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2018年1月31日 (水)

【いつか見た大林映画・番外編】監督来阪!自作を語る。〜大林宣彦映画祭@シネ・ヌーヴォ

実は【いつか見た大林映画】第7回として9・11同時多発テロの年に大分県臼杵市で撮影された「なごり雪」から始まる21世紀の作品群を語る準備をしていたのだが、急遽事態が大きく動いたので番外編をお送りすることになった。

キネマ旬報ベストテンで第2位&日本映画監督賞、さらに毎日映画コンクールで日本映画大賞に輝いた最新作「花筐」が1月27日(土)に大阪・ステーションシネマ@JR大阪駅で初日を迎えた。公開日に合わせて大林監督が来阪し、舞台挨拶を行った。その様子は新聞記事になっている→こちら

舞台挨拶後監督はタクシーに乗り、九条にある映画館シネ・ヌーヴォ(69席のミニシアター)に駆け付けた。ここで20日から「大林宣彦映画祭」が日本最大規模で開催されているのである。上映されるのは16mmフィルムの個人映画時代やテレビ映画を含め38作品に及ぶ(昨年9月東京・新文芸坐で開催された映画祭では30本だった)。

監督は「ねらわれた学園」上映終了後に挨拶されたのだが、僕はその次の上映「可愛い悪魔」を観ようとロビーで待っていた。そこへ監督御一行が到着。

ロビーにはコレクターから提供された大林映画の珍しいポスターなどが展示されており、「うちにないのがあるわ」と大林恭子プロデューサー。

また壁には所狭しと数々の映画監督によるサインが書き込まれており、館主が「是非、高林陽一監督の隣にサインをお願いします」とリクエスト。

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ちなみに高林陽一(2012年没)は1960年代、大林監督も参加した実験(個人)映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」の仲間である。そして高林監督が1970年に撮った35mmドキュメンタリー映画「すばらしい蒸気機関車」や、1975年のATG映画「本陣殺人事件」の音楽は大林宣彦が担当している(映画「あした」以降に登場する作曲家・學草太郎は大林監督のペンネームである)。

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映画館には元・OBs関西(←説明はこちら)のメンバーも駆けつけており、また大阪・ステーションシネマの舞台挨拶を聞いてから、こちらにハシゴした強者も。

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今年1月9日に80歳の誕生日を迎えられたので観客は「ハッピー・バースデイ」を歌い、監督を迎えた。司会者が高林監督のとなりにサインして貰ったと紹介すると、「いやぁ、嬉しかったねぇ」と。そして館内を見渡して「ここはいい映画館ですね。天井が高くて。ちゃんとスタンダード・サイズが上映出来るそうで、いま日本には殆どなくなっちゃんたんじゃないかな。フィルムの上下をカットされたんじゃ悲しいよね」(スタンダードは横縦比4:3、現在の標準はビスタサイズであり、ハイビジョン画面16:9はヨーロッパビスタとアメリカンビスタの中間)

「ねらわれた学園」については「当時僕の作品は『こんなの映画じゃない!』と映画評論家の人たちから散々非難を浴びましてね。だったら『これならどうだ!』と挑発的な気持ちで撮ったのがこの作品です。思えばあの頃の僕は悪ガキでしたね」

「劇場デビュー作『HOUSE ハウス』はいまや、世界中の映画祭から引っ張りだこでね、招待されて行ってみると観客がハウス・コスプレを着て迎えてくれるんです」

「『HOUSE ハウス』を製作する前から『花筐』のシナリオは書き上げていて、それから40年経って漸く映画が完成したのだけれど、中身は『HOUSE ハウス』の頃とちっとも変わっていなかったねぇ」

「僕は昔から『映画作家(フィルムメーカー)』と名乗っていて、一度も『映画監督』と自称したことはないのだけれど、それは(東宝・松竹・東映など)権力・体制に対して一生アマチュアを貫くぞという覚悟だったんです。いわば第二次世界大戦中の軍部に対する庶民の心意気だったんですね」

「黒澤明監督は生前僕に、『大林くん、僕は東宝の社員として会社を儲けさせることを常に考えないといけなかったが、会社をクビになって漸くアマチュアになれた。いま僕は自由だ!』と仰って映画「夢」を撮られた。そこには戦死した軍人の亡霊や、原子力発電所の爆発が描かれていました。そして現在はスタジオ・システムが完全に崩壊して、映画監督はみなアマチュアになった」

「僕は今80歳というジジイですが、志半ばに倒れても、40代の《大林チルドレン》と呼ばれる若い監督たちが第一線で活躍しているから、彼らがやり残した仕事を引き継いでくれるでしょう」

「そして僕自身も新藤兼人監督の遺志を継いで、まだ誰も撮らなかった原爆のメカニズムを解明する映画を創りたいと思います」

新藤兼人は広島市出身。原爆をテーマにした映画「原爆の子」「さくら隊散る」を撮っている。また「第5福竜丸」は水爆実験の被害者を描く。さらにテレビ用に製作されたドキュメンタリー番組「8・6」では広島へ原爆を投下したエノラ・ゲイ号の機長だったポール・ティベッツに、新藤自ら会いに出向いた。そして「ヒロシマ」というシナリオが残されたが、これは映像化が叶わなかった。「(原爆投下の瞬間)一秒、二秒、三秒の間に何がおこったかをわたしは描きたい。五分後、十分後に何がおこったか描きたい。それを二時間の長さで描きたい。一個の原爆でどんなことがおこるか」と新藤は書いている。

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さて秋吉久美子主演「可愛い悪魔」(1982)は「麗猫伝説」(83)同様、火曜サスペンス劇場で放送されたテレビ映画である。大林監督は他にテレビ用として、斉藤由貴主演「私の心はパパのもの」(88)、石田ゆり子主演で「彼女が結婚しない理由」(90)、陣内孝則×葉月里緒奈で「三毛猫ホームズの推理」(96)、陣内孝則×宮沢りえで「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」(98)を撮っている(全て視聴済)。

市販された本作のVHSビデオは持っているが、スクリーンで観るのは初めて。なお2月2日に待望のDVDが発売される。「麗猫伝説」はビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」のプロットを下敷きにしており、「可愛い悪魔」の元ネタはマーヴィン・ルロイ監督「悪い種子」(1956)だ。「悪い種子」のことは映画評論家・町山智浩(著)「トラウマ映画館」で知った(「可愛い悪魔」については一切触れられていない)。

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はっきり言ってオリジナルより「可愛い悪魔」の方が面白い。ミステリーというよりもホラーに近く、「HOUSE ハウス」の姉妹編という表現が相応しいだろう。転落した人物の身体がポキっと不自然に折り曲がったり、火だるまになったり、結構残酷描写がある。20年ぶりくらいの鑑賞だったが、2階から落とされた金魚鉢が赤座美代子の顔にスポッと嵌まる場面は強烈に覚えており、ここで映画館も爆笑となった。「嗚呼、笑っていいんだ」と僕もホッとした。また監督本人と「HOUSE ハウス」の音楽を担当した小林亜星、そして秋川リサの特別出演シーンがとっても愉快だ。あとエンドロールに和製ドラキュラ役者・岸田森の名前を見つけて驚いた。エエッ!、出てたっけ??帰宅後、調査したところ「ミリタリー風の変な制服姿の別荘の番人」役だったと判明。途轍もない怪演で、全然気が付かなかった。因みに岸田は大林映画「金田一耕助の冒険」にもドラキュラ役で特別出演している。そして「可愛い悪魔」の放送から半年も経たないうちに亡くなった。

「可愛い悪魔」は音楽の使い方が抜群に上手い。物語の冒頭、屋外の結婚式で流れるのがシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」第2楽章。これがレコードで、強風に煽られて音飛びする演出が絶妙なのだ。またアルビノーニのアダージョとか、パッヘルベルのカノンなどが印象的。

「可愛い悪魔」の魅力はそれが内包する狂気である。これほど狂った大林映画を僕は他に知らない(「麗猫伝説」のSMシーン《白い肌に狂う鞭》も相当凄いけどね)。

1月30日(火)。今度はシネ・ヌーヴォで尾道三部作・外伝「日本純情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 夕子悲しむ」を観た。

Futari

劇場公開は1988年だが、ぼくは一足お先にA MOVIE FESTIVAL ONOMICHI '87のプレミア上映を観ている。また広島県福山市鞆の浦でのロケ見学もしていて、南果歩・三浦友和・竹内力と一緒に写真を撮ってもらった(→こちら)。その後レーザーディスク(LD)やDVDで繰り返し鑑賞しているが、スクリーンで再見するのは映画祭以来、実に31年ぶり。

いろいろなことどもが脳裏に蘇ってきた。例えば時折登場するちんどん屋を演じるのは尾道商店街の中にあったジャズ喫茶TOM(監督が愛飲していたのはTOMソーダ)のマスターとその夫人。「今日は鞆の浦で撮影しているよ」と僕に教えてくれたのもTOMのマスターだった。

「麗猫伝説」には瀬戸内キネマ撮影所が登場。そして「おかしなふたり」で瀬戸内キネマは寂れた映画館に生まれ変わっている。

大林監督には「いつか見たジョン・ウェイン」という著書がある。

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「おかしなふたり」で竹内力が着る潜水服はジョン・ウェインの映画「絶海の嵐」(ウェインが最後に巨大イカと格闘)と「怒涛の果て」(ウェインが巨大タコと格闘。そして全編ゲイル・ラッセルを熱く見つめ続ける)へのオマージュ。そして終盤延々と続く三浦友和&永島敏行の殴り合いはジョン・フォード監督が故郷アイルランドでウェインを撮った「静かなる男」への讃歌だ(スピルバーグ監督の「E.T.」で地球外生命体が酔っ払いながらテレビで観るのも「静かなる男」)。

それにしても本作において南果歩は女優として絶頂期だったなと改めて想う。特に1分52秒に及ぶ、物干し台に立つ彼女をクローズ・アップで捉えた長回しは奇跡のように美しい!この後、辻仁成、渡辺謙と相次いで結婚。2016年には乳がんの手術を受けた。色々あったけど、彼女には幸せになってもらいたいとスクリーンを見つめながら祈るような気持ちになった。

今回初めて気がついた事が幾つかあった。「ふたり」「あした」「異人たちとの夏」や、特に近年の作品で顕著だが、大林映画は生者と死者が当たり前のように同居している作品が多い。「おかしなふたり」の場合、現在と過去が渾然一体となっている。それは登場人物が過去を回想するフラッシュバックというよりは寧ろ、同時にそこにある。まるでフェリーニの「8 1/2」みたいに。

我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。(フェデリコ・フェリーニ)

20世紀フランスを代表する哲学者ジル・ドゥルーズは、その著書「シネマ」の中で、「8 1/2」やアラン・レネの「去年マリエンバートで」を論じ、それらを(チャップリン、キートン、ヒッチコックなど運動イメージを表す古典的映画に対して)時間イメージと名付けた。

そして正(まさ)しく「おかしなふたり」や「時をかける少女」も、時間イメージの映画であった(過去と現在が同時にそこにある時間イメージは、「転校生」の男女入れ替わりという設定をミックスさせ、新海誠監督「君の名は。」に継承されることになる。新海誠も紛れもなく《大林チルドレン》だ)。

「おかしなふたり」の室田夫婦(三浦友和・南果歩)とその娘は、ちっぽけなとある港町に閉じ込められている。そこでは時間が永劫回帰(by ニーチェ)している(ルイス・ブニュエル「皆殺しの天使」のように)。しかし、それって考えてみれば「時をかける少女」に於ける芳山和子(原田知世)の状況と同じだよね!「おかしなふたり」の最後、室田一家はボートを漕いで町(閉鎖空間)からの脱出に成功する。漸く時間は未来に向かって動きはじめる。このラストは大林映画「廃市」とそっくりだ(止まっていた主人公の懐中時計は水郷・柳川を離れると再び動き出す)。うわ〜っ、みんな繋がっていた!!

あとボートで目覚めた三浦友和が涙を流していることを新たに発見した。これも新海誠「君の名は。」みたいだ。

福永武彦の小説「廃市」で直之は「僕」にこう語る。

「いずれ地震か火事が起るか、そうすればこんな町は完全に廃市になってしまいますよ。この町は今でももう死んでいるんです。」

そして映画「おかしなふたり」で往年の映画スター・水城龍太郎は次のような台詞を喋る。

「ものくるほしくも、いつか見た夢、いつか見た映画。わたしは影でございます。スクリーンが燃えてなくなるとき、わたしの命もまた、ともに終わらねばなりません。あれが青春ならば、あれが愛ならば、わたしは単なる思い出。古い思い出に捕らわれて、わたしらはみんな、生きながら死んでいるのでございます。」

全く同じことを言っている。

瀬戸内キネマ炎上シーンは、後年公開されアカデミー外国語映画賞を受賞したイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」と奇しくも似ている。そして1台しかない映写機で「流し込み上映」をする点でも両者は一致している(詳しい解説はこちら)。

今年の正月に元・OBs広島のH氏から久しぶりに連絡を貰い、2月23-25日に開催される尾道映画祭に行くことになった(公式サイトはこちら)。H氏に会うのも、尾道を訪ねるのも、映画「マヌケ先生」エキストラ出演以来だから約20年ぶり。まるで「はるか、ノスタルジィ」の綾瀬慎介(勝野洋)になったような、摩訶不思議な感じだ。というわけで映画「花筐」は尾道で観ます。

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