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2016年10月

2016年10月31日 (月)

スター・トレック BEYOND

評価:C

映画公式サイトはこちら

監督が前2作のJ.J.エイブラムスから「ワイルド・スピード」シリーズのジャスティン・リン(台湾出身)に交代した。そして本作に出演しているサイモン・ペッグがシナリオライターとしても名を連ねている。

「スター・トレック」シリーズの特徴は明るい未来を描いていることにある。その意味でダークな「スター・ウォーズ」とは対照的だ。そして根っ子にはアメリカらしいフロンティア・スピリットがあり、人種の壁を超えて人類が協力しあって困難を乗り越えてゆく。

1966年から放送されたTVシリーズ「宇宙大作戦」のカーク船長とMr.スポックの関係はBL(ボーイズラブ)のはしりとも言われており、「スター・トレック BEYOND」でヒカル・スールーはゲイという設定になっている。つまりジェンダーに関する偏見もこの世界にはない。なお同役をオリジナルTVシリーズでは日系二世のジョージ・タケイが、映画では韓国人のジョン・チョーが演じている。

でシリーズの特徴は上手に引き継がれているけれど、正直今回は全然面白くなかった。まず戦闘シーンがごちゃごちゃしすぎていて観ていて何が起こっているのかさっぱり解らない。CGを駆使した物量作戦は、あの頭の悪い「アベンジャーズ」を想い起こさせる。僕はJ.J.の演出の方が断然好き。音楽はマイケル・ジアッチーノが続投しており、こちらは文句なし。ご機嫌だった。ただエンドロールに歌が入っていたのにはびっくり。監督のセンス?? 

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2016年10月25日 (火)

映画「永い言い訳」

評価:B+

Nagai

公式サイトはこちら

西川美和監督の過去作品と比べるならば、「ディア・ドクター」よりは上、しかし最高傑作「ゆれる」には及ばない。「夢売るふたり」と同レベルかな。

「ゆれる」を自ら小説化した作品は三島由紀夫賞候補となり、「ディア・ドクター」の原案小説「きのうの神さま」は直木賞候補になった。そして小説「永い言い訳」は直木賞と山本周五郎賞の候補になった。

主人公の小説家は実に情けない、みっともない男である。その彼が妻の死、疑似家族体験などを通して、自分に欠けているものに気づいてゆく。そういう物語だ。では最後に主人公は成長したのか?と問われると、微妙かな。人間そう簡単に変われるものではない。そして人生は続く。

良い作品だが、何だか乗り切れないもどかしさもある。その尾を引くモヤモヤした感情は、直木賞&山本周五郎賞で選考の任に当たった著名作家たちのコメントにも現れている→こちら

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2016年10月21日 (金)

日本人は何故【泣ける映画】を求めるのか?〜「君の名は。」を糸口として

現時点で興行収入が150億円を超えた「君の名は。」は学校やSNSでの評判の拡散が今年度ぶっちぎりの大ヒットとなった要因と分析されているが、キーワードは「泣ける」だった。

例えばこんな記事がある→2016年最も泣けるアニメ映画『君の名は。』大ヒットの要因とは…

因みに僕自身は「君の名は。」を4回観に行ったが、泣いたことは1度もない。僕にとって「君の名は。」は【泣ける映画】でなく、もっと違う次元の感動があった。

雑誌やインターネットでの【泣ける映画】の特集は多く、またテレビの音楽番組ではしばしば【泣ける曲】ランキングで盛り上がる。どうして日本人はこんなに泣きたいんだろう?我々の文化に於いて【泣く】というのは概ね肯定的に捉えられており、特に若い女の子が「泣いた」と呟けば、それは「可愛い」に直結する。だからアイドルたちはSNSで競って「泣きました」を強調するのだ。考えてみればとても不思議な民族である。

一方、欧米で【泣ける映画】が持て囃されることはない。ハリウッド映画に【涙(tears)】は求められず、ヒットするために最も重要なのは【興奮(excitement)】と【笑い(fun, laughter)】である。

キリスト教は父性原理が強い宗教だ。祈りの言葉は「天にまします我らのよ」であり、三位一体とはイエス)、精霊を指す。そこに女性は一切介在しない。カトリック教会の頂点に立つのは法王だが、女性は法王になれない。

父性原理は【切断】し、物事を分類する。光と闇、天と地、善と悪、天使と悪魔。コンピューターも0か1で全てを表現する2進法が根幹をなす。

欧米社会では成人するまでに精神的な【母親殺し】(=自立)が求められ、強力な自我(ego)が形成される。他者とは異なる個(individual)を確立することが最も大切なのである。女性も同様で、その典型例が「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラだろう。

フランス人は赤ちゃんに添い寝をしない(具体的にはこちらのブログをご覧ください)。出来る限り早い段階でひとりで寝かせる。親離れをさせるためである。正に【切断】(divide)している。

ヨーロッパの昔話に多いパターンは精悍な青年(王子様)が困難を克服し、最後にバケモノ(大蛇・ドラゴン・魔女など)を退治して、お姫様と幸福な結婚をする。めでたしめでたし(And they lived happily ever after.)というもの。強い自我形成の大切さを示す寓意が込められている。「スーパーマン」「スパイダーマン」などアメコミも基本的に同じ構図だ。

一方、日本にこういう昔話は稀有であり、むしろ母性原理が支配的である。

日本人は場の平衡を保つことに腐心し、すべてを包み込むように(清濁併せ呑み)、横に繋がって生きてきた。「君の名は。」の言葉で言えば【結び】を大切にしてきたのである。

多分、父性原理に生きる西洋人にとって泣くという行為は相手に【弱みを見せる】ことに等しく、好ましくないのであろう。要するに【男らしくない】、みっともないのだ。それは男性だけに留まらず、ヒラリー・クリントンなど社会の第一線に立って働く女性にも当てはまる。

しかし日本では平安時代の「源氏物語」や、「君の名は。」で新海誠監督が参考にした「とりかへばや物語」など、作中の男たちは優雅に和歌を詠み、しょっちゅう泣く。恥ずかしいことではない。江戸落語の聴衆が好むのも人情噺だ。「君の名は。」の主人公・瀧も度々涙を流す。ハリウッド映画やディズニー/ピクサー・アニメで瀧ほど泣く男性キャラは皆無だろう。

映画を観たり、音楽を聴いて【泣く】という行為は何を意味しているのだろう?それは物語や、登場人物への【共感】【一体感】である。つまり【繋がる】ということであり、【結び】だ。ではアメリカ人が好むジョークとか笑い(古くはマルクス兄弟、現在は「サタデー・ナイト・ライブ」)は?それは【批評精神】と言えるだろう。対象との関係は【切れて】いる。客観的に相手を観察する【醒めた目】がある(その姿勢が欧米における自然科学の驚異的進歩という成果を生み出した)。

「竹取物語」とか「伊勢物語」など日本の古典文学、「万葉集」など和歌で重要な言葉に【かなし】がある。これは「哀し」と共に「愛し(しみじみとかわいい。いとしい。)」の意味を含有する。僕はこの【かなし】という感情が【泣ける】映画・音楽のルーツではないかと考える。

「君の名は。」の新海誠監督は毎日新聞の記事において、「作品には、少女漫画の文法を感じるところがあります。」と聞き手に言われ、次のように答えている(出典はこちら)。

私の作品に父性主義・父権主義はなく、そんな意味では確かに女性作家の小説の方が、好きなものが多いかもしれません。父が権威を大事にする人で、男はこうあるべきだ、人生はこうあるべきだ、と「あるべき」を言う親で、良くも悪くも影響も受けているかと思いますが反発もずっとあり、説教されるのが嫌いです。

「君の名は。」の登場人物たちの運命の鍵を握るのは巫女の超人的能力であるし、上の発言でも判る通り、新海アニメは母性原理を原動力にしている。それが日本人の無意識に訴えた(琴線に触れた)からこそ、これだけのヒット作が生まれたのだろう。

参考文献:河合隼雄「昔話の深層」「昔話と日本人の心」「母性社会日本の病理」

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2016年10月19日 (水)

デュメイ(バルトーク)×藤岡幸夫(シベリウス):関西フィル定期

10月14日ザ・シンフォニーホールへ。

独奏ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ藤岡幸夫/関西フィルハーモニー管弦楽団で、

  • 吉松隆:夢色モービル II
  • バルトーク:ヴァイオリン協奏曲 第2番
  • シベリウス:交響曲 第2番

藤岡が英国のレーベル、シャンドスに録音した「夢色モービル II」はオーボエ独奏とハープ、弦楽アンサンブル用にアレンジされたものだったが、今回は独奏ヴァイオリン仕立て。関西フィルのコンマス、岩谷祐之が担当した。夢見心地の優しい音楽。「銀河鉄道の夜」とか、宮沢賢治の妹とし子(詩「永訣の朝」)のことを想起させた。なお吉松隆も2つ年下の妹をガンで亡くしている(その看病をしながら病室で作曲したのが「サイバーバード協奏曲」)。そして映画「君の名は。」の【美しくもがく】という言葉がふと脳裏に浮かんだ。

バルトークでデュメイが登場。激しく、太い音が心に刺さる。第2楽章は幽玄の響き。艶っぽかった。

フィンランド人の母親を持ち、世界で初めてシベリウスの交響曲全集をステレオ録音した指揮者・渡邉暁雄の薫陶を受けた藤岡幸夫はシベリウスやヴォーン=ウィリアムズを自家薬籠中の物としている。この二人の作曲家に関する限り、日本の指揮者で彼の右に出る者はいないだろう。

イタリアの風光明媚な港町ラパッロで作曲された交響曲第2番の第1楽章は動的。冒頭部は波が押しては返すよう。幼い娘の死を背景にしており、感情を剥き出しにした音楽が展開されてゆく。藤岡の指揮は切れ味抜群。暗い第2楽章には作曲家の苦悩が刻印され、傷だらけの姿が浮かび上がる。やがて弦楽群に現れる柔らかい光がさすような主題は【祈り】だ。スケルツォの第3楽章は疾風怒濤。オーボエが穏やかに歌うトリオで連想したのは水鳥の鳴き声。そして決然と進む第4楽章にあるのは高揚感!血が滾るように熱く、圧巻の演奏だった。

中学生の頃、僕が初めてこのシンフォニーのLPレコードを買ったのはCheskyレーベルから出ているバルビローリ/ロイヤル・フィルの演奏(1962年)だった。何しろ録音が極上で、多分刷り込みもあるのだろうが今でも最高の名演だと確信している(バルビローリ/ハレ管はオケの質が劣る)。しかしその後、第4番以降の交響曲の方が優れていると思うようになり、一方演奏会では第2番ばかり取り上げられ耳タコ状態で次第にこの曲が嫌になった。今回の演奏を聴いて、本当に久しぶりに大好きだった幼い日のことを想い出した。漸くバルビローリに匹敵する演奏にめぐり逢えたのだ(因みにカラヤン/ベルリン・フィルは第4−7番の演奏が素晴らしいが、第2番はサイテーである)。

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2016年10月17日 (月)

「君の名は。」の三葉が歌う ”なんでもないや” @兵庫県・阪急西宮ガーデンズ

映画「君の名は。」の大ヒットを受けて、大変美しい新ビジュアルが公開された。

Kimi

これは10月14日の朝日新聞など全国紙朝刊に一面広告として掲載された。また12月上旬から映画館のポスターとして登場する予定という。東宝は年明けまで上映する気満々だね。10月16日までの興行収入が154億円、あと1億円で「崖の上のポニョ」に追いつく。このまま行けば「もののけ姫」「ハウルの動く城」を抜き、200億円の大台に乗るは間違いないだろう。最終的に「アナと雪の女王」の記録254.8億円にどこまで迫れるかが焦点となって来た。

10月15日(土)兵庫県西宮市の阪急西宮ガーデンズへ。

「君の名は。」で三葉役を演じた上白石萌音の歌を聴いた。僕は彼女が主演したミュージカル映画「舞妓はレディ」(2014)や、広瀬すずの同級生役を務めた「ちはやふる」(2016)も観ている。

彼女は前日の14日(金)にテレビ朝日「ミュージック・ステーション(Mステ)」で「君の名は。」のエンディング・ソング ”なんでもないや” をカヴァーした(オリジナルはRADWIMPS)。新海誠監督の特別編集による映像付きで、新ビジュアルで終わるという趣向。それはもう、本当に素晴らしかった。

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今回はミニアルバム「chouchou(シュシュ)」発売記念のフリーライブで、CDに封入された券で特別観覧席への入場とサイン会に参加出来るという仕組み。

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上写真はリハーサル風景。本番は撮ってません。

歌われた曲は

  • ミュージカル「レ・ミゼラブル」より
    On My Own
  • 366日
  • なんでもないや (movie ver.)
  • 映画「モダンタイムズ」よりSMILE

On My Ownは無伴奏のア・カペラ。野外イベント(4階スカイガーデン・木の葉のステージ)開始時刻が午後5時で、3曲めの ”なんでもないや” の頃に丁度空が夕焼け色に染まる「かたわれ時」(The Magic Hour)となり、すごく感動した。

透き通るような歌声で、ちょっと震えているような感じが、繊細で愛おしい(ヴィブラートとは質が違う)。正に【三葉】という印象。

新聞報道によると当日集まった聴衆は1500人。ステージ正面の特別観覧席に座ったのは約300人くらい。驚いたのは女性客が4割を占めていたこと。「君の名は。」の認知度の高さを示している。名古屋や東京から駆けつけた人も。

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上の写真はステージ裏側の観客の様子。

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ライブ後は同じステージ上でサイン会となった。一人ひとり目を合わせて丁寧に対応してくれて、とても感じの良い女の子だった(現在大学生)。

新聞記事はこちら。また彼女のInstagramにも写真あり→こちら

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2016年10月14日 (金)

SCOOP !

評価:B-

Scoop

映画公開前日に大根仁監督は次のようなツイートをした。

しかし蓋を開けてみると、「SCOOP !」公開初週の週末興行収入ランキングは第4位だった(1位:「君の名は」6週目、2位:「ハドソン川の奇跡」2週目、3位:「聲の形」3週目)。「聲の形」の上映館数が121館で「SCOOP !」は247館。半分以下の「聲の形」に負けるなんて、みっともねぇし情けねー!

映画はオーソン・ウェルズの「黒い罠」で始まり(冒頭の長回し)、ヒッチコックの「裏窓」に移行、そしてベテラン刑事とルーキーのバディ・ムービーに落ち着くという構成。最後は松田優作主演の一連のアウトローものも入っているかな。

いわゆる「松永事件」に至る前半はすごく良い。ここまでは評価Aにしようと想っていた。ところが、それから後がいただけない。主人公がロバート・キャパに憧れていたとか、福山雅治を格好よく描き過ぎ!ゲスな中年パパラッチは最後までゲスでいて欲しかった(余談だがパパラッチという言葉はフェリーニの映画「甘い生活」で生まれた)。

大根仁監督の作品は「モテキ」とか「バクマン。」とか好きだったけれど、今回は焼きが回ったな。才能あるんだから顔を洗ってまた出直してきな。俺は待ってるぜ(by 石原裕次郎)。

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2016年10月12日 (水)

4回目の鑑賞と新たな発見〜「君の名は。」超マニアック講座2

ネタバレあります。

まず大前提として、以下の順番で過去記事をお読みください。

今回、4回目の「君の名は。」鑑賞で気が付いたこと、また今まで書き残していたことの落ち穂拾いをしてみたいと想う。

9)彗星の分裂、糸守と東京

瀧と三葉の前前前世は一卵性双生児、あるいは両性具有の単一体(結合双生児)のイメージではないかということは既に論じた(こちら)。

ご神体のある「あの世=隠世(かくりよ)」で瀧が三葉の残した口噛み酒を飲み、倒れる場面で彼は彗星を見る。それはやがて分裂し、ひとつは飛騨方面(糸守)に落ち、受精卵になる(metamorphose)。やがてそれは細胞分裂を始め、三葉が生まれる。そして彗星のもう一方(片割れ)はどうも東京方面に向かったようだ。すなわちそれが瀧なのではないだろうか?

10)イザナギの左回り、イザナミの右回り

瀧と三葉がご神体を中心に、山頂(クレーターの縁)でイザナギ&イザナミによる婚礼の儀式を再現することも既に書いた(こちら)。

さて映画のラストシーンについてである。

Kimi_2

上のポスターはイメージ画像であり、本篇とは異なる。映画でふたりは社会人になっているが、階段の位置関係は映画と大体違わない。瀧は手すりの切れ目に立ち、三葉の傍らに切れ目はない。ではこの後、彼らはどう動くか?……瀧は当然手すりを越えて階段の右側を降りて行くだろうし、三葉はそのまま階段を上がるだろう。ではこれを俯瞰して、階段を一つの細長い楕円として捉えたらどうだろう?瀧は左回り、三葉は右回りに動くことになる。つまりイザナギ&イザナミによる結婚の儀式と同じだ。また瀧が先に声をかけたことも重要。女であるイザナミが先に声をかけた時、水蛭子(ヒルコ)が生まれ、ふたりはこの子を葦で作った船に乗せて流して捨ててしまう。次に淡島(あわしま)が生まれるがこれも子供とは認めなかった。「女が先に話しかけたのが良くなかった。 もう一回言いなおしなさい」 と天津神(アマツカミ)に言われ儀式をやり直し、漸く淡路島や四国が生まれることになる。

11)パズーとシータ

以下述べる情報は新海誠監督が高橋源一郎がパーソナリティーを務めるNHKのラジオ番組「すっぴん!」に出演した時に語った内容である。

新海がシナリオの初稿「夢と知りせば(仮)-男女とりかえばや物語」を川村元気プロデューサーに見せた時、川村から「で、語り部はどっちなの?」と問われた。「パズーとシータにした方がいいんじゃない?」とも言われたそう。宮﨑駿「天空の城ラピュタ」において、超人的能力を有するのは王族の末裔であるシータであり、パズーは語り部だ。それと似た関係が宮水三葉(巫女)と瀧にもある。川村からのアドバイスを受け、新海は第2稿、第3稿と書き進めていった。

新海誠が中学生の時、初めて映画館で観た作品が「ラピュタ」だったという。つまり「君の名は。」を構想した時、彼の潜在的無意識の中にパズーとシータがいたのではないだろうか?

12)鈴の音に注目!

新海アニメを鑑賞する時には音に注目することも大切だ。「君の名は。」で重要なのが鈴の音。例えば瀧が口噛み酒を飲み、三葉にダイブすることに成功するが(これが最終回)、彼女の父親の説得には失敗する。そこで彼は山の上のご神体の方を見て、「そこに……いるのか?」と呟く。その時に鈴が鳴る。また終盤近く社会人になったふたりが雪の降る東京ですれ違う場面にも鈴が鳴る。言わば、「神のお告げ、神託」のような役割を果たしているのだ。この演出法、僕は佐々木守脚本、実相寺昭雄監督による究極の名作「怪奇大作戦 京都買います」を参考にしているのではないかと推察するのだが、新海監督、如何でしょう?

13)「前前前世」の歌詞が違う!?

最初観た時からずーっと気になっていたのがRADWIMPS「前前前世」(movie ver.)の2番の歌詞と、映画に流れるそれが全く違うことだった。漸く最近になってその謎が解明された。どうも新海監督がmovie ver.よりも、11月23日に発売予定のRADWIMPSのニューアルバム「タイトル未定」に収録されるオリジナル・ヴァージョンの歌詞の方が気に入って、そちらを急遽使う事になったそうである。ところで海外上映用の(English ver.)は何時になったら聴けるのだろうか!?そちらもとても愉しみである。

14)陽だまりと影、瀧と奥寺先輩

瀧と奥寺先輩がデート後に陸橋の上で別れる夕景の場面。瀧は陽だまりにいて、奥寺先輩は日陰に佇む。奥寺先輩がミステリアスに映るし、三葉に恋し始めた瀧と、ある意味において瀧(+三葉)に失恋した先輩のコントラストが鮮明に描かれる。そのイメージは村上春樹「ノルウェイの森」のレイコさんに繋がっている(→最後の台詞「幸せになりなさい」)。

15)巫女の舞の暗示

三葉と四葉による巫女の舞は彗星が分裂することを警告している(それを暗示する振り付けになっている)。しかし舞に込められた意義は遡ること200年前の「繭五郎の大火」で消失してしまった。なお繭も結びに関連してますね。

また巫女舞の髪飾りには竜(龍)が描かれている。これも彗星のメタファー。さらに「瀧」という漢字は水を表す「さんずい」+「龍」で構成されている。

16)蝶々結びと腕輪

瀧が憑依していない三葉は組紐を蝶々結びしているが、憑依しているときは髪を大雑把に一括りしている。一方、三葉が憑依していない瀧は必ず組紐のブレスレットをしているが、憑依しているときはしていない。これが簡単な見分け方。

また野田洋次郎(RADWIMPS)が女性アーティストAimerに提供した「蝶々結び」という楽曲があるのだが、どう考えても元々は「君の名は。」の為に書かれた歌詞としか思えない。是非聴いてみてください。

17)ハリネズミと【ヤマアラシのジレンマ】

三葉はハリネズミが大好きという設定だ。彼女の筆箱にハリネズミが描かれているし、カッターで切り裂かれた奥寺先輩のスカートを繕った際も、ハリネズミの刺繍を施している。ここで僕が想い出すのが「新世紀エヴァンゲリオン」で言及される【ヤマアラシのジレンマ】。ドイツの哲学者ショーペンハウアーの寓話に由来し、後にフロイトが論じた。「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの相反する欲求に板挟みになった状態を指し、「君の名は。」にも通じるテーマだ。因みに英語ではHedgehog's dilemmaとなり、原義は「ハリネズミのジレンマ」である。

18)スマホの厚み

三葉が使っているスマートフォンは3年前の機種なので、瀧のそれより分厚い。ま、最後は蛇足で皆気が付いていると思うけど。

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大阪桐蔭高等学校吹奏楽部@宝塚音楽回廊

10月8日(土)宝塚市末広中央公園へ。大阪桐蔭高等学校吹奏楽部の演奏を聴く。

宝塚音楽回廊のHPはこちら(写真あり)

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曲目は、

  • 歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲
  • ミュージカル「ラ・マンチャの男」セレクション
  • スター・ウォーズ・サーガ
  • ミュージカル「キャッツ」より
  • 銀河鉄道999

作曲家/編曲者とか、メドレーの曲順とかは下記事に詳しく書いたのでご参照あれ。

桐蔭はステージ用のひな壇を持参して来ていて、前のアーティストが演奏を終えると、生徒たちが手早く準備を始め瞬く間に完成。プロの技だね!

因みにここは今年も関西代表として全日本吹奏楽コンクールに出場するのだが、名古屋国際会議場での本番は10月23日(日)。あと2週間しかない。しかも翌9日もNHK大阪ホールで演奏を披露するという。何ともハード・スケジュールだ。

梅田隆司先生によると現在部員数181人。今年は何故かマーチングコンテストには参加しなかったみたい。

マーチングもあり、サラウンド効果で吹奏楽の演奏を堪能した。本当は今年桐蔭が吹奏楽コンクール自由曲で演奏するガーシュウィン(建部知弘 編):歌劇「ポーギーとベス」より も是非聴きたかったのだけれど、それは今度の定期演奏会当日までのお楽しみということで。大好きな楽曲なので、コンクールでの皆さんの健闘を祈っています。Good luck !!

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ゲルギエフ/マリインスキー「春の祭典」@兵庫芸文

10月9日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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ワレリー・ゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管弦楽団で、

  • プロコフィエフ:交響曲 第1番「古典交響曲」
  • ショスタコーヴィチ:交響曲 第9番
  • ストラヴィンスキー:春の祭典
  • メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」スケルツォ (アンコール)
  • ストラヴィンスキー:「火の鳥」子守唄〜フィナーレ(アンコール)

このコンビは前日の8日にロームシアター京都でチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」を上演し、10日には東京文化会館でヴェルディ「ドン・カルロ」が控えていた。その合間を縫ってのこの日。なんというハード・スケジュール!

プログラム全て第1、第2ヴァイオリンが指揮台を挟んで向かい合う古典的対向配置。ゲルギーと言えば短い指揮棒がトレードマークだが、「古典交響曲」は串かつの串くらいの長さ、ショスタコ以降は爪楊枝サイズ。ステージ後方の楽員、見えるんかいな??

3曲共20世紀ロシアの音楽で、プロコとショスタコの共通点は機知に富むこと。プロコの特徴はノスタルジィーかな。一方、ショスタコの音楽で支配的なのはアイロニー(皮肉)と自虐。

「古典交響曲」は滑らかで軽やか。一陣の風が通り抜けるよう。推進力のある演奏だった。

ベートーヴェンの第九のような作品をソビエト共産党から期待されながら、それを鮮やかに裏切ったショスタコのシンフォニー。第1楽章は戯(おど)け。第2楽章は陰鬱な心の闇が広がる。道化師の哀しみ。第4楽章ラルゴは最後の審判のように重々しい。そして第5楽章はやけくそ、理性を失った酔っぱらいが破れかぶれのどんちゃん騒ぎをしている情景が目の前に展開される。

「ハルサイ」は衝動的でマグマが吹き出すよう。今回聴きながら、この作品は反キリスト音楽だなと想った。だから初演の大騒動に繋がったのだろう。ディオニソス的世界観なのだ。ディオニソスはギリシャ神話における豊穣の神で、彼に対する信仰は集団的狂乱と陶酔を伴うものであった。ゲルギーの解釈はパンチが効いてカミソリで切り裂くよう。オケの音色は泥臭く、程よい荒々しさ(バーバリズム)がある。しかし決して乱暴ではなく、アンサンブルの精度は高い。重厚なロシアン・ブラスを堪能した。

アンコールの「火鳥」も大いに盛り上がりお腹いっぱい。すこぶる充実したコンサートだった。

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2016年10月 5日 (水)

【考察】「君の名は。」もうひとつの解釈〜両性具有という見地から

ネタバレあります。

上記事において、

瀧は三葉に逢うために小川(三途の川)を越えて、「あの世」に足を踏み入れる。これは『古事記』に書かれた神話、イザナギ(男神)が死んだイザナミ(女神)に逢いたい一心で黄泉の国に行くエピソードに呼応している。

と書いた。日本神話に登場するイザナギとイザナミは【双(なら)び神】である。同時に生まれたとあるので双子ということになる。一卵性であれば、それが細胞分裂して誕生したわけだ(異性一卵性双生児は稀に報告がある)。そして後に彼らは夫婦となる。

結婚の儀式はこうだ。ふたりは初めに出来た小さな島に降り立ち、太い大きな柱=【天の御柱(あめのみはしら)】を立てた。そしてイザナギは柱を左回りに、イザナミは右回りに歩き、めぐり逢ったところでふたりは結ばれることとした。これは「君の名は。」のかたわれ時にご神体を中心として(三葉に憑依した)瀧(右回り→反転して左回り)と(瀧に憑依した)三葉(左回り→反転して右回り)が山頂(クレーターのふち)で出会う(反転するまでは互いのことが見えず、すれ違う)ことに呼応する。

イザナギ・イザナミに至るまでの系図を次に示す。

Iza

二柱(クニノトコタチノカミ、トヨクモノノカミ)とそれに続く五組十柱の神々をあわせて神代七代(かみよななよ)と呼ぶ。イザナミ、イザナギの先祖である二柱は【独り神】であり、そこから子供が生まれるのだから両性具有である。

またイザナギが黄泉の国から黄泉平坂(よもつひらさか、「崖の上のポニョ」に登場)を経て地上に戻り、その穢れを落とすために川で禊を行っている時に、彼の左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオの三貴子(みはしらのうずみこ、さんきし)が生まれた。イザナギはそれぞれに高天原・夜・海原の統治を委任した。つまり彼自身も両性具有の潜在能力を有していると言えるだろう。

つまり瀧と三葉の前前前世両性具有単一体だったという解釈も可能なのではないだろうか?それが男と女に分かれた。片割れだ。片割れだから互いを求め合う。元々は両性具有だから男女の入れ替わりも可能だ。それを象徴するのが繰返し登場する半月であり、瀧が着ている"HALF MOON"と書かれたTシャツである(ちなみに三日月は三葉のメタファーだ)。おばあちゃん(一葉)が口噛み酒のことを「それはあんたらの、半分だからな」と言うのも意味深でしょ?つまり瀧という因子が加わることによって初めて完全体(FULL MOON)となれるのだ。本来は「彼は誰時(かはたれどき)」なのに、それをわざわざ「かたわれ時」と言い直していることにも明確な意図がある。

映画のオープニングで瀧と三葉は背中合わせだ。背丈は同じ。やがて中学生の瀧が高校生の制服に変わり、背丈がぐんと伸び身長差が生じる。次に三葉の組紐が解けてショートヘアになる。これが3年という時間経過を示している。

このオープニングの瀧+三葉は両性具有単一体だった前前前世を暗示しているのではないだろうか?結合(シャム)双生児のイメージ。このイメージは背中合わせのクレーン車で繰り返される。野田秀樹の舞台作品にもなった萩尾望都の漫画「神」を想い出して欲しい。

Hanshin

「くっついてる」という表現はRADWIMPSが歌う「なんでもないや」にも出て来る。

もう少しだけでいい あと少しだけでいい
もう少しだけ くっついていようか

ここで誤解がないように、新海誠が参考にした平安時代に書かれた「とりかへばや物語」について、臨床心理学者・河合隼雄が分析した著書「とりかへばや、男と女」(新潮選書)から引用する。

ユング派の分析家で、両性具有についての書物を書いたジューン・シンガーは、両性具有は半陰陽とも両性愛(バイセクシャル)とも異なると明言している。半陰陽は一個人が男女両性の性特徴を具有する生理学上の状態であるし、両性愛は成人してからもなお、男女両性に性的魅力を感じる人である。これに対して、両性具有はむしろ個人の心の内部の在り方についてのことである、としている。あるいは、古代において雌雄同体などの彫刻があるにしろ、それはあくまでシンボルとしての意味であることを、エリアーデ(ルーマニア出身の宗教学者、民俗学者、作家。両性具有のシンボルについて研究を行った)も強調している。

10月4日は映画上で、ティアマト彗星が地球に最も接近した日だった。ティアマトとはメソポタミア神話において混沌(カオス)の象徴であり、原始の海の女神のことである。ティアマトは戦いの最中、弓で心臓を射抜かれ倒された。彼女の体は二つに引き裂かれ、それぞれが天と地の素材となった。その乳房は山になり、傍らに泉が作られたという。一方、宮水三葉という名字にはを含み、三葉の由来は水の女神”ミヅハノメ”であることは既に書いた(こちら)。ティアマト彗星が1,200年周期で糸守に分身の落とし物をして行くのは決して偶然ではない。

「君の名は。」は単純なジュブナイルSFや恋愛映画では決してない。その奥深さを、ここまで付き合ってくださった読者の方々には十分理解して頂けたのではないだろうか?これは紛れもない世紀の傑作である。

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映画「怒り」

評価:A

Ikari

原作:吉田修一、監督:李 相日、プロデューサー:川村元気という映画「悪人」のコンビが再びタッグを組んだ作品。公式サイトはこちら。

渡辺謙、宮崎あおい、森山未來、松山ケンイチ、妻夫木聡、綾野剛、広瀬すず、池脇千鶴と綺羅星のオールスターキャスト。特に驚いたのが高畑充希の贅沢な使い方。総出演時間5分位かな?でも圧倒的存在感があり、演技が上手いので惹きつけられる。あと今まで妻夫木聡は大根役者だと想っていたが、今回のゲイ役は無茶苦茶はまり役だった。妻夫木くんのお相手・綾野剛は「横道世之介」でもゲイを演じていた。考えてみればあの映画も原作は吉田修一だ。音楽が「ラスト・エンペラー」でアカデミー作曲賞を受賞した坂本龍一というのも実に豪華だ。

映画「悪人」のレビューはこちら。小説を読んだ後に映画を観て、「悪意」が足りないような気がした。表現がマイルドになり、ゴツゴツした感触が失われたというか。

しかし今回の「怒り」にはヒリヒリするような「悪意」があった。人間の生の感情、闇(くら)く嫌な内面が剥き出しにされたという印象。これぞ吉田修一の世界!

なお「悪人」は吉田と李の共同脚本だが、本作では「今回、僕はできません」と吉田が一抜けて、監督が単独で執筆している。

脚本家の市川森一(「黄金の日日」「淋しいのはお前だけじゃない」)は以前、「子供が生まれたとか結婚式とか他人の喜びに対しては中々共感することが難しいが、誰かが亡くなったとか他人の悲しみには共感し易い」という旨のことを語っていた(彼には「悲しみだけが夢を見る」というテレビドラマもある)。この言葉を応用するなら、他人の「怒り」に対しても共感することは非常に難しい。

だから「怒り」の登場人物たちに対して感情移入することは不可能に近い。後味も良くない。しかし見応えがあるのは確かである。ここには人間の真実の姿が詰まっている。

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映画「ハドソン川の奇跡」とパンドラの箱

評価:A

Sully

2009年1月15日にニューヨークで実際に起こった飛行機事故を映画化。原題"Sully"は機長の名前である。全篇がIMAXカメラで撮影されたということで、IMAXシアター(次世代レーザー)で鑑賞した。公式サイトはこちら

「硫黄島からの手紙」「チェンジリング」「グラン・トリノ」「インビクタス/負けざる者たち」「ヒア アフター」「ジャージー・ボーイズ」「アメリカン・スナイパー」……。近年のクリント・イーストウッド監督作品にハズレは少ない。

本作も見事なもので、1時間36分というコンパクトな上映時間も好ましい。公聴会を軸に回想や白昼夢が螺旋を描く構成は、黒澤明監督「羅生門」を彷彿とさせる。

トム・ハンクスが見る「飛行機がビルに突っ込む」という悪夢は、明らかに9・11同時多発テロを意識している。同じニューヨークの出来事だしね。

9・11は宗教の違いによる不寛容無理解と、人の悪意(それはテロリストだけではなく、ジョージ・W・ブッシュ率いるアメリカ共和党政権も含む)が引き起こした悲劇だが、「ハドソン川の奇跡」を観ると、人種や宗教を超えた人々の善意を信じてもいいかも知れないという気持ちになれる。

パンドラの箱を開けると、世界に禍々しい災厄がもたらされるが、最後に「希望」が残った。その「希望」については映画「チェインジリング」の最後にアンジェリーナ・ジョリーも語っている。そして本作は「希望」についての物語である。クリント・イーストウッド万歳!

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2016年10月 3日 (月)

「君の名は。」英語の歌 by RADWIMPS、アカデミー賞、紅白のことなど

9/23(金)NHK 夜7時のニュースは映画「君の名は。」が、公開から1か月足らずで興行収入100億円を突破したと報じた。その後も快進撃を続け、週末興行成績ランキングで6週連続1位となり、その勢いはとどまるところを知らない。累計で興収128億円を突破し、宮﨑駿「風立ちぬ」を抜いた。

10/3(月)のiTunes Storeダウンロードランキングを御覧ください。

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映画「君の名は。」公開(8/26)から5週間以上が経過したが、RADWIMPSの「前前前世」が相変わらず1位、歌4曲全てがランクイン、しかも上白石萌音がカヴァーした「なんでもないや」が6位まで上がって来た。トップテンのうち「君の名は。」関連が半数を占めるという凄まじい状況である。アルバム・ランキングでも上白石萌音が10位に食い込んでいる。

上白石はミュージカル映画「舞妓はレディ」で主演を努めたこともあり、歌が上手い。そして何と言っても”三葉ちゃん”が歌っているということでポイントが高い。透明感と、しっとりした情感がある。声がちょっと震えているという点も何だか可愛らしい(余談だがアルバムに収録された映画「Wの悲劇」主題歌Womanのカヴァーは薬師丸ひろ子ヴァージョンよりいい)。

今年のNHK紅白歌合戦のテーマは「夢を歌おう」。「君の名は。」にピッタリじゃない?是非RADWIMPSに出場してもらって、「アナと雪の女王」が大ヒットした年みたいに、今や国民的映画となった「君の名は。」の特設コーナーを設けたらどうだろう?新海誠監督と上白石萌音、神木隆之介くんがゲストとして登場し、RADWIMPS「前前前世」に続いて上白石が「なんでもないや」を歌う。そんな「夢」を今僕は想い描いている。視聴率も必ず上がるしね。皆さん、大晦日に是非聴きたいでしょ?

僕は9月3日の記事【「君の名は。」とRADWIMPSのうた】の中で欧米での公開に向け、「君の名は。」の英語版では英語歌詞による歌を用意すべきだと書いた(僕よりも先にそのことを指摘したサイトがもし有れば、ご一報ください)。そしてスペインで開催されたサンセバスチャン国際映画祭で9月24日(現地時間)、川村元気プロデューサーから「海外展開に向けて配給の東宝側も、RADWIMPSの楽曲の英語バージョンの制作を進めている」という正式なアナウンスがあった(詳細はこちら)。東宝は本気だ。僕は「君の名は。」が米アカデミー賞で長編アニメーション映画賞を受賞できるだけの潜在能力を十分持っていると固く信じている。ノミネートされるのは当たり前。でもそれだけで終わったら「かぐや姫の物語」「思い出のマーニー」と同列だ。絶対獲らないといけない。その為には英語版のクオリティが問題となってくる。英語の歌も強力な武器となるだろう。考えてみればRADWIMPSの楽曲がアカデミー歌曲賞にノミネートされるという事態も十分考えられる。複数曲もありだ(「ライオンキング」は3曲ノミネートされた)。

「君の名は。」は2016年11月24日から英国とアイルランドで公開される。上映劇場数78館は異例の規模だという(台湾では10月21日から)。しかし現時点で北米公開は決まっていない。僕は今年の公開は止めといたほうが良いと想う。なぜならディズニーの「ズートピア」という強力なライバルが立ち塞がっているからである。ディズニー&ピクサーのラインナップを見る限り、北米での勝負は来年に持ち越すべきだろう。「どういう戦略を立てれば、アカデミー賞を受賞出来るか?」いま東宝ではそのことが熱く真剣に議論されている筈だ。

大いに期待してまっせ!!

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