ポスト・クラシカルの作曲家マックス・リヒターと映画「メッセージ」
作曲家マックス・リヒターをご存知だろうか?1966年1月21日ドイツ・ハーメルン生まれの51歳。イングランド・ベッドフォードで育ち、イタリア・フィレンツェでルチアーノ・ベリオに作曲を師事した。彼の書くジャンルはポスト・クラシカルと呼ばれており、ミニマル・ミュージックの影響が色濃い。つまり〈調性音楽〉であり、〈反復音楽〉なのだ。オバマ前アメリカ大統領が来日した際、安倍総理と会食した鮨屋「すきやばし次郎」の店主・小野二郎を追ったドキュメンタリー映画「二郎は鮨の夢を見る」や、Netflixが配信するドキュメンタリー・シリーズ「シェフのテーブル」でデヴィッド・ゲルブ監督はマックス・リヒターの音楽をふんだんに使用している。ちなみに彼の父親はニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の総裁ピーター・ゲルブである。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作「メッセージ」の冒頭と最後にマックス・リヒターが作曲した"On the Nature of Daylight"がとても印象的に使用されている(「二郎は鮨の夢を見る」にも登場)。2004年にドイツ・グラモフォンから発表されたアルバム「ザ・ブルー・ノートブックス」収録曲で、ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)でも聴くことが出来る。こちらのエッセイも参考になるだろう。
映画「メッセージ」の評価はA+。アカデミー賞では作品賞・監督賞・脚色賞・美術賞・撮影賞・編集賞・録音賞・音響編集賞の8部門にノミネートされ、音響編集賞で受賞した。公式サイトはこちら。瞑想的で哲学的な作品である。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はあるインタビューに答え「私にとって最良のSF映画を挙げろといわれれば3つで事足りる」と述べ、「2001年宇宙の旅」、「未知との遭遇」、そして「ブレードランナー」を挙げている。
「ブレードランナー」についてはヴィルヌーヴ監督が手掛けた続編「ブレードランナー 2049」が2017年10月に公開を控えている。そして異星人とのファースト・コンタクトをモティーフにした「2001年宇宙の旅」と「未知との遭遇」の流れを汲むのが「メッセージ」だ。
原作はテッド・チャン(著)「あなたの人生の物語」。チャンの国籍はアメリカだが、両親が中国からの移民である。映画の原題は"Arrival"なのだが、邦題でそれをわざわざ別のカタカナ単語にする必要があったのかな?映画を最後まで観るとArrival(到着)には複数の意味が込められていたことに気づく仕掛けになっているのだが……。
和子「だってもう時間がないわ…!どうして時間は過ぎていくの?」
深町「過ぎていくんじゃない。時間はやってくるものなんだ」
(大林宣彦監督「時をかける少女」より)
本作に登場する異星人ヘプタポッド(七本脚)が用いる文字は円環構造だ。これは表意文字(文字1つ1つに意味がある漢字など)や表音文字(1語が発音を表すアルファベット、ひらがな、カタカナ)ではなく、表義文字だという。その定義は「それ自体で意味を有し、他の表義文字との組み合わせによって無限の叙述をかたちづくることができる」とのこと。
まるで禅宗における書画「円相」のようだ。
円相は悟りや真理、宇宙を表していると言われている。始まりもなく終わりもない時間であり、circle of lifeーヒンドゥー教や仏教における輪廻転生にも繋がっている。エイミー・アダムス演じるルイーズの娘ハンナHannahの名前は前から読んでも後ろから読んでも同じ。これも始まりもなく終わりもないことを示している。
ヘプタポッドには時間の観念がないのだが、欧米の発想ではなく、東洋的思想だなと想った。西洋近代は合理主義による自然科学が母体となり発展してきた。神が(自分に似せて)人間を創られた。原因があって結果がある。世界は演繹法で説明可能だ。ーこの考え方を真っ向から否定しているのが本作であると言えるだろう。過去も現在も未来も等価なのである。それを象徴するのが文字の円環構造であり、前も後ろもないヘプタポッドの体であり、マックス・リヒターの音楽(ミニマル・ミュージック)なのだ。
劇中に登場する「非ゼロ和(non zero sum)」という言葉が重要な意味を持つ。複数の人が相互に影響しあう状況の中で、ある1人の利益が、必ずしも他の誰かの損失にならないことを言う。例えば通常のボード・ゲーム〜オセロ・将棋・チェスなどは勝ち負けが必ず生まれる。戦争だったそうだ。それとは全く異なる価値観である。非ゼロ和になるには対話(communication)が必要。相手(相互の違い)を知ろうとすること。どちらが正義(勝者)でどちらが悪(敗者)という切断はしない。戦争の武器は殺戮兵器だが、非ゼロ和における武器は言葉である。キリスト教は天国と地獄、天使と悪魔、善と悪という分類・切断をする。だから非ゼロ和ではない。むしろその考え方は仏教や神道に近い。欧米人は今、アジアの思想(宗教)も取り込み、徐々に変わろうとしている。
追伸:映画の冒頭、ルイーズは赤ん坊のハンナに向かって"Come back to me."と繰り返す。「エッ、まるで『ある日どこかで』(Somewhere in Time)みたいだな」と戸惑った。おまけに場所は湖畔だし。まさにデジャヴ(既視感)。そして最後まで観て納得した。本作は「ある日どこかで」と間違いなく繋がっている。
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