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2016年10月12日 (水)

ゲルギエフ/マリインスキー「春の祭典」@兵庫芸文

10月9日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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ワレリー・ゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管弦楽団で、

  • プロコフィエフ:交響曲 第1番「古典交響曲」
  • ショスタコーヴィチ:交響曲 第9番
  • ストラヴィンスキー:春の祭典
  • メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」スケルツォ (アンコール)
  • ストラヴィンスキー:「火の鳥」子守唄〜フィナーレ(アンコール)

このコンビは前日の8日にロームシアター京都でチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」を上演し、10日には東京文化会館でヴェルディ「ドン・カルロ」が控えていた。その合間を縫ってのこの日。なんというハード・スケジュール!

プログラム全て第1、第2ヴァイオリンが指揮台を挟んで向かい合う古典的対向配置。ゲルギーと言えば短い指揮棒がトレードマークだが、「古典交響曲」は串かつの串くらいの長さ、ショスタコ以降は爪楊枝サイズ。ステージ後方の楽員、見えるんかいな??

3曲共20世紀ロシアの音楽で、プロコとショスタコの共通点は機知に富むこと。プロコの特徴はノスタルジィーかな。一方、ショスタコの音楽で支配的なのはアイロニー(皮肉)と自虐。

「古典交響曲」は滑らかで軽やか。一陣の風が通り抜けるよう。推進力のある演奏だった。

ベートーヴェンの第九のような作品をソビエト共産党から期待されながら、それを鮮やかに裏切ったショスタコのシンフォニー。第1楽章は戯(おど)け。第2楽章は陰鬱な心の闇が広がる。道化師の哀しみ。第4楽章ラルゴは最後の審判のように重々しい。そして第5楽章はやけくそ、理性を失った酔っぱらいが破れかぶれのどんちゃん騒ぎをしている情景が目の前に展開される。

「ハルサイ」は衝動的でマグマが吹き出すよう。今回聴きながら、この作品は反キリスト音楽だなと想った。だから初演の大騒動に繋がったのだろう。ディオニソス的世界観なのだ。ディオニソスはギリシャ神話における豊穣の神で、彼に対する信仰は集団的狂乱と陶酔を伴うものであった。ゲルギーの解釈はパンチが効いてカミソリで切り裂くよう。オケの音色は泥臭く、程よい荒々しさ(バーバリズム)がある。しかし決して乱暴ではなく、アンサンブルの精度は高い。重厚なロシアン・ブラスを堪能した。

アンコールの「火鳥」も大いに盛り上がりお腹いっぱい。すこぶる充実したコンサートだった。

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