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【いつか見た大林映画】第1回「発端」(最新作「花筐」から「転校生」「時をかける少女」へタイムリープ)

今年4月、大林宣彦監督(79歳)のライフワークである檀一雄原作の映画「花筐(はなかたみ)」が完成し、都内で0号試写(スタッフ、キャストを中心とした内輪のみの上映)が行われた。2人のフィルムメーカーのツィートをご紹介しよう。

その関連記事を読んで初めて知ったのだが、2016年8月末、佐賀県唐津市での「花筐」のクランクイン直前に大林監督は「肺癌で余命3ヶ月」と宣告されたという。ところが病院から処方された新薬が劇的な効果をもたらし、ガンの進行は阻止され、撮影・編集を経て映画は無事仕上がった。また大林監督は2010年に突然の心臓発作で倒れ、左胸に「ペースメーカー」の埋め込み手術を受け、九死に一生を得ている。

劇場用映画デビュー作「HOUSE ハウス」(1977)より前に桂千穂による「花筐」のシナリオは既に完成しており、大林監督が最初からこれと、福永武彦の小説「草の花」を映画化したいと想い続けているという話はファンの間では有名で、僕も四半世紀以上前から知っていた。例えば映画「異人たちとの夏」(1988)の風間杜夫が住むマンションや、「ふたり」(1991)の石田ひかりの部屋の本棚には、密やかに「花筐」と「草の花」が並べて置かれていた(DVDでしっかり確認出来る)。

構想から40年という歳月を経て漸く大林映画「花筐」は実現した。しかし、これが遺作になる可能性が十分ある。覚悟はしておかなければならない。夢にまで見た大林映画「草の花」には、まだ間に合いますか?いや、もしかしたらもう無理かも知れない……。

居ても立ってもいられない気持ちになった。そして今こそ「僕の物語」を語っておかなければという切羽詰まった衝動に駆られたのである。

この不定期連載【いつか見た大林映画】が完結するまでどれくらい時間を要するか現時点では判らない。きっとライフワークになるだろう。僕はについて語ろうと想う。

たとえ肉体が滅んでも 人はいつまでも誰かの心の中に
その人への想いとともに 生き続けている
だから の物語は いつまでも語り続けなければならない
(映画「HOUSE ハウス」より)

僕と大林映画の出会いは、忘れもしない今から34年前ー1983年5月4日、日本テレビ「水曜ロードショー」で放送された「転校生 」だった。解説は”シベ超”(映画「シベリア超特急」)のマイク・ミズノこと、水野晴郎。大林宣彦自ら再編集し、タイトルにも「TV版」と付記して放送された。当時の大林監督の劇場用映画では冒頭部に必ず「A MOVIE」と表示されたが、本作の冒頭は「A TELEVISION」と銘打たれていた。また臨海学校に行く場面で、劇場版にはない音楽(シベリウス「カレリア」組曲〜行進曲)が追加されていたりもした。僕はこの時16歳、岡山県岡山市に住む高校2年生。遊びに行っていた祖母の家で観た。

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その頃は「駅馬車」「風と共に去りぬ」「嵐が丘(ウィリアム・ワイラー監督)」「北北西に進路を取れ」「第三の男」「赤い靴」「道」「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」「サウンド・オブ・ミュージック」など欧米の映画ばかり観ていた。しかし「転校生」のお陰で「日本の監督にも面白い映画を撮る人がいるんだな」と見直した。

初めて見るのに、何だか懐かしい広島県尾道市の風景。【尾道三部作】のスタートであり、【古里(ふるさと)映画】の原点でもある(「花筐」のシナリオも【唐津古里映画】と銘打たれている)。映画冒頭部と終結部は黒白(black and white)で、男女の入れ替わりが起こると総天然色(color)になる。これがMGM「オズの魔法使い」のひそみに倣ったということは後年知ることになる。因みに「時をかける少女」の原田知世の部屋には「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドのポスターが貼ってある。また「転校生」の主人公・一夫(尾美としのり)の家の塀には「駅馬車」のポスターが貼られており、これが時間の経過とともに「アパッチ砦」→「ラスト・シューティスト」と替わってゆく。3作ともジョン・ウエイン主演であり、「駅馬車」が出世作、「ラスト・シューティスト」が遺作になる。あと病弱で足の悪い少女を演じた柿崎澄子が何だか心に残った。柿崎は後に大林映画「さびしんぼう」や「姉妹坂」に出演し、「野ゆき山ゆき海べゆき」で芸能界を引退した。

この年の7月16日から角川映画「時をかける少女」が上映された。併映は薬師丸ひろ子、松田優作主演「探偵物語」。「転校生」がオン・エアされた時点で既に「時かけ」の予告編がばんばん巷に流布していたので「これは絶対観に行かねば」と心に決めた。【尾道三部作】の第二作になるとはゆめゆめ知らずに。

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夏休み、僕は天満屋バスステーション斜め向かいジョリービル地下にあった映画館「岡山セントラル」で「時かけ」を観た。ここは1991年9月27日に閉館した。

映画は「転校生」同様に黒白(black and white)で開始され、雪国の”不思議な星空”に流れ星が流れる。スキー合宿を終えた生徒たちは列車に乗り帰途に就く。すると車窓の菜の花畑が次第に色づきフルカラーとなってメイン・タイトル「時をかける少女」が出現、そこに原田知世のシルエットが浮かび上がる!もうここまで観た時点で、人いきれでむせ返る満席の映画館で僕は滂沱の涙を流していた。「青春デンデケデケデケ」で言うところの【電気的啓示(electric revelation)】を受けたのである。そして胸に誓った「この監督に僕は一生ついていこう」と。その少年の日の約束は34年を経たいまも守られている。

主題歌の作詞・作曲はユーミンこと松任谷由実、本編の音楽は旦那の松任谷正隆。実はこの劇伴、映画「ある日どこかで」のジョン・バリーの音楽にそっくりなのである。大林監督は事前に参考資料として「ある日どこかで」を正隆に観せていた。

「時をかける少女」は世紀の傑作であり、後の映画作家たちに多大な影響を与えた。例えば細田守監督の同名アニメーション映画は明白な大林版の続編である。原田知世演じる芳山和子は細田版で”魔女おばさん”として登場。細田は原田知世にその声をオファーしたのだが、断られている。そして大林は細田のことを「映画の血を分けた息子」と言っている。

ミュージカル仕立ての「時かけ」カーテンコールは正に至福の時と言えるだろう。ももいろクローバーZが主演し本広克行が監督した映画「幕が上がる」(2015) のエンドロールは完璧にそのオマージュに仕上がっている。ももクロのメンバーがフィックス(固定)されたカメラに向かって走ってきて微笑むラストシーンも「時かけ」の原田知世そっくりという念の入れようだ。

「時かけ」の最後、原田知世と高柳良一は11年後に再会するが、記憶が消去されており、互いに認識知ることが出来ない。大学の廊下ですれ違ってふと何かを感じるが、噛み合わない視線。それがそっくりそのまま新海誠監督「君の名は。」で再現されている。糸森町に隕石が衝突して8年後、雪の降る東京の場面である。そもそも「君の名は。」の男女入れ替わりは「転校生」を彷彿とさせるし、新海監督「秒速5センチメートル」の踏切のシーンも明らかに「転校生」の影響を受けている。

そうそう、この「時かけ」の11年後の場面で、逆ズームという撮影法が印象的に用いられている。これはスピルバーグが「ジョーズ」や「E.T.」でもやっているが、もともとはアルフレッド・ヒッチコック監督が「めまい」で生み出したもの(撮影監督はロバート・バークス)。日本で初めて試み、逆ズームと命名したのは大林監督である。

また大根仁監督「モテキ(TV版)」にも「時かけ」のパロディがあることを最後に付け加えておこう。

TO BE CONTINUED...

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