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2016年7月13日 (水)

上方落語(関西)と江戸落語(関東)の比較文化論〜その深層心理を紐解く

落語は江戸時代前期・元禄に露の五郎兵衛京都の四条河原町や北野などの大道で活躍した「辻噺」に端を発する。少し遅れて大阪・生玉神社の境内で米沢彦八が辻噺を行った。上方では今も毎年9月初旬に生玉神社で「彦八まつり」が開催されている。大道芸から始まったので行き交う人々の注意を惹くために使われた小拍子見台、そして膝隠しが上方落語の特徴になっている。

それからしばらくして江戸では酒宴など様々な屋敷に招かれて芸を披露する「座敷噺」が人気となる。座敷芸なので人寄せのための小拍子や見台は必要とせず、座布団一枚に噺家が正座するだけのシンプルなスタイルとなった。上方の方がレパートリーが豊富なので沢山のネタを噺家が江戸に持ち帰り、改変を施した。現在、東京で演じられる落語のネタのうち約7割が上方由来だと言われる

そこで上方落語が江戸に移植された際、どのようなアレンジが施されたか、また江戸で生まれたオリジナル落語の特徴は何かを探っていけば、関西人と関東人の気質・文化的背景の違いが見えてくるのである。

その1【うどん vs. そば】

上方落語にはうどんネタが多い。「時うどん」「かぜうどん」「親子酒」が代表例である。これが江戸に移るとそばネタに変化する(「時そば」など)。また腹いっぱいもちを食べるという上方落語「蛇含草」が、お江戸では「そば清」になる。逆に上方落語にそばは一切出てこない。ここで興味深いのは関西で「うどん」と言えば汁のある「かけうどん」を意味し、江戸落語の「そば」は「ざるそば」である。

関西に住むようになって10年が経過したが、つくづく感じるのはここは出汁(だし)文化だということ。出汁に手間暇をかけている。玉子焼きも関西では出汁巻き玉子を指す。僕は香川県高松市に2年半ほど住んでいたことがあるのだが、さぬきうどんはコシが命である。しかし大阪のうどんは違う。柔らかい麺自体にそれほど魅力はなく、むしろ重要なのは出汁。例えば道頓堀今井という名店の名物はきつねうどんだが、兎に角、油揚げから滲み出した汁(つゆ)の味が絶品なのだ。難波千日前「千とせ」の名物「肉吸い」は吉本新喜劇の花紀京が二日酔いで現れて、「肉うどん、うどん抜きで」と注文したのが切っ掛けで生まれたものである。うどんは二の次なのだ。

秋田県に旅行した時に驚いたのは、あちらでは全く出汁を取らないこと。昭和初期までの東北は貧しく、飢饉の年は餓死するものが沢山いた。出汁を取った魚介類は捨ててしまう。だからそんな勿体ないことは出来ない。関西の食文化が如何に豊かであったかということを実感させられた。うどんが東に移行するとそばになることには、これだけ深い意味があるのである。

その2【商家 vs. 武家】

江戸時代の上方は商人文化が栄えた。鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん)が豪商の代表格で、落語「鴻池の犬」や「はてなの茶碗」にその名前が登場する。一方、参勤交代で地方の大名が集まる江戸は武家社会を形成した。上方落語には商家を舞台にした作品が多い。裕福な商人の若旦那=極道/ドラ息子という図式が典型的。しかし武士はほぼ不在、殿様に至ると皆無と言っていい。

桂枝雀が演じた「胴斬り」には新刀の試し切りする辻斬りが登場するが、一瞬の内に通り過ぎてしまい台詞もない。「桜の宮」にも武士が登場するがこれは江戸落語「花見の仇討」を上方に移植したもの。生粋の上方噺に武士が出てくるのは「禁酒関所」「宿屋仇」くらいかな。「茶瓶ねずり(薬缶なめ/癪の合薬)」は江戸に伝わった後に改変された可能性があり、原話も武家のハゲ頭を舐める噺だったか疑わしい(あと奉行所が舞台となるお裁きもの「佐々木裁き」「鹿政談」←元は講談ネタ「天狗裁き」「次の御用日」があるが、彼らの役割は侍ではなく裁判官である)。一方、江戸落語は「目黒のさんま」「妾馬(八五郎出世)」「盃の殿様」「将棋の殿様」「そばの殿様」「粗忽の使者」「紀州」「三味線栗毛(錦木検校)」「火焔太鼓」「竹の水仙」「高田馬場」「館林」「棒鱈」「井戸の茶碗」など武士・殿様が登場する噺が多数。「たがや」は庶民の侍に対する憎しみ(敵対心)が滲みだす強烈な噺だ。

その3【滑稽噺 vs. 人情噺】

基本的に上方落語は落とし噺であり、江戸のような人情噺がないと言って良い。「立ち切れ線香」を人情噺と明言しているプロの噺家もいるが、それは明らかな間違いである。桂米朝は著書「落語と私」(文春文庫)の中で、講談における「世話物」を(講談のような)説明口調ではなく、(落語家が)感情を込めて喋るものと人情噺を定義し、人情噺にはサゲがないと書いている(代表的演目「文七元結」「紺屋高尾」「しじみ売り」など)。よって立派なサゲがある「芝浜」や「たちきり(たちぎれ)」は人情噺ではないというのが彼の見解である。唯一の例外が「鬼あざみ」かな(講談ネタ)。「上方では浄瑠璃が確固たる地位を築いていたので、落語が人情噺を受け持つ必然性が薄かったからだろう」と米朝は述べている。

「落語DE枝雀」(ちくま文庫)の《情は情でも落語の情は》という章より桂枝雀と落語作家・小佐田定雄との対談を引用する。

枝雀 なんぼ「情」が結構やちゅうてもおしつけがましなったらいけまへん。おしつけがましい「情」てなもん、私らの最もかなわんもんでっさかいね。

小佐田 演者に先に泣かれてしまうと私らみたいなヘソ曲がりの客は「オッサン、なに泣いとんねん」てなもんで、 かえってサーッと醒めてしまいますねんな。ことに落語なんかで「泣き」を入れられると、「わかったわかった。もうええもうええ」てな気ィになってしまいますな。(中略)一般に「情」とか「人情」とかいうと、つい「お涙頂戴」的なものを思いうかべてしまうんですが、それとは正反対の「薄情な情」こそが上々のものであるというのが我々の結論ですかね。

次にサゲの有無とは別の視点から、人情噺とは何かを考察してみたい。

ユング心理学の権威・河合隼雄はその著書「昔話と日本人の心」「母性社会日本の病理」「コンプレックス」「無意識の構造」等において、欧米人と日本人の自我・自己のあり方の違いについて論じている。

幼児期の人の心は意識と無意識をが一体となった混沌(カオス)の状態にある。成長とともに光と闇、天と地、太陽と月、男と女などを区別するようになる。この「分類する」という行為が人間固有の知性の萌芽であり、意識と無意識が分離される。やがて意識の中に自我が形成され始める。一方、無意識の中には元型としてのグレートマザー(太母)が存在する。これは「無条件の愛を与え、慈しみ守ってくれる」母親(=聖母マリア、観音菩薩)の像であると同時に、「束縛する」「飲み込んでしまう」という恐ろしいイメージ(=魔女、山姥)をも内包している。欧米人(キリスト教徒)は成人するまでに心の中での「父親殺し」「母親殺し」を実行し、意識を無意識から完全に切り離して強い自我を確立する。ここで言う「母親」とはグレートマザーのことであり、「父親」とは文化的社会的規範を指し、切断する機能を持つ(ロックンロールの真髄も既成の価値観の破壊、大人への叛逆にある)。彼らは血による関係を強烈に否定する。しかし、わが国の男子は「母親殺し」が出来ず、グレートマザーの強力な作用を受け、それとの一体感を支えとして生きている(母性の優位性)。日本人の場合、意識と無意識は明確に区別されていない。

父性(切断)原理が優勢な欧米人は個の倫理で生き、他者との違いを明確にし、契約で結びつく(神との関係も契約である)。しかし日本人の場合は【なーなー】的横のつながり、なし崩し的一体感を重視し、場(コミュニティ)の倫理で動く。一旦そこに形成された場の平衡(母のぬくもり)を保つことに腐心するのである。それは学校の同級生だったり、ママ友や会社の同僚、政界の派閥だったりする。幼稚園や小学校のかけっこで順位を付けないというのは、真に日本人的(集団内での能力の差を認めない横並びの)発想である。「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」というビートたけしのギャクは言い得て妙だ。そこでは母性の本能である清濁併せ呑むという機能が働く。逆にヨーロッパの小学校では留年や飛び級が当たり前で、フランスの初等教育をストレートで卒業できる生徒はごく僅かに過ぎない。また日本人は自分たちのに属していないと見做す者達に対して、時に残酷になり、暴走することもある。村八分、学校のいじめ、連合赤軍のリンチ殺人、オウム真理教による地下鉄サリン事件などがそれに該当する。そして我々には契約という観念が乏しく、責任の所在も曖昧である(一億総無責任社会)。

話を落語に戻そう。「人情噺」とは場の平衡を保とうとする心情である、というのが僕の解釈である。場(コミュニティ)とは親兄弟ら家族であり、大家と店子、大工など職人の徒弟制度、武家という組織だったりもする。「忠臣蔵」の赤穂浪士で判る通り、浅野内匠頭が刃傷におよぶと浅野家は断絶・お取り潰しとなり、召し抱えられていた武士たちは一人残らず身分を剥奪され、浪人となった。つまり武家とは集団責任を問われる社会であり、十把一絡げ=場の倫理で動いているのである。その場では尊重されない(出る杭は打たれる)。

親子に通うのは人情だが、結婚前の男女の恋愛は独立した自我と自我が結合しようとする作用であり、人情ではない。「ロミオとジュリエット」のことを人情噺とは言わないでしょ?だから「立ち切れ線香」も違う。しかし結婚すればコミュニティ(一蓮托生の運命共同体)を形成するので夫婦愛は人情に変化を遂げる。

落語「子は鎹」は喧嘩別れした夫婦が、息子を鎹(かすがい)として再結合する。つまり、壊れかかった(コミュニティ)が子供の力で修復される(平衡状態に戻る)噺だ。「妾馬(八五郎出世)」で主人公の妹は大名に気に入られ、側室として招かれる。つまり八五郎は彼の才覚とは無関係に、家族のおかげ=場の倫理で出世するのだ。これが江戸落語の特徴である。

しかし、上方落語に兄弟姉妹が登場することはない。つまり関西人は場の倫理で行動しない。例えば「寝床」や「口入屋」、「百年目」、芝居噺「蛸芝居」で描かれる商家の人々は各々、好き勝手に生きている。番頭も丁稚も親旦さんの言いなりにはならない。彼らのは確立しており、「御家のために」という発想がない。つまり横の連携が「切れている」のだ。「親子酒」に登場する父と息子も酔っ払って互いを罵倒するばかりで、親子の情は繋がっていない。

上方唯一の人情噺と言われる「鬼あざみ」も内容をよく検討すると父は息子に対して「切断」を実行している。一旦は包丁で我が子を刺そうとし、思い直して奉公に出す。十年後に帰郷した息子は盗賊の頭になっていた。桂吉朝最後の高座となった「弱法師(よろぼし、別名「菜刀【ながたん】息子」)も人情噺に聴こえるが、やはり父親は息子を勘当しており「切れている」。お江戸の人情噺とは明らかに一線を画しているのである。ここに商人気質、関西人の心意気が窺い知れよう。

僕は常々、関西人の乾いた笑いのセンスはフランス人に近いと思っていた。明石家さんま(師匠は落語家・笑福亭松之助)がフランス産コメディ映画「奇人たちの晩餐会」の舞台版を演じたのは決して偶然ではない。両者には通底するものが間違いなくある。

僕はジトッと湿った江戸落語が大嫌いだ。ただし例外はあって、三遊亭圓朝と柳家喬太郎の創作落語には凄みを感じる。彼らに匹敵する作家は中々見当たらない。

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