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2017年8月 5日 (土)

尾瀬へ!

7月20日から25日にかけて、尾瀬に旅をした。尾瀬は新潟・群馬・福島の県境にある。3県のどこからでもアプローチ可能だ。

入山前日には「日本秘湯を守る会」の宿、梅田屋旅館@群馬県に泊まった。なにより温泉の泉質が素晴らしかった!

尾瀬といえば

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
(中略)
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり

という、江間章子作詞、中田喜直作曲「夏の思い出」を想い出す人が多いだろう。1954年NHKラジオ歌謡で放送され、一躍有名になった。しかし水芭蕉が見頃なのは5月下旬から6月中旬まで。7月下旬はニッコウキスゲが花盛りだ。

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写真正面に見えるのが至仏山。背後には燧ヶ岳が聳えており、この二つの山に挟まれて広大な湿原・尾瀬ヶ原が広がっている。

僕が尾瀬に行くのはこれが6回目。その内訳は5月下旬に1回、盛夏に4回、紅葉の秋に1回。至仏山も燧ヶ岳にも登った。山小屋で旅人に訊ねても、ニッコウキスゲが咲き誇る7月下旬の尾瀬が一番好きという人が圧倒的に多い。水芭蕉ってね、何か地味なんよ。湿原に沢山咲いていても、直ぐに飽きてしまう。

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写真奥の白い草はワタスゲだ。ウグイスやカッコウの声が聞こえてくる。

僕にとって尾瀬はディーリアス音詩(tone poem)と密接に結びついている。特に「夏の夕べ Summer Evening」。そして「夏の歌 Song of Summer」「夏の庭園にて In a Summer Garden」などを聴くと否応なく尾瀬の風景が目の前に広がるのだ。

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2011年に東日本大震災及び福島原発事故が発生し、しばらく足が遠のいていた。実際、環境省の公表資料を見てみると2010年の総入山者数が34,7万人だったのに対し、11年には28,1万人に落ち込んでいる。15年には32,6万人にまで回復した。因みに尾瀬ヶ原には昔から東電小屋があるが、東京電力は未だ手放していなかった(→サイト「尾瀬と東京電力」へ)。

しかし6歳になる息子に「地上の楽園」尾瀬をどうしても見せたいと想い、漸く再訪する決意を固めた。

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鳩待峠から入山し、見晴にある弥四郎小屋で2泊した。上の写真は小屋の2階からの眺め。標高のせいか小屋で飲む生ビールの旨さは絶品だ。翌日は尾瀬沼へ向かって出発した。

見晴の標高が1,400mで尾瀬沼が1,660m。標高差約250mの長い上り坂となっている。途中、珍しく水芭蕉がまだ可憐に咲いている場所が一箇所だけあった。

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尾瀬沼では毎回、長蔵小屋に泊まっていた。明治23年(1890年)に建てられた、尾瀬で最も古い小屋だ。しかし今回は初めて尾瀬沼ヒュッテに宿泊。雑魚寝の長蔵小屋とは違い個室で、食事も翌日のお弁当(おにぎり)も美味しかった!風呂も快適。次回からもここを利用しよう。

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尾瀬沼近くの大江湿原。ここのニッコウキスゲの群生は尾瀬ヶ原の比ではない。10倍は下らないだろう。

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写真中央に紫色のヒオウギアヤメ(檜扇菖蒲)が見えるだろうか?

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息子も気に入ってくれたようで良かった。1日12Km(1万8千歩)歩くこともあり、自分の体力(足)にも自信を持ったようだ。

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最終日は早朝に山小屋を発ち、1時間半歩いて沼山峠に出た。バスを経て会津高原尾瀬口から新型特急リバティに乗り、帰途についた。

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