クラシック音楽業界の虚飾を剥ぐ〜大フィル初演!コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
1月18日(木)フェスティバルホールへ。
角田鋼亮/大阪フィルハーモニー交響楽団による定期演奏会で、
- コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
- マーラー:交響曲第1番「巨人」
を聴く。ヴァイオリン独奏は竹澤恭子(ソリスト・アンコールはレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:揚げひばり)。
- コルンゴルトの歌劇「死の都」とヒッチコックの映画「めまい」 2014.05.09
- シリーズ《音楽史探訪》Between Two Worlds ~コルンゴルトとその時代(「スター・ウォーズ」誕生までの軌跡) 2014.01.17
- コルンゴルト&ヤナーチェク 《モラヴィアから世界へ》2009.01.27
僕がエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが作曲した映画音楽「シー・ホーク」を初めて聴いたのは高校生の時。スタンリー・ブラック指揮、ロンドン・フェスティバル管弦楽団によるLPレコードだった。そして「なんて壮大な楽曲だろう、この人は天才だ!」と想った。
それから時を経て彼のヴァイオリン協奏曲を初めてCDで聴いたのが今から約30年前。その濃厚なロマンティシズムにいっぺんに魅了された。パールマン、プレヴィン/ピッツバーグ響の演奏で、EMIの輸入盤。当時、国内盤は一切なかった。0である。初演者ヤッシャ・ハイフェッツの名盤ですら手に入らなかった。コルンゴルトは完全に忘れ去られた(日本人は端から知らない)存在だったのだ。
今では東京で五嶋みどり、神尾真由子、諏訪内晶子らがこのコンチェルトを演奏するなど、すっかり市民権を得た。しかし大阪は東京より遥かに遅れていて、大阪交響楽団が定期演奏会で取り上げたのが漸く2016年末。
- やっとコルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲の実演が聴けた。〜大響定期 2016.12.12
大フィルに至ってはそもそもコルンゴルトの楽曲を演奏すること自体、今回が初めてである。なお関西フィルは今年4月29日の定期演奏会で(独奏:オーギュスタン・デュメイ!)、日本センチュリー交響楽団は10月25日の定演で(独奏:荒井英治)で同曲を取り上げる。遂にコルンゴルトの時代が来たのだ。
このコンチェルトがアメリカで初演されたのが1947年。70年も経過している(日本初演は1989年)。どうしてこれ程までに適正な評価が遅れてしまったのか?その理由は大きく2つある。
- 初演された当時はアルノルト・シェーンベルクの十二音技法を経て、無調音楽が主流の時代になっており、「調性音楽は過去の遺物、時代錯誤だ!」と楽壇から無視された。
- 全楽章の主題(テーマ)全てがコルンゴルトが過去に手掛けた映画音楽から採られており、聴衆からも「映画に身を売った作曲家」と蔑まれた。
映画音楽を馬鹿にする風潮は今のクラシック音楽業界にも根強くあり、例えばオーケストラの定期演奏会で映画音楽が取り上げることは極めて稀である。要するにお高くとまっているのだ。プロコフィエフ「アレクサンドル・ネフスキー」「キージェ中尉」は例外中の例外。彼の場合、映画はあくまで副業であり、主軸がコンサート・ピースだからだろう。
現在はウィーン・フィル、ベルリン・フィル、NHK交響楽団も「スター・ウォーズ」や「E.T.」「ハリー・ポッター」などを演奏するようになったが、あくまでポップス・コンサートや野外コンサートに限られている。大フィルも今度、武満徹とジョン・ウィリアムズの特集を組むが、やはり枠外(「Enjoy !オーケストラ」)だ。定期演奏会では歌劇の序曲やチャイコフスキーのバレエ音楽が演奏されるのに、映画音楽はどうして無視されるのか?そこには偏見以外の理由があろう筈がない。
つまりアメリカ合衆国においてアフリカ系アメリカ人による公民権運動が始まる前(20世紀前半)の状態、人種隔離政策ならぬ「音楽隔離政策」が未だにクラシック音楽の世界では当たり前のように蔓延(はびこ)っているのである。マーティン・ルーサー・キング牧師の有名な演説"I Have a Dream"(1963)じゃないけれど、僕も次のように叫びたい。
わたしには夢がある!何時の日にか映画音楽がジャンルの色で差別されることなく、ベートーヴェンやチャイコフスキー、マーラーらの作品と肩を並べ、オーケストラの定期演奏会で取り上げられる日が来ることを。
闘いの日々は続く。TO BE CONTINUED...
さて、本日の演奏についてだがまず第1,2楽章の異様に遅いテンポに驚いた。僕は今までにこのコンチェルトのCDをハイフェッツ含め10種類以上聴いているが(ヒラリー・ハーンのDVDも)、竹澤は史上最遅である。豊穣な響きでたっぷりと歌うが、些か間延びした印象を受けたことも否めない。第3楽章は標準的な速さになり、引き締まった。力強く張りがあり、雄弁だった。そしてオーケストラを含め音色は美しく、総論として満足した。
マーラーについては歌い方、テンポ、ダイナミズム、どれをとっても良く言えば「中庸」、悪く言えば「中途半端」。楷書的な解釈で、はっきり言って「おもろない」。シンフォニーの冒頭から、盛り上がりに欠けたフィナーレまで頭の中では「この指揮者、一体何を表現したいの??」という疑問符がグルグル回り続けていた。彼の描こうとするヴィジョンが全く見えて来ない。
これは僕の持論だが、クラシック音楽はあくまで欧米の文化なんだから、若い指揮者は日本国内のポストだけで満足していたのでは駄目だ(その良い例が金聖響)。若い時こそ海外に武者修行に飛び出さなくちゃ!小澤征爾だって、大野和士や尾高忠明だって、一流の人たちは皆そうしてきた。角田鋼亮よ、旅に出て揉まれて来い!!
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