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2018年2月

笑福亭鶴笑一門会だど!

2月26日(月)天満天神繁昌亭へ。

Kaku

  • 笑福亭鶴笑:ご挨拶
  • パピプ亭パペット:パペット落語「平林〜夏の医者」
  • 笑福亭笑利:パペット落語「もののけ姫」
  • 笑福亭鶴笑:パペット落語「平の陰(手紙無筆)」
     中入り
  • 全員:人形劇「三枚のお札」
  • 笑福亭笑子:パペット落語「あたま山(さくらんぼ)」

オーストラリア在住・笑子の帰国に合わせて開かれた一門会。全部人形が登場するという異色の会だ。パピプ亭については、落語に本格的に取り組みたいというよりはむしろ、ゆる〜く演りたいという弟子に名乗らせているそう。パピプ亭パペットは女性なので、商家の旦那を演じるのに違和感あり。

で「夏の医者」と「もののけ姫」の両者には大蛇(うわばみ)が登場し”ネタがついた”ので、会場は大爆笑となった。

「手紙無筆」はパペットの笑福亭つる吉が落語を演るという趣向。

いやー面白かった!これぞ名人芸。

人形劇は笑利が操演した山姥がエキセントリックで最高!彼、もの凄く才能あるわ。驚いた。

「あたま山」は鶴笑版を観たことがある。

てっきり師匠の小道具を借りてやるのかと思いきや、笑子のオリジナルで、台本も全く異なるものだったので感心した。但し、エピローグは蛇足かな。

兎に角愉しかったので、こういう一門会があればまた行きたい。

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「愛国心」は悪なのか?〜江川紹子発言を「野生の思考」で読み解く。

平昌オリンピック・フィギュアスケート男子の結果について、ジャーナリストの江川紹子はこうツィートした。

つまり日本という国家を否定し、コスモポリタン(国際人)になれというわけだ。そのくせ彼女のTwitterでは日本人選手ばかり応援している。矛盾だ。「日本人スゴイ!」じゃないのなら、各国の優秀な選手を平等に応援すべきだろう。2014年のこんなツィートも発掘されている。

Shoko

彼女に限らず左翼ジャーナリストたちは日本という「国家」を否定し、「愛国心」を嫌悪する。それはファシズムの台頭や大政翼賛会・治安維持法など悪夢の再現を連想させるからだろう。

週刊朝日が橋下徹氏(当時大阪市長)に対して「ハシシタ 奴の本性」という連載記事を掲載し、大問題となったことがあった(詳しい経緯はこちら)。結局、朝日新聞社は謝罪し、朝日新聞出版社長は引責辞任した。この問題の根っこには大阪府知事時代に橋下氏が主導し、可決された「国旗国歌条例」があった。自治体教職員に対し、学校行事で行う国歌斉唱は起立により斉唱することを求める内容である。左翼の人々は日本の国旗や国歌に対して憎しみの感情を抱いているので、起立や斉唱を強いられることに怒りを爆発させたのである。しかし公務員って公僕、つまり「国家に仕える者」でしょう?あたりまえのことじゃない?

アメリカ人は国内のバレードで星条旗を掲げ、お祭り騒ぎをする。そんな彼らを「この右翼/国粋主義者どもめが!」と罵る者はいない。韓国人だって愛国心はある。自分が生まれた国を愛し、誇りに思うことってそんなに悪いこと、罪なのですか?僕には理解し難い。

そもそもオリンピックはスポーツという手段を用いた国家間競争である。国ごとに代表選手枠が決まっているし、表彰台には国旗が掲揚される。このシステムは愛国心の発露以外の何ものでもない。

ここで20世紀フランスを代表する思想家で、社会(文化)人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースの著書「神話と意味」(元々は1977年にカナダで放送された、ラジオでの講演)から引用しよう(大橋保夫 訳、みすず書房 刊)。レヴィ=ストロースは「野生の思考」で余りにも有名であり、構造主義を打ち立てた。哲学者のミシェル・フーコーやジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズらがポスト構造主義と呼ばれる所以である。

(地域・文化間の)相違とは非常に豊かな力をもつものです。進歩は、相違を通してのみなされてきました。現在私たちを脅かしているものは、"Over-Communication"とでも呼びうるものでしょう。つまり、世界のある一点にいて、世界の他の部分で何が行われているかをすべて正確に知りうるようになる傾向です。ある文化が、真に個性的であり、何かを生み出すためには、その文化とその構成員とが自己の独自性に確信を抱き、さらにある程度までは、他の文化に対して優越感さえ抱かねばなりません。その文化が何かを産み出しうるのはUnder-Communicationの状態においてのみなのです。私達はいま、(中略)独自性をすっかり失ってしまうのではないかという展望に脅かされています。

引用下線部でレヴィ=ストロースは愛国心を肯定している。つまり「日本スゴイ!」「日本人スゴイ!」で良いのだ。それは右翼思想とか全体主義と何ら関係がない。

この講演はいまから40年以上前のものだが、ここで彼が述べる"Over-Communication"とは現在のEU(欧州連合)の姿であり、「グローバリズム(国を超えて地球全体を一共同体としてとらえる考え方)」と言い換えることも出来るだろう。何という先見性だろう!

左翼ジャーナリストたちは「グローバリズム」を賛美する。何故ならそれは緩やかな共産思想だからである。

またレヴィ=ストロースはこうも言っている。

文明が均一になればなるほど、分離しようとする内的な傾向がはっきりしてきます。(中略)これは個人的印象であり、この弁証法的作用についてはっきりした証拠があるわけではありません。しかし人類がほんとになんらかの内的多様性なしに生きうるとは思えないのです。

正に彼は、イギリスのEU離脱を予言していたのである。フランス人すごい!

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ヒュー・ジャックマンの知られざる軌跡と映画「グレイテスト・ショーマン」

評価:A

Tgs

映画公式サイトはこちら

ミュージカル映画「グレイテスト・ショーマン」を語るために、まずはヒュー・ジャックマンの(日本では)知られざる来歴から紐解いていく必要があるだろう。

シドニー生まれのヒューはオーストラリアで、舞台ミュージカルの役者としてキャリアを積んだ。演じたのはディズニー・ミュージカル「美女と野獣」のガストンや、ロイド・ウェバーが作曲した「サンセット大通り」の主役ジョー・ギリス(映画脚本家)など。同時期にテレビにも出演していた。イギリスではオスカー・ハマースタイン2世&リチャード・ロジャースのコンビによる名作ミュージカル「オクラホマ!」に出演、好評を博した。演出は「レ・ミゼラブル」のトレヴァー・ナン。これが1998年のことである。幸いなことに映像が残されており、NHKで放送され、DVDも発売されている。「オクラホマ!」公演中に映画「X-メン」のオーディションを受け、見事ウルヴァリン役に抜擢された。「X-メン」は2000年に公開され、一躍スターダムにのし上がった。ウルヴァリン役は長期に渡りスピンオフ作品にまで律儀に付き合ったが、ハリウッドへの道を開いてくれたという恩義を感じてもいたのだろう。

ヒューはバズ・ラーマン監督の映画「ムーラン・ルージュ」(2001)のオーディションを受けたが、ユアン・マクレガーに敗れた。これは恐らく知名度の問題だったろう。その時点で「X-メン」は公開されていなかったのだから(ユアンは「スター・ウォーズ」でオビ=ワンを演じた後)。しかしいつの日か、「こういう映画に出たい!」という強い思いが残った(インタビュー記事はこちら)。結局彼はバズ・ラーマンの「オーストラリア」(2008)でニコール・キッドマンと共演するが、残念なことにこちらはミュージカルでなく(しかも駄作)、自慢の美声を映画の観客に披露する機会は中々巡ってこなかった。

ヒューは2004年ブロードウェイ・ミュージカル「ザ・ボーイ・フロム・オズ」に出演し、見事トニー賞のミュージカル主演男優賞を受賞。またトニー賞の司会を4回、2009年にはアカデミー賞の司会も務め、舞台上で歌って踊った。僕は彼のパフォーマンスを見て「この人はタキシード姿でステッキを持ったら最高に輝くんだなぁ」と理解した。

「グレイテスト・ショーマン」の企画は7年前からスタートした。ヒューが映画「レ・ミゼラブル」に出演するよりも前の話だ。「レ・ミゼ」でゴールデン・グローブ賞を受賞し、アカデミー賞の主演男優賞にもノミネートされたが、僕は彼の持ち味を十分生かせていないと感じた。ジャン・バルジャンは踊らいないし、ヒューはもっと明るい役がよく似合う。そういう意味で「グレイテスト・ショーマン」のP・T・バーナムは彼にピッタリ!

P・T・バーナムは実在する19世紀アメリカの興行師。山師(やまし)とも言える胡散臭さがあり、それは「疚(やま)しい」に通じている。しかし何と言っても魅力的なのはPositive Thinker(前向き思考の人)であることだ。

作詞・作曲はベンジ・パセック&ジャスティン・ポールのコンビ。彼らは「ラ・ラ・ランド」の作詞を担当したが(こちらの作曲はジャスティン・ハーウィッツ)、プロジェクトに参加したのは「グレイテスト・ショーマン」の方が先である。そして2017年にはブロードウェイ・ミュージカル"Dear Evan Hansen"でトニー賞の楽曲賞も受賞した。つまり「グレイテスト・ショーマン」の楽曲を書き始めた時点では全く無名だった。

昔とは違い、現在ミュージカル映画はリスクが高く、ハリウッドのスタジオも敬遠していた。しかも「シカゴ」とか「レ・ミゼラブル」のようにブロードウェイで上演された知名度のある作品ではなく、映画オリジナルである。この無謀とも言える企画を通すのは並大抵のことではなかっただろう。それをヒューはやり遂げた。

ぶっちゃけ客観的に見て本作の評価はB程度である。洗練されていないし、そもそもミュージカル・ナンバーが9曲もあるのは多すぎ。映画的に些か間延びする。1950年代に黄金期を迎えたMGMミュージカルですら、こんなに沢山歌う場面はなかった。しかし僕はヒュー・ジャックマンの溢れんばかりのミュージカル愛に気圧された。出血大サーヴィス、ご祝儀だ。ヒュー、夢が実現できて本当に良かったね。僕も何だかとっても幸せな気持ちになれた。心から「ありがとう」と言いたい。

バックステージものという点ではフレッド・アステア主演「バンド・ワゴン」を彷彿とさせるし、サーカスという点ではジーン・ケリー&ジュディー・ガーランドの「踊る海賊」だ。どちらもヴィンセント・ミネリが撮ったMGMミュージカル映画である。

アメリカのサイトRotten Tomatoes(腐ったトマト)では面白い現象が見られる。

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203人のプロの評論家による肯定的意見を集計すると55%で「腐った」認定をされた。ところが一般観客の89%は肯定しており、34%もの乖離が見られる。実に珍しい。

これは評論家の評価が92%で一般客の評価が52%だった「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」と真逆である。

アメリカではSNSなどを通して口コミで評判が拡散され、興行成績がグングン伸びている。つまり「君の名は。」現象が起きた。そして日本ではぶっちぎりのロケット・スタートを切った。「レ・ミゼ」超えもありそう。

本作を一言で評すなら「見世物小屋映画」であろう。サーカスの世界であり、シルク・ドゥ・ソレイユを見ている感覚。フェデリコ・フェリーニの映画「8 1/2」の名台詞「人生は祭りだ!共に過ごそう」を想起させる。フェリーニもサーカスをこよなく愛し、「フェリーニの道化師」という作品を残している。多種多様な人がいていいんだ。「グレイテスト・ショーマン」とは、イコール a "celebration of humanity"である。

兎に角、タキシードを着たヒュー・ジャックマンが格好良すぎ!惚れ惚れする。真のエンターテイナーだ。ザック・エフロンも○。そして何より楽曲の魅力。特に"This Is Me"には打ちのめされた、バブリーダンスでも話題の大阪府立登美丘高校ダンス部によるパフォーマンスでどうぞ→こちら!!

今後ヒュー・ジャックマン主演で観たい映画。まずは何といってもミュージカル版「サンセット大通り」。そしてロジャーズ&ハマースタイン2世の「回転木馬」である(→2006年のニュース記事)。

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「ラ・ラ・ランド」「ノートルダムの鐘」〜大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会2018

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部が創部されたのは2005年。当初部員はたったの25人だった。翌年の06年には梅田隆司先生が総監督に就任され、いきなりその年に全日本吹奏楽コンクール(全国大会)@普門館に登場した。全国大会出場は今までに計10回、うち4回金賞を受賞している(他はすべて)。金賞を受賞した年、およびその時の自由曲を列記してみよう。

  • 2009年 オルフ:カルミナ・ブラーナ
  • 2010年 ヴェルディ:レクイエム
  • 2011年 ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」
  • 2016年 ガーシュウィン:歌劇「ポーギーとベス」

銀賞だった年の自由曲はレスピーギ:ローマの祭り、ドビュッシー:海、エルガー:エニグマ変奏曲などである。ここで桐蔭が金賞を受賞するための【法則1】が浮かび上がる。つまり、原曲が声楽曲であること。これは梅田先生が大阪音楽大学声楽学科卒であることと無関係ではないだろう。つまり指揮者の資質・特性を示している。僕自身、桐蔭の演奏を長年聴いていて(最初は07年普門館での「海」)、どうも原曲がオーケストラ(器楽)曲の時はパッとしない。モヤモヤ〜っとしたわだかまりが残る。ところがどっこい、ミュージカルやオペラの楽曲になると音が活き活きして天下無双の団体に豹変するのである。面白いものだ。その現象を象徴するのが2017年のコンクール。16年には「ポーギーとベス」で史上最高の名演を繰り広げ文句なしの金賞を受賞した桐蔭がその翌年、同じガーシュウィンの「パリのアメリカ人」では銀賞に留まった。理由は明白だろう。「パリのアメリカ人」の原曲はオーケストラ作品なのだ。【歌うように奏でる】これこそが彼らの持つ最強の武器だ。

次に大阪桐蔭高等学校野球部が大阪代表として全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場した年を見てみよう。

  • 2005年
  • 2006年
  • 2008年
  • 2012年
  • 2013年
  • 2014年
  • 2017年

【法則2】が見えてきた。つまり野球部が夏の甲子園に出場した年に吹奏楽部は金賞を獲れないのである。恐らく練習不足に原因があるのだろう。吹部はコンクール直前に野球の応援に行かなければならない。梅田先生も甲子園球場で指揮をされる。この学校の特殊事情である。私立高校の本音として、学校の宣伝のためには吹部が全国でに輝くよりも、野球部が甲子園で活躍することの方が大切だろう。一般的知名度が違いすぎる。詮ないことだ。

桐蔭は2017年夏の甲子園で「ラ・ラ・ランド」を初めて演奏し、お茶の間で話題沸騰となった。僕は「もしかしたら今年は吹コン自由曲も『ラ・ラ・ランド』で勝負するのでは!?」と大いに期待したのだが「パリのアメリカ人」と知り、がっかりした。どうも楽譜が間に合わなかったようである。

Toin

さて、2月28日(日)フェスティバルホールへ。大阪桐蔭吹部の定期演奏会を聴いた(最終公演)。

第1部(マーチングなどステージ・パフォーマンス)

  • トーマス・ドス:トランペット&ブリッジズ(17年ウィーン国際青少年音楽祭課題曲)
  • スーザ:海を超える握手
  • ジャスティン・ハーウィッツ:ミュージカル「ラ・ラ・ランド」
    (アナザー・デイ・オブ・サン〜サムワン・イン・ザ・クラウド〜ミアとセバスチャンのテーマ〜ア・ラブリー・ナイト〜エピローグ)
  • アラン・メンケン:ミュージカル「ノートルダムの鐘」
    (ノートルダムの鐘〜僕の願い〜トプシー・ターヴィー〜ゴッド・ヘルプ〜ノートルダムの鐘リプライズ)

第2部(主に座奏)

  • ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  • ムソルグスキー(ラヴェンダー編):組曲「展覧会の絵」
  • 甲子園応援リクエスト・コーナー
  • 三年間の歩み(栄光の架け橋〜風が吹いている〜今、咲き誇る花たちよ〜Hero)
  • 森山直太朗:虹(卒業生を送る歌)
  • ステージ・パフォーマンス
    ルグラン:キャラバンの到着(ロシュフォールの恋人たち)
    ガーシュウィン:パリのアメリカ人
  • 銀河鉄道999(アンコール)
  • 星に願いを(アンコール)

第1部で梅田先生はオーケストラ・ピットで指揮された。

ドスの曲はホルンが大活躍するファンファーレで、ヤナーチェクのシンフォニエッタにそっくりだった。桐蔭の生徒さんたちがウィーンのプラーター公園で野外コンサートする映像が映し出されたが、映画「第三の男」で余りにも有名な大観覧車には皆さん乗ったのだろうか?

今回定期の隠しテーマは「フランス」だと言えるだろう。

待ちに待った「ラ・ラ・ランド」はまず衣装が映画通りキャンディー・カラーで魅了された。♪アナザー・デイ・オブ・サン♪はミシェル・ルグラン作曲「キャラバンの到着」への熱いオマージュでもあるのだが、ちゃんとトラックの荷台から楽隊が登場する場面も再現されており、感動した(作曲家ハーウィッツ自身が映画「ロシュフォールの恋人たち( The Young Girls of Rochefort ) 」からの影響を語った記事はこちら)。ただ歌の音声がマイクで充分に拾えておらず、楽器の音に負けていたのが残念だった(歌詞が聴き取れなかった)。デュエット・ダンス♪ア・ラブリー・ナイト♪ではユーフォニアムとサックスの掛け合いになっており、素敵だった。タップ板(タップボード)を設置して、男子生徒が華麗なタップダンスを披露する場面もすごく良かった。あとエピローグでの合唱(ヴォカリーズ)が極上の美しさ!「シェルブールの雨傘」ラストシーンのカトリーヌ・ドヌーヴが目に浮かんだ。

なお、公演プログラムに《最新のブロードウェイ・ミュージカルの作品「ラ・ラ・ランド」》と記載があったが、これは間違い。「ラ・ラ・ランド」の楽曲は全て映画オリジナルであり(故にアカデミー作曲賞を受賞)、ブロードウェイでは上演されていない。

ところで僕は「ノートルダムの鐘」こそ作曲家アラン・メンケンの最高傑作だと常々想っている。

クロパンがトリックスターだということは上記事に書いた(トリックスターの説明も)。トリックスター(道化)は境界を超え出没し、世の中の常識や価値を転倒させる。道化師の衣装はだんだら縞であり、白↔黒の反転を象徴している。♪トプシー・ターヴィー♪で「逆さま」という歌詞が強調されるのはそのためだ。

キリスト教徒は二分法(二項対立)の世界に生きている。天国と地獄、天使と悪魔、光と闇、正義と悪、無垢と穢れ( innocent vs. guilty )。禁欲と欲望(享楽)。コンピューターの情報処理も2進法だー0か1か、白か黒か。ヴィクトル・ユーゴーの小説は両者を混ぜ合わせることを欲している。それがトリックスターだ。「レ・ミゼラブル」でその役割を担うのはテナルディエ夫婦である。

ユーゴーの父はナポレオンに仕える軍人で共和派だった。一方、母は王党派であり、政治思想の違いによる確執から不和を生じ、息子は長きに渡る父親不在の生活を強いられた。二極間の争いはもううんざり。故になんとか融和の道はないものか?という考えを持つに至ったのではないだろうか。きれいと汚いが交わるところカオス混沌)にしか新しい創造はないのである。

聖職者フロローの悲劇は徹底した禁欲を自分に課そうとしたことにある。よって寧ろ欲望の炎が燃え上がってしまった。これは「レ・ミゼラブル」で法の番人であろうとし、非情に徹したジャベール警部の正義が最後に脆くも崩れ、破滅したことに呼応する。極端に走らず、清濁併せ呑む。これこそが賢く生きる知恵=野生の思考(by レヴィ=ストロース)なのだろう。

僕が注目したのは結末である。ディズニー・アニメ版はエスメラルダが死なず、カジモドは自由の身となるハッピー・エンド。一方、原作に忠実な舞台ミュージカル版はカジモドがフロローを殺し、彼もエスメラルダも死んでしまう悲劇。結局、桐蔭はアニメ版に基づく上演だった。僕はオリジナル版の方が好きだけれど、高校生の卒業イベントなのだからこれは仕方ない。納得した。

2017年の全日本吹奏楽コンクールにおいて、宇畑知樹/伊奈学園総合高等学校は自由曲で「ノートルダムの鐘」を演奏し、金賞に輝いた。今回の大阪桐蔭の演奏は起伏があり劇的で、伊奈学園を上回っているんじゃないかと想った。梅田先生、来年度こそは是非ミュージカルで勝負してください!

第2部のワーグナーにはアイーダ・トランペットが登場。チューバ11人、ユーフォ9人、トロンボーン16人と低音が充実しており、ド迫力だった。

「展覧会の絵」はプロムナードのトランペット・ソロ、そして「サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」でのピッコロ・トランペットがすごく上手かった。あとラヴェル編曲のオーケストラ版でも木管楽器が活躍する「卵の殻をつけた雛の踊り」は吹奏楽編曲版でも違和感なく聴けた。

甲子園応援リクエスト・コーナーでは恒例となっているが、野球部員が舞台に上がりボールを打って、キャッチした観客がリストの中から曲を選ぶ仕組み。ところが空振り続きで、梅田先生が打ったボールが一番飛んだという始末。会場は爆笑で、大いに盛り上がった。選ばれたのは①ウィリアム・テル序曲(「ローン・レンジャー」のテーマ)②君の瞳に恋してる③アゲアゲホイホイ。「君の瞳に恋してる」はフォー・シーズンズのフランキー・ヴァリによるソロシングルが有名。当然フォー・シーズンズが主人公のブロードウェイ・ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」にも登場。日本版でフランキー・ヴァリを演じた中川晃教は菊田一夫演劇賞&読売演劇大賞の最優秀男優賞を受賞した。2018年の再演は大阪公演も予定されているので、今から待ち遠しくて仕方ない(興味のある方はまずクリント・イーストウッド監督の映画版をご覧あれ)。

卒業生を送る歌は桐蔭得意の映像を駆使した趣向が凝らされており、卒業生全員の名前が順番に出て、彼/彼女らの1年生時の写真並びに、現在の動画が一人一人紹介された。

ここで主賓の紹介あり。振り付けを担当した洋あおい氏(元OSKトップスター)、演奏の指導をしている大阪フィルハーモニー交響楽団首席クラリネット奏者・金井信之氏、そして同首席ホルン奏者・高橋将純氏。高橋氏が指導するようになり、ホルンの生徒たちが見違えるように上手くなったそう。余談だが、先日レスピーギの「ローマ三部作」が取り上げられた大フィル定期でも、高橋首席が出ない前半と、出た後半ではホルン軍団のレベルが段違いだったことを申し添えておく。

「キャラバンの到着」はパンチが効いてホーン・セクションが炸裂!僕はこのルグラン・ジャズでマーチングする桐蔭は最高に格好いいと想っているのだが、演奏している生徒さんや保護者の方々の感想はどうなのだろう?何しろ50年前の曲だし(「ロシュフォール」の公開は1967年)、ちょっと不安。本音のコメント求む。

そして「パリのアメリカ人」も躍動感があり、フォーメーションは綺麗で疵のない演奏だった。

アンコールの「銀河鉄道999」ではまるでプラネタリウムのように無数の星が燦めく照明が実に美しかった。

こうして3時間に及ぶ、ギュウギュウに中身が詰まった演奏会は幕を閉じた。大満足、お腹いっぱい。

最後に、来年の桐蔭定期で是非聴きたい曲をリクエストしておく。現在公開中のミュージカル映画、ヒュー・ジャックマン主演「グレイテスト・ショーマン」から"This Is Me"。昨年バブリーダンスで一世を風靡し、荻野目洋子と「輝く!日本レコード大賞」にも出演した大阪府立登美丘高校ダンス部@堺市のパフォーマンスで御覧ください→こちら!!一昨日シネコンで観てきたのだけれど、この曲が力強く流れる場面では心底感動した。間違いなくアガる!映画の台詞を借りるなら、正しくa "celebration of humanity"である。作詞・作曲ベンジ・パセック&ジャスティン・ポールのコンビは映画「ラ・ラ・ランド」で作詞を担当(後者の作曲はジャスティン・ハーウィッツ)。昨年はブロードウェイ・ミュージカル"Dear Evan Hansen"でトニー賞のミュージカル作品賞・楽曲賞など6部門を受賞した。

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【いつか見た大林映画・番外編その2】「麗猫伝説」を読み解く/The Positive Thinker !

最新作「花筐(はながたみ)」撮影開始直前に大林宣彦監督は肺がん(ステージ4)で余命3ヶ月と告知され、撮影に並行して内服治療が始まった。幸いなことに処方された新しい分子標的薬「イレッサ®(ゲフィチニブ)」が劇的に奏効し、腫瘍はみるみる縮小。脳への転移も見つかったが放射線療法でそちらも制御出来た。「花筐」クランクイン@唐津が2016年8月25日だったので、それから約1年半が経過するも監督は大阪での舞台挨拶でお元気な姿を見せてくださった。

「あと30年は映画を撮る」と意気盛んで、原爆をテーマにした次回作の構想もあるという。

「時をかける少女」で映画デビューした原田知世は2017年11月28日、50歳の誕生日にBunkamuraオーチャードホールで “音楽と私“ ツアー・ライヴ千秋楽を迎えた。そこに大林監督がビデオ・メッセージを寄せ、最後に「また一緒に映画をやりましょう」と語りかけた。

末期がんの宣告を受けた時、監督の感想は「すごくうれしかった」。「花筐」映画化の許可を得るため、九州の能古島で「火宅の人」を仕上げようとしていた檀一雄に会ったときの情景が蘇ってきた。「ああ、檀さんと同じだと思った。(肺がんで体力が衰え)口述筆記で書いている檀さんの姿がパーンと浮かんで、これで映画を作れる、同じ痛みをもてたと思った」そして今の心境は「がんのおかげ、をもっと生かしてやらないとね」と(発言を引用した元記事はこちら)。

僕が敬愛してやまない大林宣彦という男子(おのこ)の本質は、こういうPositive Thinking にあったのだと初めて気付かされ、感服した。

現在シネ・ヌーヴォ@大阪市西区九条では国内最大規模の大林宣彦映画祭が開催中で、元OBs関西(OBsの説明はこちら)・M氏の協力により大変珍しいポスターが数多く展示されている。また2月23−25日には尾道映画祭が開催され、大林映画特集が組まれる(公式サイト)。その実行委員のひとりである元OBs広島・H氏からお誘いを受けたので、僕も18年ぶりに尾道を訪れることになった。

大林宣彦映画祭@シネ・ヌーヴォで「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 夕子悲しむ」を観ながら気が付いたことがある。

映画の冒頭で竹内力と三浦友和は次のような会話を交わす(@広島県福山市鞆の浦)。

「初めて見る海はいいもんだ」
「毎日眺めてもいいもんだ」

そして劇中に流れる昭和歌謡曲「上海帰りのリル」の歌詞は、

船を見つめていた
ハマのキャバレーにいた
風のうわさはリル
上海帰りのリル リル

「大林作品はピアノ映画だ!」と看破したのは映画評論家・石上三登志だが、大林作品は同時に海の映画でもあった。9割以上の作品にが登場するのだ。

監督がこのなく愛する小説、檀一雄「花筐」も、福永武彦「草の花」でもは重要な役割を果たす。また少年の日、尾道の小高い丘で読み耽った小説として挙げているベルナルダン・ド・サン=ピエール「ポールとヴィルジニー」の舞台となるのは絶海の孤島。そして物語の最後にヴィルジニーはに呑み込まれる。余談だが「ポールとヴィルジニー」のことを大林監督の著書で知り、探し始めたのが今から30年前。しかし既に絶版で、旺文社文庫として最後に出版されたのが1970年であった。図書館で蔵書検索をしても見つからず、漸く2014年になって光文社古典新訳文庫の仲間入りをして、読むことが叶ったのである。

後に映画のタイトルにもなった、大林監督が愛誦する佐藤春夫の「少年の日」はこんな詩だ。

野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆえに
うれいは青し空よりも。

ここにもが出てくる。

現在僕の職場は神戸港に面しており、部屋の窓から燦めく瀬戸内のが見える。就職先を転々としてきたが最終的にここに落ち着いた。多分無意識のうちに瀬戸内海に引き寄せられて来たのだろう。そのことを今回「おかしなふたり」を再見しながら悟った。

続いてシネ・ヌーヴォで「麗猫伝説」も鑑賞。

16mmフィルムで撮られた「麗猫伝説」は日本テレビ「火曜サスペンス劇場」100回記念作品として製作され、1983年8月30日にオンエアされた。88年に公開された「おかしなふたり」とは姉妹編とも言うべき関係にあり、大泉滉、坊屋三郎、内藤陳、大前均、峰岸徹など共通する出演者も多い(あと美術監督の薩谷和夫が「麗猫伝説」では引退した映画監督として、「おかしなふたり」では風呂屋の親父として出演し、台詞もある)。両者を決定的に結びつけているのは瀬戸内キネマの存在である。「麗猫伝説」では撮影所として登場し、「おかしなふたり」では寂れた映画館の姿に変わり、最後は炎上する。この2作品以外に瀬戸内キネマは出てこない

「時をかける少女」の公開が83年7月16日であり、入江たか子・若葉の母娘は「時かけ」「麗猫伝説」の両者に出演している。

一般に「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」が《尾道三部作》、「ふたり」「あした」「あの、夏の日」が《尾道新三部作》と呼ばれており(監督公認ではない)、「麗猫伝説」「彼のオートバイ、彼女の島」「おかしなふたり」は《外伝》になる。言い換えるなら《はぐれた鬼》であり、《ものくるほしき映画の群》である。

兎に角、麦わら帽子を被った風吹ジュンが最高に可愛い!恋にはぐれた彼女が、尾道(向島)の坂道で自転車をこぐ場面は大林監督の真骨頂である(後の「さびしんぼう」に繋がっている)。当時の彼女は向田邦子の「阿修羅のごとく」「家族熱」や、山田太一の「岸辺のアルバム」などテレビドラマ黄金期の傑作群に出演し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

風吹演じるスクリプターが住む居間には「オズの魔法使い」やチャップリン主演「キッド」のポスターが張ってある(「オズの魔法使い」は「時をかける少女」で原田知世の寝室に飾ってあったのと同じもの)。またスクリプターの寝室には「カサブランカ」のポスターも。

彼女が持つ時計は止まっている。「廃市」の主人公と同じ状況である。そして「おかしなふたり」も。つまり「麗猫伝説」の登場人物たちは生きながら死んでいるのである。

「麗猫伝説」の物語の骨格はビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」に基づいている。途中、食事の場面で入江若葉がグロリア・スワンソン、バスター・キートン、セシル・B・デミル監督、ヘッダ・ホッパー女史(ゴシップ・コラムニスト)の名を挙げるが、彼らは全員「サンセット大通り」の出演者である。そこに入江たか子が主演した化け猫映画の要素が加味されている(引用される映像は「怪猫有馬御殿」)。

入江の父は子爵だったが、父の死後生活に困窮し、映画界に入った。1932年に入江ぷろだくしょんを設立し、溝口健二監督による無声映画「滝の白糸」(33)が代表作となった(溝口はこの時、入江の方が自分より立場が上だったことを根に持っていた)。戦後主役が減り、バセドウ病を患ったりして大映に移籍し、化け猫映画に出た。1955年、溝口健二監督「楊貴妃」に出演した折、溝口から執拗なダメ出しをされた挙句、「そんな演技だから化け猫映画にしか出られないんだよ」とスタッフ一同の面前で口汚く罵られ、女優業を引退した。

そういった伝説を背負い、入江たか子は再びドラキュラのように蘇ったのである。柄本明演じる脚本家は赤いバラを持って伝説の大女優が棲む島を訪れる。ここでロジェ・ヴァディム監督の吸血鬼映画「血とバラ」のモティーフが繰り返される。劇中スクリプターが自分の恋人である脚本家の過去作を読む場面があるが、そこで引用されるのが1967年の大林監督の実験個人映画「EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ」のシナリオ。これも「血とバラ」へのオマージュだ。なお最新作「花筐」に出演している柄本時生は言うまでもなく柄本明の息子であり、「花筐」にも血とバラが出てくる。さらに言えば「おかしなふたり」エンド・クレジットでは唐突に赤いバラが爆発する。

「麗猫伝説」では風吹ジュンが大泉滉演じる引退した映画監督にムチで打たれる強烈なSMシーンがあるのだが、クリストファー・リーが主演した映画「白い肌に狂う鞭」へのオマージュになっている。監督のジョン・M・オールドはマリオ・バーヴァのペンネーム。大林監督は劇場デビュー作「HOUSE ハウス 」で馬場毬男(ばばまりお)というペンネームを名乗ることを考えていた。これはマリオ・バーヴァのもじりであり、結局監督の少年時代を描いた映画「マヌケ先生」の主人公の名前として用いられた(三浦友和が演じた)。また映画「あした」で學草太郎(=大林宣彦)が作曲した音楽の旋律は「白い肌に狂う鞭」とそっくりであることを申し添えておく。

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イタリア人指揮者/吹奏楽と「ローマ三部作」〜バッティストーニ登場!大フィル定期

2月16日(金)フェスティバルホールへ。アンドレア・バッティストーニ/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。

  • レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」
  • 同:交響詩「ローマの祭り」
  • 同:交響詩「ローマの松」

バッティストーニはイタリア・ヴェローナ生まれの30歳。ジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ歌劇場首席客演指揮者及び東京フィルハーモニー交響楽団首席指揮者を務めている。東フィルと録音した「ローマ三部作」のCDは絶賛を博した。

「ローマ三部作」と言えばトスカニーニ/NBC交響楽団やムーティ/フィラデルフィア管弦楽団の音源が名盤と誉れ高い。どちらもイタリア人であり、かつオペラ指揮者だ。よって一般的イメージとして「イタリア人指揮者なら誰しもレスピーギが得意」と思われがちだ。しかしクラウディオ・アバドはこの曲を毛嫌いし生涯一度も振らなかったし、カルロ・マリア・ジュリーニも然り。またリッカルド・シャイーはベルリン・フィルと「ヴァルトビューネ2011」で演奏したりもしているが、レコーディングは一切していない。日本人指揮者だからといって、誰しも武満徹の作品を振るわけではないのと同じことなのだろう。

さて、吹奏楽をした経験がある人なら誰でも知っていることだが、レスピーギの「ローマの祭り」は吹奏楽コンクールで大人気の自由曲だ。おそらく演奏回数No.1だろう。データベースで検索したところ、全日本吹奏楽コンクール(全国大会)で演奏されたのは今までに113回(中・高・大学・一般・職場含む)!うち金賞受賞数は延べ44団体。因みにもう一つの人気曲、ラヴェル作曲「ダフニスとクロエ」が自由曲に選ばれたのは111回である。これが「ローマの噴水」になると25回、「ローマの松」だと20回と極端に少なくなる。

「ローマの祭り」はどうしてこんなに人気なのか?まず難易度が高い。テクニックをこれ見よがしに誇示出来る。そしてリムスキー=コルサコフに作曲を師事したレスピーギのオーケストレーションは華麗で、演奏効果が高い。多少のミスが有っても上手に聴こえる。しかし散々吹奏楽コンクールで聴かされて、がなり立てるような大音響に閉口するし、気が狂ったような乱痴気騒ぎに、こちとらはもううんざりだ。カオス(混沌)だね。

前置きはこれくらいにして本題のバッティストーニの話をしよう。まず「ローマの噴水」は繊細な弱音に魅了された。特に弦の響きが美しい。がさつな吹奏楽アレンジとは大違い。リズムには切れがあり、「ローマの祭り」で聖歌の旋律が奏でられる箇所はよく歌う。強烈なカンタービレに、さすがイタリア人の血だと想った。主顕祭ではトロンボーンが吹く千鳥足の酔っぱらいがユーモラスで、メリーゴーランドがクルクル回る情景が目に浮かんだ。迫力があるが全然うるさくはなく、ffでも細部まで明晰、解像度が高かった。お見事!文句なし。

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蒼井優×生瀬勝久「アンチゴーヌ」@ロームシアター京都

2月11日(日)ロームシアター京都へ。「アンチゴーヌ」を観劇。

故・オイディプス(エディプス)王の娘アンチゴーヌを蒼井優、彼女の叔父で婚約者の父親でもあるクレオン(現在は王位に就いた)を生瀬勝久が演じた。

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フランスの劇作家ジャン・アヌイの「アンチゴーヌ」を宝塚からわざわざ京都まで遠征して観たいと決心させたのは同じ作家による「トロイ戦争は起こらない」がすこぶる面白かったからである。演出も同じ栗山民也だ。

「アンチゴーヌ」は古代ギリシャの三大悲劇詩人のひとりソフォクレスの戯曲を現代的に翻案したもの。1944年2月にパリのアトリエ座で初演された。当時フランスはナチス・ドイツの占領下にあった。ノルマンディー上陸作戦が44年6月6日、パリ解放が同年8月である。日本では劇団四季が浅利慶太演出で54年に上演した(初演は劇団「方舟」)。途中休憩なしで上演時間2時間10分。

トロイ戦争は起こらない」ではナチスの軍服を着た人物が登場したが、「アンチゴーヌ」の衛兵はまるでパルチザンのような服装だった。また冒頭でヘリコプターの音が聞こえてきて、作品背景を表象(représentation)していた。

今回の特設ステージは細長い十字に組まれており、それを取り囲むように客席を設置。また対角線上の2隅に椅子が向かい合って置かれた。舞台の高さは60cmくらいかな。

Stage

Kyoto

僕が座ったのは上図Cブロック最前列。途中役者が客席側に降りてくる場面もあり、蒼井優がそれこそ手を伸ばせば届くくらいの位置に来たりもしてドキドキした。いやぁ、舞台演劇の醍醐味を堪能した!

僕は蒼井の映画デビュー作「リリィ・シュシュのすべて」(2001年、岩井俊二監督)から劇場で観ている。当時15歳くらいかな?しかしこの時は余り印象に残っておらず、《お、この娘可愛いな》と目を引いたのが映画「害虫」(2002年、塩田明彦監督)。宮崎あおい主演で、その同級生役だった。しかし当初は未だ清楚でおとなしい雰囲気だったので、後に彼女が【ビッチ(bitch)】だの【魔性の女】などと呼ばれるようになろうとは想像だに出来なかった。蒼井のアンチゴーヌは魂のこもった熱演で、これなら10年後くらいには「欲望という名の電車」のブランチも演れるんじゃないかと想った。

蒼井は今年、映画「彼女がその名を知らない鳥たち」でキ第91回ネマ旬報ベスト・テンの主演女優賞を受賞。2月12日の公演終了(15時10分頃)後に彼女は東京に駆け戻り、18時30分から文京シビックホールで開催された授賞式に参加したようだ(その記事はこちら)。いやはやハードスケジュールだね。

生瀬は兵庫県西宮市出身。同志社大学在学中に役者デビューし、その時の芸名は槍魔栗三助(やりまくりさんすけ)。初代「探偵!ナイトスクープ」のリポーターも務めた。1988年NHK朝ドラ「純ちゃんの応援歌」にレギュラー出演が決まり、「やりまくり」はマズイだろうと本名に改名した。なお生瀬は学生時代にゼミの指導教授から「君は俳優に向いてないよ」と言われたそうで、その教授は後に先見の明がなかったと反省したという。彼が演じるクレオンは当初穏やかで静かに話し、理知的であったが、アンチゴーヌに翻弄され次第に理性を失い、心が乱れ、叫び声を上げる。その振幅の大きさが鮮烈であった。

人間社会が存続するために必要な良識ある秩序。王となったクレオンはそれを守るために自分の感情を押し殺し、”良き”為政者/統治者であろうと努力する。それに対してアンチゴーヌは自らの感情の趣くままに"Non."と言い続ける。彼女は自己の実存を守ろうとし、社会(public)に対して徹底的な抵抗を挑む。それが彼女に与えられた「役割」なのである。因みにフランスの哲学者サルトルが講演の中で「実存は本質に先立つ」と述べたのは1945年。本作初演の1年後である。本質とは真理イデア(理念)=に置換可能であり、サルトルの発言はキリスト教全否定の企てでもあった。

また本作にはナチス・ドイツ支配下のパリで、生き延びるために彼らの言いなりになる(一時的に服従したふりをする)のか、死を賭してでも(自分に正直になって)「否」と言うべきなのかという難しい問いがある。貴方は明白に答えられますか?僕には判らない。正に究極の答えのない質問である。

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轟悠は宝塚の高倉健である。「ドクトル・ジバゴ」@シアター・ドラマシティ

2月12日(月)シアター・ドラマシティへ。轟悠(とどろきゆう/専科)主演、星組公演「ドクトル・ジバゴ」を観劇。台本・演出は原田諒。原田は「ロバート・キャパ 魂の記録」、「華やかなりし日々」が評価され、2013年に読売演劇大賞 優秀演出家賞を受賞、さらに2017年「For the people-リンカーン 自由を求めた男-」(轟主演)で読売演劇大賞 優秀演出家賞・優秀作品賞を受賞している。またスタッフとして作曲:玉麻尚一、装置:松井るみ(宮本亜門演出のミュージカル「太平洋序曲」ブロードウェイ公演でトニー賞にノミネート。他に「スウィーニー・トッド」の装置も)らが参加している。

Drama

現在は宝塚歌劇団理事でもある轟悠は雪組トップスターだった時代の「凱旋門」(2000年@宝塚大劇場)や「風と共に去りぬ」(2002年@日生劇場)を生で観ている。この度しみじみ感じたのは「年取ったなぁ」だった。あと頬がこけて「ちょっと痩せすぎじゃない?」しかし、役的に違和感はなかった。

現在の轟悠は【宝塚の高倉健】なんじゃないかと想った。背中で演技する。組子も轟の背中を見て男役の美学が何たるかを学ぶ。そこにはそこはかとなく哀愁が漂っている。年輪を刻んでいると言い換えても良いだろう。

僕は中学生の時に「戦場にかける橋」「アラビアのロレンス」の名匠デヴィッド・リーン監督が大作「ドクトル・ジバゴ」を撮っていることを知り、どうしても観たいと想った。スチール写真などを眺めてその映画に憧れたのだが、未だビデオデッキが一般家庭に普及していない時代であり、リバイバル上映もなく、中々観ることが叶わなかった(アカデミー作曲賞を受賞したモーリス・ジャールの音楽はサントラLPレコードを購入し、繰り返し聴いた)。そこでまず図書館からボリス・パステルナークの小説を借りてきて読んだ。訳者は原子林二郎。ところがこの翻訳には問題があり、原典であるロシア語版の入手が困難で、イタリア語訳版と英訳版を相互に参照した重訳だったのだ。当時は未だソビエト連邦であり、ロシア革命を批判する内容とみなされ発禁処分だったのである。本書の成果でノーベル文学賞が授与されることになったが、ソ連共産党がパステルナークをソ連の作家同盟から除名・追放すると宣告するなどして受賞の辞退を強制した。映画の方も当然、ロシアでの撮影許可が降りるはずもなく、スペインで人工の雪を降らせて撮られた(他にフィンランドやカナダでもロケ)。そして1980年、江川卓による待望のロシア語からの直接翻訳が出版された。早速高価な単行本上下巻を買って読んだのが高校生くらい。この江川訳は89年に新潮文庫に収められたが、現在はどちらの訳も絶版になっている。

大学の合格祝いにレーザーディスク(LD)プレイヤーを買ってもらい、真っ先に購入したソフトが映画「ドクトル・ジバゴ」(や「風と共に去りぬ」)だった。オリジナルは70mmワイドスクリーンだが、当時発売されていたのは箱型テレビ(横縦比4:3)に合わせたトリミング版。つまり画面の左右がカットされていた。これを後にワイドスクリーン版LDに書い直し、現在はDVDを所有している。また「午前10時の映画祭」に選出され、初めてスクリーンで観ることも出来た。

2015年「ドクトル・ジバゴ」はミュージカルとしてブロードウェイ劇場で上演された。台本:マイケル・ウェラー(「ヘアー」「ラグタイム」)、演出:デス・マカナフ(「ジャージー・ボーイズ」)、音楽:ルーシー・サイモンという布陣だった。4月21日に開幕し、閉幕が5月10日。プレビュー公演が26回で本公演がたった23回という、惨憺たる敗北であった。トニー賞へのノミネートも0だった。

さて宝塚歌劇版の話に入ろう。しっかりミュージカルしていたし、美術も演出も抜群のセンスで大満足であった。冒頭「血の日曜日」事件から一気に引き込まれた。

原田の演出で際立っているのは随所に現れる光の道である。この照明が美しい。僕は羽海野チカの漫画「ハチミツとクローバー」や「3月のライオン」で繰り返される月の道のモチーフを即座に思い出した。このイメージはそもそもムンクの絵が原点である(「ハチクロ」第8巻)。

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また舞台を分割して全く別の場所で起こっている出来事、あるいは、過去と現在を同時に見せる手法もstylishで格好いい。まるで映画におけるSplit Screen(分割画面)みたいだ。

今回の観劇で僕は「ドクトル・ジバゴ」とマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」の基本構造が全く同じであることに初めて気が付いた。

「風と共に去りぬ」はアメリが合衆国の南北戦争の話である。北部と南部が敵対する中、その境界を自由に行き来する存在がレット・バトラー。つまりバトラーはトリックスターなのだ。トリックスターとは神話や伝説の中で活躍するいたずら者で、 その狡猾さと行動力において比類ない。善であり悪であり、壊すものであり作り出すもの(scrap and build)。変幻自在で神出鬼没、全くとらえどころがない。その思いがけない働きによって従来の秩序が破壊され新しい創造が生じるきっかけとなることがある(例えば人類に火をもたらしたギリシャ神話のプロメテウス)。つまり既成の概念/価値観を転倒する。これはシェイクスピアの「マクベス」に登場する魔女3人の台詞「きれいはきたない、きたないはきれい」に呼応する。しかし単なる破壊者として終わることもある。境界を超えて出没するところに特徴がある。シェイクスピア「夏の夜の夢」の妖精パック、「リア王」の道化師、ユーゴー「ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムの鐘)」のクロパン、「レ・ミゼラブル」のテナルディエ夫婦、日本神話では須佐之男(スサノオ)がその代表例である。

一方、「ドクトル・ジバゴ」の対立軸はブルジョアジー(ロシア皇帝・貴族) vs. プロレタリアート(市民・労働者)だ。ジバゴ一家は前者に属し、ボリシェヴィキ(左翼活動家)のパーシャ(瀬央ゆりあ)と、その恋人ラーラ(有沙瞳)は後者に属する。

ここで面白いのがラーラの母親の情夫、弁護士コマロフスキー(天寿光希)である。彼こそがこの物語全体のkey personであり、トリックスターなのだ。コマロフスキーは貴族の側でありながらラーラの母が働く仕立て屋に出入りする。革命後は革命政府と良好な関係を保ち、窮地に陥ったジバゴとラーラを助けようとする。境界を超え神出鬼没の存在である。

考えてみればジバゴとラーラが出会ったのもコマロフスキーのおかげである。この物語において彼は触媒であり、彼抜きでは登場人物たちの生成変化も起こらないのだ。

有沙瞳は別嬪さんだった。適材適所、申し分のないキャストである。必見。

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映画「デトロイト」

評価:A

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公式サイトはこちら

キャスリン・ビグロー監督作品の過去のレビューは下記。

「ハート・ロッカー(アカデミー作品賞・監督賞受賞)」「ゼロ・ダーク・サーティ」そして「デトロイト」に共通するのはヒリヒリするような緊迫感である。そして映画の中で登場人物が、ある一線=狂気を越えてしまう瞬間が描かれる。

短いカットを畳み掛けるように繋ぎ、ドキュメンタリータッチの揺れる手持ちカメラで捉えられる1967年のデトロイト暴動は殆ど内戦状態と言っても過言ではない。僕が本作を観ながら想起したのは1966年にヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した「アルジェの戦い」やコスタ=ガヴラス監督の「Z」「戒厳令」、そしてオリバー・ストーン監督「サルバドル/遙かなる日々」である。つまり硬派で無骨な肌触り。仮にこれをスニークプレビュー(覆面試写会)で観たとして、監督が女性だと言い当てられる人は誰もいないだろう。

あとキャスリンの演出で際立っているのはCIAの特殊部隊がウサーマ・ビン・ラーディンを追う「ゼロ・ダーク・サーティ」もそうだったけれど、拷問/尋問シーンの凄まじさ。いたたまれない。←褒めてます

天晴である。しかし、アカデミー賞で完全に無視されたのは納得がいかないなぁ。

本作に登場する白人警官は犬畜生にも劣るクズどもである。ただし、白人が100%悪く、黒人側が一方的に正義か?と問われれば僕はそうは思わない。差別や貧困に耐えかねて怒りが爆発する気持ちは分かる。でもだからといって無関係な商店を破壊したり、略奪したり、放火して良い筈がない。治安を守る白人警官たちは今にも自分たちが襲われるかもしれないという恐怖に慄き、パニック(極限)状態にあった。つまり彼らの心理をそこまで追い詰めた黒人側にも多少非がある。過失割合は8(白人):2(黒人)相当かな。

ここで残念に思うのは非暴力・不服従で徹底的に戦ったマーティン・ルーサー・キング牧師の不在である。キングはまだ存命だったが、ブラックパンサー党結成や「ブラック・パワー」運動の過激化により、完全に求心力を失っていた(イスラム教徒によるパキスタン分離独立を食い止められなかったマハトマ・ガンジー@インドの置かれた状況に似ている)。彼のやり方に従っていれば、こんな悲劇は起きなかっただろう。そしてデトロイト暴動の翌年、キング牧師は暗殺されることになる(ガンジーもパキスタンが分離独立した翌年に暗殺された)。

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アカデミー賞2018の行方〜映画「スリー・ビルボード」

評価:A+ 公式サイトはこちら

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2月1日(木)日本公開初日に鑑賞。ギレルモ・デル・トロの「シェイプ・オブ・ウォーター」は3月1日(木)に公開されるので、いまこういう【映画の日に公開】というのが、流行っているのかな?入場料が安い日のスタート・ダッシュに賭けて、興行成績ランキング上位を狙おうという配給会社の戦略なのだろう。

「スリー・ビルボード」はアカデミー賞で作品賞、主演女優賞(フランシス・マクドーマンド)、助演男優賞(ウディ・ハレルソン&サム・ロックウェル)、脚本賞、作曲賞、編集賞と6部門7ノミネートされている。そして今年のアカデミー作品賞は本作と「シェイプ・オブ・ウォーター」の一騎打ち、監督賞はデル・トロとクリストファー・ノーラン(「ダンケルク」)の一騎打ちという情勢だ。

アカデミー作品賞に関して「スリー・ビルボード」が有利な点は全米映画俳優組合賞(Screen Actors Guild Awards)の作品賞に相当するアンサンブル賞を征したこと。ゴールデングローブ賞の作品賞も受賞した(監督賞はデル・トロ)。不利な点は監督賞にノミネートされなかったこと。但し、過去にも「恋におちたシェイクスピア」や「ドライビング Miss デイジー」が監督賞にノミネートされずに作品賞を受賞した前例があるアカデミー会員で最も人数が多いのは役者たちなので、SAGでアンサンブル賞を獲ったのは大きい。一方、「シェイプ・オブ・ウォーター」が有利な点は13部門最多ノミネートされていること。しかし昨年、史上最多タイ14ノミネートされた「ラ・ラ・ランド」は作品賞で「ムーンライト」に敗れている。つまり予断を許さない白熱したレースになっている。

映画鑑賞直後に確信したのはアカデミー賞でフランシス・マクドーマンドの主演女優賞、サム・ロックウェルの助演男優賞受賞は200%間違いないということ。圧巻である。また滋味溢れるウディ・ハレルソンの演技も忘れ難い魅力がある。役者に関してはパーフェクトだね。

僕は「つぐない」(2007)の頃からシアーシャ・ローナン(現在23歳)を応援していて、彼女が「レディ・バード」で主演女優賞を獲って欲しいと祈っているのだが、「スリー・ビルボード」を観て思い知らされた。フランシス・マクドーマンドには到底敵わないと。シアーシャ、君は未だ若いんだからまた次のチャンスがいくらでもあるさ。今回は潔く諦めよう。

兎に角、観客に先の展開を一切読ませない脚本が素晴らしい。次から次へと予想が裏切られていく。

本作の主なテーマは2つある。「人は見かけとは違う。早計に判断を下すな」そして「憎しみの連鎖は不毛しか生み出さない」ということ。それらが未だに有色人種やLGBTへの差別意識が強いアメリカ南部社会の気質と絡み合いながら次第に加速する。

後半で鹿が印象的に登場する。僕が瞬間的に想い出したのがダグラス・サーク監督「天はすべて許し給う」(All That Heaven Allows,1955)ジェーン・ワイマン演じる未亡人は小さな地方都市に暮らし、周囲の偏見、閉塞感に苦しんでいる。そのしがらみからの解放を象徴するのが鹿であり、そういう意味で「スリー・ビルボード」に繋がっている気がする。ちなみにトッド・ヘインズ監督「エデンより彼方へ」(2002)は映画まるごと「天はすべて許し給う」へのオマージュになっている。

娘がレイプされ殺された母親(マクドーマンド)と暴力沙汰で警官をクビになった男(ロックウェル)は物語の最後、一緒に車に乗り込む。彼らの行く先に《許し》はあるのか?その結末は観客の想像力に委ねられる。僕の脳裏に浮かんだのはアイルランドを舞台にしたロバート・ボルト脚本、デヴィッド・リーン監督「ライアンの娘」のラストシーンである。あの作品ではロバート・ミッチャムとサラ・マイルズがバスに乗り込む場面で締め括られた。

脚本・監督のマーティン・マクドナーは現在47歳。アイルランド人を両親にロンドンで生まれ育った。劇作家としてキャリアをスタートし、トニー賞にも数回ノミネートされている。ローレンス・オリヴィエ賞では「ウィー・トーマス」が最優秀コメディ賞、「ピローマン」が最優秀演劇作品賞、「ハングメン」が最優秀戯曲賞を受賞した。大した才人だ。

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映画「パディントン2」

評価:A

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6歳の息子と一緒に吹き替え版を鑑賞。

公式サイトはこちら

映画の続編が第1作目を超えることは滅多にない。1%もあるかどうか疑わしい。例外として真っ先に思い浮かぶのがクリストファー・ノーランの「ダークナイト」。あとコッポラの「ゴッドファーザーPART II」、ジェームズ・キャメロンの「エイリアン2」「ターミネータ2」もあるが、これらは前作も傑作なので超えたかどうか微妙。むしろ同等の完成度と言うべきだろう。「パディントン」にはそんな稀なことが起こった!

まずアメリカのサイトRotten Tomatoes(腐ったトマト)の評価を見てみよう。

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第1作 評論家の評価が98%、観客の満足度が80%。

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これが第2作では評論家100%、観客90%に跳ね上がっている。

日本での評価はどうか?スマホアプリWATCHA(5点満点)での平均は「パディントン」が3.5、「パディントン2」が4.3となっている。因みに僕は「パディントン」3.5、「パディントン2」4.5にした。

喋るクマさんを侮るなかれ。パディントンとは、いまヨーロッパ(EU諸国、イギリスは離脱交渉中)が悩みに悩んでいる移民のメタファーである。

彼の口癖は"If we're kind and polite, the world will be right."日本語にすると「もし僕らが人に親切で礼儀正しく接すれば、世界は適切/公正に扱ってくれる」となる。そして彼は持ち前の徳で、世間の不寛容(intolerance)という壁を突破してゆく。鮮やかな脚本(ほん)だ。

本作最大の魅力は飄々としたヒュー・グラントだろう。落ちぶれた役者役で変装の名人。実に愉しそうに演じているのが凄くいい。彼のキャリアの中でもベスト・アクトではないだろうか?

対して第1作の悪役だったニコール・キッドマンはユーモアが乏しかった。ビバ!ヒュー。

それからパディントンが飛び出す絵本の中に入り込んだり、主な舞台となるのが移動遊園地というのも素敵だね。これぞファンタジーの王道だ。

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笑福亭鶴瓶落語会 2018@兵庫芸文

1月28日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

  • 笑福亭鶴瓶:鶴瓶噺(Stand-up comedy)
  • 笑福亭由瓶:鉄砲勇助
  • 桂吉弥:七段目
  • 笑福亭鶴瓶:妾馬(八五郎出世)
  • 笑福亭鶴瓶:徂徠豆腐(そらいどうふ)ネタ下ろし

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鶴瓶は開口一番「いま楽屋で週刊文春の記事を読んでました。僕のことが載っていると聞いたので。(桂)文枝兄さんの件とちゃいますよ」(会場笑い)。

彼は1月初旬に前立腺精密検査目的で入院した(結果は良性)。退院後、週刊文春の直撃取材を受けたそう。前立腺ということも調べ上げられており、その取材力に感心したと。「あの人たちは下半身のことに煩(うるさ)いんです。容赦しません」

吉弥は戌年にちなみ、故・桂枝雀のSRから「犬」と「定期券」をマクラで紹介(その中身はこちら)。そしてハメモノの入る芝居噺を得意とした師匠・吉朝譲りの鉄板ネタ「七段目」へ。

鶴瓶の「妾馬」は昨年の落語会でも聴いた。「一年間、これで全国を回ってきたので、どう変わったかその成果を聴いてください」と。軽妙で可笑しい。この人情噺は演者が泣かせにかかるとホトホトうんざりさせられるのだが、鶴瓶の場合そんなことは一切ない。家族に乾杯Ver.というか、こざっぱりして嫌味がない。good !

「徂徠豆腐」は江戸中期の儒学者・荻生徂徠の逸話。元は講談ネタ。鶴瓶がこれを演ろうと思った切っ掛けは、近頃の政治家が信用出来なくなってしまったからだという。彼は住民票が西宮市にあるので、テレビで号泣した県議とか、新聞記者に暴言を吐いた市長とか……。「投票した時は若くていい人に見えたんです。見かけだけじゃ判りませんねぇ」そして雑誌の対談で会った中曽根康弘・元総理とか、野中広務・元官房長官がどれだけ立派な人たちであったかを語った。

立川志の輔がこれを高座に掛けているのを聴いて気に入り、志の輔に上演許可を貰おうとしたら「あ、あれは僕のじゃないんです」と別の師匠を紹介された。面識はなかったが電話を掛け、ツマガリ@甲陽園のケーキを送ったと(ここで会場がドッと沸く)。

清々しいネタ。鶴瓶は「お直し」とか「山名屋浦里」など若い女性(花魁)を演じると違和感ありまくりだが(大阪のオバチャンにしか見えない)、こういうのは良い。一聴の価値あり。

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