【いつか見た大林映画】第2回「ひとがひとを恋うるとき、ひとは誰でもさびしんぼうになるー」(山口百恵から富田靖子へ)
【尾道三部作】の第二作「時をかける少女」を映画館で観て心酔したのが1983年、僕が高校2年生の時だった。
実家は岡山大学医学部の近隣にあり、秋の大学祭(鹿田祭)で大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」が上映された。これは大森監督が京都府立医大在学中に脚本を執筆し、母校で撮った映画で、医大生の青春群像を描いていた。大阪大学医学部を卒業し、医学博士でもあった漫画家・手塚治虫(学位を取得した論文は「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」)が小児科の教授役で出演していた。大森監督自身も大学祭に現れ、ティーチイン(学内討論集会)が行われた。映画の中で伊藤蘭が自殺するのだが、「僕が大学に入った時のクラスメートが自殺し、その後留年した下の学年でも自殺者が出た」という監督の言葉が印象的だった。そして僕は「ヒポクラテスたち」を観て、「医学部って面白そうだな。よしここに入ろう!」と決めた。
後に知ったのだが、大林映画「転校生」はキャストが決まり撮影2週間前という時点でスポンサー(サンリオ)が「こんな破廉恥な内容はわが社の社風に合わない」と突然降りてしまった。これを聞きつけた大森監督がレイ・ブラッドベリ原作の映画化企画を東京で打ち合わせていたATG(日本アート・シアター・ギルド)代表の佐々木史郎プロデューサーに相談を持ちかけ、自らの企画を引き下げて大林監督に譲ったそうである。こうして「転校生」はATG映画として完成した。映画「さびしんぼう」に大森一樹監督が妻と娘3人でカメオ出演している(ヒロインが商店街を自転車で飛ばすシーン)のもこういう経緯があったのだ。
僕が高校3年生になった1984年、「アイコ十六歳」という映画が公開された。これは全て名古屋市内で撮影された作品で、127,000人の応募者の中から当時中学3年生だった富田靖子がオーディションで選ばれた。
受験生として僕は1年間、大好きな映画を一切観ない「映画断ち」をしようと決心していた。しかし新聞広告で富田靖子の写真を見て、心がときめいた。結局誘惑に負け、映画館に足を運んだ。これだけは唯一の例外だった。併映の秋吉久美子主演「チーちゃんごめんね」は興味なかったのでパス。「アイコ十六歳」の監督はそれまで自主制作で8mm映画を撮っていた今関あきよしで、製作総指揮に(保証人として)名を連ねたのが大林宣彦監督だった。この映画の富田靖子は生き生きとして本当に素晴らしく、何時の日にか大林映画に彼女が出演すればいいなぁと僕は夢見た。
その年の12月末、地元紙・山陽新聞夕刊に大林監督の「さびしんぼう」が現在尾道で撮影中と記事が出た。主演は、な、な、なんと富田靖子!僕は文字通り飛び上がり、狂喜乱舞した。直ちにその記事を切り抜いて勉強机の前に貼り「必ず大学に合格して、この映画を絶対観に行くぞ!」と固く心に誓ったのだった。
年が明け僕が無事岡山大学医学部に合格した春、1985年4月13日に「さびしんぼう」は公開された。同時上映は松田聖子、神田正輝が共演した「カリブ・愛のシンフォニー」。松田聖子は大嫌いなので「カリブ・愛のシンフォニー」は観なかった。「さびしんぼう」はその年、キネマ旬報ベスト・テンで第5位、読者選出ベスト・テンでは第1位となった。映画評論家・淀川長治に絶賛され、黒澤明監督からも愛される作品となった。これが切っ掛けで黒澤明は大林演出の、洋酒のCMに出演し(キャッチコピーは「夢にわがままです」)、映画「夢」のメイキング・ドキュメンタリーも大林に委ねた(「映画の肖像 黒澤明 大林宣彦 映画的対話」僕はレーザー・ディスクで所有)。
大林監督は長年「さびしんぼう」という映画を撮りたいと構想を温めていた。1967年にはデビュー前のハニー・レーヌ(当時15歳)を第一候補に挙げていた(その10年後の77年にハニー・レーヌは大林映画「瞳の中の訪問者」に、遅すぎた出演を果たす)。福永武彦原作「廃市」を「さびしんぼう」という題名にしようとしたこともあった。新進気鋭のCMディレクターだった1973年、未だ中学生だった山口百恵に会ったときも、彼女を主演に「さびしんぼう」を撮ろうと考えていたという。結局その企画も流れ、翌74年から百恵・友和でグリコ・チョコレートのCMを撮った→動画はこちら。つまり大林監督のフィルムの中でふたりは出会ったのである。結婚前の餞として大林監督はサンフランシスコで百恵・友和主演の映画「ふりむけば愛」(1978)を撮る。百恵の「私が好きな人は、三浦友和さんです」という恋人宣言は翌79年である。
「さびしんぼう」で富田靖子は一人二役をこなしている(ラストシーンを含めると四役)。右の横顔しか見せない橘百合子、そしてなんだかへんて子=さびしんぼう。百合子は恋われる対象であり、さびしんぼうは恋する主体。さびしんぼうは少女の左側の顔を象徴する存在であり、ふたりあわせてひとつの人格と言えるだろう。百合子が自転車でフェリーに乗り、通学するという設定がたまらなく素敵だ。
ショパンの「別れの曲」が映画で重要な役割を果たす。映画評論家・石上三登志は「大林映画はピアノ映画だ!」と看破した。劇場デビュー作「HOUSE ハウス」は少女がピアノに食べられてしまい、「漂流教室」では怪獣がピアノを弾く。「転校生」はシューマンのトロイメライがテーマ曲となり、「時をかける少女」の学校の廊下では何処からともなくリストの「愛の夢 第3番」が聴こえてくる。「ふたり」で石田ひかりはシューマンの「ノヴェレッテ 第1番」を弾き、「彼のオートバイ、彼女の島」の竹内力は自室でショパンの「12の練習曲 作品25−1」を聴く。「姉妹坂」ではリストの「ため息(3つの演奏会用練習曲)」がテーマ曲となり、「おかしなふたり」ではヤクザを演じる永島敏行が小指のない右手でベートーヴェンの「エリーゼのために」を爪弾くのだ。
後に大林監督は主人公・井上ヒロキ役に宇野重吉をキャスティングし、「さびしんぼう2」を撮ろうと考えていた。年老いたヒロキが久々に尾道に帰郷すると、さびしんぼうに再会するというプロットだった。しかし宇野の死(1988)でその企画は白紙撤回となった。このアイディアは結局、同じ山中恒原作「はるか、ノスタルジィ」(1993)に継承されることになる。
TO BE CONTINUED...
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