ギリシャ神話(オルフェウス)と日本神話、そして新海誠「君の名は。」の構造分析
以前、新海誠監督のアニメーション映画「君の名は。」には日本神話からの引用があると詳しく解説した。
上記事でイザナミとイザナギの物語がギリシャ神話と非常に類似していることにも触れた。そこで今回は社会人類学者レヴィ=ストロースの手法を用いて、両者の構造分析をしてみたい。
これは僕にとって、構造主義をどれだけ理解しマスター出来たかを試す応用問題だと位置づけている。まずはギリシャ神話から見ていこう。
オルペウス(オルフェウス)の妻エウリュディケーはある日、毒蛇に噛まれて死んだ。妻の不在に耐えられなくなったオルペウスは冥府に下り、竪琴を奏でてエウリュディケーの返還を求めた。悲しい琴の音に涙を流すペルセポネ(春の女神、ハデスの妻)に説得され、冥界の王ハデスは、「ここから抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、エウリュディケーをオルペウスの後ろに従わせて送った。目の前に光が見え、あと少しというところで不安に駆られたオルペウスは後ろを振り向き、妻の姿を見たが、それは一瞬のことですべては霧のように消え去ってしまった。
一方、古事記に書かれた日本神話はこうなっている。
イザナギとイザナミは国産み・神産みにおいて本州・四国・九州などの島々、海・山・風など森羅万象を創った。火の神カグツチを産んだ際、イザナミは陰部に火傷を負い亡くなった。
これは火の起源を物語っている。火は料理や土器づくりに繋がり、自然→文化への移行を象徴していている。ギリシャ神話では以下の通り。
人類に火をもたらしたプロメテウスは大神ゼウスから火を奪った罰を受け、30年間鷲に臓腑をえぐられ続けた。
料理(火でものを焼く)という文化を人類に与えたプロメテウスは生肉を喰らうもの(鷲)にいたぶられる罰を受ける。ここに二項対立が出現する。
- 火を通したもの(文化)↔生のもの(自然)
- 地上に下った火↔空高く舞う鷹【垂直方向の差異】
なおインドの神話「リグ・ヴェーダ」によると、マータリシュヴァンは天界からアグニ(火の神)を奪い、人間にもたらした。このエピソードはプロメテウスとそっくりだ。プロメテウスもマータリシュヴァンも言うまでもなく境界を超えて活躍するトリックスター(二項対立を取り結ぶ/仲介する第三項)である。
ギリシャ神話と日本神話には次のような変換関係を認める。
- 人類に火をもたらしたプロメテウスはゼウスから罰を受けるという代償を払う。→火の神カグツチを産んだイザナミは命を落とす。【自然→文化というプロセスの危険性】
古事記の続きを見よう。
イザナギがイザナミの遺体にすがって泣いていると、彼の涙からナキサワメ(泣沢女神)が生まれた。
ナキサワメは水の女神であり、火の起源に続き、水の起源が描かれる。
イザナギはイザナミにもう一度逢いたいという気持ちを押さえきれず、黄泉の国に旅立つ。しかしイザナミは黄泉の国の竈(かまど)で炊いた食べ物を既に食べてしまったから帰れないと彼に告げる(黄泉戸喫:よもつへぐい)。
古代では埋葬の際に食べ物を一緒に埋めていた。これを食べることで、死者は蘇ることが出来なくなると当時の人々は考えていたのである。つまり「同じ釜の飯を食う」という帰属意識だ。ギリシャ神話でも、ハデスに無理やり連れ去られ死者の国の食べ物(ザクロの実12粒のうち4粒)を食べさせられたペルセポネは、1年のうち4ヶ月は冥界で暮らさなければならなくなってしまった。
「決して覗いてはいけない」というイザナミとの約束を破り、イザナギは髪に挿していた櫛を折り、火をつけてイザナミの寝姿を見る。彼女の体は腐敗して蛆にたかられていた。驚き逃げるイサナギ。恥をかかされて怒り、追いかけてくるイザナミと8人の泉津醜女(ヨモツシコメ)。イザナギは髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実を投げつけて撃退した(ヨモツシコメたちはそれらを食べた)。そしてあの世とこの世の境である黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に辿り着くと大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁した。
ここに幾つかの二項対立が認められる。
- 腐ったもの(イザナミ・死者)↔新鮮なもの(葡萄、筍、桃)
- 蛆(自然)↔火・松明(文化)
- あの世↔この世【大岩で完全に分離】
では、オルペウスの竪琴に対応するアイテムは日本神話においては何だろう?
ここでイザナミ・イザナギの息子・須佐之男(スサノオ)が登場する。彼が所持していた三種類の神器があり、内訳は①生太刀(いくたち):生命の宿る剣、これで切れば病や傷が治るといわれる ②生弓矢(いくゆみや):生命の宿る弓矢、これで射れば死者さえも甦るといわれる ③天詔琴(あめののりごと):神のお告げに使う琴
- オルペウスは竪琴で死者を黄泉から帰らせようとする↔須佐之男の三種の神器
高天原を追放された須佐之男は出雲の国に向かい、そこで八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の生贄にされようとしていた、美しい少女・櫛名田姫(クシナダヒメ)を助け出し、八岐大蛇を退治する。
- オルペウスはニンフ・エウリュディケーを蛇の襲撃から守れない↔須佐之男は大蛇を倒し姫を救う
その結果として、
- 冥界から帰還した後、女性との愛を絶ったオルペウスから見向きもされなかったトラキアの娘たちは怒り狂って彼の手足を裂き、頭と竪琴をヘプロス河へ投げ込んだ↔須佐之男は櫛名田姫と夫婦になり、末永く幸せに暮らした
ここに逆転による変換関係が認められる。さらに次のような変換も含まれている。
- 須佐之男は八岐大蛇を八つ裂きにした↔トラキアの娘たちはオルペウスを八つ裂きにした
- 須佐之男が退治した大蛇の尾を切ると、中から大刀が出てきたので、彼はそれを天照大神に献上した↔引き千切られたオルペウスの首は歌を歌いながら竪琴と共にヘプロス河を流れくだった。最終的にレスボス島に流れ着き、オルペウスの死を偲んだアポローン(異伝ではゼウス)によって竪琴は天に上げられ、琴座となった
トラキアの娘達がオルペウスを八つ裂きにしたのはディオニュソス(豊穣とブドウ酒の神)の祭りの時で、彼女たちは酩酊していたという。つまり”貪欲な口(口唇の欲望)=節度なき消化器”を表している。一方、須佐之男は姉・天照大神のいる高天原(たかまがはら)に居座り、神殿に糞を撒き散らすなど狼藉を働いたため、天照大神は天の岩屋に身を隠した。このエピソードは”粗放な肛門(肛門による漏出)=節度なき消化管”を表している。ここにも変換関係がある。
こうして分析を進めていくと、ギリシャ神話と日本神話が全く同じ構造を持っていることがご理解頂けただろう。両者を貫く主題は【生と死の分離】である。何故ひとは、永遠の命(連続)を有さず、有限(不連続)なのか?果たして我々が生きる意味はあるのか?その矛盾を少しでも解消・緩和すべく神話は存在する。
距離的にギリシャと日本は遠く隔たっている。構造が同じだからといって神話が伝播したわけでは当然ない。同時に発想されたと考えるべきだろう(共時態)。つまり人間の根源的思考様式(野生の思考)は万国共通なのである。これをユングは普遍的(集合的)無意識と呼んだ。
しかしたとえ構造が同じでも、文化の違いによる差異は当然ある。ギリシャ神話において、オルペウスが妻奪還に失敗したのは、ハデスとの契約を破ったためである。故にペナルティを課された(罪と罰)。プロメテウスが罰されたのも、神々の掟を破るという罪を犯したためである。
一方、イザナギが失敗したのは、イザナミに恥をかかせたからである。しかし約束を反故にしたからといってイザナギが罰されたわけではなく、あの世とこの世の境を塞いだのはあくまで彼の意志なのだから、責任の所在が曖昧な、いかにも日本的な解決策であると言えるだろう。【恥をかかされたものが身を引く(恥をかかせた者への責任は問わない)】というパターンは「鶴女房(鶴の恩返し)」「狐女房」「見るなの座敷(うぐいす長者/うぐいすの里)」などの日本昔話でも見られる。ところが西洋の童話「青ひげ」では、見るなと言われた部屋を覗いた新妻は青髭に殺されそうになる。やはり罪と罰なのだ。
- 罪の文化/契約社会(西欧)↔恥の文化/なあなあの社会(日本)
これが神話で明かされる両者の差異である。
次に映画「君の名は。」の構造分析をしよう。まず瀧↔三葉には、
- 男↔女【変換可能!】
- 都会生活↔田舎暮らし
(日照時間長い↔短い) - 父と同居、一人っ子↔父は家を出た、妹がいる
- 大雑把↔几帳面・器用
- 生者↔死者
- 水平方向の隔たれた距離↔3年という時間のズレ
- 半月Half Moon(一人ぼっちの瀧)↔満月(瀧+三葉)
- 扉・襖(ふすま)が閉じる(回路閉鎖)↔開く(回路開放)
- (ラストシーン)須賀神社の階段を上る(通時的)↔下る(遡及的)
といった二項対立がある。他に
- 三葉(神に仕える巫女)↔父(人に命令を下す行政の長)
- 三葉(ミズハノメ=水の女神)↔繭五郎の大火・神社で燃える松明
- ティアマト彗星↔地上【垂直方向の差異】
- 第1回隕石落下:山頂のクレーター(御神体)↔第2,3回目:糸守湖形成【垂直方向の差異】
- この世↔カクリヨ(隠り世)=あの世
- 三葉・テッシー・さやちん↔瀧・司・高木【親友】
- 三葉・テッシー・さやちん↔松本・桜・花(意地悪)【敵対】
- 朝日(スマホのアラームが鳴る/室内)↔かたわれ時(日没/屋外)
では二項対立を仲介しようとする第三項は何か?次のようなアイテムが挙げられるだろう。
- 「来世は東京のイケメン男子にしてくださ〜い!!」という鳥居下での三葉の叫び
- 組紐・ムスビ(一葉の台詞「水でも米でも酒でも、人の身体に入ったもんが、魂と結びつくこともまたムスビ」)
- 電車(東京と糸守を結び、ラストシーンも並行して走る電車の窓越しにお互いを見つける)
- この世と隠り世の間を流れる三途の川【水】
- 口噛み酒(男女を結合させる精液/膣分泌液の暗喩)【水】
- 天と地を結ぶ隕石(ティアマト彗星の破片)→それは同時に瀧と三葉の結合を切断する刃でもある。【矛盾】
- 巫女舞の髪飾りに描かれた竜(龍)→彗星の暗喩であり、「瀧」も〈さんずい(水)+龍〉→精子の暗喩でもある。瀧が御神体の中で見た夢(幻想)では彗星が地球(卵子)の表面に衝突して受精し、細胞分裂を経て三葉が生まれる。
- 三葉ともう一度入れ替わるために山頂の御神体を目指して瀧が登ってゆく際に、しとしとと降る雨(天と地を結ぶ水)→ラストの再会の場面も雨上がりである(水がふたりを結ぶ)。
水が媒介する(第三項)という意味ではギレルモ・デル・トロ監督「シェイプ・オブ・ウォーター」の構造に近い(勿論、「シェイプ…」の方が後発)。
ではオルペウスの竪琴に相当するものは「君の名は。」の中で何か?それは組紐だろう。組紐は細い絹糸や綿糸を束ねて編む。竪琴は複数の弦を張り、音を編む(紡ぐ)。やはり構造は同じである。
神話としての「君の名は。」のテーマは、オルペウスやイザナギの物語と同様に【生と死の分離/離別】という矛盾の解消・緩和にある。そこには東日本大震災(3・11)という出来事が大いに絡んでいる。
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