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【いつか見た大林映画】第5回「新・尾道三部作の方へ」

「ふたり」(1991)から始まる【新・尾道三部作】の話をしよう。

「ふたり」はまず1990年11月9日と16日の2週に渡り、NHK総合「NHK子どもパビリオン」の枠で放送された。前編・後編それぞれ45分、併せて90分。後年劇場公開された映画の尺は155分なので、65分もカットされていたことになる(ヒロイン実加が悪漢に襲われる場面、リレー・マラソン、討ち入り/直談判、竹中直人出演場面など)。僕はリアルタイムで観た。大林映画としては初めてハイビジョンによる合成が試された(黒澤明は90年に公開された「夢」のゴッホが登場するエピソードでハイビジョンを活用している)。これが後のフル・デジタルシネマ「この空の花 ー長岡花火物語」(2012)に繋がってゆく。

赤川次郎(原作)・桂千穂(脚本)・大林宣彦の3人には元々、ひとつの接点があった。女吸血鬼を主人公とする映画「血とバラ」(1960年仏・伊合作、監督:ロジェ・ヴァディム)である。大林監督が16mmフィルムで撮った個人映画「EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ」(67)は「血とバラ」へのオマージュだったし、桂千穂の新人シナリオコンクール入賞作が「血と薔薇は暗闇のうた」で、赤川次郎も「血とバラ 懐かしの名画ミステリー」という短編小説を書いている。そしてこの3者が再びタッグを組むのが「あした」(95)だ(原作「午前0時の忘れもの」)。

「ふたり」の石田ひかり(撮影当時18歳)は素晴らしいが、なにより特筆すべきは久石譲の音楽だろう。正に幸福な結婚(perfectly happy marriage)である。久石とのコラボは「漂流教室」(1987)が最初だが、映画の出来自体がアレだったから……。「ふたり」の主題歌”草の想い”は作詞:大林宣彦、作曲:久石譲。劇中ではミュージカルとして登場し、エンドロールでは前半を大林が、後半を久石が唄う(動画視聴は→こちら)。因みにこのメロディ、久石は後に宮﨑駿「紅の豚」(92)の”帰らざる日々”という曲に転用している。是非聴き比べてみてください。

草の想い”の歌詞には監督のライフワークである檀一雄の小説「筐(はなかたみ)」と福永武彦の「草の花」という言葉が全て詰め込まれている。

時は移ろいゆきて
ものはみな失われ
朧ろに浮かぶ影は
草の想い

ひとり砂に生まれて
ふたり露に暮せば
よろこびとかなしみの
の形見(かたみ

あと殆どの人が気が付いていないであろうことについて触れておこう。”草の想い”が流れ始める直前のラストシーン。海側から実加(石田ひかり)が坂道を登ってくるのをカメラが真正面から捉える。その前を横切り、死亡事故を起こしたトラック・ドライバーが現場に花を供え祈る。と、そこでカメラが切り替わり少女の後ろ姿を捉える。顔は見えないがそれは美加ではなく、事故で死んだ姉の千津子(中嶋朋子)なのだ。ふたりでひとり

旧【尾道三部作】で撮影隊の拠点となっていたジャズ喫茶TOMと監督サイドでどういう経緯があったのかは知らないが、【新尾道三部作】からTOMとの関係は完全に切れた。

「あした」(1995)のエンドロールをご覧頂きたい。

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茶房こもんと、そのオーナー大谷治氏が尾道製作スタッフとしてクレジットされているが、TOMの名前が消えている。TMC (TOM MEMBERS CLUB)の協力もなくなった。

それに替わって監督の個人事務所PSCの肝煎りで1994年11月に大林映画公式ファンクラブOBs Clubが設立され、会報「OBs Club通信」も発行された。そして広島支部、関西支部、東海支部、関東支部などが立ち上がり、活発な活動を開始した。僕は91年に医師国家試験に合格し、ファンクラブ誕生時は広島市民病院に赴任していたので、広島支部に所属した。

世界的に見ても映画監督の公式ファンクラブが結成されるというのは珍しいのではないだろうか?少なくとも日本では聞いたことがない。

95年3月に「あした」の撮影が始まり、撮影終了後、映画公開前にOBs Club主催でロケ地巡りツアーが敢行された。物語の中で「呼子浜」とされた尾道市向島・余崎の砂浜で船の待合室のセットを見学したりした。この建物は現在移築され、バス停留所(@向島兼好)として活用されている。

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そしてやはり映画に登場した「呼子丸」。

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新聞記事によると後に「呼子丸」は尾道市に譲渡され、尾道水道の向島側に5年ほど係留されていたが、老朽化と船底からの浸水のため2000年夏に廃棄処分されたという。

僕が大好きなのは沈没した呼子丸が午前0時に海底から静かに浮かび上がってくるシーン。美しく、幽玄な世界がそこにあった。

旧【尾道三部作】及び【尾道三部作】外伝、そして「ふたり」で美術監督を務めた薩谷和夫(東京都出身)は「水の旅人 侍KIDS」の九州ロケハン中に体調を崩し、尾道まで戻って来て入院するが、1993年1月6日に亡くなった(この時、尾道市民病院に勤務していた僕の同級生が薩谷さんを専門病院に転院搬送する際に、救急車に同乗したそうだ)。そして「さびしんぼう」の舞台となった尾道の西願寺にお墓が建てられた。その翌年に製作された「あした」の美術監督は兄弟子の竹中和雄に代わった。

「あした」の音楽は學草太郎(まなぶそうたろう)。実は大林宣彦のペンネームである。福永武彦原作「廃市」の音楽も監督自身が手がけているが、この時は本名だった。

本作は大林監督としては珍しく群像劇である。明確な主人公がいない。寧ろ主人公と言うべきはかも知れない。数多い登場人物の中でも印象的だったのは「ふたり」で映画デビューを果たした中江有里かな。先日映画を見直してやっぱり綺麗だなと想った。98年の大林映画「風の歌が聴きたい」では主役に抜擢された。彼女は後にNHKの書評番組「週間ブックレビュー」で児玉清のアシスタントを務め、読書家としての鋭い知性を感じさせた(なんと年間300冊以上読むという)。またNHKラジオドラマ脚本懸賞で入選したり(放送もされた)、小説を出版したりと多彩な才能を発揮している。

この頃、東京でOBs Partyもあった。大林監督がピアノの弾き語りで”草の想い”を歌ってくださったり、

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1960−70年代に監督が撮ったCMの数々(長門裕之&南田洋子夫妻による「カルピス」、チャールズ・ブロンソンが出演した「マンダム」、ソフィア・ローレンが「ラッタッタ」の掛け声とともに乗るホンダのオートバイ、上原謙・高峰三枝子共演の国鉄「フルムーン」等)をスクリーンで観たりした。またゲストとして「青春デンデケデケデケ」の林泰文、「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」の柴山智加、「麗猫伝説」の風吹ジュンらもパーティ会場に姿を見せた。

【新・尾道三部作】を締めくくる「あの、夏の日 - とんでろ じいちゃん」は尾道市政100年を記念して創られた。原作は「転校生」「さびしんぼう」「はるか、ノスタルジィ」の山中恒。1999年7月3日より東映系で全国公開されたが、5月1日より尾道市内の港に停泊していた船舶《サウンズ・オブ・セト》で先行上映された(新聞記事はこちら)。僕はこの船内シアターで観た。

本作は宮崎あおいの映画デビュー作である。撮影当時12歳、また中学1年生だった。この幼気(いたいけ)な少女を大林監督は素っ裸にしたのだから僕は呆れ果て、怒り心頭に発した。【いつか見た大林映画】第4回にも書いたが、監督が「脱がし屋」であることは重々承知している。しかし、いくら何でもこれは酷い。だから僕が本作を観たのは1回きり。彼女にとっても無かったことにしたい過去だったようで、公式サイトのフィルモグラフィーでも黙殺されている(→こちらに飛び、"FILM"をクリック)。

ここまで読まれた方にはご理解頂けたと想うが、僕は筋金入りの大林映画ファンである。それでも大嫌いな作品はあるわけで、「ねらわれた学園」「漂流教室」そして「あの、夏の日 - とんでろ じいちゃん」の3本がそれに当たる。

ただ「あの、夏の日」に出演したことが宮崎あおいの心的外傷として残ったわけではないようで、その後彼女は「淀川長治物語」(2000)と「理由」(2004)という2本の大林作品に出演している(「理由」には実の兄・宮崎将も出演し、映画の中でも兄妹を演じている)。

あと番外編として「マヌケ先生」(2001)をご紹介しよう。大林監督の少年時代を描く映画で監督は内藤忠司。旧【尾道三部作】で助監督を務めた人だ。三浦友和、竹内力らが出演した。主人公の名前が「馬場鞠男(ばばまりお)」大林監督が「HOUSE ハウス」で劇映画デビューをした時に考えていたペンネームである。イタリアホラー映画の巨匠マリオ・バーヴァ(「血塗られた墓標」「モデル連続殺人!」「呪いの館」)をもじっている。またクリストファー・リー主演「白い肌に狂う鞭」はマリオ・バーヴァがジョン・M・オールドという偽名で監督した映画で、これが大林監督の大のお気に入り。桂千穂の著書の中で大林監督との対談が掲載されており、そのタイトルがズバリ「僕たちは『白い肌に狂う鞭』で第二の映画仲間になった」なのだ。火曜サスペンス劇場で放送された「可愛い悪魔」にも「白い肌に狂う鞭」のオマージュが挿入されている。そして「あした」で學草太郎(=大林)が作曲した音楽は「白い肌に狂う鞭」にそっくり。

「マヌケ先生」はOBs Clubのメンバーが多数エキストラとして参加しており、僕も尾道の撮影現場で衣装を渡され映画初出演を果たした。一応、竹内力との共演??である。エンドロールに名前も出てくるのだが、残念なことに誤字のまま掲載されている。

「町守り」を願う監督の想いとは裏腹に、尾道市では「町おこし」という名の「町壊し」が推し進められていた。「転校生」の〈国鉄〉尾道駅は建て替えられ、映画で繰り返し登場した雁木(船着場における、階段状の構造物)も再開発でなくなってしまった。そして「あの、夏の日」「マヌケ先生」を最後に大林監督は尾道と決別。僕もそれ以降、尾道を訪ねていない。

TO BE CONTINUED...

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