映画「沈黙 サイレンス」/スコセッシ✕カトリック✕日本
遠藤周作の小説「沈黙」を巨匠マーティン・スコセッシ監督が映画化したがっているという話は20年前くらいからちょくちょく耳に入っていた。漸く、ライフワークが完成した。公式サイトはこちら。
原作小説は1971年に篠田正浩監督が映画化しており、キネマ旬報ベスト・テンでその年の第2位になっている(1位は大島渚の「儀式」)。これを前から観たいと思っているのだが、現在国内でDVD、Blu-ray発売がなく、全く機会が得られないままの状態が続いている。何故かイギリスではDVDが発売されているのだが、輸入すると8,000円かかるんだよね。アホらしい。資料によるとスコセッシ版でリーアム・ニーソンが演じたフェレイラ役を何と篠田版では丹波哲郎が演じている!なお原作者の遠藤周作が篠田正浩と共同で脚本を書いている。音楽は武満徹。
スコセッシはシチリア系イタリア移民の家に生まれた(「ゴッドファーザー」のコルレオーネ一家と同じ)。だからカトリック教徒で、幼いころは司祭になろうと思っていたという。彼は日本映画に造詣が深く、高品質DVD&BDを発売するレーベルとして知られる米クライテリオンの約700タイトルのコレクションの中から、著名人がそれぞれのベスト10を選び出す企画で溝口健二の「雨月物語」を4位に挙げている(詳細はこちら)。そして彼の主導で同作は4Kデジタル修復された。今回の「沈黙」にも溝口の「山椒大夫」を明らかに意識したショットがある。またスコセッシは役者として黒澤明監督の「夢」に出演している。同作のメイキングを撮っていた大林宣彦監督の証言によると撮影現場でメイクを落とすやいなや、「ミスター・ホンダはどこにいる?」と訊ねたという。「ゴジラ」の監督で、「夢」では演出補佐を務めた本多猪四郎のことである(詳細はこちら)。そしてふたりは記念写真を撮った。
「沈黙 サイレンス」の評価はA+。アカデミー賞では撮影賞しかノミネートされず冷遇されているのだが、掛け値なしの傑作である。この過小評価は多分、アメリカ人の多くがプロテスタントだからじゃないかな?カトリックの話には興味がないのだろう(アメリカ合衆国では国民の約80%がキリスト教徒であり、うちプロテスタント諸派が51%、カトリック教会は24%)。ちなみにアメリカ歴代大統領でカトリック信者はジョン・F・ケネディただ一人だけだそう。
映画の中でイッセー尾形がポルトガルの宣教師に対して「日本は沼みたいなものだから、キリスト教は飲み込まれて決してわが国には定着しない」という旨を述べる場面がある。弾圧がなくなった現在も日本のキリスト教徒は極めて少ない。2015年度の宗教年鑑によると約1%で、180万人程度と書かれている資料もある。つまり多く見積もっても2%に満たないということだ(因みに神道が48%、仏教が46%だそう)。比較的クリスチャンの多い長崎でも4%。これらはプロテスタントも含んでいるので、カトリック信者は更に少なくなる。現状を見ると江戸幕府がキリシタンを弾圧した意味(benefit)は殆どなかったんじゃないかなという気がしてくる。取り越し苦労だったね。(全てを包み込む/飲み込む特性のある)母性社会日本に対して、キリスト教は(切断/断定する)父性が特徴である。両者の性格は互いに受け入れ難いものがあるだろう(詳しくは臨床心理学者・河合隼雄の著書「母性社会日本の病理」をご一読あれ)。
本作を観る前に懸念が2つあった。まず撮影延期で渡辺謙が出演出来なくなったこと(ブロードウェイ・ミュージカル「王様と私」のスケジュールと重なってしまった)。渡辺が予定されていた通訳の役は浅野忠信が引き継いだ。また全編が台湾ロケで、果たして「日本らしさ」が出るのか?という点である。しかしそれらは杞憂に終わった。浅野忠信は存在感があったし、ロケ地はちゃんと日本に見えた。さすが日本通のスコセッシだけのことはあると感心することしきり。外国人が撮った「違和感のない日本」という意味ではクリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」のレベルに達しているなと想った(「ラスト・サムライ」は風景が如何にもニュージーランド・ロケなんだよね)。
塚本晋也や小松菜奈ら日本人キャストが健闘。特にイッセー尾形と窪塚洋介が素晴らしい。窪塚が演じたキチジローはキリストを裏切ったイスカリオテのユダの再現なのだけれど、敵か味方か曖昧ではっきりしない(得体が知れない)ところが、とても日本人的キャラクターですこぶる面白い。遠藤周作は朝日新聞のコラム「自分と出会う」で次のように書いた。
卑怯者にして弱虫ゆえに踏絵を踏み、それなのに神を捨てきれぬ男をどうしても登場させざるをえなかった。その人物の名はキチジローという。フローベルは「マダム・ボバリーは私だ」と言ったそうだが、私もそれにならって「キチジローは私だ」と思いながら筆を進めた。
今回つくづく感じたのは「沈黙」の物語構造が、コッポラの「地獄の黙示録」に極めて似ているということだ。日本という【沼の底】に消えたイエズス会のフェレイラを探しに2人の宣教師が潜入するというプロットは、カンボジアのジャングルに王国を築いたカーツ大佐をアメリカの陸軍将校が暗殺すべく向かいうという「地獄の黙示録」に呼応する。もしかしたらその原作小説、ジョゼフ・コンラッドの「闇の奥」に遠藤が影響を受けているのかもしれない。
最後に。スコセッシ版「沈黙」のラストシーンがオーソン・ウェルズ監督「市民ケーン」のそれ(rose bud=バラのつぼみ)とそっくり同じだったのにはニヤッとした。
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