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2016年12月 6日 (火)

「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」の違和感

評価:B

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Fantabe

J.K.ローリング自ら脚本を書いている。その出来は悪くなく、ハリー・ポッター・シリーズ後半よりは面白いかも知れない。

ただね、映画「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の後で「ホビット」第1作を観た時と似た気持ちになった。「また同じことの繰り返しか……」ヴォルデモート卿のような悪の権化=ラスボスがいて、主人公との魔法合戦が展開される。口数の少ない青年クリーデンスの面影は「ハリポタ」のトム・リドルそっくり。ワン・パターン。もうこの手の話には飽き飽きした。

「ハリー・ポッター」もそうだがJ.K.ローリングが描く世界は極めて単純である。正義と悪、人間と魔法使い……全てが二元論で提示される。悪い奴は最初から最後まで心変わりしない。これは典型的キリスト教の世界観(光と闇/天国と地獄/天使と悪魔)である。「スター・ウォーズ」の場合はもっと深みがあって、アナキン・スカイウォーカー(ダース・ベイダー)は正義(ジェダイの騎士)と悪(パルパティーン=皇帝)の間で苦悩する。つまり揺らぎ反転がある。J.K.ローリングにはそれすらない。ドラコ・マルフォイは?という反論があるかも知れない。しかし僕に言わせれば彼は揺らいでいるのじゃなくて、単に意思が弱くヘタレなだけ。つまり親父の言いなりだ。

我々日本人は従来、二元論で物事を考えない。人間を白か黒で分類出来る筈がない。もっと曖昧なものだ。光と闇、昼と夜の間には【かたわれ時(strange twilight world)がある。そこにこそ本当の価値・人生の真実が潜んでいるのだ。

物事を二元論でしか考えられないローリングとかアメコミはもう見限った。

あと「ハリポタ」も「ファンタビ」も映画の主要な役は白人(多くはイギリス/アイルランド人)が占めており、どうかと思う。多様性が欠けているのだ。実は作者自身がマルフォイ家同様「純血主義者」なのでは?

ハリー・ポッターその人も生まれながらに周囲から一目置かれており、ローリングの世界では本人の努力ではなく、血統で予め資質・能力が決まっているんだね。その価値観はある意味、英国貴族社会の全面肯定に繋がっている。

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