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2017年2月

2017年2月28日 (火)

前代未聞の大失態!波乱のアカデミー賞授賞式 2017

アカデミー作品賞のプレゼンターとして「俺たちに明日はない(ボニー&クライド)」公開50周年を記念してウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイがステージに登場した。封筒を開封し、「受賞作品は『ラ・ラ・ランド』!」と読み上げるダナウェイ。喜びに湧く映画の出演者やスタッフが壇上に上がり、スピーチが始まった。ところがその途中でステージ後方がザワザワし始め、漸く事態を掌握した『ラ・ラ・ランド』のプロデューサー、ジョーダン・ホロウィッツが「間違いがありました。これは冗談ではありません。作品賞は『ムーンライト』です」と発表し直した。

実はプレゼンターに手渡されたのはセキュリティ上、2つずつ用意されていた主演女優賞の封筒で、「ラ・ラ・ランド」 エマ・ストーンと書かれていたのである。考えられないミス、前代未聞の大惨事。恥をかかされたベイティ&ダナウェイも実に気の毒であった。因みに今やアメリカン・ニューシネマの代表作と賞賛される「俺たちに明日はない」がアカデミー賞で受賞したのは助演女優賞・撮影賞の2部門のみ。作品賞・監督賞・主演男優賞・主演女優賞はノミネートされるも落選している。

立派だったのは間違いを知らされた「ラ・ラ・ランド」関係者たち。怒りを露わにすることなく「ムーンライト」組を祝福した。授賞式後の記者会見でもエマ・ストーンは「私は『ムーンライト』が大好きよ。作品賞が受賞できて良かったわ」とコメントした。寛容(Tolerance)とは正にこのことだなと思った(余談だが対義語はIntolerance - リリアン・ギッシュ主演、D・W・グリフィス監督の映画のタイトルである)。 

【夢を見ていた。】まるでオスカー・ナイトそのものが「ラ・ラ・ランド」そのままの展開であった。

今年の僕の予想が当たったのは14部門。18部門以上的中が5年間続き、昨年は17部門だったので、ここ7年間で最低だった。それにしても作品賞「ムーンライト」、監督賞「ラ・ラ・ランド」という組み合わせを言い当てた人は少ないのではないだろうか?因みに有名サイトオスカーノユクエの的中が15、映画評論家・清水節氏も15部門だったようだ。

今年目立ったのは司会者もプレゼンターも、受賞者もドナルド・トランプ大統領へ集中砲火を浴びせたこと。僕は別にトランプが嫌いじゃないけれど(嘘つきのジョージ・W・ブッシュより余程マシ)、それはそれで面白かった。メキシコ国境に建設が予定されている壁や(イラン、イラク、シリアなど)イスラム7カ国の人々の入国禁止令に関して「私たちは分断されている」という言葉が繰り返されたが、実はハリウッドのセレブ(お金持ち)やジャーナリストなど知識人はこぞって民主党支持者であり、貧しい労働者・ブルーカラー(=サイレントマジョリティー)は共和党支持者なんだよね。合衆国国内こそ分断されており、彼らの意見と世論とに温度差がある。この二重構造が見えていないと、いまアメリカに起こっていることが理解し辛いだろう。今年の授賞式の視聴率は史上最低だったそうだ。執拗なトランプ批判に視聴者がうんざりしたんだね。むべなるかな。

ハリウッドの大スターで共和党支持者はアーノルド・シュワルツェネッガーとシルベスター・スタローン、クリント・イーストウッド、ブルース・ウィリス、アダム・サンドラーくらい。後は大抵、民主党支持者だと思って間違いない。映画人の多くが共和党を憎むのは赤狩り(マッカーシズム)の影響も大きいだろう。先頭に立って指揮したジョセフ・マッカーシーは共和党の上院議員で、赤狩り時代に未だ三流役者をやっていたロナルド・レーガン(後に共和党に入り大統領となる)はFBIのスパイとして暗躍した。根は深いのだ。詳しくは映画「トランボ」をご覧あれ。

あと興味深かったのはインターネット・SNSの映画産業への侵食が顕著になって来たこと。司会を務めたコメディアンのジミー・キンメルは壇上からスマホでトランプ大統領にツイートを送った。またAmazon傘下のAmazon Studiosは脚本賞・主演男優賞(ケイシー・アフレック)を獲得した「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と外国語映画賞を受賞したイラン映画「セールスマン」の北米配給を担っているし、Netflixが製作した「ホワイト・ヘルメット シリアの民間防衛隊」は短編ドキュメンタリー賞を受賞した(日本でも視聴可能)。やはり短編ドキュメンタリー賞にノミネートされた「最後の祈り」や、作品賞にノミネートされた「最後の追跡」もNetflixの作品だ。時代はダイナミックに動いている。

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2017年2月26日 (日)

今年もいっぱい当てます、2017年アカデミー賞大予想!

では第89回アカデミー賞の受賞予想である。相当自信がある(鉄板)部門には◎を付けた。

  • 作品賞:ラ・ラ・ランド◎
  • 監督賞:デイミアン・チャゼル「ラ・ラ・ランド」◎
  • 主演女優賞:エマ・ストーン「ラ・ラ・ランド」◎
  • 主演男優賞:ディンゼル・ワシントン "Fences"
  • 助演女優賞:ビオラ・デイビス "Fences"◎
  • 助演男優賞:マハーシャラ・アリ「ムーンライト」 ◎
  • 脚本賞(オリジナル):マンチェスター・バイ・ザ・シー 
  • 脚色賞(原作あり):ムーンライト◎  
  • 視覚効果賞:ジャングル・ブック
  • 美術賞:ラ・ラ・ランド◎
  • 衣装デザイン賞:ラ・ラ・ランド◎
  • 撮影賞:ラ・ラ・ランド 
  • 長編ドキュメンタリー賞:O.J.: Made in America ◎
  • 短編ドキュメンタリー:最後の祈り(NETFLIX)
  • 編集賞:ラ・ラ・ランド◎
  • 外国語映画賞:ありがとう、トニ・エルドマン(ドイツ)
  • 音響編集賞(Sound Editing):Hacksaw  Ridge
  • 録音賞(Sound Mixing):ラ・ラ・ランド◎
  • メイクアップ賞: スター・トレック BEYOND
  • 作曲賞:ジャスティン・ハーウィッツ「ラ・ラ・ランド」◎
  • 歌曲賞:City of Stars 「ラ・ラ・ランド」◎
  • 長編アニメーション賞:ズートピア◎
  • 短編アニメーション賞:ひな鳥の冒険
    (ピクサー・アニメーション・スタジオ)
  • 短編実写映画賞:Ennemis Interieurs

「ラ・ラ・ランド」は10−12部門受賞すると予想されるので(運が良ければ音響編集賞も)、受賞数で史上最多タイ記録になる可能性がある(これまでに「ベン・ハー」1959、「タイタニック」1997、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」2003が11部門で並んでいる)。

デイミアン・チャゼルは現在32歳、史上最年少での監督賞受賞となる。タイ記録は1931年に「スキピイ」で受賞したノーマン・タウログ。実に85年ぶりの快挙である。実はチャゼル監督、タウログがメガフォンを取った「踊るニュウ・ヨーク」でフレッド・アステアとエレノア・パウエルが踊る場面に対しに「ラ・ラ・ランド」の中でオマージュを捧げている。

今年最大の目玉は演技部門で過半数を黒人(アフリカ系アメリカ人)が占めること。これは前代未聞だ。時代は少しづつ変化を遂げている。もし番狂わせがあるとしたら、主演男優賞でケイシー・アフレック(ベンアフの弟)の可能性も。

長編アニメーション部門はほぼディズニーの「ズートピア」で決まりだが、サプライズとして"Kubo and the Two Strings"も捨て切れない。ところでこれ、未だ日本公開決まらないの〜!?

アカデミー作品賞でミュージカル映画が受賞するのは「シカゴ」(2002)以来、14年ぶりである。しかし「シカゴ」は元々ブロードウェイ・ミュージカルであり、「ラ・ラ・ランド」は全てオリジナル楽曲だ。真っ新のオリジナル・シナリオから創作されたオリジナル・ミュージカルが受賞するのは1958年のMGM映画「恋の手ほどき」(Gigi)以来、なんと58年ぶり。これに快哉を叫ばずにいられようか!

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2017年2月24日 (金)

100パーセントのミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」@IMAX!!

評価:AAA

Lalalandposter

掛け値なし、パーフェクトな映画。文句のつけようがない。公式サイトはこちら

ロサンゼルスのフリーウェイを通行止めにし、ワンシーン・ワンカットの長回しで撮った冒頭のナンバー♪Another Day of Sun♪(歌詞付き試聴はこちら)は最初、交通渋滞のカーステレオからチャイコフスキー(ロシア)が作曲した序曲「1812年」やヴェルディ(イタリア)のオペラ「椿姫」第1幕の合唱曲が聴こえてくる。カメラがずーっと横にパンしていくとそれがジャスティン・ハーウィッツが作曲した躍動感溢れるJAZZに変わってゆく。そして皆が車を降りて歌って踊り出すわけだが、ヒップホップ・ダンスあり、フラメンコありと世界中からロスに集ってくる人々の多様性を示している。なんという高揚感だろう!また主人公セブが車の中で繰り返し聴いているカセット・テープはセロニアス・モンクがピアノを弾く「荒城の月」(Japanese Folk Song)だ。

ジャスティン・ハーウィッツは次のように語っている。

“One of our favorite movies is The Young Girls of Rochefort. After The Umbrellas of Cherbourg, it was the next Jacques Demy/Michel Legrand musical, and that movie opens with — in that case it’s just dance. There’s no singing but it’s this big world-establishing number with great dancing and big orchestration. That’s always been one of the favorite scores for me and Damien in the way that Legrand was able to marry a jazz rhythm section, and in some cases a jazz big band, with a full blown romantic orchestra and do it in such a danceable way. — Justin Hurwitz in Variety

要約すると「僕と監督のデイミアンはジャック・ドゥミが『シェルブールの雨傘』の後、ミッシェル・ルグランとの再コラボレーションで撮ったミュージカル『ロシュフォールの恋人たち』が大好きで、♪Another Day of Sun♪は『ロシュフォール』冒頭♪キャラバンの到着♪へのオマージュなんだ」ということ。なお、「ロシュフォールの恋人たち」にはハリウッドからジーン・ケリーも参加している

また♪キャラバンの到着♪は日本でも三菱・ランサーエボリューションのCMでお馴染みだ→動画

デイミアン・チャゼル監督は「ラ・ラ・ランド」撮影開始前にジーン・ケリーの未亡人と会い、ジーン・ケリーのオフィスで「雨に唄えば」の撮影台本など貴重な資料を見せてもらったと語っている→詳しくはこちら

ワンシーン・ワンカットの手法は、マジックアワー(カタワレ時)に街を見下ろす展望台で展開される♪Lovely Night Dance♪や、♪Audition♪でも用いられている。また、やはりマジックアワーに港で撮られた♪City of Stars♪も美しい。

ピアノ演奏も含めて、セブを演じたライアン・ゴズリングが素晴らしい。滅びつつある音楽ジャンル=JAZZへの滾る情熱。ヲタク・堅物・変人なんだけれど、憎めない愛すべき男である。ゴズリングはディズニー実写版「美女と野獣」の野獣役のオファーを蹴ってこの役に没頭したという。一方、最終的にエマ・ストーンが演じたヒロイン・ミアは当初、「ハリー・ポッター」シリーズのエマ・ワトソン(ハーマイオニー)に決まっていたそう。ところが結局彼女はこの役を降り、「美女と野獣」のベルを選んだ。関係者の証言によると我儘放題言った挙句、ロンドンでのリハーサルまで要求したとか(真偽の程は判らない)。どっちが結局、賢かっただろう?映画を観ながら、エマ・ワトソンがもし演じていたらと想像しようと試みたが、全くイメージが沸かなかった。エマ・ストーンで大正解だった。

彼女が着る50着を超える衣装は最初、鮮やかなレインボー/キャンディー・カラーなのだが、物語が進行するとともに次第にシックになり、最後の最後には黒のモノトーンに落ち着く。その色彩の変化がミアの心の成長を象徴している。

あと可笑しかったのがパーティの場面でミアがセブに車のキーを渡して欲しいと頼んだ時、トヨタ プリウスのキーがズラーッと並んでいたこと。ハリウッドの人たちはエコカーが大好きで、環境保護に熱心なレオナルド・ディカプリオもプリウスを複数台所有しており、アカデミー賞授賞式に自ら運転して登場したこともあった。

IMAXシアターで鑑賞。音は確かに抜群に良いのだが、この映画はシネマスコープであり、折角の巨大スクリーンをフルに活用せず、画面の上下が未使用のままで勿体なかった。通常のスクリーンで十分だと感じた。

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「ラ・ラ・ランド」を観る前に是非予習しておきたい映画たち(優先順位付き)

世紀の傑作「ラ・ラ・ランド」は過去の映画へのオマージュに満ちている。予備知識がなくても十分愉しめるが、知っていればより一層味わい深くなる。そういう作品である。というわけで優先順位付きで紹介していこう。

  1. シェルブールの雨傘 (1964)
  2. ロシュフォールの恋人たち (1967)
  3. ザッツ・エンターテイメント (1974)
  4. スタア誕生 (1954)
  5. マルホランド・ドライブ (2001)
  6. カサブランカ(1942)

ジャック・ドゥミ監督のフランス映画「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」は問答無用で必須ね。で直接関係はないが、どうせなら【港町三部作】の発端となる「ローラ」(1961)からご覧になることをお勧めしたい。詳しくは下記事に書いた。

ハリウッドの「巴里のアメリカ人」」(51)と「雨に唄えば」(52)の影響も色濃いのだが、そんなことを言い出したらキリがない。だからここは集大成としてMGMミュージカルのアンソロジー(ハイライト集)である「ザッツ・エンターテイメント」第1作にとどめを刺す。「巴里のアメリカ人」「雨に唄えば」のみならず「踊るニュウ・ヨーク」(40)、「バンド・ワゴン」(53)など「ラ・ラ・ランド」が引用した場面が次から次へと走馬灯のように現れては消える。賭けてもいいがデイミアン・チャゼル監督が最初に観たのがこの「ザッツ・エンターテイメント」だったに違いない(何故なら僕もそうだったから)。

なお、やはり「ラ・ラ・ランド」で引用されたガワー・チャンピオン夫妻が踊る「煙が目にしみる」は「ザッツ・エンターテイメント part II」、ボブ・フォッシー振付・監督「スウィート・チャリティ」(69)は姉妹編である「ザッツ・ダンシング!」に収録されている。

「ラ・ラ・ランド」の物語構造はジョージ・キューカー監督「スタア誕生」と密接にリンクしている。つまりライアン・ゴズリング演じるセブ=ジェームズ・メイソンの役どころであり、エマ・ストーン演じるミア=ジュディ・ガーランドであると言えるだろう。ヒロインがスターになった時、彼女を導く天使の役割を終えた男はただ、去りゆくのみ。♪The Man that Got Away♪ 是非映像でご覧ください→こちら。「ラ・ラ・ランド」にこれとそっくりなシーン(男女逆転バージョン)があるでしょう?

そして「ラ・ラ・ランド」の終盤、壮大なダンス・シーンは明らかにデヴィッド・リンチ監督「マルホランド・ドライブ」仕様になっている。序でに言えば、「マルホランド・ドライブ」の元ネタであるビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」(1950)も併せてどうぞ。マルホランド・ドライブもサンセット・ブルーバードもロサンゼルス(LA)を通る道路の名称である。「マルホランド・ドライブ」と「サンセット大通り」のテーマは【ハリウッド(LA)とは何か?】であり、それは"LA LA LAND"にも通底している。因みにデイミアン・チャゼル監督が選ぶ「ロサンゼルスを舞台にした映画ベスト10」のリストは→こちら。「サンセット大通り」ではハリウッドセレブのお宅のプールが重要な役割を果たすことも指摘しておこう。

カサブランカ」と本作の深い関わりはこれ以上書くとネタバレになるので、映画をご覧になった後で下記事をお読み頂きたい。

またヒロインのミアが5年後に自分が嘗て勤めていた映画撮影所内のカフェを訪ねる場面があるが、ここはアカデミー作品賞を受賞したジョーゼフ・L・マンキーウィッツ監督「イヴの総て」(1950)を彷彿とさせる。当時、新進女優だったマリリン・モンローが映画の最後に登場する場面ね。モンローの絵も「ラ・ラ・ランド」に出てくる。

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2017年2月22日 (水)

ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」はどうして日本で大ヒットしたのか?(あるいは、GAGAに物申す)

この記事を書いている時点で、ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」は日本で上映されていない(2月24日より)。でもね、蓋を開けてから分析したって、そんなのは所詮コロンブスの卵。誰にだって出来る。「君の名は。」を見てごらん。公開前は誰一人これだけの爆発的ヒットを予想出来なかったくせに、したり顔の「識者」たちが後から後から蛆のように湧いてきて、得意気に語り始めた。それまで新海誠の名前すら知らなかったくせに。みっともない。だから僕は未来予想図で語る。

僕が一番恐れるのは「ラ・ラ・ランド」がアカデミー賞を総なめにしたから大ヒットしたんだという論調。これを認めてしまうと今後も日本で外国映画の公開がどんどん遅れてしまう。

「ラ・ラ・ランド」の公開は世界で日本が一番遅い。配給したGAGA株式会社映画宣伝部の頭が古いからだ。実にけしからん。台湾や韓国、タイ、インドでは既に昨年の12月から公開されており、フィリピンでは1月11日、中国では2月14日に封切られた。どうして日本だけこんなに遅いのか?それは未だに「オスカー効果」があると宣伝部の連中が頑なに信じているからだ。因みに今年のアカデミー賞授賞式は現地時間で2月26日、日本では27日である。

「クレイマー、クレイマー」(1979)の頃、「オスカー効果」は確かにあった。スピルバーグの「シンドラーのリスト」(94)を僕はアカデミー賞授賞式の前日に映画館で観たが、その日は余裕で座れた。ところがアカデミー作品賞や監督賞を受賞するやいなや映画館は人混みで溢れかえり、立ち見したとか入場出来ずにすごすご帰ってきたとかいった話を沢山耳にしたものだ。だからアカデミー賞に絡みそうな映画は公開日を2月下旬以降に延ばすという手法が日本では定着し、未だに顧みられていない。ではその法則は2017年でも通用するのだろうか?

まずこちらの資料を御覧頂きたい→アカデミー作品賞の「神通力」、日本では風前の灯か(Yahoo ! ニュース)。

  • 2011年 アーティスト 4.8億円
  • 2012年 アルゴ 3.2億円
  • 2013年 それでも夜は明ける 4億円
  • 2014年 バードマン 5億円

これが作品賞を受賞した映画の日本での興行収入である。昨年の「スポットライト 世紀のスクープ」といい、全くヒットしていないと言って良い。これなら授賞式と関係なく早々に公開していたとしても大きく変わりはしなかったろう。逆に映画「タイタニック」(1997)の日本公開日は12月20日であり(日米同時)、アカデミー賞とは無関係に大ヒットしている(興行収入262億円)。

昨年公開された話題作「シン・ゴジラ」「君の名は。」「この世界の片隅に」が当たった主な原因はSNSによる口コミである。公開初週よりも2週目、3週目の方が成績が伸びていることに特徴がある。今は作品が良ければヒットする時代なのだ。

だから「ラ・ラ・ランド」も必ず当たるが、それは「オスカー効果」とは無関係だ。SNSで評判がどんどん拡散されていった結果である。

「ラ・ラ・ランド」の大ヒットは映画「レ・ミゼラブル」(興収59.3億円)や「アナと雪の女王」(興収254億円)のそれに似ている。つまりミュージカルであり、何より楽曲がいいのだ。ミュージカルには中毒性があり、熱心なリピーターを生みやすい。「あの高揚感に何度でも浸りたい!」、グルーヴ(groove)を多くの観客と分かち合いたいという気持ちになるんだよね。それは舞台ミュージカル版「レ・ミゼラブル」も同じだ。「君の名は。」だってRADWIMPSによる4つの歌がなければ、これだけ大爆発することはなかっただろう。グルーヴ(groove)&没入感こそがキーワードなのである。

今年のアカデミー作品賞は9作品ノミネートされているが、2月22日現在、日本では1本も公開されていない。これは異常事態である。映画配給会社の皆さん、どうか態度を改め、もっと柔軟で速やかな対応をお願いします。目を覚ましてください。時代は変わったのです。

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2017年2月21日 (火)

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定演/ミュージカル「銀河鉄道の夜」〜宮沢賢治の深層心理にダイブする。

2月20日(月)フェスティバルホールへ。大阪桐蔭高等学校吹奏楽部定期演奏会を聴く。指揮は総監督の梅田隆司先生。

第1部

  • 西村友:ミュージカル「銀河鉄道の夜」吹奏楽版

第2部

  • ロッシーニ(森田拓夢編):歌劇「ウィリアム・テル」序曲
  • プロコフィエフ(高昌帥編):バレエ音楽「ロミオとジュリエット」より
  • アラン・メンケン(ジョン・モス編):映画「美女と野獣」より
    プロローグ〜ベル〜強いぞガストン〜Be Our Guest〜美女と野獣(歌付き)〜奇跡の変身
  • ♪甲子園応援リクエスト・コーナー
    You Are スラッガー(オリジナル曲)〜恋(星野源、恋ダンス付き)〜SHAKE(SMAP)〜三代目 J Soul Brothers メドレー(ダンス付き)
  • 三年間の歩み Part 1(1、2年生篇)
    野田洋次郎、RADWIMPS(宮川成治編):「君の名は」メドレー
    夢灯籠〜前前前世〜スパークル〜なんでもないや
  • 三年間の歩み  Part 2(3年生篇)
    フランチェスコ・サルトール(福田洋介編):Time to Say Goodbye
  • 10期卒業生を送る歌 山村隆太(作詞)、阪井一生(作曲):証
  • ガーシュウィン(建部知弘・森田拓夢編):歌劇「ポーギーとベス」より
  • タケカワ・ユキヒデ(樽屋雅徳編):銀河鉄道999 アンコール
  • 星に願いを アンコール

以前も引用したが、臨床心理学者・河合隼雄は宗教学者・中沢新一との対談本「ブッダの夢」の中で次のように語っている。

 『銀河鉄道の夜』を読んで面白いのは、はじめ、母と息子の物語として出発するんですね。だから、ある意味では、ずっと母性が底流にあるんです。あるんだけれども、チェロのような声をした男の声が聞こえてくるって。最後はしかも、お父さんの帰ることをお母さんに知らせなくちやっていうところで終わります。つまり、非常に厳しい父性もあの中にずっと入ってるんですね。銀河を書いたりする時に、非常に科学的な言葉や客観的な描写が出てきたり、同時に、また母性的なものもあるわけでしょう。
 ところがね、『銀河鉄道999』という漫画は完全におかあちゃんの話になっています。

この物語はジョバンニ=宮沢賢治、カムパネルラ=結核を患い24歳で死去した賢治の妹・トシ(詳しくは賢治の詩「永訣の朝」を参照のこと)として読むことが出来る。この兄妹はある意味、一心同体であり、だから新海誠監督「君の名は。」の瀧と三葉のようでもある。

ジョバンニは【片割れ(=Half Moon)】のカムパネルラと旅をする。しかし実はカムパネルラは既に死んでいる。一方、「君の名は。」の瀧は三葉を探し求めるが、彼女は3年前に死んでいた。両者は物語の構造が同じなのである。「銀河鉄道」とは人の意志に関係なく彼らを運び去ってしまう運命のメタファーであり、「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」「君の名は。」など一連の新海作品に度々登場する鉄道も同様に機能している。

ジョバンニとカムパネルラは一心同体だから、両者合わせて一人の人格と見做すことも可能だろう(名前の由来はイタリア・ルネッサンス時代の哲学者トマソ・カンパネッラだと言われている。その幼名はジョバンニ・ドミニコ。つまり同一人物である)。そして意地悪なザネリの身代わりとして死ぬカムパネルラに対して賢治は明らかに、人類の罪を贖うために十字架にかけられたイエス・キリストのイメージを重ねている。自己犠牲のテーマはタイタニック号の事故で犠牲になった姉弟の登場や、蠍の火のエピソードで繰り返される。そしてアンドレ・ジイドが小説のタイトルに引用した次の警句に繋がる。

狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っていくものが多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見出すものは少ない」(マタイによる福音書)

非常に厳しい父性としての一神教の姿がそこにある。祈りの言葉は「天にまします我らのよ」であり、三位一体とは「」と「子(イエス)」と「精霊」を指す。女性は排除されているのだ。またローマカトリック教会の最高位、法王に女性はなれない。

とすると、「ラッコの上着を持って帰る」と約束し、最後まで姿を見せないジョバンニの父親はイエスの父=神と解釈することも可能なのではないだろうか?イエスは父の真意を測りかねて苦しみ、十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶ。

一方、天照大御神(女)を頂点とする八百万の神を戴く日本は母性社会である(河合隼雄 著「母性社会日本の病理」を参照されたし)。母性は全てを包み込み、あるいは飲み込むが、父性は切断し、分類し(天と地、光と闇、天使と悪魔など)、客観的に観察する性格を帯びている。この特徴が欧米諸国でのみ近代科学が生まれ、発展した背景となった。0と1のみの二進法で全てを計算し、処理するコンピューターの発明もキリスト教社会だからこそあり得たのである。

「銀河鉄道の夜」には天文学、地質学、生物学、化学など自然科学の知識がふんだんに投入されている。また賛美歌320番「主よ、みもとに 近づかん」が歌われ、タイタニック号の犠牲者たちはサザンクロス(南十字星)駅で降りる。ここで十字架のイメージが重ねられている。

しかしジョバンニは病気の母にミルクを持って帰らねばと心を砕いているし、カムパネルラも「おっかさんは、ぼくをゆるしてくださるだろうか」と常に案じている。この父性母性の絶妙なバランス感覚こそが宮沢賢治の真骨頂なのではないだろうか。ところが松本零士は「銀河鉄道999」でキリスト教的要素=厳しい父性を全て取っ払って、マザー(エディプス)・コンプレックスの物語に換骨奪胎してしまった。

さて本題。定期演奏会の感想である。事前に劇団ひまわり版「銀河鉄道の夜」(Bキャスト)DVDを6回鑑賞して臨んだ。いやもう、西村友が作曲した音楽が素晴らし過ぎて心を奪われ、ジョバンニを演じた石川由依(アニメ「進撃の巨人」ミカサの声を担当)の名演にぞっこんになった。

劇団ひまわり版は1時間50分あるので大阪桐蔭版がダイジェストになるのは致し方ないのだが、活版所などジョバンニが銀河鉄道に乗るまでのエピソードと、白鳥の停車場〜プリオシン海岸の場面がすっぽりカットされたのは残念だった。♪大切なことは忘れないこと!♪がなかったのはちょっと寂しい。

オリジナルはピアノ・ヴァイオリン・チェロ・ホルン・クラリネット・ハープ・パーカッションという7人編成だが今回は大編成の吹奏楽版。やっぱり迫力が違う。♪ラッコの上着♪で大太鼓の音がズシンと腹に来た。タイタニック号沈没の場面での♪救い給え、この子らを♪はバス・クラリネット、バリトン・サックスなどの低音群が不気味に響き、実に効果的だった。またこの曲や、僕が大好きなナンバー♪ケンタウルスを追いかけて♪ではステージいっぱいにマーチングが展開され、何と鮮やかだったことか!♪バルドラのサソリ♪では隊列で蠍の姿を表現し、成る程なと感心することしきり。あとサザンクロス駅の場面で背景のスクリーンにKAGAYAが製作したプラネタリウム版「銀河鉄道の夜」が映し出されてびっくりした!

Kagaya

これ、とっても映像が綺麗なんだ。ただプラネタリウム版が痛いのは音楽が安っぽいこと。でも西村友作曲の方なら全く問題なし。

第2部は両サイドにアイーダ・トランペットを配し、華やかに始まった。「ウィリアム・テル」と全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞した「ポーギーとベス」を(共同)編曲した森田拓夢くんはアルト・サクソフォンを吹く3年生。なお、桐蔭の練習場には最近、梅田先生のアイディアでミラーボールが設置されたそう。

プロコフィエフではチューバとコントラバスによる引き摺るようなリズムが印象的。

「美女と野獣」については最近、面白い発見があった。

桐蔭の演奏はファンタスティックで、一つのメルヘンが感じられた。

そして、「君の名は。」4曲メドレーには甚く感動した。なんて洒落たアレンジだろう!歌が入った♪なんでもないや♪もとっても素敵。また何度でも聴きたい。

そしてクライマックスは「ポーギーとベス」。僕は例年通り55人による全日本吹奏楽コンクール版で演奏するのかと思いきや、最優秀グランプリ/文部科学大臣賞を受賞した大人数による日本管楽合奏コンテストバージョンだった。吹コンでは金賞を受賞したものの、冒頭でクラリネットが「ピャッ!」と奇声を発したり、♪サマータイム♪でフリューゲルホルンのソロが出だしをミスったりと幾つかの瑕があった。しかし今回のフリューゲルホルンはパーフェクトだったし、吹コンよりさらに進化していたので、心底驚嘆した。振付が入ったり、最後の♪Oh Lawd, I'm On My Way♪では合唱が入ったりと最高に愉しい!

僕が桐蔭の演奏を初めて聴いたのは2007年全日本吹奏楽コンクール@普門館のドビュッシー「海」だった。2009年に全国大会で初めて金賞を受賞したオルフ「カルミナ・ブラーナ」も普門館で聴いた。そして自信を持って断言しよう。今回の「ポーギーとベス」こそ、創部以来のベスト・パフォーマンスであると。梅田先生はワーグナーやプッチーニ、エルガーなどクラシック音楽を指揮される時よりも、JAZZやROCKの方が生き生きしているし、冴えている。「ポーギーとベス」はなんかもう突き抜けていた。ちゃんとブルースしているし、リズムのセンスやグルーヴ感が抜群なんだ。レナード・バーンスタインもオペラ的な「キャンディード」よりJAZZYな「ウエストサイド・ストーリー」の方が断然いい。梅田先生、是非これからもこの路線で突っ走ってください。

またアンコールの「銀河鉄道999」について、僕は毎年定演のレビューで「照明が暗すぎる。これでは生徒さんの顔が識別できない」と文句を書き続けてきた。ところが今回、前奏が終わるとステージが明るくなったのである!「星に願いを」も美しかったし、今年の照明スタッフは本当に素晴らしかった。あとバルーンの銀河鉄道がホールを斜めに駆け上る演出もジーンとしたなぁ。

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2017年2月17日 (金)

アカデミー賞外国語映画部門ノミネート「ヒトラーの忘れもの」

評価:A-

Under Und2

映画公式サイトはこちら。デンマークとドイツの合作である。米アカデミー賞の外国語映画部門にノミネートされているが(デンマーク代表)、受賞は無理。多分「ありがとう、トニ・エルドマン」(ドイツ)か、番狂わせがあっても「セールスマン」(イラン)に行くだろう。

邦題が良くないと想うんだ。柔らかいオブラートに包み過ぎ。東京国際映画祭で上映されたときは「地雷と少年兵」だった。ストレートだけれど、きちっと内容を伝えている。原題は"Under sandet"直訳すると「砂の下」となる。地雷原のことね。英題は"Land of Mine"で「地雷の土地」。

ヒリヒリと胃が痛くなるような映画だ。観ていて辛い、しかし目を背けてはいけない。これが現実。地雷除去を命じられるドイツの少年たちが本当に可哀想。彼らには何の罪もないのに。そもそも選挙権すらないのだからナチス党に投票したわけでもないしね。大人の罪・過ちを子どもたちが贖わなければならないのだ。

最後に救いはあるのだが、ちょっと甘いかな。過酷さを貫き通して欲しかった。「サウルの息子」みたいに。

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2017年2月15日 (水)

シリーズ《音楽史探訪》20世紀末回顧:空前のブルックナー、マーラー・ブーム〜しかしショスタコの時代は遂に来なかった。

1980年頃から2000年にかけての20年間は日本でブルックナー、マーラー・ブームが巻き起こった。録音メディアが丁度アナログからデジタルへの移行期で、CDの普及が大きかったように想う。

LPレコード時代、マーラーの交響曲で1枚に収まるのは第1,4番と「大地の歌」くらいで、その他は大概レコード4面を要した。つまり鑑賞中に3回レコードをひっくり返さないといけなかったわけで、煩わしいことこの上なかった。ブルックナーの交響曲も第5,7,8番はレコード2枚組で、当然値段も高かった。

1980年代はレナード・バーンスタインが2度目のマーラー交響曲全集を制作中で、クラウディオ・アバドもウィーン・フィルやシカゴ交響楽団とマーラーのセッション録音を重ねていた。レニーがイスラエル・フィルを率いて来日し、第9番の超弩級の名演を披露したのは85年である。またジョゼッペ・シノーポリが手兵フィルハーモニア管弦楽団との来日公演(87年)で第2番「復活」と第5番を取り上げた際は一大センセーションを巻き起こした(「復活」はNHK教育テレビ=現Eテレでも放送された)。レニーが亡くなったのが90年、そしてアバド/ベルリン・フィルがサントリーホールで「復活」を演奏している最中に携帯電話が鳴り出し大問題になったのが96年(ホールに電波抑止装置が導入される契機となった)。この頃からブームは下火になっていった(シノーポリは2001年に死去)。

ブルックナーについては朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団が伝説的名演、聖フローリアン修道院での交響曲第7番を録音したのが1975年10月12日。これがLP2枚組でビクターから市販されたのが79年だった。その直後からブームに火が付いた。オイゲン・ヨッフムがバンベルク交響楽団との来日公演で8番を演奏したのが82年、ロイヤル・コンセルトヘボウとの第7が86年。このあたりで最高潮に達したと言えるだろう。そして2001年に朝比奈が亡くなり、熱は次第に冷めていった。

NHK交響楽団の首席指揮者に着任したパーヴォ・ヤルヴィがつい最近、ヒラリー・ハーンとの対談(@フランクフルト)でとても興味深いことを語っている→動画(3分40秒あたりから)。「現在世界で未だにブルックナーの音楽が演奏され、愛されているのはドイツと日本だけ。そして面白いことに日本でブルックナーを演奏すると、会場には男性客しかいないんだ!ラヴェルとかチャイコフスキーとか、もっとロマンティックで美しい曲を演奏したら女性客や子どもたちが来てくれるんだけどね」それに対しヒラリーは「じゃあブルックナーは日本の成人男性のために作曲したのね!」だって。特にアメリカやイギリスでブルックナーは全く人気がなく、演奏される機会も滅多にない。

さて空前のブルックナー、マーラー・ブームに湧いた20世紀後半の日本において、「レコード芸術」誌など音楽雑誌で散々話題になったのが「次にブームになる作曲家は誰だ?」ということ。そして一番名前が挙がったのはショスタコーヴィチだった。しかし僕は「それはいくらなんでもないだろう」と想っていた。

ブルックナーとマーラーの音楽は単純明快である。ブルックナーの基本は教会音楽、オーケストラによるオルガンの響きの追求であり、神とワーグナーへの信仰が根底にある。マーラーは「俺が、俺が」と自分を語りたがる音楽であり、いわば"Watch me !"の駄々っ子だ。両者がポピュラーになるまで時間を要したのは単に規模(編成)が大きすぎ、演奏時間が長すぎるからに他ならない。しかしショスタコは違う。一筋縄ではいかない難物である。

ショスタコの音楽は表層で作曲家の本音を語っていない。共産主義国家・ソビエト連邦においてはいつ「反社会主義的音楽」という意味不明の烙印を押され、逮捕・投獄(あるいは処刑)されるか判らず、彼は入念な偽装工作を自身の作品に施した。幾つもの層を潜り抜けて行かないと、その深層心理真理)には到達出来ない。そしてそこまで辿り着ける者は少ない。(”いちばん大切なことは、目に見えない” サン・テグジュペリ「星の王子さま」より)

ショスタコの音楽はアイロニー(皮肉)諧謔(パロディ)精神に満ち、屈折している。その奥底にあるのは諦念虚無である。聴いていて心地よいとか、心が洗われるといった類ではない。

作曲家であり著名な指揮者でもあったピエール・ブーレーズはショスタコを嫌悪し、生涯に一度も振らなかった。クラウディオ・アバドもそう。小澤征爾や佐渡裕は辛うじて第5番をレコーディングしているが、それ以外の交響曲を指揮したという話は全く耳にしない。朝比奈は第1番と5番のみ。また帝王カラヤンは第10番以外、食指を動かさなかった。

2017年2月17日、18日に井上道義/大阪フィルハーモニー交響楽団は定期演奏会でショスタコの交響曲第11番「1905年」、第12番「1917年」を取り上げる。同じプログラムで、22日に東京公演も予定されている。同オーケストラ初のレパートリーである。とても愉しみだ。

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2017年2月14日 (火)

「満喫!楽聖ベートーヴェン」いずみシンフォニエッタ大阪 定期

2月11日(土)いずみホールへ。

飯森範親/いずみシンフォニエッタ大阪の定期演奏会を聴く。

  • シュネーベル:ベートーヴェン・シンフォニー (1985)
  • ベートーヴェン:大フーガ (弦楽合奏版・川島素晴 編)
  • 西村朗:ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲 (2007)
  • ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」
    (ピアノ独奏:若林顕)(川島素晴 編)

主菜(Main dishes)に先立ち、恒例のロビーコンサートもあった。

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シュネーベルの曲は《Re-Visionen》シリーズの1つ。有名なベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調 第1楽章を分析/再解釈し、改作による幻想曲に仕上げましたといった趣き。まず冒頭「ダダダダーン」の三連打がない。けったいなアレンジだけどおもろい。この曲に秘められた叙情性が浮き彫りにされたという印象。

川島素晴が編曲した「大フーガ」弦楽合奏版はオリジナルの厳しさが薄められた。何だか視界がぼやけた感じ。

西村朗の曲は2007年12月初演時のレビューを書いているので、そちらをご覧あれ。

ベートーヴェンの交響曲第1番から8番までの全楽章を短時間でつまみ食いできますよという趣向。このパッチワークのノリは昔流行った「フックト・オン・クラシックス」(1981年全英アルバム・チャート第1位!)を彷彿とさせるものがある。若い人は知らないでしょう?こちらで視聴してみて。そういえばこれ、吹奏楽に編曲されたものを高校生の時、吹奏楽部で演奏した記憶がある。

トリの「皇帝」は元々木管楽器とトランペットが2管編成だったものを1管編成で演奏できるようアレンジ(ホルンのみ2名)。原曲にはないトロンボーンが1名加わり、24人のオーケストラ。何だかスッキリした響きで好ましかった。ただ第2楽章から終楽章への移行部でホルンのピッチが合わずお粗末。元・大フィルの村上さん、プロなんだからもっとしっかりしてくださいよ。ピアノは豪快な肉食系。些か繊細さに欠けるがイケイケで、どすこいの横綱相撲だった。爆演ピアニストとして名を馳せたジョルジュ・シフラ(ハンガリー)の勇姿を想い出した。

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ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

評価:B+

Miss

映画公式サイトはこちら

決してティム・バートン監督の最高傑作だとは想わないが、彼らしい作品だなぁと観ていて心地良かった。ディズニーで撮った「アリス・イン・ワンダーランド」の窮屈な制約から開放されて、伸び伸びとワンダーランドで戯れている印象。

ティム・バートンは短編アニメのデビュー作「ヴィンセント」から、異形の者への偏愛を吐露し続けてきた。それは英語で形容するならばまさに今回のタイトルに入っているpeculiar people(or animals/monsters/ghosts)への執着・傾倒である。本作でもやはり異形の子どもたちが魅力的。またペレグリンを演じたエヴァ・グリーン(36歳)が大変美しい。

エマを演じたエラ・パーネルは丸顔で目がぱっちりしていて、

Peculiar

クリスチーナ・リッチに凄く似ているな!と感じた。

Sleepy

よくよく考えてみればクリスティーナは「スリーピー・ホロウ」に出演していたわけで、つまりティム・バートンの好みの顔なんだね。

テレンス・スタンプが演じたお祖父さんエイブ(エイブラハム)はヘブライ語アブラハムの英語読み。アブラハムは旧約聖書の中でノアの箱舟の後に登場する初の預言者、始祖である。そして主人公ジェイコブはヘブライ語でヤコブとなる。「創世記」によると彼の父はイサク、祖父はアブラハム。イスラエルの民つまりユダヤ人はみなヤコブの子孫とされる。劇中エイブが「ポーランドにいた時、モンスターがやって来た」と言うが、それは当然ナチス・ドイツのポーランド侵攻とアウシュヴィッツ強制収容所建設のことを示唆している。

第二次世界大戦が始まる直前、ナチスの手で強制収容所送りになろうとしていたチェコのユダヤの子どもたち669人を救出し、イギリスに疎開されたイギリス人がいた。名をニコラス・ウィントンという。彼の活動はキンダートランスポート(Kindertransport)と呼ばれ、映画にもなった→公式サイト。つまりミス・ペレグリンによって保護されている「奇妙なこどもたち」とは、ウィントンの手で救われたユダヤのこどもたちの暗喩である。

また同じ一日を永遠に繰り返す(ループ)というのは日本のアニメーションでお馴染みの設定である。直ぐに想い出すだけでも押井守監督「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」や、京アニ「涼宮ハルヒの憂鬱」の第12話-19話【エンドレスエイト】、新房昭之監督「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」がある。「ミス・ペルグリンと奇妙なこどもたち」の原作者ランサム・リグズ(写真はこちらは38歳男性。もしかしたらジャパニメーション・ヲタクなのかもしれないなと想った。 

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2017年2月13日 (月)

ブラウティハイム/フォルテピアノ・リサイタル

2月4日(土)兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。ロナルド・ブラウティハイムが弾くフォルテピアノを聴く。

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  • モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第5番
  • 同:ロンド イ短調 K.511
  • 同:ピアノ・ソナタ 第12番
  • ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」
  • 同:ピアノ・ソナタ 第18番
  • 同:ピアノ・ソナタ 第17番「テンペスト」
  • 同:エリーゼのために(アンコール)

ブラウティハイムはオランダのフォルテピアノ奏者。スウェーデンのBISレーベルから沢山のアルバムを発売している。この分野ではアンドレアス・シュタイアー(ドイツ)と並び称される名手である。ただしシュタイアーはモーツァルト、シューベルト、シューマンなどの作品を録音しているが、ベートーヴェンは少ない。一方のブラウティハイムはベートーヴェンのピアノ・ソナタ及び協奏曲全曲をレコーディングしている。今回使用されたフォルテピアノは1800年頃のアントン・ヴァルターが製作した楽器のレプリカ。丁度、ベートーヴェン「悲愴」が出版された(1799年)あたりだ。足で踏むペダルはなく、代わりに取り付けられた膝レーバーについての写真付き解説はこちら

モーツァルトの初期のソナタは踊るような演奏で、コロコロ転がってゆく。優しい場面が一転し、力強い音楽に。表現の幅がある。

ベートーヴェンには畳み掛けるような切迫感が感じられた。またフォルテピアノは時折、鐘のように響く弦の金属的共鳴音が聴こえてきて面白い。

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2017年2月 8日 (水)

長澤まさみ✕石丸幹二✕松尾スズキ/ミュージカル「キャバレー」

2月4日(土)フェスティバルホールへ。松尾スズキ演出、長澤まさみ、石丸幹二、小池徹平主演のミュージカル「キャバレー」大阪公演を観劇した。

Cabalet

兎に角、「長澤まさみがエロい!」と大評判で、チケットは闇で10万円にまで高騰したという。これに対して松尾は次のようにTweetした。

松尾スズキ演出の「キャバレー」は2007年11月に観ており、こちらに感想を書いた。1966年のブロードウェイ初演から72年の映画化、華々しいリヴァイヴァル版上演に至る歴史についても詳しく語っているので是非ご一読願いたい。それにしても松尾版の再演まで10年も待たされるとは!その間2010年に小池修一郎演出、藤原紀香主演でも上演されているので(そちらの感想はこちら)、版権問題で手間取ったのかもしれない。

僕は今まで舞台で、4人の女優がヒロインのサリー・ボウルズを演じるのを観ている。アメリカからのツアー・カンパニーで2度の来日を果たしたアンドレア・マッカードル(ミュージカル「アニー」タイトル・ロールのオリジナル・キャスト)、2001年にブロードウェイの劇場で観たブルック・シールズ、2007年松尾版の松雪泰子、2010年藤原紀香。結論。5人目の長澤まさみが最高だった!松雪のサリーは自堕落で退廃的雰囲気が漂っていたのだが、長澤は若さや生命力に満ち溢れ、はち切れんばかりの輝きを放散した。彼女には「どんな過酷な状況下でも生き抜いてやる!」というタフさ、強(したた)かさがあった。松雪はnegative、長澤はpositive。ある種ヤケクソなパワーを感じた。心配した歌の方も問題なし。まさみちゃん、お願いだから「人生最初で最後のミュージカル」なんてつれないこと言わないで、ぜひもう一回挑戦して!

余談だが、ブロードウェイの「キャバレー」では、映画「ラ・ラ・ランド」でアカデミー主演女優賞を獲る(予定の)エマ・ストーンがサリーを演じた(2014年11月11日〜2015年2月1日)。その時のM.C.(Master of Ceremony)は同役でトニー賞を受賞したアラン・カミング。これは観たかった!!

2007年松尾版でM.C.を務めたのは阿部サダオ、今回は石丸幹二。全くタイプが異なる役者であり、当然演出も様変わりしている。僕は石丸のことを劇団四季時代から知っており、ロイド=ウェバーの「アスペクツ・オブ・ラブ」やミシェル・ルグランの「壁抜け男」日本初演初日@福岡シティ劇場(現:キャナルシティ劇場)も観ているのだが、今回の彼は一番イキイキしていて生涯のベスト・パフォーマンスと太鼓判を押したい。第2幕では得意とするサックスの生演奏も披露してノリノリだった。

小池徹平は受け身の役どころなので無難にこなした印象。2007年の森山未来とどっこいどっこいかな。

シュナイダー役の秋山菜津子やシュルツ役の小松和重平岩紙村杉蝉之介ら前回からの続投組(劇団・大人計画)は手堅い芝居でしっかりと脇を固めていた。

猥雑な松尾の演出も冴えている。下品な笑いに彼のセンスがキラリと光る。通常ではM.C.がゴリラの着ぐるみを着た女性店員と、世界中の誰も認めない愛について歌い踊るナンバー"If You Could See Her"が新演出ではディメンターみたいな背丈が等身大の2倍ある死神(骸骨姿)に変更になっていたのも良かった。

再々演を熱望する。

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2017年2月 7日 (火)

ゲイは「美女と野獣」がお好き?

つい先日、BSジャパンで放送中の指揮者の藤岡幸夫がナビゲーターを務める音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」(公式サイトはこちら)を観ていたら、モーリス・ラヴェルがマザー・グースを題材にして作曲した「マ・メール・ロワ」組曲が取り上げられていた。「マ・メール・ロワ」の第4曲は”美女と野獣の対話”である。これを聴きながら、ゲイって「美女と野獣」が好きなのかな?とぼんやり考えていた。

とそこで、物凄い事実に気が付いた!

「美女と野獣」は元々、フランスのヴィルヌーヴ夫人が1740年に書いたお伽噺である。現在よく知られるのは1756年に出版された、ボーモン夫人による短縮版である。

1946年、小説「恐るべき子供たち」の著者であり詩人としても名高いジャン・コクトー監督がこれを映画化した。キネマ旬報ベストテンで第6位に入るなど、公開当時から現在に至るまで高い評価を得ている。コクトーがゲイだったっことは公然の秘密であり、映画で野獣/王子を演じたジャン・マレーはコクトーの長年の愛人だった。

Bijo

1991年にディズニーは「美女と野獣」をミュージカル・アニメーションとして映画化。アニメ映画史上初めてアカデミー作品賞にノミネートされるという快挙を成し遂げた(当時は長編アニメーション映画部門がなかった)。その製作総指揮及び作詞を担当したのがハワード・アッシュマンである。しかし彼はAIDSを患い、「美女と野獣」がアカデミー賞で作曲賞(アラン・メンケン)と歌曲賞を受賞したときには既に故人だった。享年40歳。授賞式ではアッシュマンのパートナー(勿論男性)がオスカー像を受取り、スピーチをした(その時の動画はこちら)。アニメ版のエンド・クレジットには次のような追悼メッセージが刻印されている。

To our friend, Howard,
Who gave a mermaid her voice,
and a beast his soul.
We will be forever grateful.

 Howard Ashman
 1950-1991

ぼくらの友、ハワードに捧ぐ
君は人魚に声を与え(「リトル・マーメイド」のこと)
野獣に魂を授けてくれた
僕らは君への感謝の気持ちを永遠に忘れない

2017年、ディズニーはアッシュマン&メンケンの楽曲をそのまま用いて「美女と野獣」を実写映画化した。日本では4月21日に公開予定。公式サイトはこちら。美女を演じるのは「ハリー・ポッター」シリーズのハーマイオニーこと、エマ・ワトソン。監督を務めたビル・コンドン(映画「シカゴ」の脚色、「ドリームガールズ」脚色・監督)はゲイであることを公にしている。

Beauty_and_the_beast

また2017年版でガストンを演じるルーク・エヴァンズは俳優としてキャリアを始めた早い段階からゲイをカミングアウトしている。インタビューの中で彼は「みな僕がゲイであることを知っているし、それを隠そうと思ったことはない。カミングアウトしていることで俳優としての人生に支障が出たことはない」と述べている。

しかし一方で、こういう意見もある。ビル・コンドンが監督した「ゴッド・アンド・モンスター」で主演したイアン・マッケランは「ロード・オブ・ザ・リング」のガンダルフとしても有名だが、彼もゲイをカミングアウトしている。2年連続でアカデミー賞に白人俳優ばかりノミネートされ多様性の欠如が非難された2016年、マッケランは「ゲイを公表している男優もオスカーを獲得したことがない。偏見なのか、偶然なのか」とガーディアン紙に語っている。実際に彼は「ゴッド・アンド・モンスター」でアカデミー主演男優賞に、「ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間」で助演男優賞にノミネートされたが、何れも受賞を逃している。そしてマッケランは2017年実写版「美女と野獣」でコグスワースを演じている。

こうやって眺めていくと、やはり「美女と野獣」という物語にはゲイの琴線に触れ、惹きつける、何かとても大切なものがあることは間違いない。ストレートの僕にはそれが何なのか未だよく判らないのだけれど。

さぁ貴方も映画を観て、思索の旅(The Journey of Meditation)に出てみませんか?

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2017年2月 3日 (金)

ベルリン・フィル八重奏団@兵庫芸文

1月28日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。ベルリン・フィル八重奏団を聴く。大ホール(2001席)は満席。

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  • ニールセン:軽快なセレナード
  • ドヴォルザーク:5つのバガテル
    (ウルフ・グィド・シェーファー編)
  • シューベルト:八重奏曲

ベルリン・フィル八重奏団は1928年にシューベルトの八重奏曲を演奏する目的で結成された。来年で結成90年だ。ヒンデミットはこの団体のために、1958年に八重奏曲を作曲している。

現在のメンバーは樫本大進(第1ヴァイオリン、日本)、ロマーノ・トマシーニ(第2ヴァイオリン、イタリア)、アミハイ・グロス(ヴィオラ、イスラエル)、クリストフ・イゲルブリンク(チェロ、ドイツ)、エスコ・ライネ(コントラバス、フィンランド)、ヴェンツェル・フックス(クラリネット、オーストリア)、シュテファン・ドール(ホルン、ドイツ)、モル・ビロン(ファゴット、イスラエル)。実に国際色豊かであり、この特徴は母体であるベルリン・フィルにも言えることだ。

ふわっとした柔らかい音色が(時に管楽器の)名手の証し。ここに実力の差が出る。僕は全日本吹奏楽コンクール金賞受賞団体の演奏を何度も生で聴いたことがあるが、上手いんだけれど音が硬いんだよね。余裕がないと言うか。それからフックスのクラリネットが特に際立っていたのだが、弱音が美しい。芳醇な響き。樫本はソロで聴くともの足りないのだけれど、アンサンブルはお見事!さすがコンサートマスターだ。

ニールセンは交響曲もそうなのだけれど、僕には何も感じるところがない。性に合わない。

ドヴォルザークは肥沃な土壌に、しとしとと雨が降る情景が思い浮かんだ。

シューベルトの長大な交響曲ハ長調「ザ・グレート」や弦楽五重奏曲、後期ピアノ・ソナタ、そしてこの八重奏曲などを聴くときは、【その冗長さを愉しむ】ことが肝心だと最近想うようになった。決して【隙きがない構成】【緊迫感】などを期待してはいけない。ないものねだりというものだ。のんびりと鷹揚に構えたほうがいい。

村上春樹は次のように語っている。

ヨーヨー・マとクリーブランド弦楽四重奏団の演奏するシューベルトの弦楽五重奏曲(ハ長調)を聴くと、あっという間に眠くなります。

村上は弦楽五重奏曲をシエスタ(昼寝)のお供として聴いている。そして、その特徴は八重奏曲にも当てはまる。特に第4楽章アンダンテの変奏曲は退屈で、眠くなる。でもそこがいい。これが判るのが大人というものだ。今回も名手たちによる演奏で堪能した。

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2017年2月 2日 (木)

「君の名は。」英語主題歌版(台詞は英語字幕付き)体験記

新海誠監督「君の名は。(Your Name.)」が4月7日より全米とカナダの劇場にて200スクリーン以上の規模で上映されることが決まった(配給はFunimation Films)。それに伴いRAWPIMPSの野田洋次郎くんが新たに英語詞を書き下ろした歌バージョンの上映をミント神戸で観てきた。因みに兵庫県ではここ1館でしか上映されていない(東宝の映画なのに、何でTOHOシネマズでやってくれない??)。台詞は日本語で英語字幕付き。予習としてEnglish ver.をiTunesからダウンロードし、歌詞とにらめっこしながら繰り返し聴いて頭に叩き込んだ。野田くんは幼稚園のときにアメリカのナッシュビルに引っ越し、ロサンゼルスの小学校などを転々としながら10歳で帰国したという。だから当然英語は自家薬籠中の物で、英語詞も実にこなれている。オリジナルはこっちじゃないか?というくらいの完成度の高さ。

6回目の鑑賞である。因みに僕が一番たくさん映画館で観た作品は高校生の時に封切られた「E.T.」の7回(@テアトル岡山、2003年11月3日に閉館)。ただし最初は試写会で観たし(同級生から招待ハガキを100円で買い取った)、シネコンが登場するより前の時代なので、当時は入れ替え制/指定席ではなく、連続して2回観ることも可能だったのである。「君の名は。」はちゃんと6回お金を払いました。

僕の前に座った女性は50歳位の母親を同伴していた。「私は2回目だから、お母さんは真ん中に座りなよ」と話していたので母親の方は初回と思われる。こんな特殊な上映が最初で大丈夫か?と訝った。また一席空いて僕の左隣には中年夫婦が座っていた。上映が始まり、映画冒頭で三葉がスマホにセットしたアラームが鳴る。突如隣のオバちゃんが「あれ、誰かの携帯が鳴っとる!私のかしら?」と慌ててカバンをゴソゴソし始めた。この人も初心者か!心底びっくりした。

初公開から既に5ヶ月以上が経過した。それでも「君の名は。」は未だ映画館に一度も足を運んだことのない潜在的な観客を掘り起こし続けている。これは凄いことだ。

英語の歌詞は日本語と比較して情報量が多いので、新たな発見もあった。例えば冒頭の「夢灯籠」である。

あぁ 雨の止むまさにその切れ間と 虹の出発点 終点と
この命果てる場所に何かがあるって いつも言い張っていた

この「言い張っていた」の主語は「君」だとずっと信じていた。ところが英語版は

And where the end of this light flies, I've always been insisting there was something that I've been longing for

となっており、「僕」だったんだ!とびっくりした。また「前前前世」の歌詞「何光年」が英語では"millions of light-years"(何万光年)に変更されているのも、スケールアップしていて可笑しい。

他にも色々と英語の勉強になった。具体例を幾つかあげよう。

  • 「夢灯籠」unprecedented:前例のない
  • 「前前前世」eyes glow:目が光る、waver:たじろぐ
    unfettered:束縛されない、自由な
    come up with a verse:歌詞を思い付く、ひねり出す
  • 「スパークル」tame:飼いならす、hourglass:砂時計
    skim through:飛ばし読みをする、ざっと目を通す
    doze off:うたた寝をする、lukewarm:なまぬるい
    mildew:白カビが生える
    second,hour hands of the clock:時計の秒針、時(短)針
    every word stacked:山のように積み重ねられた言葉
  • 「なんでもないや」gust of wind:一陣の風
    make it here:ここに到着する、come short:もの足りない
    glee:(サンタクロースが)ほくそ笑む
    ⇔「スパークル」の「君」にはgrin(歯を見せて笑う)という動詞が
    当てられている。
    showy crier:派手に泣く人

Zenzenzense だけ日本語のままというのが興味深い。相応しい英単語が見つからなかったのかな?

また「前前前世」で、

君の髪や瞳だけで胸が痛いよ
同じ時を吸いこんで離したくないよ

この箇所で英語版はリズムを変えている(三連符の一部で音を刻まずに伸ばす)。しかし2番の歌詞では日本語版と同じく全て刻んで歌っている。

さて、英語字幕では日米(英)の文化差が浮き彫りにされて面白い。例えば四葉は三葉のことを「おねぇちゃん」と呼ぶが、字幕では"MItsuha"。瀧は奥寺先輩に"Ms. Okudera"と呼びかける。該当する言葉がないんだね。

瀧に憑依した三葉が高校で初めて司と会う場面の会話、

「……ツカサ、くん?」「はは、くん付け?」

のくだりは字幕で完全無視。こういうニュアンスも英語では醸し出し難いのだろう。

あとハッとしたのが「隠り世(かくりよ)/あの世」が英語では"Underworld"となっていたこと。そうか、キリスト教の"Heaven"でも"Hell"でもないんだ。"Underworld"はギリシャ神話に登場する黄泉の国に該当する。つまりこれを訳した人はオルフェウスとエウリディケの物語が念頭にあるんだね。それは日本のイザナギ、イザナミに繋がっている。

以下余談。彗星の軌道問題(2回目のニュースから物理学的に作画が間違っている)は未だ修正されていなかった。

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2017年2月 1日 (水)

映画「沈黙 サイレンス」/スコセッシ✕カトリック✕日本

遠藤周作の小説「沈黙」を巨匠マーティン・スコセッシ監督が映画化したがっているという話は20年前くらいからちょくちょく耳に入っていた。漸く、ライフワークが完成した。公式サイトはこちら

Silence

原作小説は1971年に篠田正浩監督が映画化しており、キネマ旬報ベスト・テンでその年の第2位になっている(1位は大島渚の「儀式」)。これを前から観たいと思っているのだが、現在国内でDVD、Blu-ray発売がなく、全く機会が得られないままの状態が続いている。何故かイギリスではDVDが発売されているのだが、輸入すると8,000円かかるんだよね。アホらしい。資料によるとスコセッシ版でリーアム・ニーソンが演じたフェレイラ役を何と篠田版では丹波哲郎が演じている!なお原作者の遠藤周作が篠田正浩と共同で脚本を書いている。音楽は武満徹。

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スコセッシはシチリア系イタリア移民の家に生まれた(「ゴッドファーザー」のコルレオーネ一家と同じ)。だからカトリック教徒で、幼いころは司祭になろうと思っていたという。彼は日本映画に造詣が深く、高品質DVD&BDを発売するレーベルとして知られる米クライテリオンの約700タイトルのコレクションの中から、著名人がそれぞれのベスト10を選び出す企画で溝口健二の「雨月物語」を4位に挙げている(詳細はこちら)。そして彼の主導で同作は4Kデジタル修復された。今回の「沈黙」にも溝口の「山椒大夫」を明らかに意識したショットがある。またスコセッシは役者として黒澤明監督の「夢」に出演している。同作のメイキングを撮っていた大林宣彦監督の証言によると撮影現場でメイクを落とすやいなや、「ミスター・ホンダはどこにいる?」と訊ねたという。「ゴジラ」の監督で、「夢」では演出補佐を務めた本多猪四郎のことである(詳細はこちら)。そしてふたりは記念写真を撮った。

「沈黙 サイレンス」の評価はA+。アカデミー賞では撮影賞しかノミネートされず冷遇されているのだが、掛け値なしの傑作である。この過小評価は多分、アメリカ人の多くがプロテスタントだからじゃないかな?カトリックの話には興味がないのだろう(アメリカ合衆国では国民の約80%がキリスト教徒であり、うちプロテスタント諸派が51%、カトリック教会は24%)。ちなみにアメリカ歴代大統領でカトリック信者はジョン・F・ケネディただ一人だけだそう。

映画の中でイッセー尾形がポルトガルの宣教師に対して「日本は沼みたいなものだから、キリスト教は飲み込まれて決してわが国には定着しない」という旨を述べる場面がある。弾圧がなくなった現在も日本のキリスト教徒は極めて少ない。2015年度の宗教年鑑によると約1%で、180万人程度と書かれている資料もある。つまり多く見積もっても2%に満たないということだ(因みに神道が48%、仏教が46%だそう)。比較的クリスチャンの多い長崎でも4%。これらはプロテスタントも含んでいるので、カトリック信者は更に少なくなる。現状を見ると江戸幕府がキリシタンを弾圧した意味(benefit)は殆どなかったんじゃないかなという気がしてくる。取り越し苦労だったね。(全てを包み込む/飲み込む特性のある)母性社会日本に対して、キリスト教は(切断/断定する)父性が特徴である。両者の性格は互いに受け入れ難いものがあるだろう(詳しくは臨床心理学者・河合隼雄の著書「母性社会日本の病理」をご一読あれ)。

本作を観る前に懸念が2つあった。まず撮影延期で渡辺謙が出演出来なくなったこと(ブロードウェイ・ミュージカル「王様と私」のスケジュールと重なってしまった)。渡辺が予定されていた通訳の役は浅野忠信が引き継いだ。また全編が台湾ロケで、果たして「日本らしさ」が出るのか?という点である。しかしそれらは杞憂に終わった。浅野忠信は存在感があったし、ロケ地はちゃんと日本に見えた。さすが日本通のスコセッシだけのことはあると感心することしきり。外国人が撮った「違和感のない日本」という意味ではクリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」のレベルに達しているなと想った(「ラスト・サムライ」は風景が如何にもニュージーランド・ロケなんだよね)。

塚本晋也や小松菜奈ら日本人キャストが健闘。特にイッセー尾形と窪塚洋介が素晴らしい。窪塚が演じたキチジローはキリストを裏切ったイスカリオテのユダの再現なのだけれど、敵か味方か曖昧ではっきりしない(得体が知れない)ところが、とても日本人的キャラクターですこぶる面白い。遠藤周作は朝日新聞のコラム「自分と出会う」で次のように書いた。

卑怯者にして弱虫ゆえに踏絵を踏み、それなのに神を捨てきれぬ男をどうしても登場させざるをえなかった。その人物の名はキチジローという。フローベルは「マダム・ボバリーは私だ」と言ったそうだが、私もそれにならって「キチジローは私だ」と思いながら筆を進めた。

今回つくづく感じたのは「沈黙」の物語構造が、コッポラの「地獄の黙示録」に極めて似ているということだ。日本という【沼の底】に消えたイエズス会のフェレイラを探しに2人の宣教師が潜入するというプロットは、カンボジアのジャングルに王国を築いたカーツ大佐をアメリカの陸軍将校が暗殺すべく向かいうという「地獄の黙示録」に呼応する。もしかしたらその原作小説、ジョゼフ・コンラッドの「闇の奥」に遠藤が影響を受けているのかもしれない。

最後に。スコセッシ版「沈黙」のラストシーンがオーソン・ウェルズ監督「市民ケーン」のそれ(rose bud=バラのつぼみ)とそっくり同じだったのにはニヤッとした。

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