「シェイプ・オブ・ウォーター」がアカデミー作品賞を受賞した歴史的意義を「野生の思考」で読み解く。
2018年僕のアカデミー賞予想は17部門的中であった。過去に20部門的中させたことがあるので、今年はまぁまぁかな。
それにしても獲れないだろうと諦めかけていた「シェイプ・オブ・ウォーター」が見事作品賞を受賞したのには息を呑んだし、心底嬉しかった。大アマゾンの半魚人を主人公とするモンスター映画がアカデミー作品賞を受賞する時代が訪れようとは、一体誰が想像しただろう?これはもう歴史的快挙、大事件である。
僕のアカデミー賞に対する不信感は1983年に遡る(今から35年前!!!)。この年、作品賞・監督賞でスピルバーグの「E.T.」が凡庸な「ガンジー」に敗れたのである。どちらが歴史的傑作で後世に多大な影響を及ぼしたか?火を見るより明らかだろう(スピルバーグは「未知との遭遇」でも監督賞候補になったが、「アニー・ホール」のウディ・アレンに攫われた)。この時からスピルバーグの「アカデミー賞欲しい病」が始まった。宇宙人が出てくるSF映画ではアカデミー会員に認めてもらえない。彼は方針転換し、アカデミー賞を獲るために「カラー・パープル(受賞失敗)」「シンドラーのリスト(成功)」「プライベート・ライアン(成功)」を撮った。
故にギレルモ・デル・トロは作品賞受賞スピーチで幼いころメキシコで観た「E.T.」について触れ、数週間前にスピルバーグから言われた言葉を紹介した。
"If you find yourself there, find yourself at the podium, remember that you are part of a legacy. You are part of a world of filmmakers, and be proud of it.”
「もし君が受賞出来て表彰台(壇上)に立てたなら、君は映画遺産(レガシー)の一部になるんだ。偉大な先達の映画製作者(フィルムメーカー)たちが築いてきた世界の一員に加わることになる。そのことを誇りに思いなさい」
この言葉に込められた含意を僕なりに翻訳すればこうなる。「35年前にE.T.で俺が味わった無念をどうか君が晴らしてくれ。絶対にこのモンスター映画でオスカーを勝ち取り、新たな歴史を刻め!!」胸熱である。
デル・トロの受賞で、メキシコの三羽烏(The Three Amigos of Cinema)が揃い踏みとなった。アルフォンソ・キュアロンが「ゼロ・グラビティ」で、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥは「バードマン」と「レヴェナント」で2年連続アカデミー監督賞を受賞しているからである。3人は大の仲良しで、共同取締役として「チャチャチャ・フィルム」を立ち上げた(ニューヨーク・タイムズの記事はこちら!←写真あり)。「シェイプ・オブ・ウォーター」のエンド・クレジットでもspecial thanksとしてジェームズ・キャメロン、コーエン兄弟らとともにキュアロンとイニャリトゥの名が挙げられている。
「シェイプ・オブ・ウォーター」と共に、ピクサー・アニメーション「リメンバー・ミー」の舞台としてもメキシコが脚光を浴びた。また大プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ問題に端を発し、性暴力被害者が#MeTooや#TimesUpとSNSで声を上げ、それは授賞式にも波及した。そして主演女優賞を受賞したフランシス・マクドーマンドはスピーチの中でアカデミー賞候補になった女性を全員立たせ、“Inclusion Rider”をぶち上げ話題を攫った。
これを切っ掛けに、ハリウッドはさらに大きな変革の時を迎えるだろう。
評価:A
「シェイプ・オブ・ウォーター」も弱者・マイノリティに寄り添う映画である。本作の登場人物たちはみな孤独で、差別される者たちだ。半魚人(モンスター)、障害者、女、黒人、LGBT、そしてソ連のスパイ。彼らはひとりひとりだと無力だが、力を合わせることで何事かを成し遂げるのだ。
ハリウッドという夢の工房は生まれたての頃から世界中の才能を貪り食ってきた。サイレント時代のチャップリンはイギリスから大志を抱いて渡ってきた。ルドルフ・ヴァレンティノはイタリアから、グレタ・ガルボやイングリット・バーグマンはスウェーデンからやって来た。特に第二次世界大戦中はナチス・ドイツを逃れてユダヤ人を中心とする大量の亡命者が押し寄せた。この頃、フランスの大監督ジュリアン・デュヴィヴィエ(望郷、舞踏会の手帳)やルネ・クレール(巴里の屋根の下、巴里祭)、ジャン・ルノワール(大いなる幻影、ゲームの規則)らも一時期アメリカに身を寄せた。
デル・トロが授賞式のスピーチで言及したダグラス・サーク(天はすべて許し給う、風と共に散る)とウィリアム・ワイラー(ローマの休日、ベン・ハー)の場合を見てみよう。
サークはデンマーク人の両親の元、ドイツのハンブルクで生まれた。妻がユダヤ人だったため、1937年にドイツを離れアメリカへ亡命した。
ワイラーはアルザス地方のミュルーズ(現在はフランス領だが当時はドイツ帝国)で生まれた。両親はユダヤ人だった。映画を志し、職を求めて1920年18歳で渡米した。第二次世界大戦中は陸軍航空隊中佐として従軍し、「メンフィス・ベル」や「サンダーボルト」など戦争ドキュメンタリー映画を撮った(ワイラーとは別の戦闘機に乗り込んだ撮影監督は撃墜され、死亡した)。その際に故郷ミュルーズに立ち寄ったが、家族はドイツ軍に連れ去られた後で、もぬけの殻だった。
つまり映画界ではまずヨーロッパ→ハリウッドという才能の流出があり、20世紀後期以降はその流れが中南米&オセアニア→ハリウッドに変わったということである。因みにオセアニア(オーストラリア・ニュージーランド)の才能としてはニコール・キッドマン、ヒュー・ジャックマン、メル・ギブソン、ピーター・ジャクソン(ロード・オブ・ザ・リング)、バズ・ラーマン(ムーラン・ルージュ、華麗なるギャツビー)、ジョージ・ミラー(マッドマックス 怒りのデス・ロード)らがいる。
「シェイプ・オブ・ウォーター」は現代のお伽噺であり、一つのメルヘンだ。ここからは臨床心理学者・河合隼雄の著書「母性社会日本の病理」「昔話と日本人の心」「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」等で得た知識を基に論を進めてゆきたい。河合は日本人として初めてユング派分析家の資格を取得した人だが、スイス・チューリッヒにあるユング研究所では神話や昔話の研究をしているという。それらと心理学に一体どんな関係があるのか不思議に思われるかも知れない。神話や昔話は人から人へと口伝えされた伝承である。そこには数多くの人々の集合的(普遍的)無意識が集積していると考えられるのだ。日本の落語も同様である。
ここで面白いのは西洋の昔話・童話には人間と他の生き物(獣・物の怪)が結婚して子供が生まれるという物語が一切ないということである。「美女と野獣」にせよ、「カエルの王子」にせよ、元々人間だった者が魔法で野獣やカエルに変えられてしまい、人間に戻ってから結婚するのである。アンデルセンの「人魚姫」は人間の姿に変身するが、結局王子様とは結ばれず、泡になって消えてしまう。
ところが日本の場合、「鶴女房(鶴の恩返し/夕鶴)」は鶴と人間が結婚し、「狐女房(落語では「天神山」/「安兵衛狐」)」はキツネと人間が結婚し子作りをする。羽衣伝説は天女と人間が結婚し、やはり子供が出来る。どうして欧米にはこのような物語がないのだろう?そこにはキリスト教が濃い影を落としている。
旧約聖書の「創世記」で最初の人間(アダム)は神に模して創造される。そして女(イヴ)はアダムの肋骨から創られた。つまり人は神の似姿(肖像)なのであり、特別な存在、つまり一番偉いのだ。故に他の動物とは明確に区別される。未だにダーウィンの進化論を絶対に認めないキリスト教徒の一派がいる所以である(→進化論裁判)。
キリスト教は父性原理の宗教だ。三位一体「父(神)と子(イエス)と精霊」が重要であり、女性は一切関与しない。女性はローマ法王になれない。父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。光と闇、天国と地獄、天使と悪魔、正義と悪といった具合に二項分類する。それを発展させたのが二進法で計算処理するコンピューターだ。0か1か、白か黒か。人間と自然も完全に分けて考える。自然はあくまでも利用する対象であり、客観的に自然現象を観察し、近代科学を飛躍的に発展させた。彼らにとって最も崇高なものは理性であり概念である。皮膚感覚(感性)は下等なものとして蔑ろにされた。
一方、日本人は母性原理で生きて来た。天照大神(アマテラスオオミカミ)も女性である。母性原理は全てを包み込み、呑み込む。我々は自然と自分たちを一体と見做し、切断しない。だから狐や鶴とでも結合出来るのである(西洋人にとっては「考えられない」「気持ち悪い」行為だろう)。日本の社会では個人主義も徹底されず、他者と交流(やりとり)も以心伝心に重きを置き、「なあなあ」の、何となく「くっついた」関係で生活している。
自然を客観視し徹底的に管理・制御(control)しようとする欧米諸国と、そのまま溶け込もうとする日本の違いはイギリス式/フランス式庭園と、日本庭園の差異に如実に現れている。
人間と自然を別のものとして分離し、肉体と精神をも分けて考えようとする西洋的・キリスト教的思考に異を唱えたのがフランスの構造人類学者レヴィ=ストロースが書いた「野生の思考」(1962年出版)である。人間と自然(他の動物)の間に壁はないし、肉体と精神もひとつだと彼は主張した。そして南北アメリカ大陸先住民の神話研究に没頭した。
彼は神話的思索の方法をブリコラージュと表現した。ブリコラージュは「器用仕事」とか「寄せ集め細工」「日曜大工」と訳される。手元にある材料を掻き集めて新しい配列でものを作ることを言う。ブリコルール(器用人)は手持ちのものを調べ直し、道具材料と一種の対話を交わし、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な解答をすべて出してみる。しかるのちその中から採用すべきものを選び、組み立てる。夜遅く帰宅し、冷蔵庫にあるありあわせのものでちょちょいと料理するイメージだ。
ではお伽話であり現代の神話とも言える「シェイプ・オブ・ウォーター」に於けるデル・トロの思考はどうだったか?中を覗いてみよう。
まず1954年のユニバーサル映画「大アマゾンの半魚人」があった。デル・トロは6歳の時にテレビで観ている。それにアンデルセンの「人魚姫」をくっ付けた(ヒロインは声を失っている)。さらにダグラス・サーク監督のメロドラマ風味を加え、副菜としてスタンリー・ドーネン(雨に唄えば)やヴィンセント・ミネリ(巴里のアメリカ人、バンド・ワゴン)などMGMミュージカル要素を添えた。1960年代に流行ったスパイ映画の雰囲気(007シリーズ、さらばベルリンの灯、国際諜報局、寒い国から帰ったスパイ)も盛り込んだ。また葛飾北斎が描いた鯉の鱗が半魚人のデザインに応用されており、ヒロイン・イライザが住むアパートの壁紙にもそのモティーフが用いられている。正にブリコラージュ、野生の思考である。
因みに「シェイプ・オブ・ウォーター」で半魚人を演じるダグ・ジョーンズはデル・トロの「ヘルボーイ」シリーズでも半魚人エイブを演っている。
それにしても半魚人と人間の女性がセックス(結合)する映画がヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、ハリウッドもその価値を認めたのは画期的である。欧米人(キリスト教徒)たちは変わりつつあり、野生の思考を取り戻そうとしている。そんな手応えを今、ひしひしと感じている。
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