大林宣彦監督最新作「花筐」を12のキーワードで読み解く!
大林宣彦監督「花筐/HANAGATAMI」の原作は「火宅の人」で有名な檀一雄。シナリオは1977年「HOUSE ハウス」で劇場用映画デビューする前に既に完成しており、晩年の原作者も映画化を了承していた。構想40数年におよぶライフワークである。キネマ旬報ベストテンで第2位&日本映画監督賞、毎日映画コンクールで日本映画大賞に輝いた。
過去キネ旬ベストテンに入選した大林映画を列挙しよう。
- 1982年「転校生」第3位
- 1984年「廃市」第9位
- 1985年「さびしんぼう」第5位
- 1986年「野ゆき山ゆき海べゆき」次点(第11位)
- 1988年「異人たちとの夏」第3位
- 1989年「北京的西瓜」第6位
- 1991年「ふたり」第5位
- 1992年「青春デンデケデケデケ」第2位
- 2004年「理由」第6位
- 2012年「この空の花―長岡花火物語」次点(第11位)
- 2014年「野のなななのか」第4位
また「さびしんぼう」で読者選出日本映画監督賞を受賞しているが、評論家の選ぶ監督賞は今回初となる。
この最新作を2月25日(日)尾道映画祭にて初鑑賞。
評価:A+ 公式サイトはこちら。
上映後、大林監督、映画出演者である常盤貴子、満島真之介、原雄次郎らが登壇し、早稲田大学名誉教授で映像作家でもある安藤紘平の司会でティーチインが行われたのだが(映画を観た尾道市立土堂小学校児童からの質問に答える形式)、詳しいことは後日【いつか見た大林映画】に書きたいと考えている。
さて、まず発音問題から語っていこう。本作は当初「花かたみ」というタイトルが予定されていた。
大林監督があとがきを書いている光文社文庫版も「はなかたみ」とルビが振られており、製作発表当時、監督も清音で発音されていた。ところが公開版では濁音に変わった。どういう事情なのか娘の大林千茱萸さんにTwitterで質問をしてみた。その回答が下の通りである。
撮影前までは復刻版しか手元になく、復刻版は「かたみ」と濁っていない表記のため監督も当初はそのように言っていたのですが、ずっと探していた初版本にハッキリと「がたみ」と濁った表記が記されており、初版本が映画に登場することから映画本編は「HANAGATAMI」と濁ることに決まりました。
— 大林千茱萸『100年ごはん』 (@Chigumi) 2017年8月22日
また「良い映画を作れば、難しい漢字でも皆読めるようになるわよ」という大林恭子プロデューサーの助言により、ひらがなは用いず原作通り「花筐」となった次第である。
1)ドラキュラ映画:「花筐」は正真正銘のドラキュラ映画である。血を吸う場面が何度も繰り返される。大林監督のアヴァンギャルドな16mm実験個人映画「EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ」(1967)はロジェ・ヴァディム監督「血とバラ」(1960)へのオマージュだ。これは女吸血鬼の物語である。そして「花筐」ではバラが血に転化(メタモルフォーゼ)し、またバラに戻る場面が登場する。
ヒロイン・美那は太陽光を嫌がる。何故なら彼女は吸血鬼だからである。そしてブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」(1897年刊)に登場するヒロインの名前もミナ。大林監督は映画完成後、(ヴィジュアリストで「ねらわれた学園」に出演した)手塚眞にそのことを指摘されるまで全く気が付いていなかったという(原作通りの名前だから)。しかし、もしかしたら檀一雄はブラム・ストーカーの小説を知っていたのではないかと、尾道映画祭で語られた。正に映画とは、辻褄が合った夢である。
「金田一耕助の冒険」では岸田森がドラキュラを演じた。また実現はしなかったが大林監督は手塚治虫の漫画「ドン・ドラキュラ」を映画化しようと企画し、「花筐」を手掛けた桂千穂によるシナリオも完成していた。そして「HOUSE ハウス」にも血とバラが描かれている。
2)化け猫映画:本作に出演している年老いた入江若葉を見ながら、大林監督の「麗猫伝説」に出演した頃の彼女の母・入江たか子にそっくりになったなと驚愕した。調べてみると化け猫映画「麗猫伝説」出演当時たか子72歳、「花筐」の若葉は73歳であった。「HOUSE ハウス」も化け猫映画だ。「花筐」で常盤貴子が演じる”おばさま”こと江馬圭子は「HOUSE ハウス」で南田洋子が演じた”おばちゃま”と同一人物である。許婚が戦死したという設定も同じ。また「HOUSE ハウス」で鰐淵晴子が演じた、オシャレの父の再婚相手の名前は江馬涼子。40数年前の企画で鰐淵は江馬圭子を演じる予定だったという。
映画「花筐」における英語の授業で使用されるテキストはエドガー・アラン・ポーの「黒猫」。原作では(「ドリアン・グレイの肖像」「サロメ」で知られる)オスカー・ワイルドとなっている。大林監督はポー原作の怪奇映画(「アッシャー家の惨劇」「赤死病の仮面」「恐怖の振り子」など)を撮ったロジャー・コーマンの大ファンを公言しており(石上三登志との対談「ロジャー・コーマンは映画に対して根源的な存在だ」がキネマ旬報に掲載された)、その中に「黒猫」を原作とするヴィンセント・プライス主演「黒猫の怨霊」(1962)がある。このシナリオを書いたのが「アイ・アム・レジェンド」「縮みゆく人間」「奇蹟の輝き」などで知られるSF作家リチャード・マシスン。でマシスンが原作・脚本を担当した映画「ある日どこかで」(1980)を大林監督はこよなく愛し、「時をかける少女」(1983)の参考資料として作曲家の松任谷正隆(ユーミンの旦那)に見せている。だから「時かけ」の音楽とジョン・バリーが作曲した「ある日どこかで」の雰囲気はよく似ているのだ。
3)集大成:「花筐」はまずモノクロームの映像で始まり、そこに舞い込む桜の花びらだけが桃色に染まる。そして一気に総天然色へ。正しく「時をかける少女」の導入部が繰り返される。そして障子に浮かび上がる少女のシルエット。これも「時かけ」と同じだ。崖から海に飛び込む場面は「時かけ」の深町くん。井戸は「HOUSE ハウス」で、素っ裸で海を泳ぐ鵜飼(満島真之介)は「おかしなふたり」の竹内力を彷彿とさせる。”わんぱく戦争”(戦争ごっこ)で倒れた子供たちが「お母さん!」と泣き叫ぶのは「野ゆき山ゆき海べゆき」の再現。また男3人と女4人が集う場面ではお互いの視線が錯綜とし、誰が誰を愛しているのか観客を眩惑させる。「廃市」と「姉妹坂」で試みられた手法である。原作にはない蛍が乱れ飛ぶ場面は「廃市」。そして原作には出てこない自転車は「転校生」「さびしんぼう」「麗猫伝説」「あした」であり、医師の登場は「野ゆき山ゆき海べゆき」「マヌケ先生」だ。「HOUSE ハウス」の主人公オシャレ(池上季実子)のお祖父さんも医院を開業している。これは岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)を卒業後、軍医として出征した父・大林義彦への想いに繋がっている。
4)回転・円(circle):「花筐」はおびただしいまでの「回転」や「円」のイメージで埋め尽くされている。回るレコード、常盤貴子と矢作穂香は口づけを交わしながら回転する。また常盤貴子によると終盤のダンス・パーティでは盆の上に乗せられて、助監督が床を回転させている状態で踊ったという。
劇中何度も写し出される月は常に満月だ。不自然極まりない。新海誠「君の名は。」の月が半月・三日月・満月と変化したことと対照的である。そしてどちらも大きな意味がある。
「花筐」の満月は日の丸に変化し、井戸は丸い。
大林監督の娘婿・森泉岳士が描いたポスターをご覧頂きたい。
チベット仏教・曼荼羅のイメージである。これも円だ。曼荼羅はユング心理学で重要なアイテムである。ユングは曼荼羅こそ自己(self)の象徴であり、普遍的(集合的)無意識の中にある元型(グレートマザー、太母)と考えた。それは「未知との遭遇」に登場するマザーシップに繋がっている。
- 宗教映画としてのスピルバーグ「未知との遭遇」(ユング的心理分析の試み)←ユングが描いた曼荼羅図形も紹介
「はるか、ノスタルジィ」のオープニング・クレジットで石田ひかりは回転している。「この空の花 長岡花火物語」の花火は円だ(3次元的には球だが、映画は2次元なので)。そして「この空の花」に登場する一輪車に乗る少女は回転運動をする。回転についてはアルフレッド・ヒッチコック監督の名作「めまい」(1958)へのオマージュという側面もあるだろう。「はるか、ノスタルジィ」の物語の骨格は「めまい」を踏襲している。
それだけではなく回転は時間イメージであり、ニーチェが言うところの永劫回帰、生まれ変わる=輪廻転生のイメージでもあるだろう。「はるか、ノスタルジィ」にも【三好遥子→はるか→遥子】という転生・繰り返しがある。それは「さびしんぼう」も同じ。
「時をかける少女」の芳山和子(原田知世)と深町一夫(高柳良一)は次のような会話を交わす。
「だって、もう時間がないわ。どうして時間は過ぎてゆくの?」
「過ぎて行くもんじゃない。時間は、やって来るもんなんだ」
これは明らかに時計の針の動きによる時間イメージであり、やがて回帰することを示唆している。
大林宣彦も「花筐」で「HOUSE ハウス」に回帰した。スター・チャイルド(@2001年宇宙の旅)の誕生である。それにしても可笑しいのは「HOUSE ハウス」が「こんなの映画じゃない!」と評論家たちから罵倒され、キネ旬ベストテンで完全に無視されたのに、「花筐」はすこぶる高い評価を受けたことである。それだけこの40年間で日本映画をめぐる状況は目覚ましい変化を遂げたということなのだろう。考えてみれば昨年、キネ旬ベストテンの第2位が「シン・ゴジラ」で、脚本賞が庵野秀明だもんね。ちょっと前だったら絶対あり得なかったことだ。嘗てサブカルチャーだったものが、いつの間にかカルチャーのど真ん中に立っていた。
5)両性愛と三島由紀夫:「花筐」の鵜飼は美しい肉体の持ち主だ。榊山はそんな彼に憧憬の念を抱く。鵜飼が素っ裸になり海で泳ぐ場面を小説はこう描写している。
ブロンズのように美事な姿態が、月下の砂丘を弾丸のように走りはじめた。
また榊山と鵜飼がお茶を飲みながら会話する場面はこうだ。
黙ったまま二人ともニッと笑った。それは何にたとえられぬほどはげしくお互いの愛情を語るのである。
ここで友情ではなく愛情と表現されていることが重要だろう。
若き日の三島由紀夫はこの小説を愛し、「檀一雄『花筐』―覚書」を執筆している。そこに次のような一節がある。
少年がすることの出来る――そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、おもふに恋愛と不良化の二つであらう。
三島は男色家だった。そして後年ボディビルで体を鍛えた彼の姿は、あたかも鵜飼に憧れていたかのようだ。
しかし榊山と鵜飼の間に肉体関係はなく、あくまでプラトニックなものだ。「ブロンズ」とか「大理石のよう」という表現でも判る通り、それはギリシャ彫刻のように肉体美を愛でるような感触。ふたりとも女性にも興味があるわけで、それは思春期特有の両性愛的嗜好なのだろう。
人にはみな生まれつきバイセクシュアルの傾向があり、同性愛は異性愛へと発達する途上のひとつの段階として現われうる。成人になってからの同性愛は、心理的性的発達が「停滞」したことによって生じる、とフロイトは主張している。ゲイは「未熟」だと言っているわけだから異論もあろうが、そういう説もあるということだ。
大林監督が「花筐」と同様に、いつの日にか、と映画化を望んでいる福永武彦の小説「草の花」は【 ①冬②第一の手帳③第二の手帳④春 】という4部構成になっている。「第一の手帳」では主人公・汐見茂思の藤木忍(旧制高等学校弓道部の後輩)への一方的な愛が描かれ(忍は19歳で死ぬ)、「第二の手帳」では汐見と藤木忍の妹・千枝子の恋が描かれる。しかし結局、千枝子は「あなたは私を愛しているのではなく、私を通して死んだ兄の姿を見ているのでしょう」と言い、汐見のもとを去る。これも同性愛→異性愛という両性愛的物語であり、肉欲を伴わないという点でも「花筐」に近い作品と言えるだろう。
余談だが大林映画「あした」では三島由紀夫「潮騒」の焚火の場面が再現されている。
「初江!」
と若者が叫んだ。
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」
少女は息せいてはいるが、清らかな弾んだ声で言った。裸の若者は躊躇しなかった。爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火の中へまっしぐらに飛び込んだ。
(三島由紀夫「潮騒」)
6)寺山修司:大林監督は歌人、劇作家、そして映画監督でもあった寺山修司と交流があった。尾道映画祭で語ったところによると、寺山から「大林さんの映画は僕の作品に似ている」と言われ、「いや、君のが僕のに似ているんだよ」とやり返したそう。
「花筐」には顔を真っ白に塗った兵士が登場する。これは「野ゆき山ゆき海べゆき」や「おかしなふたり」でも行われた演出だ。そして寺山の撮った自伝的映画「田園に死す」(1974)に繋がっている。
7)「ポールとヴィルジニー」と海:大林監督が少年時代からこよなく愛し、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」と共に尾道の海の見える丘で読み耽った小説、ベルナルダン・ド・サン=ピエールの「ポールとヴィルジニー」については下記事で触れた。
いやはや、まさか「花筐」でこの小説が前面に押し出されてくるとは夢にも思わなかった!監督の著書では繰り返し言及されてきたが、映画に名前が出てくるのは初めてである。原作には勿論、記載がない。吉良とその従姉妹・千歳が小さな島出身という設定にされたのも「ポールとヴィルジニー」を踏まえてのものだろう。長らく絶版だったが、現在は幸いなことに光文社古典新訳文庫で読むことが出来る。
「ポールとヴィルジニー」は絶海の孤島で展開される物語であり、「花筐」も海のイメージに満ち溢れている。
8)結核:「花筐」の美那は結核を患い、喀血する。肺病を患う美少女は大林映画が繰り返し描いてきたモティーフ(Motif)だ。「マヌケ先生」の有坂来瞳しかり、「あの、夏の日」の宮崎あおいしかり。「おかしなふたり」の竹内力もしきりと咳をし、肺が弱かった。福永武彦の小説「草の花」の汐見茂思は結核でサナトリウムに入院し、術中死する。福永本人も結核で闘病生活を送った(つまり汐見茂思は福永の分身である)。
大林監督の叔父は結核に倒れ、自宅で療養した。折しも日本は戦争中であり、「非国民!」となじられた。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と中原中也の詩を口ずさむ叔父にたかいたかいをされ、近づいては遠ざかる天井の木目模様を見たのが最も古い記憶だという。
9)原爆:「HOUSE ハウス」の前半部、結婚式の記念写真で炊いたフラッシュが原爆のキノコ雲に変わる。そして夢のように美しい(←対位法)キノコ雲(原子雲)は「恋人よわれに帰れ」(しかも2回!動画はこちら)や、「野ゆき山ゆき海べゆき」にも登場する。また「マヌケ先生」では原爆が投下された1945年8月6日午前8時15分の広島市が描かれるが、爆発した瞬間に画面は真っ白になる。そして「花筐」では……。
10)はぐれ鬼:映画「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 夕子悲しむ」の最後に大林監督が自らナレーターとして語る言葉をご紹介しよう。
ひとは、今日もまた
恋にはぐれて
くるほしくー
胸、張り裂けながら
ただ、耐えて耐えて
生くるのみかー夕子、ー
君を忘れない
「おかしなふたり」の竹内力や永島敏行は【恋にはぐれた鬼】である。「HOUSE ハウス」のおばちゃまや、「時をかける少女」の尾美としのりの役回りも【はぐれ鬼】。その原点はヒッチコック「めまい」のミッジ(バーバラ・ベル・ゲデス)に遡る。彼女はジェームス・スチュアート演じる元刑事の主人公を愛しているのに、振り向いてもらえない。この作品でヒッチと撮影監督ロバート・バークスが開発した、床が落ちるような「めまいショット」を日本で最初に試みたのが大林監督であり、「逆ズーム」の命名者でもある。そして「時をかける少女」のラストシーン(大学の薬学部・廊下)でも逆ズームが用いられている。ちなみにスピルバーグも「ジョーズ」や「E.T.」など好んで逆ズームを使っている。
では「花筐」の【はぐれ鬼】は誰?言うまでもなく、あきね(山崎紘菜)である。千歳(門脇麦)もそうかもね。あんなの「愛」じゃないし。
11)デジタル・シネマ:シネマ・ゲルニカであり、"A MOVIE ESSAY"の「この空の花 長岡花火物語」から大林宣彦はフィルムを棄て、デジタル撮影に移行した。そしてデジタル・シネマは「野のなななのか」「花筐」と続いた(これらを一括りにして戦争三部作という)。どうしてフィルム撮りを止めたのか?監督は2010年に心臓病で倒れ、体内にペースメーカーの埋め込み手術を受け九死に一生を得た。「デジタルに命を助けられなのだから、その恩に報いなきゃいけないだろう」ということなのだそう。「花筐」は相変わらずハメコミ合成が(過剰なまでに)多いのだが、最新デジタル技術のお陰で「HOUSE ハウス」や「ねらわれた学園」の頃と比べると違和感がなくなった。なんかね、合成がしっくり馴染んでいるんだ。
12)チェロ:「大林作品はピアノ映画だ!」と看破したのは映画評論家の故・石上三登志(「HOUSE ハウス」に出演、「彼のオートバイ、彼女の島」「野ゆき山ゆき海べゆき」ではナレーションを担当)である。「花筐」の音楽にも確かにピアノの音色が響いているのだが、寧ろ中心主題となっているのはJ.S.バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲 第1番」の前奏曲である。大林映画では前例のない異常事態だ。何故チェロなのか?
ここで僕が連想するのは宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」である。2008年に公開された大林映画「その日のまえに」は宮沢賢治のモティーフ(Motif)がふんだんに投入されている。重松清の原作小説には一切、賢治について言及されていないにも関わらず。永作博美が演じたヒロインの名前も、わざわざ「とし子」に変更されている。これは賢治の妹の名前であり、詩「永訣の朝」に登場する。そして彼女も結核で早世した。「その日のまえに」に”くらむぼん”という謎のチェロ弾きが現れるが、これは賢治の童話「やまなし」に出てくる言葉。つまり「花筐」でチェロを弾く、江馬圭子の戦死した夫・良=宮沢賢治と解釈しても良いだろう。妹(美那)が結核という状況も賢治と完全に一致する(宮沢賢治記念館には賢治が実際に使用していたチェロが展示されている)。
なお、「花筐」パンフレットの対談に登場する岩井俊二監督の映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」で黒木華演じる主人公がSNSで用いるハンドル名はクラムボンで、後にカンパネルラに改める。カンパネルラは言うまでもなく「銀河鉄道の夜」の登場人物である。
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ここまで12のキーワードで大林映画「花筐」を解きほぐして来た。12時は時計の一回りであり、十二支、十二辰(古代中国天文学における天球分割法)でもある。本評論も円環の理(えんかんのことわり)をもって、ここで終わりとしよう。
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