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【アフォリズムを創造する】その9「ネット炎上」のメカニズムを読み解く

高校生・大学生らは学校の教室で友達に話すように気軽に「あの娘とヤリたい」とか「今日バイト先でこんな失敗をやらかした」とかtwitterとかフェイスブック、インスタグラムなどSNSに書き込む。

ドストエフスキーの「罪と罰」や島崎藤村の「破戒」でも描かれたように、自己の隠れた欲望や罪の告白は人びとの面前で行われなければならない。それはカトリック教会の懺悔室で行われてきた告解に似ている。告解は逆に、司祭(神父)が信者の心を支配する仕組みでもある。

秘密を自分の胸の内にだけしまっておくことは苦しい。開放し、風通しを良くする必要がある。

社会人もまた、会社の上司にムカついたことや、学校の先生が生徒の悪口をつい漏らしたりもする。ここではSNSがストレス発散の場として機能している。いわばカウンセリングルームでリクライニングチェアにゆったり横たわり、心理療法士/精神科医に語ることの代用品のようなものだ。あるいは居酒屋やバーでの気の置けない仲間との会話、個人的な日記に書き込むような感覚。

不思議な事に彼らはその告白の先に、自分に好意的な善人、信頼出来る相手(Intimate Friends)しかいないという幻想を抱いている。ネット社会が不特定多数の棲む世界に開かれており、悪意に満ちていることを知らない。

しかしネット民(フォロワー)たちは突然、カトリックの司祭に豹変する。自分たちの善悪の基準を押し付け、道徳を説き、お鬼の形相で「悔改めよ!」と迫るのだ。それが炎上(Flaming)である。彼らはSNSの発信者に自己の放棄を求め、死を命じる悪魔的権力となる。ジャンヌ・ダルクを火刑に処すように。彼らの潜在意識には、迷える子羊を導く羊飼いになりたいという、牧人願望がある。言い換えるなら他者の上に立ちたい、王様気分を味わいたいという仮想権力への憧憬(=妄想)だ。

SNSでは自分の幸せを呟くことも許されない。次の記事を読んでみて欲しい。→「マイホーム購入!」という冗談で、ネット民から袋叩きにされてしまった10代のカップル

ネット民は他人の幸福なんか許せない。彼らは血に飢えたオオカミのように生贄贖罪の山羊(scapegoat)を求めている。人は日々、不満や不快を抱えて生きていると無意識のうちにルサンチマン(弱者が強者に対して持つ、憤り・怨恨・憎しみの感情)を抱く。その標的となりやすいのが芸能人(例えば斉藤由貴)であり、政治家(今井絵理子)だ。特に不倫は絶対に許せない。「あいつだけ美味しい思いをしやがって!」という嫉妬心を沸々と滾らせるのだ。

芸能人が謝罪会見を開いたり、政治家が辞職することでネット民たちの昏(くら)い欲望は満たされ、彼らは甘い快感に浸ることが出来る。つまり王様気分だ。

芸能人にとってイメージは大切であり、ある程度倫理(アイドルの場合は恋愛禁止の掟)を求められるのは致し方ない。CMに出演している場合、購買者に悪い印象を持たれては商品(アイドルの場合はCD=握手券)が売れなくなってしまう。しかし政治能力と道徳は別だろう。ジョン・F・ケネディはマリリン・モンローと不倫の関係にあったが、今更そのことをとやかく言う者はいない。ケネディは大統領として立派な仕事をした。それで十分だ。

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