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2017年9月26日 (火)

「エイリアン:コヴェナント」を観る前に知っておくべき幾つかの事項

評価:A

Aliencovenant

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まず事前に知っておくべきこと。宣伝では隠されているが、「エイリアン:コヴェナント」は紛れもなく「プロメテウス」の続編である。

「プロメテウス」を知らなくとも本作を愉しめるが、知っていれば一層理解が深まるだろう。どうして隠すのか?それは興行成績を上げるため。続編だと世間が認知すれば、前作を観ていない人が映画館に行くのを躊躇するリスクがある。鈴木敏夫プロデューサーも押井守監督「イノセント」が「攻殻機動隊」の続編であることを隠してヒットに導いた。

「プロメテウス」の物語を要約すると、【わざわざ人間の創造主(=エンジニア)を訪ねて行ったら、まともに対話すら出来ない、手が付けられない暴れん坊だった】ということになるだろう。そしてリドリー・スコット監督が言いたいのは【そんなロクデナシの神なんか殺っちまえ!】といったところ。【神は死んだ】と説いたニーチェ哲学に繋がっている。

今回映画冒頭で、前作にも登場したアンドロイドのデイヴィッドの名前の由来がミケランジェロの”ダビデ像”(の英語読み)であることが明らかになる。ダビデとは古代イスラエルの王のこと。

デイヴィッドはパーシー・ビッシュ・シェリーの詩「オジマンディアス」を諳んじる。

I met a traveller from an antique land
Who said: “Two vast and trunkless legs of stone

Stand in the desert. Near them, on the sand,
Half sunk, a shattered visage lies, whose frown,
And wrinkled lip, and sneer of cold command,
Tell that its sculptor well those passions read
Which yet survive, stamped on these lifeless things,
The hand that mocked them and the heart that fed:
And on the pedestal these words appear:
‘My name is Ozymandias, king of kings:
Look on my works, ye Mighty, and despair!’
Nothing beside remains. Round the decay
Of that colossal wreck, boundless and bare
The lone and level sands stretch far away.”

私は古(いにしえ)の国から来た旅人に会った

彼は言った「胴体のない巨大な石の足が2本
砂漠に立っている その近く
半ば砂に埋もれ 砕けた顔が転がっている しかめっ面で
唇をゆがめ 冷やかに命令を下すように嘲笑している
この彫師たちにはよく見えていたのだ
それらの表情は命のない石に刻まれ
彫った者やモデルとなった者が事切れた後も生き続けると
台座には次のように記されている
『我が名はオジマンディアス 王の中の王
全能の神よ 我が為せる業を見よ そして絶望せよ!』
ほかには何も残っていない 
この巨大な残骸の周囲には
寂しく平坦な砂漠がただひたすらに広がっているだけだ」

(雅哉 訳)
 無断転載禁止!

オジマンディアスとはエジプトのファラオ、ラムセス2世のこと。またこれを書いた詩人の妻はメアリ・シェリー、小説「フランケンシュタイン」の作者だ。アンドロイドはいわば【フランケンシュタインの怪物】の末裔である。

人類に火をもたらしたギリシャの神Prometheusが前作の宇宙船の名前だったように、宇宙船Covenant号は「誓約・聖約」という意味であり、神と人の間に交わされる神聖な約束のこと。

本作の企画が発表された当初は"Alien : Paradise Lost"という副題がついており、本編にもミルトンの小説「失楽園(Paradise Lost)」からの引用がある。

Better to reign in Hell, than serve in Heaven.

天国で神に仕えるよりは、地獄で王になる方がマシだ。

ミルトンの「失楽園」は「魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」のモチーフにもなっている。神に叛逆し堕天使となったルシファー(悪魔)が復讐を果たす物語である。

デイヴィッドはピアノでワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」序夜「ラインの黄金」から”ヴァルハラ城への神々の入場”を弾く。「ニーベルングの指環」は神々の黄昏人類の黎明を描いており、宮﨑駿「崖の上のポニョ」とも関係が深い。

また宮崎アニメ関連で言うと、「耳をすませば」で使用された歌”カントリー・ロード(Take Me Home, Country Roads)”が「エイリアン:コヴェナント」でも流れたので笑ってしまった。これは望郷の歌(宮﨑駿による日本語詞は意図的に内容を変えている)であり、エリザベス・ショウ博士の気持ちを代弁しているが、もっと広く「我々は何処から来たのか?」と自らのルーツ(創造主)を知りたがる人類そのものを象徴しているとも解釈可能だろう。

とても嬉しかったのは、「プロメテウス」でちょっとだけ登場した、故ジェリー・ゴールドスミス作曲「エイリアン」Main Titleがいきなり映画冒頭からフル・バージョンで登場したこと。ちゃんと「プロメテウス」のテーマ曲(by マルク・ストライテンフェルト)も途中で出てきます。

当シリーズで気になるのは、どんどんリドリー・スコットの「ブレードランナー」の世界に接近していること。デイヴィッドの思考はかなりレプリカント(人造人間)のそれに近い。おまけに今回、「ブレードランナー」ではお馴染みの目のアップまであってドキッとした。「ブレードランナー」と「エイリアン」シリーズは近い将来、マーベル映画みたいにユニバースを形成するのか!?今後の展開から目が離せない。しかしまずは本作が大ヒットし、さらなる続編が製作されることが絶対条件だ。祈るような気持ちで見守りたい。

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