ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番とロンドン大空襲(The Blitz)〜藤岡幸夫/関西フィル定期
5月17日(水)ザ・シンフォニーホールへ。
藤岡幸夫/関西フィル管弦楽団、シプリアン・カツァリス(ピアノ)で、
- ラヴェル:ラ・ヴァルス
- ラヴェル:ピアノ協奏曲
- ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番
を聴いた。
プレ・トークで藤岡が語ったことによると、ラヴェルのコンチェルトは史上最速だそうだ。カツァリスのピアノはファンタジーとポエムに溢れている。第1楽章は無邪気な子供のようで、そこにラヴェルのスペイン(バスク地方)の血や、アメリカで会ったガーシュウィンからの影響が混ざる。第2楽章アダージョは子供部屋で赤ん坊がすやすやと眠っている情景。夢見る音楽。第3楽章プレストに至るとヴィルトゥオーソが炸裂!おもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎで、そこにゴジラのテーマも紛れ込む。超高速であっという間に終わった。
ソリストのアンコールはフランス風即興曲。ラ・マルセイエーズ(リスト/カツァリス編)に始まり、枯葉〜男と女〜シェルブールの雨傘〜バラ色の人生などがメドレーで奏でられる。お洒落!万雷の拍手の中、カツァリスはオケの楽員や観客に投げキスを振る舞った。この模様は後日、藤岡がナビゲータを務めるBSジャパン「エンター・ザ・ミュージック」で放送される予定。
さて、イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(RWV)の交響曲第5番を初めて聴いたのは確か僕が大学生くらいの頃だった。テラーク(TELARC)というレーベルから出ていたプレヴィン/ロイヤル・フィルのCD(1988年デジタル録音)を購入したのである。ここは録音が優秀なことで知られていたが、2005
当時の感想は「メリハリ(起伏)が乏しく、掴みどころがない退屈な曲」だった。CDを1,2回聴いただけで放置してしまった。近代アメリカ音楽の祖アーロン・コープランド(「市民のためのファンファーレ」「ロデオ」「アパラチアの春」)は次のような言葉を残している。
ヴォーン・ウイリアムズの交響曲第5番を聴くことは、雌牛を45分間眺めるようなものだ。 (Listening to the fifth symphony of Ralph Vaughan Williams is like staring at a cow for 45 minutes.)
なかなか強烈である。藤岡もプレ・トークで「この曲の魅力は絶対に実演を聴かないと判りません。僕もCDだと寝ちゃう」と語っていた。「一歩間違うとお客さんが寝ちゃうから、今日は気合を入れて頑張ります」
アメリカやヨーロッパ大陸でイギリス音楽が演奏されることは滅多にない(唯一の例外がホルストの組曲「惑星」)。最近でこそウィーン・フィルやベルリン・フィルがエルガーの交響曲やエニグマ変奏曲を取り上げるようになったが、ディーリアス、アーノルド、ウォルトン、ヴォーン・ウィリアムズになるとほぼ皆無に等しい(ブリテンなら「ピーター・グライムズ」〜4つの海の間奏曲くらいか)。例えばパリ管やロイヤル・コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響、シカゴ響がヴォーン・ウィリアムズの交響曲を演奏したって話を聞いたことあります?それだけ偏見が根強いのだ。寧ろ武満徹の方が取り上げられる機会が多いだろう。
アメリカやヨーロッパ大陸の人々と同様、若い頃の僕は愚かで無知だった(エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの価値がヨーロッパで理解されるまでに50年もかかったのは彼らに見る目がないからだ)。
そんな僕の目を開かせてくれたのが藤岡幸夫の指揮で聴いたRWVの交響曲第3番だった。
第一次世界大戦の時、41歳のRWVは義勇兵として従軍し、砲火の爆音に晒された為に難聴になった。彼の友人だった作曲家ジョージ・バターワースはフランスのソンムの戦いで狙撃され、戦死した。その哀しみ、心の痛みが第3シンフォニーを産んだ。
一方、第5番は第二次世界大戦中の1943年6月24日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて、作曲家自身の指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で初演された。
1940年9月7日から1941年5月10日までナチス・ドイツはロンドン大空襲を実行した。ドイツ語でBlitz(ブリッツ)、「稲妻」という。連続57日間に及ぶ夜間空襲があり民間人の犠牲者は4万3千人に及び、100万以上の家屋が損害を受けた。地下鉄の駅の構内がロンドン市民の避難所となった(映画「007 スカイフォール」に出てくる。また興味のある方はジョン・ブアマン監督「戦場の小さな天使たち」をご覧になることをお勧めしたい)。そんな焼け野原の中でこのシンフォニーは産声を上げたのである。この時、RVWの胸に去来したのものは何だったろう?
静謐な第5番を聴きながら、僕は「無念」だったのではないかという気がする。第1楽章は祈りの音楽と言えるだろう。このシンフォニーは優しい。傷ついた人々の心を慰め、癒そうとする強靭な意思を感じる。暴力的な音は微塵もない。そして終楽章には「希望」という名の光が差し込んでくる。
RVWは3ヶ月間、ラヴェルに師事したという。ふたりには第一次大戦に従軍したという共通点もある。そして第5番はシベリウスに献呈された。この時シベリウスは既に交響曲第7番まで書き上げ、悠々自適の隠遁生活を送っていた。だからこのシンフォニーにはシベリウスの、特に第4番以降の交響曲からの影響が色濃い。
藤岡/関西フィルは「イギリスの自然を描いた」という第1楽章(前奏曲)冒頭からゆったり、じっくりと歌い上げる。「ピアニッシモの凄み、才気だったスケルツォ」と藤岡が語る第2楽章は俊敏で、ネズミがちょこまか這い回っているよう。弱音器を付けた弦楽合奏で始まる第3楽章ロマンツァは清浄で、心が洗われる。ここは天界。そしてコールアングレのソロが登場すると、誰もいなくなった古戦場に侘びしく風が吹きすさぶ様子が目に浮かんだ。諸行無常の響きあり。第4楽章パッサカリアはまるで教会のステンドグラスから朝日が差し込むよう。そして音楽は消え入るように終わった。文句なし、パーフェクト。
藤岡/関西フィルは現在、シベリウスの交響曲全集をレコーディング中であり、また同時にRVWに真摯に取り組んでいる。この姿勢は名もなき地方都市のオーケストラであるハレ管弦楽団と指揮者ジョン・バルビローリの関係を彷彿とさせる。シベリウスとRVWのふたりを愛してやまない指揮者って、実はいそうでいないんだよね。因みにRVWの交響曲第8番はバルビローリ/ハレ管が初演した。藤岡はハレ管の定期演奏会でデビューした時、何と大胆にもシベリウスの交響曲第1番を選んだそうである。
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