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後世に多大な影響を与えた映画〜イングマール・ベルイマン「仮面/ペルソナ」からミュージカル「エリザベート」へ

後世に多大な影響を与えた(追随者/信奉者を産んだ)映画がある。例えば1932年にアカデミー作品賞を受賞した映画から名付けられた「グランド・ホテル」形式は後の「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」「大空港」「有頂天ホテル」「さよなら歌舞伎町」を産んだし、オーソン・ウェルズ「市民ケーン」(デヴィッド・フィンチャー「ソーシャル・ネットワーク」は21世紀の「市民ケーン」だ)、ウォルト・ディズニー「ピノキオ」(→スティーブン・スピルバーグ「未知との遭遇」「A.I.」)、ウォルト・ディズニー「ファンタジア」(スティーブン・スピルバーグ「ジュラシック・パーク」、コリン・トレボロウ「ジュラシック・ワールド」、ティム・バートン「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」)、黒澤明「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「用心棒」(ジョン・スタージェス「荒野の七人」、ジョージ・ルーカス「スター・ウォーズ」、セルジオ・レオーネ「荒野の用心棒」、ジョン・ミリアス「風とライオン」、ウォルター・ヒル「ラスト・マン・スタンディング」、ピーター・ジャクソン「ロード・オブ・ザ・リング/2つの塔」)、黒澤明「天国と地獄」のパートカラー(スティーヴン・スピルバーグ「シンドラーのリスト」、アカデミー短編アニメーション映画賞を受賞したディズニーの「紙ひこうき」)、ビリー・ワイルダー「サンセット大通り」(デヴィッド・リンチ「マルホランド・ドライブ」、サム・メンデス「アメリカン・ビューティ」)、ビリー・ワイルダー「アパートの鍵貸します」(三谷幸喜脚本「今夜、宇宙の片隅で」、マーティン・スコセッシ「ウルフ・オブ・ウォールストリート」、ディズニー短編アニメ「紙ひこうき」)、スタンリー・ドーネン「恋愛準決勝戦」(スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」、デヴィッド・クローネンバーグ「ザ・フライ」、スティーヴン・スピルバーグ製作・原作・脚本「ポルターガイスト」)、アルフレッド・ヒッチコック「めまい」(ブライアン・デ・パルマ「愛のメモリー」、デヴィッド・フィンチャー「ゴーン・ガール」、大林宣彦「はるか、ノスタルジィ」)、スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」(庵野秀明「新世紀エヴァンゲリオン」、ピクサー・アニメ「ウォーリー」、クリストファー・ノーラン「インターステラー」ほか多数)、ジョン・ランディス「サボテン・ブラザース」(三谷幸喜脚本「合い言葉は勇気」、本広克行「踊る大捜査線」シリーズ)、大林宣彦「時をかける少女」(本広克行「幕が上がる」、細田守「時をかける少女」)、大林宣彦「HOUSE ハウス」(三木孝浩「陽だまりの彼女」、高橋栄樹【AKB48 MV】「永遠プレッシャー」)等が代表例だろう。

スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督「仮面/ペルソナ」(1966)もそんな映画だ。長らく観ることが難しい作品だったが昨年HDリマスター版DVDが発売され、現在はTSUTAYA DISCASで借りることも可能となった。

Persona

舞台(古代ギリシャの仮面劇「エレクトラ」)出演中に失語症に陥った女優と、海に臨む島の別荘(サマーハウス)で彼女の治療のために共同生活を送る看護師の物語である。やがてふたりの人格は融合し始める。これは片方がもう一方のドッペルゲンガー(分身/二重身/自己像幻視)であるという解釈も可能だ。では女優と看護師のどちらが本体でどちらが分身かというのが問題になってくるが、看護師の名前がアルマであることから正解が判る。"alma"とは「魂」の意味で、ラテン語ではアニマ(女性名詞)/アニムス(男性名詞)となる。

キリスト教的価値観/倫理観(蜘蛛の糸=神が支配する手)に絡め取られ、失語症に陥った女優は自分の性的願望を抑制し、欲しくもない子供を堕胎することすら叶わなかった。一方、彼女の心の深層に形成された(=生きられなかった反面)であるアルマは奔放な女で、堕胎も厭わない。そして最終的に両者は同一化することに成功し、新たな自己を形成する。因みにベルイマンの父親は牧師であり、その厳格で冷たい人間性に反発した彼は「神の沈黙」三部作を撮った。

実はアニマアニムスはユング心理学の用語である。ペルソナ(仮面)もユングが用いた言葉で、私達は1人の人間でも実に様々な「顔」を持っている。会社での「顔」、家族と接するときの「顔」、幼なじみと酒を飲み交わす時の「顔」。その場その場に応じて別の「仮面」を付け、「役割を演じている」のである。僕が強く印象に残っているのは、上方落語の「爆笑王」こと故・桂枝雀が、よく「本来私は陰気な性格で、舞台では”笑いの仮面”を付けているのです」と語っていたことだ。

「難解」と言われるベルイマン映画だが、ユング心理学を抑えておくと理解し易い。興味がある方には臨床心理学者・河合隼雄の著書「無意識の構造(影/ペルソナ/アニマ/アニムスについての解説あり)」「コンプレックス(ドッペルゲンガーについて言及あり)」「昔話の深層」などを読まれることをお勧めしたい。平易な文章で書かれており、すらすら読める。

またシナリオ段階でベルイマンは「映画」というタイトルを考えていたという。全篇喋り通しのアルマは自己を語るベルイマン=映画であり、黙ってそれを聴く舞台女優=スクリーンを見つめる観客、と見立てることも可能だろう。つまり映画を観るという行為は、新たな仮面を得ることに等しいというわけだ。

本作はブラッド・ピット主演、デヴィッド・フィンチャー監督「ファイトクラブ」(1999)に多大な影響を与えた。物語の構造自体もそうだし、「ファイトクラブ」のラストシーンで勃起したペニスの映像がサブリミナル効果として挿入されるのは「仮面/ペルソナ」冒頭部の再現である。

また、デヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」(2001)は明らかに「サンセット大通り」と「仮面/ペルソナ」を足して2で割ったようなものだ。ちなみにマルホランド・ドライブもサンセット・ブルーバードもロサンゼルスを並走する道路の名称である。

ウディ・アレン「私の中のもうひとりの私」(1988)はベルイマンに私淑する彼なりの「仮面/ペルソナ」であり、ご丁寧に同作の撮影監督スヴェン・ニクヴィストをスウェーデンから呼び寄せている。ダーレン・アロノフスキー「ブラック・スワン」(2010)にも本作が濃い影を落としている。

「仮面/ペルソナ」最初の6分間は非常にアヴァンギャルド(前衛的)なモンタージュが続く。1960年代はポップ・カルチャー、アンダーグラウンド映画が花盛りで、その気分を見事に反映している。フィルムが燃えるショットなどは後の大林映画「HOUSE ハウス」等に影響を与えたのではないかと推察される。

また本作の舞台女優と息子の、絆が「切れた」関係はウィーン・ミュージカル「エリザベート」のシシィとルドルフそっくりだなと想った。オマケに女優の名前はエリザベートだし。そこでハッとした。ミュージカルの作詞・台本を手掛けたミヒャエル・クンツェが「仮面/ペルソナ」を強く意識しているのは間違いない。やはりクンツェが台本を書いたミュージカル「モーツァルト!」には主人公ヴォルフガングとその分身アマデが登場する。アマデはドッペルゲンガーであり、「を逃れて」というナンバーもある。アマデがヴォルフガングの腕にペン先を刺して、そので譜面を書く場面が第1幕フィナーレだが、これも「仮面/ペルソナ」でエリザベートがアルマの腕から流れるに吸い付く場面(女吸血鬼を描くロジェ・バディム「とバラ」を彷彿とさせる)に呼応する。

「仮面/ペルソナ」ほど影響力を持った映画は滅多にない。未見の方は是非一度、ご覧になることをお勧めしたい。

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