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2017年7月

2017年7月31日 (月)

アカデミー外国語映画賞受賞/イラン映画「セールスマン」

「別離」に続いてイランのアスガー・ファルハディ監督が米アカデミー外国語映画賞を受賞したのが「セールスマン」である。今年の外国語映画賞はドイツ映画「ありがとう、トニ・エルドマン」が本命と言われていた。大逆転劇が演じられたのは、トランプ大統領(共和党)によるイラン人入国制限命令への批判・当て付けではないかと囁かれた。当然のことながらファルハディ監督は授賞式出席を拒絶。代理人がトランプを批判する声明を読み上げた。ハリウッドは民主党支持者の巣窟だからね。お約束の事態となったわけである(ハリウッド・スターで共和党支持者なのはクリント・イーストウッド、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガー、シルベスター・スタローン、アダム・サンドラーくらい。後は殆ど民主党支持者だと思って間違いない)。

評価:A 公式サイトはこちら

主人公エマッドは学校で教師を務めながら、同時に妻と小劇団に所属し、アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の稽古に忙しい。考えてみたら僕は「セールスマンの死」の舞台も映画も観たことがないんだよね。ダスティン・ホフマンが主演し、「ブリキの太鼓」のフォルカー・シュレンドルフが監督したテレビ映画版(1985)を是非観たいと20年くらい前から思っているのだが、国内版DVDは発売されず未だ機会がない。舞台版初演の演出を手掛けたのが「欲望という名の電車」「エデンの東」「波止場」「草原の輝き」のエリア・カザンなので彼が映画も手掛けてくれればよかったのだが、何故か違うんだよね(舞台初演版の主演は「波止場」のリー・J ・コップ、映画版はフレデリック・マーチ)。

さて本題。映画「セールスマン」を観ると、イスラム教って最悪!という気持ちになる。兎に角男尊女卑が露骨で、女性は常にヒジャブ(スカーフのような布)で頭髪を隠さないとならず、自宅で一人でいるときもそうなのだから驚かされる(つまり誰もいなくても「神は見ている」ということなのだろう)。舞台でアメリカ人を演じているときも外さない。夫が不在の時に妻は家で暴漢に襲われるのだが、警察に届け出ないのにもびっくりした。「お前が誘ったんんだろう?」という目で見られること(=性的二次被害 second rape)が恐ろしいのだ。浴室に倒れている彼女を発見しERに搬送したアパートの住人たちも、「警察なんか信用出来ない」と言ってそれに賛同する。ちょっと日本や欧米諸国では考えられないことだ。結局その選択が後に起こる悲劇の引き金となる。

乗り合いタクシー(政府公認の流し。どこでも乗り降りが自由で、安価で利用できる。男女同席)というのもカルチャーショックだ。エマッドの携帯電話が授業中に鳴り、彼が悪びれもせず応答したのにも唖然とした。こういう文化差を知るという意味でも映画って素晴らしい。

エマッドはいけ好かない男である。後半の彼の行為には全く共感出来ない。その行動原理は〈命には命を,目には目を,鼻には鼻を,耳には耳を,歯には歯を,全ての傷害に同じ報復を〉というコーランに書かれた言葉に基づいている。これには実は〈しかし報復せず許すならば,それは自分の罪の償いとなる〉という続きがあるのだが、彼は後半部分を完全に無視している。

決して後味が良いとは言えないが、ズシリとした見応えのある作品だ。僕がアカデミー会員なら、やはり「ありがとうトニ・エルドマン」ではなく「セールスマン」に投票しただろう。

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2017年7月28日 (金)

インバル/大フィルのマーラー交響曲第6番「悲劇的」とダンテ「神曲」

7月27日(木)フェスティバルホールへ。

エリアフ・インバル/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏で、

  • マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

を聴く。インバルによる同曲の演奏は1989年11月12日(日曜日)に手兵フランクフルトフランクフルト放送交響楽団との来日公演で聴いている。場所はザ・シンフォニーホール。あれから28年経った。僕が第6番の実演に接するのはこれが5回目。内訳はインバル2回、佐渡裕、大植英次、サロネンである。

まずは下記事をお読み頂きたい。

しばしば第2楽章、第3楽章の曲順が問題になるのだが、インバルは従来通りスケルツォ→アンダンテを採用。終楽章のハンマーは2回振り下ろされた。

今回聴きながら強く感じたのは、この曲にはダンテが書いた「神曲」の影響があるのではないか?ということ。第4楽章はどう考えても「地獄篇Inferno」だろう。その序奏(アレグロ・モデラート)は世界が天国と地獄に分離される前の混沌chaosのようにも聴こえるし、「神曲」に即すなら小説の冒頭、地獄の門をくぐる前の暗い森とも言える。因みに西洋の物語における森とは無意識(夢)のメタファーだ。

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」

そして第3楽章(アンダンテ・モデラート)は「天国篇Paradiso」。マーラーにとってのベアトリーチェ(永遠の淑女)は言うまでもなく妻アルマのことである。余談だが宮﨑駿監督のアニメーション映画「風立ちぬ」の物語も「神曲」に基づいている。ラストシーンで堀越二郎(=ダンテ)とカプローニ(=案内人・古代ローマの詩人ウェルギリウス)が立っているのは煉獄であり、そこに亡くなった菜穂子(=ベアトリーチェ)が天国から迎えに来る。

閑話休題。ここでどうして「神曲」を持ち出したかというと、ちゃんと根拠がある。マーラー未完の交響曲第10番 第3楽章のスケッチには「煉獄Purgatorio(または地獄Inferno)」と書かれており、(または地獄Inferno)の部分に消された跡があるのだ。

さて、インバル/大フィルの演奏について語ろう。第1楽章は指揮者の冷徹な眼差しが光る。行進曲のリズムは明快で、低弦は殺伐とした雰囲気があり、目の前のものをバッサバッサと容赦なく切断しながら前進する。第2主題(アルマのテーマ)は決して甘美にならず、決然と鳴り響く。空恐ろしい世界。第2楽章スケルツォも力強く律動し、鋭いアクセントで誇張された音楽。第3楽章アンダンテ・モデラートは速めのテンポで流れ、決して粘らない。そしてやって来ました終楽章の地獄篇。僕は円谷プロが制作しTBSで放送された「怪奇大作戦」(1968-9)の主題歌「恐怖の町」(作詞:金城哲夫、作曲:山本直純)の歌詞を想い出した。

闇をひきさく あやしい悲鳴
誰だ 誰だ 誰だ
悪魔が 今夜もさわぐのか

迫力満点、聴き応えたっぷりのコンサートだった。

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2017年7月27日 (木)

映画「君の名は。」Blu-rayとティアマト彗星の軌道問題

待ちに待ったアニメーション映画「君の名は。」のBlu-ray 「コレクターズ・エディション」が我が家に届き、6歳の息子と一緒に、途中僕の解説を挟みながら早速鑑賞した。圧倒的な高画質で、IMAX版を遥かに凌駕していた(我が家は4Kテレビ)。

幼稚園児に理解出来るのか(特に3年間のズレ)?と些か不安があったが、「男の子と女の子の入れ替わりが面白かった!」と好評で、胸をなでおろした。因みに「今まで観たアニメの中で何が一番好き?」と訊ねると、「君の名は。」だそう(「太陽の王子 ホルスの大冒険」「どうぶつ宝島」「長靴をはいた猫」「空飛ぶゆうれい船」「パンダコパンダ」「カリ城」「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」「魔女の宅急便」「千と千尋」「ポニョ」「バケモノの子」「アナ雪」「白雪姫」「ダンボ」「ファンタジア」「バンビ」「ピノキオ」「アラジン」「ヒックとドラゴン」「アイアン・ジャイアント」「怪盗グルーの月泥棒」「LEGO® ムービー」「ベイマックス」「ズートピア」「ソング・オブ・ザ・シー」なども観せているのだが)

さて、

上記事に書いたが、映画公開直後からティアマト彗星の軌道がニュース映像の2回目・3回目で物理学的に間違っていると話題になっていた。彗星は太陽(恒星)の重力に引っ張られてその外縁を弧を描くように曲がる筈だが、アニメの作画では太陽に到達する手前、地球(惑星)の外縁でUターンしていた。劇場で観たIMAX版も英語主題歌版でもそのままだったのだが、遂に今回発売のBlu-ray/DVDで修正された。一安心だ。

Suisei

Blu-ray「コレクターズ・エディション」は映像特典ディスクが3枚に及び、なんと9時間超えの大容量となっている。製作発表記者会見&舞台挨拶だけでも大量に収録されており、RADWIMPSの野田洋次郎がサプライズで登場し、「前前前世」をギター1本で唄ったアコースティック・バージョンや、上白石萌音(三葉)が野田の伴奏で唄う「なんでもないや」まで聴ける。

他に英語主題歌版本編、新海誠監督によるビデオコンテ全編(効果音付き、声を監督自身と、その妻で女優の三坂知絵子のふたりが入れている。「まんが日本昔ばなし」みたいなスタイル。因みに「まんが日本昔ばなし」の市原悦子は「君の名は。」で宮水一葉の声を当てている)、神木隆之介・上白石萌音・RADWIMPSによるビジュアルコメンタリー全編(スプリット画面でコメンテーターの表情も見れる)、本編映像に未使用音声をのせた音声クリップ、サントリー天然水CM、スパークル [original ver.](新海誠監督が新たに編集したMusic Video。映画本編にない新規カットあり)、新海監督講演映像(『君の名は。』の物語~現代の物語の役割)など盛り沢山。ファン垂涎の中身になっている。プロモーション映像集(特報・予告)では公開前のものから公開後に観客動員数がどんどん増えていく様子、興行成績ランキングでアジア圏5冠(日本、台湾、タイ、香港、中国)さらに6冠(+韓国)を達成、おまけに2017年春休みバージョンまで収録されていて愉しい。

あとメイキングドキュメンタリーでは

  • 企画書:「夢と知りせば(仮)」
         ー男女とりかえばや物語
  • 脚本第2稿:「きみはこの世界の、はんぶん」
  • 脚本第3稿:「夢にさえ、逢うこと難く」
  • 脚本第4稿:「かはたれそ」(彼は、誰そ)
  • 脚本第5稿:「かたわれの恋人」

と、タイトルがどんどん変わっていったのが興味深かった。

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2017年7月18日 (火)

珠城りょう主演 宝塚月組「All for One 〜ダルタニアンと太陽王〜」

7月17日(祝)宝塚大劇場へ。月組公演「All for One 〜ダルタニアンと太陽王〜」を観劇。

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台本・演出は小池修一郎。アレクサンドル・デュマの小説「三銃士」はルイ13世時代の物語だが、小池版は「太陽王」ルイ14世の時代に置き換え、そこに〈双子の男女の取替〉という、シェイクスピア「十二夜」の設定を取り込んでいる。なおダルタニアンは同名の実在の貴族をモデルにしているという。また敵役マザラン枢機卿も実在の人物で、彼の死の翌日に摂政の廃止が宣言され、ルイ14世の親政が始まった。

主な配役はダルタニアン:珠城りょう、ルイ14世:愛希れいか、アラミス(三銃士のひとり):美弥るりか、ベルナルド(マザラン枢機卿の甥):月城かなと    ほか。

上記事にも書いたが、月城かなとは長身で美形の男役なので、今回も目立っていた。男役がダメダメだった月組も組替えで漸く充実してきた印象。

美貌の娘役・愛希れいかのことは昔から大好きなのだが、嘗て男役だった彼女のキャリアを活かして、男から女へのメタモルフォーゼ(変身)が愉しめる。さすが「当て書き」の妙である。

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子どもの取替などアホっぽいミュージカルだが、すこぶる面白かった!特に「壁ドン」ギャグには爆笑。小池作品の系譜としては1998年宙組「エクスカリバー」に近いかな?かなり出来がいい方。

小池作「薔薇の封印 -ヴァンパイア・レクイエム-」(2003年月組)にもルイ14世が出てくるが、アレは酷かった。アレに比べると今回は本が相当練られている。お勧め!

最後に。劇中【0ne for All, All for One(一人は皆のために、皆は一人のために)】が出て来るが、本作はフランスが舞台でありデュマの「三銃士」もフランスの小説。何で英語なの!?

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2017年7月16日 (日)

【いつか見た大林映画】第5回「新・尾道三部作の方へ」

「ふたり」(1991)から始まる【新・尾道三部作】の話をしよう。

「ふたり」はまず1990年11月9日と16日の2週に渡り、NHK総合「NHK子どもパビリオン」の枠で放送された。前編・後編それぞれ45分、併せて90分。後年劇場公開された映画の尺は155分なので、65分もカットされていたことになる(ヒロイン実加が悪漢に襲われる場面、リレー・マラソン、討ち入り/直談判、竹中直人出演場面など)。僕はリアルタイムで観た。大林映画としては初めてハイビジョンによる合成が試された(黒澤明は90年に公開された「夢」のゴッホが登場するエピソードでハイビジョンを活用している)。これが後のフル・デジタルシネマ「この空の花 ー長岡花火物語」(2012)に繋がってゆく。

赤川次郎(原作)・桂千穂(脚本)・大林宣彦の3人には元々、ひとつの接点があった。女吸血鬼を主人公とする映画「血とバラ」(1960年仏・伊合作、監督:ロジェ・ヴァディム)である。大林監督が16mmフィルムで撮った個人映画「EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ」(67)は「血とバラ」へのオマージュだったし、桂千穂の新人シナリオコンクール入賞作が「血と薔薇は暗闇のうた」で、赤川次郎も「血とバラ 懐かしの名画ミステリー」という短編小説を書いている。そしてこの3者が再びタッグを組むのが「あした」(95)だ(原作「午前0時の忘れもの」)。

「ふたり」の石田ひかり(撮影当時18歳)は素晴らしいが、なにより特筆すべきは久石譲の音楽だろう。正に幸福な結婚(perfectly happy marriage)である。久石とのコラボは「漂流教室」(1987)が最初だが、映画の出来自体がアレだったから……。「ふたり」の主題歌”草の想い”は作詞:大林宣彦、作曲:久石譲。劇中ではミュージカルとして登場し、エンドロールでは前半を大林が、後半を久石が唄う(動画視聴は→こちら)。因みにこのメロディ、久石は後に宮﨑駿「紅の豚」(92)の”帰らざる日々”という曲に転用している。是非聴き比べてみてください。

草の想い”の歌詞には監督のライフワークである檀一雄の小説「筐(はなかたみ)」と福永武彦の「草の花」という言葉が全て詰め込まれている。

時は移ろいゆきて
ものはみな失われ
朧ろに浮かぶ影は
草の想い

ひとり砂に生まれて
ふたり露に暮せば
よろこびとかなしみの
の形見(かたみ

あと殆どの人が気が付いていないであろうことについて触れておこう。”草の想い”が流れ始める直前のラストシーン。海側から実加(石田ひかり)が坂道を登ってくるのをカメラが真正面から捉える。その前を横切り、死亡事故を起こしたトラック・ドライバーが現場に花を供え祈る。と、そこでカメラが切り替わり少女の後ろ姿を捉える。顔は見えないがそれは美加ではなく、事故で死んだ姉の千津子(中嶋朋子)なのだ。ふたりでひとり

旧【尾道三部作】で撮影隊の拠点となっていたジャズ喫茶TOMと監督サイドでどういう経緯があったのかは知らないが、【新尾道三部作】からTOMとの関係は完全に切れた。

「あした」(1995)のエンドロールをご覧頂きたい。

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茶房こもんと、そのオーナー大谷治氏が尾道製作スタッフとしてクレジットされているが、TOMの名前が消えている。TMC (TOM MEMBERS CLUB)の協力もなくなった。

それに替わって監督の個人事務所PSCの肝煎りで1994年11月に大林映画公式ファンクラブOBs Clubが設立され、会報「OBs Club通信」も発行された。そして広島支部、関西支部、東海支部、関東支部などが立ち上がり、活発な活動を開始した。僕は91年に医師国家試験に合格し、ファンクラブ誕生時は広島市民病院に赴任していたので、広島支部に所属した。

世界的に見ても映画監督の公式ファンクラブが結成されるというのは珍しいのではないだろうか?少なくとも日本では聞いたことがない。

95年3月に「あした」の撮影が始まり、撮影終了後、映画公開前にOBs Club主催でロケ地巡りツアーが敢行された。物語の中で「呼子浜」とされた尾道市向島・余崎の砂浜で船の待合室のセットを見学したりした。この建物は現在移築され、バス停留所(@向島兼好)として活用されている。

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そしてやはり映画に登場した「呼子丸」。

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新聞記事によると後に「呼子丸」は尾道市に譲渡され、尾道水道の向島側に5年ほど係留されていたが、老朽化と船底からの浸水のため2000年夏に廃棄処分されたという。

僕が大好きなのは沈没した呼子丸が午前0時に海底から静かに浮かび上がってくるシーン。美しく、幽玄な世界がそこにあった。

旧【尾道三部作】及び【尾道三部作】外伝、そして「ふたり」で美術監督を務めた薩谷和夫(東京都出身)は「水の旅人 侍KIDS」の九州ロケハン中に体調を崩し、尾道まで戻って来て入院するが、1993年1月6日に亡くなった(この時、尾道市民病院に勤務していた僕の同級生が薩谷さんを専門病院に転院搬送する際に、救急車に同乗したそうだ)。そして「さびしんぼう」の舞台となった尾道の西願寺にお墓が建てられた。その翌年に製作された「あした」の美術監督は兄弟子の竹中和雄に代わった。

「あした」の音楽は學草太郎(まなぶそうたろう)。実は大林宣彦のペンネームである。福永武彦原作「廃市」の音楽も監督自身が手がけているが、この時は本名だった。

本作は大林監督としては珍しく群像劇である。明確な主人公がいない。寧ろ主人公と言うべきはかも知れない。数多い登場人物の中でも印象的だったのは「ふたり」で映画デビューを果たした中江有里かな。先日映画を見直してやっぱり綺麗だなと想った。98年の大林映画「風の歌が聴きたい」では主役に抜擢された。彼女は後にNHKの書評番組「週間ブックレビュー」で児玉清のアシスタントを務め、読書家としての鋭い知性を感じさせた(なんと年間300冊以上読むという)。またNHKラジオドラマ脚本懸賞で入選したり(放送もされた)、小説を出版したりと多彩な才能を発揮している。

この頃、東京でOBs Partyもあった。大林監督がピアノの弾き語りで”草の想い”を歌ってくださったり、

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1960−70年代に監督が撮ったCMの数々(長門裕之&南田洋子夫妻による「カルピス」、チャールズ・ブロンソンが出演した「マンダム」、ソフィア・ローレンが「ラッタッタ」の掛け声とともに乗るホンダのオートバイ、上原謙・高峰三枝子共演の国鉄「フルムーン」等)をスクリーンで観たりした。またゲストとして「青春デンデケデケデケ」の林泰文、「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」の柴山智加、「麗猫伝説」の風吹ジュンらもパーティ会場に姿を見せた。

【新・尾道三部作】を締めくくる「あの、夏の日 - とんでろ じいちゃん」は尾道市政100年を記念して創られた。原作は「転校生」「さびしんぼう」「はるか、ノスタルジィ」の山中恒。1999年7月3日より東映系で全国公開されたが、5月1日より尾道市内の港に停泊していた船舶《サウンズ・オブ・セト》で先行上映された(新聞記事はこちら)。僕はこの船内シアターで観た。

本作は宮崎あおいの映画デビュー作である。撮影当時12歳、また中学1年生だった。この幼気(いたいけ)な少女を大林監督は素っ裸にしたのだから僕は呆れ果て、怒り心頭に発した。【いつか見た大林映画】第4回にも書いたが、監督が「脱がし屋」であることは重々承知している。しかし、いくら何でもこれは酷い。だから僕が本作を観たのは1回きり。彼女にとっても無かったことにしたい過去だったようで、公式サイトのフィルモグラフィーでも黙殺されている(→こちらに飛び、"FILM"をクリック)。

ここまで読まれた方にはご理解頂けたと想うが、僕は筋金入りの大林映画ファンである。それでも大嫌いな作品はあるわけで、「ねらわれた学園」「漂流教室」そして「あの、夏の日 - とんでろ じいちゃん」の3本がそれに当たる。

ただ「あの、夏の日」に出演したことが宮崎あおいの心的外傷として残ったわけではないようで、その後彼女は「淀川長治物語」(2000)と「理由」(2004)という2本の大林作品に出演している(「理由」には実の兄・宮崎将も出演し、映画の中でも兄妹を演じている)。

あと番外編として「マヌケ先生」(2001)をご紹介しよう。大林監督の少年時代を描く映画で監督は内藤忠司。旧【尾道三部作】で助監督を務めた人だ。三浦友和、竹内力らが出演した。主人公の名前が「馬場鞠男(ばばまりお)」大林監督が「HOUSE ハウス」で劇映画デビューをした時に考えていたペンネームである。イタリアホラー映画の巨匠マリオ・バーヴァ(「血塗られた墓標」「モデル連続殺人!」「呪いの館」)をもじっている。またクリストファー・リー主演「白い肌に狂う鞭」はマリオ・バーヴァがジョン・M・オールドという偽名で監督した映画で、これが大林監督の大のお気に入り。桂千穂の著書の中で大林監督との対談が掲載されており、そのタイトルがズバリ「僕たちは『白い肌に狂う鞭』で第二の映画仲間になった」なのだ。火曜サスペンス劇場で放送された「可愛い悪魔」にも「白い肌に狂う鞭」のオマージュが挿入されている。そして「あした」で學草太郎(=大林)が作曲した音楽は「白い肌に狂う鞭」にそっくり。

「マヌケ先生」はOBs Clubのメンバーが多数エキストラとして参加しており、僕も尾道の撮影現場で衣装を渡され映画初出演を果たした。一応、竹内力との共演??である。エンドロールに名前も出てくるのだが、残念なことに誤字のまま掲載されている。

「町守り」を願う監督の想いとは裏腹に、尾道市では「町おこし」という名の「町壊し」が推し進められていた。「転校生」の〈国鉄〉尾道駅は建て替えられ、映画で繰り返し登場した雁木(船着場における、階段状の構造物)も再開発でなくなってしまった。そして「あの、夏の日」「マヌケ先生」を最後に大林監督は尾道と決別。僕もそれ以降、尾道を訪ねていない。

TO BE CONTINUED...

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2017年7月15日 (土)

バーンスタイン「ミサ曲」と「ジーザス・クライスト・スーパースター」

7月14日(金)フェスティバルホールへ。レナード・バーンスタインのミサを聴く。

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総監督/指揮/演出:井上道義(ミッキー)、ミュージック・パートナー:佐渡 裕、大阪フィルハーモニー交響楽団&合唱団(合唱指揮:福島章恭)、公募による児童合唱、歌手18人、ロックバンド、ダンサーら総勢200人が出演、それに舞台美術も加わる劇場用作品である。1970年に作曲が開始され、翌71年にジョン・F・ケネディ・センター@ワシントンのこけら落とし公演として初演された。ミッキーは1994年に京都市交響楽団を率いてオーチャードホールでこの作品を上演。日本での再演は実に23年ぶりとなる。

一目瞭然なのはアンドリュー・ロイド・ウェバーのロック・ミュージカルジーザス・クライスト・スーパースター」からの影響である。題材も編成も類似している。「ジーザス」のブロードウェイ初演は71年。しかし69年に楽曲"Superstar"がシングルで発売、70年には"Jesus Christ Superstar"と題した2枚組LPレコードがリリースされている(当時ロイド・ウェバー22歳)。間違いなくレニーはこれを聴いている筈。またこの頃の音楽の潮流にも深く関わりがある。それはロックとオーケストラを融合したプログレッシブ・ロックだ。その代表格ピンク・フロイドがアルバム「原子心母」を発表したのは1970年。23分に渡るロック・シンフォニーが展開される。またロックバンド「イエス」も同年に発表した2ndアルバム「時間と言葉」でオーケストラと共演しシンフォニック・ロックを実現している。さらに源流まで遡ると「世界初のコンセプト・アルバム」と呼ばれるビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)に辿り着く。プロデューサー:ジョージ・マーティンの功績が大きい。

ユダヤ人であるレニーはキリスト教に懐疑的・批判的だった。そういう姿勢も「ジーザス」に共通している。彼の祖父は高名なラビ(ユダヤ教聖職者)で、父も信仰心に篤いユダヤ教徒だった。しかしレニーが指揮する音楽の作曲家は殆どキリスト教徒だったわけで(モーツァルトのレクイエム=死者のためのミサとか、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスとか)、大いなる矛盾があった。それはウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)第一楽長になるためにユダヤ教からローマ・カトリックに改宗したグスタフ・マーラーの苦渋に重なる。因みにレニーの交響曲第3番「カディッシュ」の意味はユダヤ教徒が唱える「死者のための祈り」である。一方、ミサの定義は「カトリック教会において(キリストの体と血である)パンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼、祭儀」である。

僕はレニーが指揮し71年に録音されたCDで予習して今回の公演に臨んだのだが、初めて生のパフォーマンスに接し、やはり劇場というのは古代ギリシャの時代から「祝祭空間」だったのだなぁと実感した。ロックありブルースあり、バレエあり、マーチング・バンドありと正にカオスである(冒頭にはジュークボックスが登場)。オーケストラはパンチが効いた演奏でエネルギッシュ、文句なし。ミッキーはMaster of Ceremony(M.C.)としての才能を遺憾なく発揮した。ただミッキーの誤算はソリストの選択にあった。全員が音楽大学出身のクラシック音楽畑の人々で、どうもロックとかブルース、ゴスペルの雰囲気=グルーヴ(groove:高揚感、音楽に乗った状態)が醸し出せていない。レニーのCDにはそれがあった。何人かはロック歌手やミュージカルの役者を起用すべきだったのではないだろうか?具体例を挙げよう。ミュージカル「キャンディード」に出演経験のある中川晃教、「デスノート」の浦井健治、石井一孝、「レ・ミゼラブル」や「天使にラブソングを」に出演した森公美子らである。

というわけで不満もあったが、日本でこの作品に直に接せられるチャンスはもう2度とないかも知れないので、ミッキーには大いに感謝したい。

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2017年7月14日 (金)

笑福亭鶴笑 IN ナカノシマ大学寄席「奇想天外の落語 ーあたま山 VS 理論物理学ー」

7月12日(木)大阪大学中之島センターへ。

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  • 笑福亭鶴笑:落語「あたま山」
  • 高島幸次大阪天満宮文化研究所員、大阪大学招聘教授):講演
  • 橋本幸士(大阪大学教授、理論物理学者):講義
  • 鶴笑・橋本・高島:鼎談

落語「頭山」はシュールな江戸落語である。上方では小佐田定雄が脚色し、桂枝雀が「さくらんぼ」として演じた。現在ではその弟子の雀々が受け継いでいる。また山村浩二がこれを基に短編アニメを作成し、アヌシー国際アニメーション映画祭で最高グランプリを受賞、ザグレブ・広島のアニメーション映画祭でもグランプリを受賞し三冠を達成した。米アカデミー賞にもノミネートされている。

まず司会の高島招聘教授から挨拶があり、「鶴笑師匠は奇想天外なパペット落語を演る奇人です。橋本教授は天才。二人の対決をお楽しみに」と。

鶴笑登場。師匠の笑福亭松鶴は「芸は人に教わるもんやない。盗むもんや」と言っていた。そして入門当初に習った「平林(たいらばやし)」が如何にへんてこりんな落語かを語った。

続いて枝雀のショート落語(SR)「スビバセンおじさん」から、

おじさんが大きな穴を掘っているので訊ねると、誰かがここに深い大きな穴があると言ったので、それを一生懸命探しているという。

日に一本ずつ煙突が増える工場。何の工場かと訊けば、煙突の工場でないかとの答え。

プラグをコンセントに差し込んだり抜いたりしても、電灯が点かない。「見てみ。あのおっちゃん、さっきから頭がピカッと光ったり消えたりしとるで」

などを披露。

「あたま山」はまず物語を一通り演じ、続けて森山直太朗の歌「さくら」に乗せ、サイレント(パントマイム)のパペット落語に移行した。秀逸。場内爆笑。

高島教授は【死を考える】落語として「胴斬り」「首提灯」「粗忽長屋」を挙げた。一人称の死・二人称の死・三人称の死があるが、いつも我々が体験するのは二人称の死。「されど死ぬのはいつも他人」(マルセル・デュシャン)。一方、【異国を訪ねる】落語があり、その代表格が「一眼国」「地獄八景亡者戯」「松山鏡」。江戸時代には見世物小屋で七面鏡(詳しくはこちら)が話題となっており、「松山鏡」にはその影響が伺える。そしてその源流は恐らくスウィフトの「ガリヴァー旅行記」だろう(「ガリヴァー旅行記」には日本が登場する)。また「あたま山」の原話は吉田兼好「徒然草」〜”堀池の僧正”のエピソードではないかと。

橋本教授はサンダル履き、半袖半ズボン姿で登場。「これが理論物理学者の普通の恰好です」と。全宇宙は17の素粒子のみで構成されていると説明し、「宇宙を支配する数式」を示した。

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音も素粒子で構成されているという。

続いて「物理学の手法」を解説。

  1. 問題の抽出
  2. 定義の明確化
  3. 理論による演繹

「頭山」の場合、1.自分の頭の上に出来た池に溺れるとはどういう状況か? 2.「溺れる」の定義は頭の周囲が水に覆われる状態である。3.重力が下向きに作用するという状態が、問題解決を困難にしている。→ならば、「宇宙に逃げた」ならどうか?無重力なら水は球体になる。→数式により顔の表面が1cm幅ですっぽり水に覆われた状態になり得る。Q.E.D.証明終了。

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座談会ではまず平田オリザ作「素粒子の世界」という落語があることが話題に。そして鶴笑の「パペット落語」が生まれた背景について司会者から質問あり。落語ブームが到来するまで(「タイガー&ドラゴン」「ちりとてちん」放送以前)は落語会に来る客が5−6人なんてことはザラだった。吉本興業に所属する鶴笑は「心斎橋筋2丁目劇場」(1986年開業 - 99年閉館)に出演していた。ダウンタウンの絶頂期だった。マネージャーから「落語はいらんねん」と言われた。自分がステージに上がると客はトイレ休憩するために出ていった。そんな中で格闘しながら思いついたのが人形を使うことだった。「膝小僧」という言葉もあるし、膝も活用しよう。そして現在、「パペット落語」のネタは30に達した。イラクやアフガニスタンの難民キャンプでも公演した。「笑いは世界の共通語」。しかし、人が安心しないと笑いは生まれない。機関銃を持った兵士に守られている場所ではなかなか難しいなどといったことを語った。

ここで司会者が呼びかけ、会場で聴いていた精神科医のMr.X(事情があって名は明かせない)が加わった。「粗忽長屋」などは統合失調症の患者に典型的な自我障害であると。「私を飛び越える」行為と言える。理論物理学者を見ていると、そういう自我からポーンと遠くに飛び越えることを普段からやっているのではないか?しかし学者は自在に元の場所に戻ってこれる。患者はコントロールが効かない(戻れない)。そこに違いがあるのだろうと。橋本教授は「そういえば理論物理学者は車の運転をしちゃいけないと言われています」と答えた。ふと我に返ると赤信号を通り過ぎちゃったということがあるそう。

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最後に。 橋本教授が着ているのは【反り牛=そりゅうし】Tシャツだって!

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2017年7月12日 (水)

上森祥平/ブリテン:無伴奏チェロ組曲全曲演奏会

7月11日(火)大阪倶楽部へ。上森祥平のチェロを聴く。

  • J.ダウランド:ラクリメ「涙」
  • ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第1番
  • R.スマート:ああ、私にひどいことしないで
  • ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第2番
  • T.ヒューム:愛よさらば
  • ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第3番

ブリテンの無伴奏チェロ組曲はムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(愛称スラヴァ)の依頼で作曲された(第1,2番はレコーディングされたが、第3番は残されていない。他にチェロ交響曲がスラヴァに献呈された)。この曲を聴いていると、ショスタコーヴィチのヴィオラ&ヴァイオリン・ソナタとの親和性を強く感じる。両者の共通項は社会的重圧に対する抵抗、苛立ち、疲弊感である。社会的重圧とはショスタコの場合ソビエト共産党政府(ジダーノフ批判など)であり、ブリテンにとってはゲイ差別であった。

ブリテン生涯のパートナーは自作のオペラ初演を数多く歌ったテノール歌手ピーター・ピアーズ。ふたりは同棲生活を送り、現在彼らの墓はオールドバラの教会墓地に仲良く並んで置かれている。イギリスに於いて1967年まで「反自然的性交」は犯罪であり、1952年に「著しい猥褻行為」(gross indecency;つまり同性愛行為)で逮捕された数学者のアラン・チューリングは投獄か、同性愛を治療するための化学療法を受けるか二者択一を余儀なくされた(詳細はアカデミー作品賞・監督賞にノミネートされた映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」を参考にされたし)。因みに無伴奏チェロ組曲の初演は第1番:64年、第2番:67年、第3番:72年である。

ブリテンは1913年生まれ、ショスタコは1906年生まれで7歳違い。ほぼ同世代と言えるだろう。ふたりには接点があったに違いないと調べてみると案の定、交流があり、互いを尊敬していたようだ。ショスタコの交響曲第14番「死者の歌」はブリテンに献呈され、イギリス初演はブリテンが指揮した。また逆にブリテンは歌劇「放蕩息子」をショスタコに献呈している。

プレ/アフター・トークがあったが、ブリテンの無伴奏全曲が関西で演奏されるのはおそらく今回が初めてだろうと。東京では10年前に堤剛がサントリー(小)ホールで演ったきりだそう。

上森の見解によると組曲第1番は歌劇「ピータ・グライムズ」に似ている。Canto(歌)が4回挿入されるが、これは前奏曲/間奏曲に相当する。第2番は終曲がシャコンヌであることから判る通り、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番への対抗心が剥き出した。女性的な大バッハに対し、ブリテンのそれは男性的で海の男を思わせる。第3番は4つのロシア民謡が引用された「告別の歌」。オーソン・ウェルズ監督の映画「市民ケーン」を想起させると。

上森の演奏は力強く雄弁。特に第2番は低音が朗々と響いた。僕は「市民ケーン」を何度も観ているが、上森とは違い第3番との関連性を感じることはなかった。寧ろ虚無感、諸行無常の響きがあり、に近いと想った。特にイントロのピチカートは小鼓を打つ音を連想させる。ブリテンは56年に来日し、「隅田川」に深い感銘を受け滞在中に2度鑑賞した。そして「隅田川」を基に、舞台を中世のイギリスに置き換えた歌劇「カーリュー・リヴァー」を作曲した。その体験が第3番に反映されているのではないだろうか?

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2017年7月10日 (月)

「メアリと魔女の花」〜魔法の正体

2014年末にスタジオ・ジブリの制作部が解体され、「思い出のマーニー」「かぐや姫の物語」のプロデューサー西村義明と、「借りぐらしのアリエッティ」「思い出のマーニー」を監督した米林宏昌(愛称:麻呂/「千と千尋」カオナシのモデルでもある)はともにジブリを退社、ふたりが立ち上げたのがスタジオポノックである。ponocとはクロアチア/セルビア語で「深夜0時」を意味し、新たな一日のはじまりを告げている。その第1回作品が「メアリと魔女の花」だ。

評価:B+  公式サイトはこちら

Thelittlebroomstick Little

の「思い出のマーニー」に対し、本作はだ。相変わらずキャラクターデザインに魅力がないのは痛いが、躍動感がある。

キャッチコピーが「魔女、ふたたび。」言うまでもなく宮﨑駿の名作「魔女の宅急便」を受けた表現である。ただ本作の主人公が魔女になれるのは、1日限定という大きな違いがある。

「アリエッティ」は最終興収が92.5億円に達し、2010年度の邦画興行収入第1位となった。また「思い出のマーニー」は米アカデミー賞で長編アニメーション部門にノミネートされた。これらの栄光が麻呂ひとりの功績でないことくらい、本人は重々承知している。スタジオ・ジブリというブランド力、そして背後に宮﨑駿という稀有の天才の威光があったからこそ成し得た偉業である。

では魔法=ジブリ(宮﨑駿)が消えてしまった時にどうするか?その決意表明が本作であると言えるだろう。

箒で飛ぶ魔女と黒猫は「魔女の宅急便」で既出だし、雲の上の魔法学校は「天空の城ラピュタ」を彷彿とさせる(”龍の巣”に突っ込む場面も再現される)。ラピュタのロボット兵(「ルパン三世」のラムダ)によく似たのも登場する。麻呂はジブリにいた19年間で培ったノウハウを全て本作にぶちまけた。二番煎じと囁かれるのは覚悟の上、もう貯金は空っぽ。

映画の終盤にメアリは叫ぶ。「魔法を使えるのはこれが最後!」この言葉は「バケモノの子」で九太(=細田守)がバケモノの熊鉄師匠(=宮崎駿)に言う台詞「俺のやることを、そこで黙って見てろ!」に呼応する。

本当の勝負はこれからだ。

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ありがとう、トニ・エルドマン

評価:C-

ドイツ代表として米アカデミー外国語映画賞にノミネートされた。カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞。カイエ・デュ・シネマ誌2006年映画ベスト1選出。ヨーロッパ映画賞では作品賞・監督賞・男優賞・女優賞・脚本賞に輝いた。ジャック・ニコルソン主演でハリウッド・リメイクも既に決まっている。公式サイトはこちら

オヤジギャグが寒い、ゆる〜いコメディ。兎に角テンポが悪くてイライラする。この内容で上映時間2時間42分は長すぎ!途中で時計を見たくなった映画は久しぶり(30年ぶり?)だ。

ヨーロッパでは、ドイツ(=持てる国)の大企業(石油会社)が貧しいルーマニアを搾取している描写が高く評価されたようなのだが、そんなEUの実態は先刻承知している。何を今更?である。新鮮味など全く感じられない。

共産政権崩壊後、東ヨーロッパの国々は人件費が安いので、先進国は散々それを活用(食い物に)してきた。例えば映画「コールドマウンテン」(2003年)は南北戦争時代のアメリカ・ノースカロライナ州が舞台の作品だが、撮影は殆どルーマニアでロケされている。日本映画「バトル・ロワイアル」(2000年)のサウンドトラックを演奏しているのはポーランド国立ワルシャワ・フィルであり、久石譲が作曲した交響組曲「もののけ姫」や「ハウルの動く城」をチェコ・フィルがレコーディングしているのもそういった理由なのだ。

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2017年7月 6日 (木)

井上芳雄 主演/ミュージカル「グレート・ギャツビー」

7月4日、梅田芸術劇場へ。台本・演出:小池修一郎、井上芳雄主演のミュージカル「グレート・ギャツビー」を観劇。他に出演者は夢咲ねね、田代万里生、広瀬友祐、畠中 洋、蒼乃夕妃、AKANE LIV ら。

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Jg

小池修一郎には2つのライフワークがある。ひとつは言うまでもなく萩尾望都の漫画「ポーの一族」である。

もうひとつがF・スコット・フィッツジェラルドの書いた小説「グレート・ギャツビー」だ。今から26年前の1991年に杜けあき、鮎ゆうき主演で宝塚雪組が「華麗なるギャツビー」を上演した。世界初のミュージカル化であり、これで高い評価を得た小池は菊田一夫演劇賞を受賞。2008年には瀬奈じゅん主演で月組が再演している。今回は台本・演出・音楽のすべてを完全リニューアルした公演となった。

僕が原作小説とどう関わってきたかは下記事に詳しく述べた。

最初はさっぱり面白くなかったのだが、小説を繰り返し読み、また村上春樹のエッセイなどを踏まえて漸く分かってきたことは、主人公ジェイ・ギャツビーは薄っぺら見栄っ張りということである。そして彼は絶対に手が届かないもの……デイジー、教養(culture/education)、社会的地位・身分(status)、世間からの賞賛・敬意(applause/respect)といったもの……に憧れ続けている。それを象徴するのがウエスト・エッグに自分が建てた豪邸の桟橋から対岸(イースト・エッグ)にある「緑色の灯火」を宵の口から明け方までじっと見つめている場面である。そして最も美しい文章、この小説の肝(きも)は最後のセンテンスに集約されている。

Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that’s no matter ― tomorrow we will run faster, stretch out our arms farther. . . . And one fine morning ――

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.

 ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。(村上春樹訳)

何とも切なく、虚しい。狂騒のJazz Age、「失われた世代(Lost Generation)」の真骨頂である。しかしこれをミュージカルの中で活かすことが叶わない(歌にならない)のが辛いところだ。バズ・ラーマン監督はよく分かっていて、ちゃんと映画の中に入れていた。

ヒロイン・デイジーの人物像を把握するのにも長い時間を要した。彼女は周囲の意向に流される女である。しっかりした自分の意志というものを持っていない。若い頃には母親の言うことに逆らえず、現在は高圧的で浮気性の夫トム・ブキャナンの言いなりだ。依存心が強く、誰かの庇護のもとでしか生きられない。身体の中に一本通った芯=骨が欠落したクラゲのような女なのだ。ただ波間に漂っているだけ。掴もうとすると、指の間隙からスルリと抜け出してしまう。宝塚版&東宝版を観て感じたのは、小池はそのところが分かっていないんじゃないか?ということである。夢咲ねねは宝塚時代から大好きな娘役だが、どうも彼女のデイジーは健康的でしっかりしていそうなのだ。僕の抱くイメージとかけ離れている。以前、小池が演出したミュージカル「キャバレー」にも同様の違和感を覚えた。サリー・ボウルズ(藤原紀香)が自堕落じゃない。作品の持つ退廃・デカダンスが描けていない。嘗てジュリー・アンドリュースのファンクラブ会長を努めていたこともある小池の精神は余りにも健全で(清く正しく)、デイジーという女の何たるかを掴めていないように僕には想われる。その点、バズ・ラーマン版の映画に出演したキャリー・マリガンはデイジーそのものだった。

ただヒロイン像以外については申し分のない出来であった。井上芳雄は"That's Gatsby !"だったし、ギャツビーが自宅のプールサイドで撃ち殺される場面を冒頭に持ってきた工夫は良かった。ロイド=ウェバーが舞台ミュージカル化したビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」との類似性が浮き彫りにされた。

また特筆すべきは作曲家のリチャード・オベラッカーである。"BANDSTAND"というミュージカルで2017年3月にブロードウェイ・デビューを果たした。スウィング・ジャズあり、ブルース、チャールストン、タンゴなど多彩な音楽に彩られている。しっとりと歌われる「夜明けの約束」も美しい。なお、歌の中に「アイス・キャッスル」という言葉が出てくるが、これはフィッツジェラルドの短編小説「氷の宮殿(Ice Palace)」を意識しているのだろう。

不満も述べたが、総体としては満足度が高く、再演があれば是非また観たい作品である。

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2017年7月 5日 (水)

映画は映画館で観るべきか?「オクジャ/okja」

評価:A

Okja

殺人の追憶」「グエムル -漢江の怪物-」「スノーピアサー」のポン・ジュノ監督最新作「オクジャ/okja」はアメリカで6月28日から劇場公開されている。同時にNetflixからのストリーミング配信が全世界一斉に始まった。映画公式サイトはこちら

本作は先日開催されたカンヌ国際映画祭でコンペティション部門にエントリーされたが、フランスで劇場公開されないことが問題視され、審査員長のペドロ・アルモドバルが「個人的見解だが、劇場公開される予定のない映画は最高賞パルムドールのみならず、ほかのどんな賞も受賞すべきではない」と明言した。フランスでは劇場公開から36ヶ月=3年経過しないと動画を配信してはいけないという法律があるのだ。

監督の地元・韓国でも大手のシネコン(cinema complex)チェーン3社が、「我が国における重要な商慣習」としてストリーミング開始は劇場公開から3週間以降と定められていると主張、Netflixの同日配信というポリシーが興行システムを妨害すると非難し、上映を拒否した。

映画再生ソフトとしてビデオテープやレーザーディスク(LD)しかなかった30年前は、僕も「映画は映画館で観るべき」という主張が正しいと考えていた。映画はフィルム上映されていたし、ビデオの質感と根本的に異なる。当時のテレビ放送やビデオは解像度も低く、お話にならなかった。しかし時代は変わった。ハイビジョンが登場し、4K、8Kと家庭での再生媒体が劇的に進化し細密になった。映像記録機器もデジタル化され、映画館ではフィルム上映を止め、デジタル(DLP)上映に切り替わった。結局現在、映画館とホームシアターの違いは単純にスクリーンの大きさしかなくなった。CDが衰退しネットでの音楽配信に移行したように、映画を映画館で観る時代は間違いなく終わろうとしている。今後はストリーミング(streaming)配信が主流となるだろう。その流れ(stream)は誰にも止められない。

ポン・ジュノによると本作の製作費が500億ウォン(約50億円)を越える見込みとなったため、ハリウッドとの提携を考えた。しかしメジャー・スタジオのほとんどは、「食肉処理場の場面を削除するんだったら金を出す」との回答だった。一方、Netflixは、「最終の編集権は監督にある。シナリオは変更しなくていい。予算は全面的にサポートする」と申し出て、必然的に彼らと仕事をすることになったという。ストリーミング配信には完全な自由が保証されている

あらすじはこうだ。食肉加工を手掛ける多国籍企業ミランド・コーポレーションは遺伝子組換えによって生み出された巨大で味のいい豚「スーパーピッグ」を発表した。韓国の山奥で育成されたこの生き物と少女の交流はトトロとメイのそれを彷彿とさせる(ポン・ジュノも「未来少年コナン」など宮崎アニメからの影響を認めている)。最終的にオクジャを屠殺しようと目論んでいるミランド社がここからニューヨークに連れて行こうとし、それを阻止すべく少女も同行する展開になるのは明らかに「キングコング」へのオマージュだ。NYで見世物にもされるしね。

ここにALF(Animal Liberation Front)つまり、(食肉用)動物解放戦線みたいなのが絡んでくる。 海洋生物の保護のため捕鯨船に体当りするなど過激な行動で知られるシーシェパードのパロディになっており、可笑しかった。設定が卓越している。

結局本作は少女・ミランド社・ALFという三者三様の正義がぶつかり合う物語である。ポン・ジュノは誰が正しいと結論を下さない。観客は当然、食肉用トトロと少女のほのぼのとした触れ合いに感情移入する羽目になるのだが、だからといって誰しも日頃から豚肉やソーセージ、ジャーキーを食べているわけで、ミランド社を一概に悪者と言い切れない。じゃぁベジタリアンなら良いのかというと、野菜だって生きている。ALFが主張するように動物を食肉にしてはいけないのなら、何故植物なら許される?それは差別じゃないのか?ということになる。食物連鎖を無視して人は生きられない。この居心地の悪さ、モヤモヤとした感情こそがポン・ジュノの真骨頂と言えるだろう。「殺人の追憶」だって最後まで真犯人は分からないしね。

以前当ブログでティルダ・スウィントンはアレック・ギネス、ピーター・セラーズと並ぶ、変装の名人だと書いた(こちら)。三人ともイギリス人。本作で彼女は一人二役を演じ、本領を発揮している。僕はピーター・セラーズが一人三役を演じた「博士の異常な愛情」を想い出した。

ジェイク・ギレンホールも相変わらずの怪演で最高!今回の扮装はマルクス兄弟のグルーチョ・マルクスにそっくりだった。

J G

 

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2017年7月 3日 (月)

パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタル/全部ドビュッシー!

7月1日ザ・フェニックスホールへ。

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フランス・パリ生まれのピアニスト、パスカル・ロジェが弾くオール・ドビュッシー・プログラムを聴く。満席。

  • アラベスク 第1番
  • 雨の庭〜「版画」より
  • 水の反映〜「映像 第1集」より
  • 金色の魚〜「映像 第2集」より
  • 沈める寺〜「前奏曲集 第1集」より
  • 「子供の領分」
    • グラドゥス・アド・パルナッスム博士
    • 象の子守歌
    • 人形のセレナード
    • 雪は踊る
    • 小さな羊飼い
    • ゴリウォーグのケークウォーク
  • 〈休憩〉

  • ベルガマスク組曲
    • 前奏曲
    • メヌエット
    • 月の光
    • パスピエ
  • そして月は廃寺に落ちる〜「映像 第2集」より
  • 花火〜「前奏曲集 第2集」より
  • 月の光が降り注ぐテラス〜「前奏曲集 第2集」より
  • 亜麻色の髪の乙女〜「前奏曲集 第1集」より
  • グラナダの夕べ〜「版画」より
  • 喜びの島
  • 塔〜「版画」より (アンコール)
  • ミンストレル〜「前奏曲集 第1集」より (アンコール)

  • フランス音楽らしく幻想性が豊かで、(特に低音域が)力強く演奏に切れがあった。
  • プログラム前半は水のイメージで統一され、後半は月明かりや仄暗い情景(花火、夕景)など。月の光が皓々と冴え渡る情景が幻視された。
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