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吸血鬼伝説=神話としての宝塚歌劇「ポーの一族」考(原作:萩尾望都)

小池修一郎 作・演出のミュージカル「ポーの一族」は宝塚歌劇100年の経験と知識、ノウハウを結集した集大成・最高傑作である(「エリザベート」など海外ミュージカルは除く)。現在DVD,Blu-rayが発売中。

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これはある意味、神話であるとも言える。以下、社会人類学者レヴィ=ストロースの「神話論理」に基づき、構造を分析していこう。

神話は、解決出来ないパラドックス(矛盾)を解決しようとする、執念とも呼べる欲求によって駆り立てられている。

「ポーの一族」の主題は、次の2つの問いに集約されるだろう。

  1. ひとはみな、限りある人生なのに(遅かれ早かれ必ず死ぬのに)、何故一生懸命生きるのか?その意味は?
  2. では逆に永遠の命を得たとして、それは、ひとにとって、幸福なのだろうか?不幸なのだろうか?

正に解決出来ない矛盾である。本作はそれを調停仲介/矛盾を緩和)し、妥協点を見つけようとする試みである。

萩尾望都の原作漫画を対象にすると物語が広がり過ぎるので、宝塚版に絞って本作に潜む二項対立を列挙してみよう。

バンパネラ(吸血鬼)、エドガー↔人間、アラン

人間のエナジー(生気)を吸う(注①)↔食物を摂取する

吸血鬼の血液を注入する(注②)↔射精・性交する
〈咬むことで仲間を増やす↔子供を生み、育てる〉

永遠の命(immortal)↔寿命が尽きる(mortal)
〈年を取らない(時が止まる)↔老いる(時が過ぎる)〉

脈がない   ↔ 脈がある
(静、連続)↔(動、存在と不在の規則的交換=不連続)

皮膚が冷たい↔温かい(エネルギーが熱変換される)

傷がすぐ治る(治癒力)↔中々治らない

Anti-Christ(反キリスト、異端)↔信仰(祈りの言葉)

棺桶に入り地下室で眠る↔死後天国へ昇る 【垂直方向の差異】

夜活動する(闇)↔昼活動する(光)

鏡に映らない(注③)↔映る

心臓に杭を打たれると塵になる(注④)↔死体は腐乱する
(または銀の銃弾を撃ち込まれると…)

湿気に弱い↔子供は70%、大人は60%が水分でできている
(乾いたもの)↔(湿ったもの)(注⑤)

ポーの館は村人が焼き払う()↔アランは港町に住む(
(焼いたもの)↔(湿ったもの)

エドガーは終盤窓から現れる↔人は重力で大地に縛られている
(バンパネラは重力に抗うもの。宝塚版ではエドガーと、一族に加わったアランが一緒に飛ぶ場面も用意されている。またポーの館は焼かれ、煙となって上昇する

注①②で分かる通り、バンパネラが人の首筋に噛み付く行為には2つの行程がある。純粋な栄養補給行為として①のみ実行する場合と、仲間を増やすための②と。そこにはエナジー(血)の交換がある。

レヴィ=ストロースはこう書いている。

どの社会もすべて性的関係と食物摂取とを結びつけて考える。しかし、場合により、また思考のレベルに従って、食べるものと食べられるものに男と女をどう割り振るかはまちまちである。
(「野生の思考」大橋保夫訳、みすず書房)

しかし考えてみればゾンビに襲われると無条件でゾンビ化するのだから(ウィルス的増殖)、バンパネラの何と奥ゆかしいことか!だから彼らのイメージは弱々しく儚いのだ。宗教の布教活動と言うよりは寧ろ、「フリーメーソン」「薔薇十字団」など秘密結社に近い存在である。

注③:どうして吸血鬼は鏡に映らないのか?まず民間伝承として「鏡は魂を写すもの」と考えられている事が挙げられる。またキリスト教(旧約聖書の創世記)において人間(アダム)は神の似姿として創られたとされており、つまり人間=神の〈鏡〉でもあるのだ(鏡を見つめ、思惟することによって間接的に神を認識し得る)。バンパネラはAnti-Christ(異端)だから、鏡に映ろう筈がない。

注④:【心臓に杭を打たれると塵になる↔死体は腐乱する】の対立は【新鮮なもの↔腐ったもの】と言い換えてもいいだろう。また【杭を打つ】=【人間の行為】=【文化による変形】であり、【腐乱する】=【自然による変形】なので、ここに「文化(不連続)↔自然(連続)」という二項対立が現れる。

注⑤:霊能者のブラヴァツキーはポーの一族に接して「乾いた血の匂い」がすると言う。

また上述した【バンパネラ↔人間】という二項対立以外に次のようなコード(符号)もある。

エドガーの澄んだ青い瞳、ポーの館を包む青い霧(反自然)
赤い薔薇、(自然)

では物語の最後にエドガーとアランの二項対立を媒介するもの(第三の項)は何か?「ひとりぼっちで寂しい」という孤独感の共有・共鳴だろう。それは「愛」と言い換えても良いかも知れない。妹メリーベルが兄エドガーに言う「一緒にいることが幸せなの!」という台詞が肝(きも)である。こうして対立してきた二原理は統合に至る(最終的解決)。

「人生は祭りだ!一緒に過ごそう。」
(È una festa la vita, viviamola insieme ! )
  〜フェデリコ・フェリーニ監督/映画「8 1/2」より

ポーの一族に加われば「永遠の命」という恒常性を得るが、その代償として地上を(水平方向に)永遠に彷徨い続けなければならないという「不規則な運動」(random motion)を強いられることになる(一時性、仮初)。それは呪いだ。「選ばれし者」という台詞もあり、2,000年以上流浪の民だったユダヤ民族を彷彿とさせる。

ところでこの記事を書きながら初めてある事実に気がついた。エドガーとアランとポーの一族でエドガー・アラン・ポーだったんだね!今更ですみません。お粗末な話でした。考えてみればポーが書いたゴシック風の幻想小説「アッシャー家の崩壊」の雰囲気とか、兄と妹の関係性とかは「ポーの一族」に通底するものがある。

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