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2016年11月 8日 (火)

クラシック音楽の奥座敷〜初心者には歯が立たない名曲たち

僕がクラシック音楽を聴き始めたのは小学校4年生頃からである。好きになった最初のきっかけはヴィヴァルディ「四季」だった。同時期にカール・ベーム/ウィーン・フィルの来日公演があり、NHK-FMで放送されたベートーヴェンの交響曲第6番「田園」をエアチェック(←死語?)して繰り返し聴いた。その頃愛聴していたLPレコードはヘブラーが弾くモーツァルト:ピアノ・ソナタ集、ベーム/ベルリン・フィルのモーツァルト:後期交響曲集、カラヤン/ベルリン・フィルの「運命」「未完成」、ケルテス/ウィーン・フィルの「新世界より」、オーマンディ/フィラデルフィア管の「ボレロ」「展覧会の絵」などであった。

正に典型的な「クラシック音楽初心者」の歩むパターンと言えるだろう。まず音楽というものは抽象芸術なので取っ付きにくいから、標題音楽から入るのが易しい。つまり「何が描写されているか」が具体的に判るからである。プロコフィエフ「ピーターと狼」、サン=サーンス「動物の謝肉祭」なんかもそう。

男性の場合、大概最初はオーケストラ曲を中心に聴く(協奏曲含む)。派手だから興奮するし、ノリ易い。一方、女性の場合は幼少期からビアノを習っている事が多いので、ショパンやリストなどピアノ曲を好む(あくまで一般論です)。そしてオーケストラ&ピアノ曲しか聴かずに一生を終えるという層も少なからずいる。

今回はクラシック音楽を聴くようになり20年、30年経って漸くその素晴らしさに気が付いた作品をご紹介していきたいと想う。難物揃いである。何らかの形で、若い人たちの参考になれば幸いである。

1)J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ/無伴奏チェロ組曲

バッハの音楽の真の価値に気が付くまでに、相当な時間を要した。ベートーヴェン以降のロマン派の作曲家になると音楽に自分の感情を投影し劇的になるのだが、バッハにはそれがなく、至って簡潔である。神への篤い信仰はあるが、個人的想い(喜怒哀楽)は皆無。僕が若い頃はそれが物足りなかった。また無伴奏の弦楽器独奏作品よりもベートーヴェンやフランクなどのピアノ伴奏付きソナタの方が、ハーモニーも厚みがあって愉しめた。しかし今は違う。「洗練を極めるとシンプルになる」。故スティーブ・ジョブズの座右の銘だが、同じ美学がバッハにも当てはまる。ひたすら心の中(潜在意識)の暗闇を探求し、光を求めて直(ひた)走る強靭な精神力がそこにはある。

2)J.S.バッハ:マタイ受難曲

宗教曲というのは敷居が高い。しかもドイツ語歌詞なので歌詞対訳を読まなければ内容がちんぷんかんぷんだ。しかも長い。CDだと3枚組になる。キリスト教徒でなければ関係ないやと想っていた。

しかし考え方が変わったのは作曲家の武満徹が死ぬ直前に病床で、ラジオから流れてきたこの曲を熱心に聴いていたというエピソードを知ってからである。その時、彼の心に去来したものは何だったのか?俄然興味が湧いた。詳しくは下の記事に書いた。

信仰に関係なく「マタイ」は人類にとって、究極の音楽遺産である。心が洗われる体験を、貴方も是非どうぞ。

またここには挙げなかったが、バッハなら「ゴルトベルク変奏曲」もお勧め。

3)ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲

具体的に言えば、副産物として「大フーガ」を産んだ第13番、第14番、第15番のことを指す。1曲に絞れというのなら第14番で決まり。その理由は下の記事に書いた。

第14番は映画「鍵泥棒のメソッド」や「25年目の弦楽四重奏」でも重要な役割を果すので、そこを足掛かりにするのもよし。

4)ベートーヴェン:後期ピアノ・ソナタ 第30、31、32番

名ピアニスト、アルフレート・ブレンデルは30−32番を1セットで考えるべきだと主張している。後期のピアノ・ソナタは高く聳え立つ山のような存在だ。深い思索、静寂閑雅な佇まい。その世界を仏教の言葉で表現するとしたら【涅槃】の境地なのかも知れない。若い頃はどうしても三大ピアノソナタ(「悲愴」「月光」「熱情」)や、「テンペスト」「ワルトシュタイン」「告別」「ハンマークラビア」といったタイトル付きソナタの派手な輝きに目が眩んでしまい、後期ソナタの控えめな光に気が付かなかった。太陽と月みたいな関係と言って良いかも知れない。

なお、高校の音楽科に通う学生たちを描く青春小説「船に乗れ!」の中で、作者の藤谷治は「ベートヴェンのピアノソナタ第28番、イ長調がこの世のすべてのピアノソナタの中で、一番好きだ」と書いている。その気持も判るなぁ。

5)シューベルト:後期ピアノ・ソナタ 第19、20、21番

1828年9月、シューベルトが死を迎える2ヶ月前に一気に書き上げられた、最晩年(31歳)の作品である。ブレンデルはこの3曲もひとまとめに論じるべきだと述べている。

シューベルトが梅毒の診断を受けたのが1922年12月、25歳の時。丁度この頃、彼は「未完成」交響曲を作曲中であった。そして翌23年から水銀塗布治療が開始されている。彼の死因が水銀中毒であることはほぼ間違いない。

弦楽四重奏曲 第14番「死と乙女」を作曲したのが1824年。全ての楽章が短調で書かれている。カルテットの第15番は2年後の26年に作曲された。

スイスの精神科医キューブラー・ロスはその著書「死ぬ瞬間」で死の間際にある患者が辿る死の需要の心理的プロセスを五つの段階に分けた。①否認と孤立(denial & isolation) ②怒り(anger) ③取引(bargaining)  ④抑うつ(depression) ⑤受容(acceptance) である。

これをシューベルトに当てはめるならば、①「僕が梅毒?まさか!」でも中々親しい人に相談出来ない。②「どうして僕が死ななくちゃいけないんだ!」③「神よ、お救いください。もう少し時間を下さるなら、より良き人間になりますから」といった感じかな。

彼の作品に対照するなら交響曲「未完成」が①、「死と乙女」が②、弦楽四重奏曲第15番が④、そして後期ピアノ・ソナタが④から⑤にかけての心情を吐露したものと言えるだろう。

ピアノ・ソナタ 第19番ハ短調の終楽章を聴いて僕が感じるのは「狂気が疾走する」。それはイタリア、ナポリの舞曲タランテラを連想させる。毒蜘蛛のタランチュラに噛まれると、人々はその毒を抜くために踊り続けなければならないとする話に由来する。またアンデルセンの「赤い靴」でもいい。

絶望憂い哀しみに満ちた第20番 第2楽章を理解するためにはカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドールを受賞したトルコ映画「雪の轍」をご覧になることをお勧めしたい。また第21番 第1楽章はアカデミー賞を受賞したSF映画「エクス・マキナ」に登場。この最後のソナタには死を受容した作曲家の静謐で、ある意味虚無的な世界が広がっている。

6)ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番

ブラームスやフォーレの室内楽は地味なので、中々初心者は辿り着くことが出来ない。人生も半ばを過ぎて、初めてこれらの楽曲の良さがしみじみ身に沁みるのだ。特に憂愁のブラームスは秋に聴きたい。

7)フランツ・シュミット:交響曲 第4番

この曲については下の記事で詳しく語ったのでここで繰り返さない。僕自身人生の最後に聴きたい、茫漠とした宇宙を感じさせる深遠な音楽である。

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