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2017年8月22日 (火)

劇団四季×ディズニー・ミュージカル「ノートルダムの鐘」〜ヴィクトル・ユーゴーの深層に迫る!

8月19日(土)京都劇場へ。劇団四季「ノートルダムの鐘」を観劇。

Notre

1996年に公開されたディズニー・アニメーション「ノートルダムの鐘」の音楽はアラン・メンケンの最高傑作だと今でも信じて疑わない。

上記事で僕が書いたコメントを再録しておく。

アラン・メンケンには名曲が多い。「リトル・マーメイド」「美女と野獣」「アラジン」「魔法にかけられて」…。何れの作品と置き換えても構わない。しかし「ノートルダムの鐘」こそ最も荘厳で、劇的な音楽だと想う。

ヴィクトル・ユーゴーの原作は日本で「ノートルダムのせむし男」として親しまれてきた。しかし近年、「傴僂(せむし)」が差別用語に当たるとして、この名称は使われなくなった。ディズニー・アニメの原題は"The Hunchback of Notre Dame"で、直訳すれば「ノートルダムのせむし男」になる。それではまずいので日本で配給したブエナ・ビスタ・ピクチャーズは「ノートルダムの鐘」に邦題を決定、ご丁寧なことに英語のタイトルもわざわざ"The Bells of Notre Dame"に変更した。これは日本国内で発売されているDVD/Blu-rayも同様である。

アニメの日本語吹き替え版は全面的に劇団四季が担当した(DVD/Blu-rayに収録されている)。

  • カジモド:石丸幹二
  • エスメラルダ:保坂知寿
  • フィーバス:芥川英司(現:鈴木綜馬)
  • クロパン:光枝明彦
  • フロロー:村俊英

この中で現在も四季に残っているのは村俊英だけである。

今回のキャストは、

  • カジモド:田中彰孝
  • エスメラルダ:岡村美南
  • フィーバス:清水大星
  • クロパン:阿部よしつぐ
  • フロロー:芝 清道

劇団四季が上演するのは2014年に米国カリフォルニア州サンディエゴのラ・ホイヤ劇場で初演されたプロダクションで、作詞・作曲は映画と同じくスティーヴン・シュワルツ(「ウィキッド」)&アラン・メンケン(「美女と野獣」「アラジン」)のコンビ。演出はスコット・シュワルツ。

実はディズニーによる舞台ミュージカル「ノートルダムの鐘」にはもうひとつ、1999年6月5日にドイツのベルリンで初演を迎えたバージョンがあった。演出はジェイムズ・レパイン(「イントゥ・ザ・ウッズ」「パッション」「日曜日にジョージと公園で」)。劇団四季もそのプレミア上演に幹部や役者たち数名が出席したのだが、どうも不出来だったのか日本での上演には至らなかった。その後内容がさらに練られ、満を持しての日本お披露目に至ったわけである。ただし現時点でブロードウェイでの上演は実現していない。

僕は今回、余りの完成度の高さに息を呑んだ。凄い、凄すぎる!「オペラ座の怪人」や「ミス・サイゴン」を初めて観た時の感銘に匹敵する。

アニメ版で不満だったのは、アンデルセンの「人魚姫」を「リトル・マーメイド」にした時と同様、ヴィクトル・ユーゴーの原作を無理やりハッピー・エンドに変更したことである。カジモドはフロローを殺さないし、最後にカジモドもエスメラルダも死なない。子供向けとは言え、いくら何でもあんまりだ。しかし舞台版はほぼ原作に忠実で、一層残酷でダークになった。

キリスト教は父性が強い宗教である。三位一体とは父と子(イエス)と精霊を指し、そこに女性は一切関わらない。父性の特徴は「切断」にあり、世界を二分する。天国と地獄、天使と悪魔(善と悪)、光と闇。そして人間と「怪物」。「神」とか「天国」といった仮想の超越的な価値、理想郷を設定したために、キリスト教徒は現世や自分自身の生を一段低いものとして貶める価値観を見出した。それが「原罪」であり「最後の審判」である。ローマ帝国に対するルサンチマン(強者=支配者への怨恨、嫉妬)から育まれた攻撃性が自分自身に向かい、禁欲自己犠牲を美徳とする考え方が生まれた。この世は仮の住まいであり、欲望を抑えて隣人愛に徹すれば来世で幸福になれると信じたのである(以上の考察はニーチェの哲学とユング心理学に基づいている)。

聖職者のフロローは禁欲に生きている。一方、エスメラルダや流浪の民ジプシー(ロマ)たちはキリスト教の神を信じず、(善と悪の)境界に生きる者たちである。二分法の世界に生きるキリスト者には彼らのことが理解出来ない。得体の知れない「怪物」だ。自分たちはあらゆる欲望を我慢して生きているのにジプシー(ロマ)は歌って踊り、自由恋愛を愉しみ、生を謳歌している。彼らに対する嫉妬の感情もある。故にエスメラルダは「魔女」と断罪され、火あぶりの刑に処されるのだ。フロローも禁欲の末、歪んだ妄想・倒錯した欲情をエスメラルダに抱く。フロローはカジモドのことを「怪物」と呼ぶが、本当の「怪物」はどちらなのか?そして「怪物」を産んだのはキリストの教えなのではないか?ユーゴーが本作で語りたかったのは、そのことではなかったのかと僕は想った。

「ノートルダムの鐘」でユニークな存在はクロパンである。彼は道化であり、道化はトリックスターだ。トリックスターとは神話や伝説の中で活躍するいたずら者で、 その狡猾さと行動力において比類ない。善であり悪であり、壊すものであり作り出すものだ(scrap and build)。変幻自在で神出鬼没、全くとらえどころがない。単なるいたずら好きの破壊者で終始することもあれば、時として英雄にも成り得る(例えば人類に火をもたらしたギリシャ神話のプロメテウス)。境界を超えて出没するところに特徴がある。トリックスターは既存の秩序を解体し、(本作ではキリスト教の)価値観を転倒する。シェイクスピアの「マクベス」に登場する魔女3人の台詞「きれいはきたない、きたないはきれい」に呼応する。正に「ノートルダムの鐘」のラストでフロローとカジモドの立場は逆転するのである。

演出に関しては天井から降りてくる7つの鐘が強烈な印象を与えた。またクワイヤ(聖歌隊)の存在が、古代ギリシャ劇におけるコロス(合唱隊)を連想させ、鮮やかだなと舌を巻いた。

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