マーラー交響曲第6番をめぐる諸問題〜サロネン/フィルハーモニア管@兵庫芸文
5月14日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。
エサ=ペッカ・サロネン/フィルハーモニア管弦楽団で、
- ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番
- ドビュッシー:「子供の領分」〜人形のセレナーデ
(ソリストアンコール) - マーラー:交響曲 第6番「悲劇的」
を聴く。
コンチェルトの独奏はショパン・コンクールの覇者、韓国のチョ・ソンジン。強い打鍵、剛柔併せ持つ。オーケストラはクラシカル・ティンパニとバルブのないナチュラル・トランペットを使用。サロネンの解釈は小気味よく明晰。ピアノはwetで、伴奏はあくまでdry。両者の対比が面白かった。感情よりも均整を重視する古典派と違い、フランス印象派の音楽はwetで良いので、ピアニストの資質としてはドビュッシーの方が似合っている気がした。
マーラーの交響曲第6番を演奏するに際し、指揮者の裁量で判断しなければならない事項が幾つかある。まず第1に第4楽章のハンマーは何度振り下ろされるのか?ということ。通常(最終稿のスコアに記載されたもの)は2回。しかしレナード・バーンスタインはアルマ・マーラーの回想に基づき3回実行し、その「弟子」佐渡裕も追随している。ショルティも3回。因みに完成当時の自筆スコアには5回指示が書き込まれており、それが出版に際し→3回→2回と減らされた。
もうひとつ問題となるのが第2楽章と第3楽章の順番である。従来はスケルツォ→アンダンテ・モデラートとされて来たが、2003年に国際マーラー協会は、それとは逆にアンダンテ→スケルツォの順序がマーラーの最終決定であると発表した。協会HPに掲載されたクービック(校訂者)の見解では、指揮者でもあったマーラー自身がスケルツォ→アンダンテの順で演奏したことはないとしている。
クラウディオ・アバドは1979年のシカゴ響との録音でスケルツォ→アンダンテを採用しているが、2004年ベルリン・フィル、2006年ルツェルン祝祭管との録音では協会に従いアンダンテ→スケルツォに変更している。リッカルド・シャイーも1989年ロイヤル・コンセルトヘボウ管との録音でスケルツォ→アンダンテ、2012年ライプツィヒ・ゲバントハウス管との録音ではアンダンテ→スケルツォとした。
レコーディングの古いものは大半、スケルツォ→アンダンテの順番で、カラヤン、バーンスタイン、ドホナーニ、テンシュテット、ブーレーズ、ギーレンらがそれに当たる。
一方、アンダンテ→スケルツォで録音されたCDに以下のものが挙げられる。
- バルビローリ/ベルリン・フィル(1966)
- ラトル/ベルリン・フィル(1987&2011)、バーミンガム市響(1989)
- ヤンソンス/ロイヤル・コンセルトヘボウ管(2005)
- ゲルギエフ/ロンドン響(2007)
- ハーディング/バイエルン放送響(2014)
しかし、国際マーラー協会から新見解が発表された2003年以降もスケルツォ→アンダンテのまま変更していない指揮者たちがいる。
- ハイティンク/シカゴ響(2007)
- インバル/東京都響(2013)
- 大植英次/大阪フィル(2014)
- 山田和樹/日本フィル(2016)
今回のサロネンはスケルツォ→アンダンテを採用。ハンマーは2度振り下ろされた。僕はこの順番の方がしっくりくるな。それは第1,2楽章の冒頭に共通性があるから。
佐渡裕によるとレナード・バーンスタインは生前、第1楽章について「マーラーはナチスの台頭を予言した」と語ったという。のっけから重戦車大隊が侵攻してきて人々を蹂躙する。サロネンの指揮は抜群の切れ味。優秀な外科医が鮮やかに腑分けをしているかのよう。そして第2主題(アルマのテーマ)でグッとブレーキを踏み込む。以降は積極的にテンポを動かし、展開部で狂気が炸裂する!第2楽章スケルツォも暴力的リズムで開始され、トリオでは戯けて跳ねる。第3楽章アンダンテは大きくうねり、第4楽章フィナーレでは魑魅魍魎たちが闇夜を跋扈する。聴衆は百鬼夜行のイカれた世界にどっぷりひたり、カタルシス(心の中に溜まっていた澱のような感情が解放され、
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コメント
本日同コンビのベト7の凄演を聴いて、木曜のマラ6を愉しみにしている人間です。
瑣末なことですが、アンダンテ→スケルツォに関しては、自分の所有するCDでは、バルビローリのほかに、アドラーのウィーン響盤(世界初録音)、ミトロプーロスのNYP盤、シェルヘンのライプツィヒ放響盤なども採用しています。根拠となったワルターの手紙の件も含めて、要するに1963年出版のマーラー協会版楽譜が出るまでは、みなさん50年にわたって概ねアンダンテを先に演奏していた時代があったわけですね。
投稿: じゃいん | 2017年5月16日 (火) 00時28分
じゃいんさん、ご教示ありがとうございます。とっても興味深いですね。そして何だかぐちゃぐちゃしていて痛快ですらあります。この混沌はマーラーの交響曲の本質という気がします。
そうそう、面白いことを想い出しました。まだLPレコードだった時代、テンシュテット/ロンドン・フィルの演奏を所有していました。これ一枚目のA面が第1楽章、B面になんと第4楽章が収録されており、2枚目のA面・B面にそれぞれスケルツォとアンダンテが収められていたのです。つまりリスナーの好みで順番を決めなさいということなんですね。
投稿: 雅哉 | 2017年5月16日 (火) 03時32分