日本人とは何者なのか?〜イエスタデイ・ワンス・モア
人生も(平均寿命の)半ばを過ぎ、僕は最近「日本人とは何者なのか?」と考えることが多くなった。ひいては、「自分とは何者か?」というアイデンティティの問いでもある。
【第一章:恥】
米国の文化人類学者ルース・ベネディクトは1946年に出版した著書「菊と刀」の中で、日本を「恥の文化」と定義し、一方で欧米は「罪の文化」とした。西洋の文化はキリスト教を中心として発展してきた。この宗教は「原罪」に重きをおく。アダムとイヴがサタン(悪魔)が化けた蛇に唆されて知恵の実(りんご)を食べたことが事の発端である。日本人は一神教ではなく、八百万の神を信仰してきた。だからこのような「罪」の意識は希薄である。
恥の感覚は武士道とともに定着したと思われる。切腹という行為は正に「生き恥をさらすくらいなら死んだほうがましだ」という価値観から生じている。自殺と決定的に違うのは切腹が儀式だということ。つまり周囲に観客がいるわけだ。西洋で言えば、名誉を守るために行われる決闘に近い。相手は自分自身。この切腹の観念が、太平洋戦争における神風(かみかぜ)特攻隊に繋がってゆく。帰りの燃料はない。つまり「生き恥をさらすくらいなら、戻ってくるな」ということ。退却など端から念頭にないのだ。神風特攻隊をイスラム教徒の自爆テロと同一視する人がいるが、自爆テロの犯人は「死んだらアラーの神のもとに行ける」という宗教に裏打ちされた信念がある。幸福は死後に実現する。一方、日本人には明確な死後のvision(未来像)がない。朧月夜のように曖昧模糊、漠然としている。
この恥という観念が例えば1868年の会津戦争における白虎隊士及び武家の妻子一族の自刃(NHK大河ドラマ「八重の桜」参照のこと)や、1945年沖縄戦におけるひめゆり学徒隊(看護要員として従軍していた師範学校女子部生徒ら)の集団自決(映画「ひめゆりの塔」参照のこと)など、悲劇を産んだ。
以下、ビロウな話で恐縮です。恥ということが現代人において強く感じられるのはトイレにおいてである。日本女性は用を達する時、自らが発する音を消すために水洗を流す。この「音を他人に聞かれるのが恥ずかしい」という観念は日本人独特で、外国人女性にはない。僕は資源の無駄、エコロジーの敵だと想うのだが、おしとやかな大和撫子にそんなことを説いても馬耳東風だろう。「音姫」なる、けったいなものがあるのも日本だけだ。
なお恥じらいがあることが悪いことばかりではない。国際的に日本人は礼儀正しいことで知られるが、これも「恥をかかない」努力を常日頃怠らない成果だろう。
【第二章:イエスタデイ・ワンス・モア】
"Yesterday Once More"はカーペンターズが1973年に発表した楽曲である。当時日本の大学は学生運動で荒れ、連合赤軍による浅間山荘事件があったのが72年だった。また「なごり雪」「22才の別れ」「神田川」などフォーク・ソングが流行ったのもこの頃だ。「イエスタデイ・ワンス・モア」は昔ラジオで聴いていたオールディーズを懐かしむという内容で、本国アメリカではビルボード・トップ100で2位止まり。しかし日本のオリコン洋楽チャートでは26週連続1位を記録した。つまり半年間、トップの座に君臨し続けたのである。ここに日本人の嗜好が窺い知れる。
原恵一 脚本・監督「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国」(2001)は日本オタク大賞や雑誌「映画秘宝」の映画ベスト1(すべての洋・邦画を含めた枠)を勝ち取った大傑作アニメーションである。これは1970年に開催された大阪万博時代を懐かしむ大人たちが集団的に退行現象(幼児化)を起こすプロットである。その陰謀の首謀者がケンとチャコであり、彼らが率いる組織がイエスタデイ・ワンスモアなのである。このアニメ、海外のファンには一体どこが面白いのだがサッパリ解らず不評だそうだ。そりゃそうだろう。
「22才の別れ」「神田川」とかフォークソングは過去を振り返る後ろ向きの歌詞が圧倒的に多い。現在でも桜ソングがひとつのジャンルをなすくらいだが、桜というのは日本人の心情にピッタリと寄り添っている。
日本人が愛でるのは満開状態の桜ではない。桜吹雪にこそ、その真髄がある。散りゆく桜を眺めながら、散る前の姿に思いを馳せ、諸行無常、もののあはれに感じ入るのである。
桜ソングとリンクするのが卒業ソングである。この2者は同一の扱いを受けているが、じつはここに巧妙な欺瞞が仕掛けられている。だって卒業式に桜は咲いていないでしょ?桜なら入学式の筈。でも入学ソングなんて聞いたことがない。僕たちは後ろ向き思考だから。未来の方向を全く見ていないのだ。日本人はBoy Meets Girlの物語に興味を持たない。漫画「ちはやふる」で描かれる恋愛も、過去(幼少期の思い出)に囚われている。
今年5月22日にテレビ朝日で放送された「題名のない音楽会」は【平成vs昭和 いま歌いたい合唱曲の音楽会】がテーマだった。番組公式ツイッターと現役合唱団のメンバーへのアンケートにより「いま歌いたい合唱曲」を選曲し、昭和生まれと平成生まれと世代別に分けてランキングした。平成生まれが選んだのは、
- 旅立ちの日に
- 桜ノ雨
- 虹(森山直太朗)
であった。なんと、うち2曲が桜ソング/卒業ソングだったのだ!因みにボーカロイド:初音ミクが歌う「桜ノ雨」は桜ソング且つ卒業ソングである。驚くべきことに平成生まれの若い人たちにも後ろ向き思考(イエスタデイ・ワンス・モア)は浸透していたのである。
これがどれほど特異なことかは、「英語で歌われた卒業ソングを貴方は何曲挙げられますか?」という問いをすれば明白であろう。花にまつわる歌も外国では少ないよね。「野ばら」や「百万本のバラ」等いくつか散見されるけれど、日本の桜ソングは他国を圧倒している。
シェイクスピア戯曲の個人翻訳全集で有名な松岡和子は臨床心理学者・河合隼雄との対談本「快読シェイクスピア」(ちくま文庫)の中で次のようなことを語っている。
彼女があるアメリカの画家の個展のカタログ翻訳をしていた時、Melting Snowというタイトルを見て、「なんじゃ,これは?」と途方に暮れた。しかし絵の複製コピーを見て得心が行った。それは「残雪」「名残り雪」のことだった。彼女は面白いなと思った。melting「解けつつある」と表現すると、その先に見えてくるのは、雪が解けきった枯れ草の丘。この雪はすっかり解けてなくなるということが前提となっている。「未来」に目が向いた表現。一方、「残雪」は雪に覆われていた丘の風景がある「過去」に思いを馳せた表現である。大学時代の彼女のフランス語の恩師は言っていた。「日本語には未来形はないのよ。英文和訳とか仏文和訳で未来形を『…でしょう』って訳すけど、『…でしょう』が日本語として定着しているのは天気予報だけ」 ー関東地方は晴れるでしょうー
イエスタデイ・ワンス・モアの思想は日本語自体も侵食していたのである。
このことが必ずしも悪いことだとは想わない。僕自身、桜をテーマにした、めっちゃ後ろ向き思考のアニメーション、新海誠監督「秒速5センチメートル」が死ぬほど好きなのだから。
一方、欧米人の思考が未来を向いている(positive thinking)ということは、「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラの有名な台詞(未来形)が雄弁に物語っている。
I'll think about that tomorrow. (中略)Tara! Home. I'll go home. And I'll think of some way to get him back. After all... tomorrow is another day.
(そのことはまた明日考えましょう。タラ!そうよ、我が家。お家に帰りましょう。そしてレットを取り戻す方策を考えるのよ。だって結局、明日は明日の風が吹くのですもの)
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