除」してきた経緯をフランスの哲学者ミシェル・フーコー(1926-84)が徹底的に批判したのが、1961年に出版された「狂気の歴史」である。精神病院ではロボトミー手術という非人道的実験も行われた(詳しくはアカデミー作品賞・監督賞を受賞した映画「カッコーの巣の上で」をご覧あれ)。

またナチス・ドイツは遺伝病や精神病などの「民族の血を劣化させる」「劣等分子」を排除するべきであるとし、彼らを安楽死させるT4作戦を実行した。その犠牲者は15万人から20万人と見積もられている。そもそもヒトラーがユダヤ人=害虫と見なし、ホロコースト政策を実践した発想の根本にもこの分離切断する思考がある。

父性原理」で動く欧米(キリスト教)社会は純粋理性を磨き、自然を客観視し、対象をじっくり観察して近代科学を飛躍的に発展させることに成功した(これが出来たのは彼らだけである)。しかしその反面で上述したような様々な弊害を生み、この思考法も限界に達した。「何かが間違っている」「我々は大切なものを失ってしまった」と彼らも薄々気が付き始めた。その左証が「ジキル&ハイド」である。

「ジキル&ハイド」でベイジングストーク大司教は聖職者でありながら娼婦を買い、その直後にエドワード・ハイドに火をつけられ焼死する。これは正に「地獄の業火に焼かれる」イメージであろう。

本作において、ヘンリー・ジキル=エドワード・ハイドだと知っているのは弁護士のアターソンだけだ。彼は親友をなんとか助けようとするが、悲劇を回避することは出来ない。だから仕方なく最後に拳銃の引き金を引き、ジキル=ハイドを殺す。こうして二項対立問題は解決される。つまりアターソンは境界を超え、活躍するトリックスターなのだ。そもそもジキルを娼館「どん底」に連れて行き、ルーシーに引き合わせたもの彼だしね。いたずら好き(メフィストフェレス的)でもあるトリックスターの面目躍如と言えるだろう。

ルーシーはハイドに嬲(なぶ)られ、痛めつけられるが、実はあんまり嫌そうじゃない。恍惚とした表情も浮かべる。非常にSM的である。多分彼女はジキルとハイドの両面を愛したのだ。そして死の直前にジキル=ハイドと気付く。きっかけはジキルとハイドの指に素肌を触られた時の触覚だ。ここに「野生の思考」がある。

原作を書いたロバート・ルイス・スティーヴンソン(1850-94)は「宝島」の作者としても知られている。スコットランドのエディンバラで生まれたが、若い頃から結核を患い、各地を転地療養しながら作品を創作した。アメリカ滞在を経て、最終的に彼がたどり着いたのは南太平洋・サモア諸島の中のウポル島。彼は島人から「ツシタラ(語り部)」と呼ばれ、好かれていたという。バエア山@ウポル島の山頂にある墓碑には次のような彼の詩が刻まれている。

"Requiem"
Under the wide and starry sky
Dig the grave and let me lie
Glad did I live and gladly die
And I laid me down with a will

This be the verse you grave for me
Here he lies where he longed to be
Home is the sailor, home from sea
And the hunter home from the hill

〈鎮魂歌〉
広々とした星空の下
墓穴を掘り、私の亡骸を葬っておくれ
私は喜びとともに生き、喜びとともに死す
そして従容として身を横たえる

墓にはこう刻んで欲しい
彼は望んだ通りここに眠る
船乗りは故郷へと、海から還った
狩人は猟場の山から家に還った
(注:hillはmountainより低く、英国では通例600m以下の山を指す。バエア山は標高470m)

この詩の中には紛れもなく野生の思考が息づいている。

そしてWikipedia英語版のスティーヴンソンについて書かれた記述の中に、次の一文を発見した。

He had come to reject Christianity and declared himself an atheist.
(彼はキリスト教を否定するに至り、自分は無神論者であると宣言した。)

今回の出演者はジキル&ハイド:石丸幹二、ルーシー:笹本玲奈、エマ:宮沢エマ、アターソン:田代万里生 ほか。

僕は鹿賀丈史時代から観ているが、今回のキャストが一番歌唱力があった。石丸幹二に文句があろう筈もなく、特に人格が分裂して歌う場面は大迫力で、本作の白眉であろう。演歌調に音をすくい上げる鹿賀は聴くに堪えず、本当に酷かった。

笹本玲奈がエマを演じた前回公演にも足を運んだが、彼女は断然ルーシーの方が似合っている。清楚なお嬢様っていう雰囲気じゃないしね。他に笹本は「ピーターパン」「レ・ミゼラブル」のエポニーヌ、「ミス・サイゴン」のキム、「屋根の上のヴァイオリン弾き」「ミー&マイガール」「マリー・アントワネット」「プライド」などを観ているのだが、今回が一番露出の多い衣装で、とってもセクシーで美脚だったので驚いた。アフタートーク・ショーで彼女が語ったところによると、大好きなスナック菓子(「きのこの山」ではなく「たけのこの里」派)を食べるのを我慢し、ダイエットに励んだそう。鹿賀の公演を観劇した時からルーシー役を演じたかったのだと。

宮沢エマは歌声に透明感があり、決して音程を外さないので聴いていて心地よい。役にピッタリ。

またアフタートークで田代万里生が語るには、付け髭ではなく地毛を生やしたのだとか。意外だった。

山田和也の演出は大変照明が美しかった。

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