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2016年5月

2016年5月27日 (金)

日本人とは何者なのか?〜イエスタデイ・ワンス・モア

人生も(平均寿命の)半ばを過ぎ、僕は最近「日本人とは何者なのか?」と考えることが多くなった。ひいては、「自分とは何者か?」というアイデンティティの問いでもある。

【第一章:恥】

米国の文化人類学者ルース・ベネディクトは1946年に出版した著書「菊と刀」の中で、日本を「恥の文化」と定義し、一方で欧米は「罪の文化」とした。西洋の文化はキリスト教を中心として発展してきた。この宗教は「原罪」に重きをおく。アダムとイヴがサタン(悪魔)が化けた蛇に唆されて知恵の実(りんご)を食べたことが事の発端である。日本人は一神教ではなく、八百万の神を信仰してきた。だからこのような「罪」の意識は希薄である。

恥の感覚は武士道とともに定着したと思われる。切腹という行為は正に「生き恥をさらすくらいなら死んだほうがましだ」という価値観から生じている。自殺と決定的に違うのは切腹が儀式だということ。つまり周囲に観客がいるわけだ。西洋で言えば、名誉を守るために行われる決闘に近い。相手は自分自身。この切腹の観念が、太平洋戦争における神風(かみかぜ)特攻隊に繋がってゆく。帰りの燃料はない。つまり「生き恥をさらすくらいなら、戻ってくるな」ということ。退却など端から念頭にないのだ。神風特攻隊をイスラム教徒の自爆テロと同一視する人がいるが、自爆テロの犯人は「死んだらアラーの神のもとに行ける」という宗教に裏打ちされた信念がある。幸福は死後に実現する。一方、日本人には明確な死後のvision(未来像)がない。朧月夜のように曖昧模糊、漠然としている。

この恥という観念が例えば1868年の会津戦争における白虎隊士及び武家の妻子一族の自刃(NHK大河ドラマ「八重の桜」参照のこと)や、1945年沖縄戦におけるひめゆり学徒隊(看護要員として従軍していた師範学校女子部生徒ら)の集団自決(映画「ひめゆりの塔」参照のこと)など、悲劇を産んだ。

以下、ビロウな話で恐縮です。恥ということが現代人において強く感じられるのはトイレにおいてである。日本女性は用を達する時、自らが発する音を消すために水洗を流す。この「音を他人に聞かれるのが恥ずかしい」という観念は日本人独特で、外国人女性にはない。僕は資源の無駄、エコロジーの敵だと想うのだが、おしとやかな大和撫子にそんなことを説いても馬耳東風だろう。「音姫」なる、けったいなものがあるのも日本だけだ。

なお恥じらいがあることが悪いことばかりではない。国際的に日本人は礼儀正しいことで知られるが、これも「恥をかかない」努力を常日頃怠らない成果だろう。

【第二章:イエスタデイ・ワンス・モア】

"Yesterday Once More"はカーペンターズが1973年に発表した楽曲である。当時日本の大学は学生運動で荒れ、連合赤軍による浅間山荘事件があったのが72年だった。また「なごり雪」「22才の別れ」「神田川」などフォーク・ソングが流行ったのもこの頃だ。「イエスタデイ・ワンス・モア」は昔ラジオで聴いていたオールディーズを懐かしむという内容で、本国アメリカではビルボード・トップ100で2位止まり。しかし日本のオリコン洋楽チャートでは26週連続1位を記録した。つまり半年間、トップの座に君臨し続けたのである。ここに日本人の嗜好が窺い知れる。

原恵一 脚本・監督「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国」(2001)は日本オタク大賞や雑誌「映画秘宝」の映画ベスト1(すべての洋・邦画を含めた枠)を勝ち取った大傑作アニメーションである。これは1970年に開催された大阪万博時代を懐かしむ大人たちが集団的に退行現象(幼児化)を起こすプロットである。その陰謀の首謀者がケンとチャコであり、彼らが率いる組織がイエスタデイ・ワンスモアなのである。このアニメ、海外のファンには一体どこが面白いのだがサッパリ解らず不評だそうだ。そりゃそうだろう。

「22才の別れ」「神田川」とかフォークソングは過去を振り返る後ろ向きの歌詞が圧倒的に多い。現在でも桜ソングがひとつのジャンルをなすくらいだが、桜というのは日本人の心情にピッタリと寄り添っている。

日本人が愛でるのは満開状態の桜ではない。桜吹雪にこそ、その真髄がある。散りゆく桜を眺めながら、散る前の姿に思いを馳せ諸行無常もののあはれに感じ入るのである。

桜ソングとリンクするのが卒業ソングである。この2者は同一の扱いを受けているが、じつはここに巧妙な欺瞞が仕掛けられている。だって卒業式に桜は咲いていないでしょ?桜なら入学式の筈。でも入学ソングなんて聞いたことがない。僕たちは後ろ向き思考だから。未来の方向を全く見ていないのだ。日本人はBoy Meets Girlの物語に興味を持たない。漫画「ちはやふる」で描かれる恋愛も、過去(幼少期の思い出)に囚われている。

今年5月22日にテレビ朝日で放送された「題名のない音楽会」は【平成vs昭和 いま歌いたい合唱曲の音楽会】がテーマだった。番組公式ツイッターと現役合唱団のメンバーへのアンケートにより「いま歌いたい合唱曲」を選曲し、昭和生まれと平成生まれと世代別に分けてランキングした。平成生まれが選んだのは、

  1. 旅立ちの日に
  2. 桜ノ雨
  3. 虹(森山直太朗)

であった。なんと、うち2曲が桜ソング卒業ソングだったのだ!因みにボーカロイド:初音ミクが歌う「桜ノ雨」は桜ソング且つ卒業ソングである。驚くべきことに平成生まれの若い人たちにも後ろ向き思考イエスタデイ・ワンス・モア)は浸透していたのである。

これがどれほど特異なことかは、「英語で歌われた卒業ソングを貴方は何曲挙げられますか?」という問いをすれば明白であろう。花にまつわる歌も外国では少ないよね。「野ばら」や「百万本のバラ」等いくつか散見されるけれど、日本の桜ソングは他国を圧倒している。

シェイクスピア戯曲の個人翻訳全集で有名な松岡和子は臨床心理学者・河合隼雄との対談本「快読シェイクスピア」(ちくま文庫)の中で次のようなことを語っている。

彼女があるアメリカの画家の個展のカタログ翻訳をしていた時、Melting Snowというタイトルを見て、「なんじゃ,これは?」と途方に暮れた。しかし絵の複製コピーを見て得心が行った。それは「残雪」「名残り雪」のことだった。彼女は面白いなと思った。melting「解けつつある」と表現すると、その先に見えてくるのは、雪が解けきった枯れ草の丘。この雪はすっかり解けてなくなるということが前提となっている。「未来」に目が向いた表現。一方、「残雪」は雪に覆われていた丘の風景がある「過去」に思いを馳せた表現である。大学時代の彼女のフランス語の恩師は言っていた。「日本語には未来形はないのよ。英文和訳とか仏文和訳で未来形を『…でしょう』って訳すけど、『…でしょう』が日本語として定着しているのは天気予報だけ」 ー関東地方は晴れるでしょうー

イエスタデイ・ワンス・モアの思想は日本語自体も侵食していたのである。

このことが必ずしも悪いことだとは想わない。僕自身、桜をテーマにした、めっちゃ後ろ向き思考のアニメーション、新海誠監督「秒速5センチメートル」が死ぬほど好きなのだから。

一方、欧米人の思考が未来を向いている(positive thinking)ということは、「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラの有名な台詞(未来形)が雄弁に物語っている。

I'll think about that tomorrow. (中略)Tara! Home. I'll go home. And I'll think of some way to get him back. After all... tomorrow is another day.

(そのことはまた明日考えましょう。タラ!そうよ、我が家。お家に帰りましょう。そしてレットを取り戻す方策を考えるのよ。だって結局、明日は明日の風が吹くのですもの)

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2016年5月26日 (木)

ミュージカル「1789 バスティーユの恋人たち」東宝版

5月21日(土)梅田芸術劇場へ。フランス産ミュージカル「1789 バスティーユの恋人たち」を観劇。

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このミュージカルは昨年、宝塚月組が日本初演。その公演を僕は酷評した。

余りにも腹が立ち「もう二度と観ない!」と心に決めていたのだが、その決心が揺らいだ。今年「エリザベート」で菊田一夫演劇賞の大賞を受賞し、コスチューム・プレイを演じさせたら日本で彼女の右に出るものはいないと言われる花總まり花ちゃん)がマリー・アントワネットを、その息子の教育係役に夢咲ねねが出演すると聞き、居ても立ってもいられなくなったからである。

なお僕は2001年に宝塚宙組「ベルサイユのばら フェルゼンとマリー・アントワネット編」で花ちゃんのマリーを生で観ている。

今回の出演者は他に、ソニン、古川雄大、吉野圭吾、坂元健児、岡幸二郎ら。

主人公ロナンを演じた加藤和樹は大変歌が上手いが、演技は一本調子に感じた。

花ちゃんのマリーには全く文句がないが、ただ「エリザベート」の彼女こそ最強だなと改めて想った。

夢咲ねねは相変わらず可愛く、花ちゃんと同じ舞台に立っているのを観ているだけで「なんて贅沢な!」と感嘆した。

ソニン(今年、菊田一夫演劇賞受賞)のパンチが効いた歌唱も素晴らしかった。

古川雄大は背が高く、兎に角ビジュアルが映える。来年また、彼が主演を務める「ロミオ&ジュリエット」を観に行こう。

男優で秀逸だったのがラマール役の坂元健児。コミカルな演技で最高に可笑しい。出てきただけで場をさらった。

宝塚月組を観た時は全く良いと想えなかった音楽が、改めて聴くとそんなに悪くなかった。ちゃんとロックンロールしていた。想い返すに、そもそも「少女歌劇」にこういう曲調は合わなかったのではないか?男優が加わると、ダンスも迫力があって観応えがあった。華やかな小池修一郎の演出も超一級品!結局、ダメなのは作品ではなく、今の月組だったんだ。龍真咲は卒業するので、ここで歌劇団には本格的にテコ入れして貰いたい。男役として魅力に欠ける凪七瑠海を専科に出すそうだが、大賛成だ。

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2016年5月25日 (水)

ザ・フェニックスホールでフランソワ・クープランを聴く

5月18日、ザ・フェニックスホールへ。

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アンサンブル・レ・フィギュールを聴く。パリ在住の音楽家たちで結成された古楽グループで、メンバーは高橋三千子(ソプラノ)、榎田摩耶(バロック・ヴァイオリン)、原澄子(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、石橋輝樹(フラウト・トラヴェルソ)、會田賢寿(チェンバロ)の5人。曲目は、

  • F. クープラン:前奏曲第1番 クラヴサン奏法より
  • 同:11詩「私は苦しみに憔悴し」4つのモテより
  • 同:前奏曲第8番 クラヴサン奏法より
  • 同:「ソナード」諸国の人々 フランス人より
  • 同:前奏曲第5番 クラヴサン奏法より
  • 同:「わが心の甘い絆」エール・ド・クールより
  • 同:前奏曲「厳かに」 ヴィオル曲集 第2組曲より
    (枯れ葉を連想させる、鄙びた雰囲気)
  • 同:「波」 クラヴサン曲集第1巻 第5オルドル
    (華麗で気品に満ちている)
  • 同:「パルナソス山に導かれるリュリ」リュリ讃より
    (澄んだ青空、爽やかな微風を連想させる)
  • リュリ:「シャコンヌ」王の眠りのための音楽より
  • ランベール:「あなたの蔑みは」エール・ド・クールより
  • 同:前奏曲第3番 クラヴサン奏法より
  • 同:「リュリからアポロンへの謝辞」リュリ讃より
  • 同:「リュリとフランスのミューズたち、コレッリとイタリアのミューズたち」リュリ讃より
  • 同:「楽園シャンゼリゼで音楽の精霊たちと合奏するリュリ」
    リュリ讃より
  • ランベール:「愛する人の影」エール・ド・クールより
  • F. クープラン:「無題」「アルマンド」
    趣味の融合または新しいコンセール第6番より
  • 同:「神秘的な障壁」クラヴサン曲集第2巻 第6オルドル
  • 同:「悪魔のアリア」趣味の融合または新しいコンセール第6番より
    (ピッコロ+太鼓あり)
  • 同:「どうか私に言わないで」エール・ド・クールより
  • 同:「魅力」趣味の融合または新しいコンセール第9番 愛の肖像より
  • 同:12詩「あなたの熱い言葉は崇められ」4つのモテより
  • 同:13詩「私は幼く、蔑まれる者」4つのモテより
  • 同:「活気」趣味の融合または新しいコンセール第9番 愛の肖像より
  • 同:「アンジェリック」クラヴサン曲集第1巻 第5オルドル
    (ガンバと共に。木枯しの寂しさ)
  • 同:12詩「真実は大地から芽吹き、正義は天から見下ろす」
    7つのモテより
  • 同:「シャコンヌ」諸国の人々 神聖ローマ帝国の人より
  • 同:前奏曲第1番 クラヴサン奏法より

アンコールは以下の通り。
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フランス・バロック(古典フランス)音楽の作曲家で、僕が最も愛するのがフランソワ・クープランとジャン=マリー・ルクレールなので、クープランの音楽がたっぷり聴けて大満足。典雅な気分を満喫した。

またクープランの音楽はリュリに代表されるフランスの優雅さと、コレッリに見られるイタリアの明るさを融合したものだということが良く判った。演奏の質も上等だった。

クラシック音楽ファンの数はそもそも少ない。中でも古楽愛好家なんか、恐らく全体の1%にも満たないだろう。だからはっきり言って古楽をやっていても客は入らないし儲からない。陽は当たらず、一生貧乏暮しだ。そんな茨の道を敢えて歩く、才能ある日本の若者がこれだけいるということは実に頼もしく、嬉しいことだ。是非また聴きたい。彼らに幸あれ!

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2016年5月24日 (火)

ウルバンスキ/大フィル「もうひとつのオケコン」

5月20日(金)フェスティバルホールへ。

ポーランドの俊英クシシュトフ・ウルバンスキ指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団で、

  • チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」
  • ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
  • ショスタコーヴィチ:ワルツ=スケルツォ(ソリスト・アンコール)
  • ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲

ピアノ独奏はロシア生まれで、エリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝したアンナ・ヴィニツカヤ。

ウルバンスキは過去3回聴き、レビューを書いている。

協奏曲以外は暗譜で指揮。「ロメオとジュリエット」はスタイリッシュで流麗。修道士ロレンスを描写した導入部は清浄な響き。愛の主題は濃厚に歌ったりすることなく、あっさりしている。一寸拍子抜けだった。

ラフマニノフで登場したヴィニツカヤは民族衣装のようなけったいなドレスで趣味が悪い。テンポは速く、ピアノのタッチは豪快。ギレリス、リヒテル、ベルマンらに連なるロシアのピアニスト固有のダイナミズムを感じた。曖昧さはなく、このコンチェルトで陥りがちな「甘さ」や「霧/靄(もや)に包まれた雰囲気」とは対局にある演奏。大いに気に入った。

「管弦楽のための協奏曲」=”オケコン”(Concerto for Orchestra)といえば、通常バルトークのそれを指す。バルトークとルトスワフスキの演奏頻度を比べれば、恐らく20対1、いやそれ以上の開きがあるだろう。CDで考えてもバルトークにはライナー、フリッチャイ、ドラティ、オーマンディ、セル、ショルティ、ドホナーニなどハンガリー出身の指揮者は勿論のこと、非ハンガリー系でもカラヤン、小澤、クーベリック、アンチェル、ブーレーズなど名盤は多い。一方のルトスワフスキを有名指揮者が振った音源は、僕の知る限り小澤、バレンボイム、ドホナーニ、サロネン、ヤンソンス、パーヴォ・ヤルヴィくらい。非常に貧相である。しかし実際に聴いてみると中身の充実度においては遜色ない。それなのにこれだけの格差があるのはルトスワフスキの故国ポーランド出身で世界を股にかけた指揮者が少ないことに起因しているだろう。だからウルバンスキはしっかりアピールし、布教活動に努めてもらいたい。

ウルバンスキの解釈は明晰。第2楽章 カプリッチョ・ノットゥルノ(夜の奇想曲)は繊細な表現で羽虫のようにすばしっこい。第3楽章パッサカリアはおもちゃ箱をひっくり返したよう。軍隊行進曲のような響きも聴こえてくる。僕は「プラハの春」を題材にしたチェコの作曲家カレル・フサの「プラハ1968年の音楽」(吹奏楽版/管弦楽版あり)との親和性を感じた。つまり圧倒的軍事力による民衆の鎮圧である。このイメージはポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」や「地下水道」に通じている。そんなことどもが、脳裏を駆け巡った。

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2016年5月19日 (木)

市村正親・大竹しのぶ/ミュージカル「スウィーニー・トッド」

5月14日(土)シアターBRAVA !へ。スティーヴン・ソンドハイム作詞・作曲のミュージカル「スウィーニー・トッド」を観劇。これが4回目の鑑賞である。

2013年のポスター見て笑っちゃったけれど、この時既にFINALって書いてあったんだね。でも最後じゃなかった。

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出演は市村正親、大竹しのぶ、唯月ふうか、田代万里生、武田真治、芳本美代子ほか。

同じことの繰り返しになるから詳細は省くが、新たに加わった唯月ふうかについて。「ピーターパン」の主役「デス・ノート」のミサミサなど、可愛くて歌も上手く、大好きなミュージカル女優さんだが、ジョアンナ役はあんまり似合っていなかったみたい。歌唱が素直すぎて狂った感じが出ていないんだよね。全員頭がおかしいミュージカルだから。2011年公演のソニンのヴィブラートは病的で、ゾクゾクした。ただし唯月は歌詞の発声が明瞭で、今までで一番聞き取り易かった。

今回観劇しながら考えたのは「スウィーニー・トッドとは何者なのか?」ということ。何故僕達はこの残酷な物語に惹かれるのだろう?

そして「スウィーニー・トッドは我々の無意識の領域に棲む住人なのではないか」という結論に辿り着いた。他者に対する恨み/妬みとか、復讐心とかは誰もが持っている感情である。しかし我々は通常、理性でそれをコントロールして波風が立たない社会生活を営んでいる。その抑制・タガが外れて、ドロドロした感情が意識下から一気に噴出した姿が彼なのだろう。トッドの辿った悲劇を追体験することで、我々の心に潜む闇い欲求不満も解消され、昇華される。そういう効能もあるのではないだろうか。

このことはミュージカル「ジキル&ハイド」が、誰の心にもある善意と悪意、そして純潔と汚れの葛藤を描いていることに呼応しているのである。

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2016年5月18日 (水)

明日海りお 主演/ミュージカル「ME AND MY GIRL」と「マイ・フェア・レディ」の秘密

5月15日(日)宝塚大劇場で花組公演 ミュージカル「ME AND MY GIRL」を観劇。SS席。

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主演は明日海りお(ビル)、花乃まりあ(サリー)。以下役替りあり、この日は瀬戸かずや(ジョン卿)、鳳月 杏(ジャッキー)、芹香斗亜(ジェラルド)、柚香 光(弁護士:パーチェスター)、仙名彩世(公爵夫人:マリアおばさま)だった。

「ミー&マイガール」は1937年にロンドンで初演された。宝塚では1987年に剣幸、こだま愛主演で月組が初演。男性版「マイ・フェア・レディ」とも言われている。

「ミーマイ」でジョン卿がサリーの言葉使いを教育するために言語学者のヒギンズに依頼するという台詞が登場する。これは1986年ブロードウェイ再演版から採用されたネタらしい。

「マイ・フェア・レディ」は1956年にブロードウェイで初演された(イライザ:ジュリー・アンドリュース、ヒギンズ:レックス・ハリソン)。アイルランドのダブリンで生まれ、イギリスで活躍した劇作家ジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」(1913年初演)が原作である。一方の「ミーマイ」はオリジナル台本であり、以上の経緯から推察すると「ピグマリオン」を参考にして執筆された可能性が高い。ちなみに「ピュグマリオーン」とはギリシャ神話に登場するキプロス島の王の名前である。

僕が映画「マイ・フェア・レディ」を初めて観たのは大学生の頃だが、どうも結末が釈然とせず、モヤモヤした気持ちがずーっと尾を引いた。花売り娘のイライザはヒギンズ教授に拾われ彼の自宅に住み込みで言葉の特訓を受ける。そして令嬢として社交界デビューに成功する。しかし大げんかの末、イライザは若い貴族フレディと結婚すると言って家を飛び出す。落ち込むヒギンズ。やがて戻ってきたイライザの声を聞いたヒギンズは椅子に座ったまま、彼女の方を振り向きもせず次の台詞を言って幕となる。

"Where the devil are my slippers ? "(私の上履きはどこかね?)

イライザが戻ってきてくれたことは嬉しいのだが、素直になれず照れ隠しにこんなことを言ってしまうのだという流れは判る。しかし、果たして「マイ・フェア・レディ」は世間で言われるようなラブ・ストーリーなのだろうか?だってこれ、女中に言う台詞であって、決して愛の告白じゃないよね?ヒギンズは上流社会の人間だが、そういう階級の夫が妻にこんなこと言わないでしょう。どうして上履きが決め台詞なの??

戯曲「ピグマリオン」の最後、イライザはヒギンズの家から出て行ったきり戻ってこない。ショーは後年出版された台本の後書きに「後に起こったこと」("'What Happened Afterwards")という文章を書いた。その中でヒギンズとイライザが結婚するという結末はあり得ず、イライザはフレディと結婚することになるはずだと明確に述べている。

「ピグマリオン」は1938年に映画化され、ショーも脚本作りに携わった。映画では一旦出て行ったイライザが戻ってくる場面で終っている。しかし、この結末はプロデューサーがショーに無断で変更したというのが史実らしい。

「マイ・フェア・レディ」に対して、得体の知れない不可解な気持ちを持ち続け20年が経った。そして最近漸く、納得の行く新解釈が閃いた。独身主義者ヒギンズ=ゲイだと仮定したらどうだろう?彼は言語研究家ピッカリング大佐と意気投合し、自宅に招き入れる。つまり夫婦生活を始めるわけだ。そしてそこにイライザを養女として迎え、彼らは擬似家族になる。ハッピーエンド。娘になら「上履きはどこだ?」と尋ねても不自然じゃない。あとヒギンズは度を越したマザコンだしね(ゲイの男性は「どうして結婚しないのですか?」と訊かれると、「母が素晴らし過ぎたので」と答えることが多い。ニーノ・ロータも淀川長治氏もそうだった)。

ヒギンズとピッカリングをシャーロック・ホームズとワトソンの関係に凖(なぞら)える人もいるが、僕はホームズとワトソンは同性愛ではないと想う。何故ならワトソンは小説の語り部だからホームズの一挙手一投足を読者に伝えるために同居する必要があった。しかしヒギンズもピッカリングも語り部ではないので同棲する必然性がない。この違いは大きい。ここでハッと気がついた。映画「マイ・フェア・レディ」を監督したジョージ・キューカーはゲイだった! Wikipediaにも記載されている事実である。端からそういう意図で創作されていたのだ。

以上のように考えれば、実はミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」と「マイ・フェア・レディ」は同じ話なのだということが判る。「ラ・カージュ」はゲイ・カップルの話であり、彼らには”息子”がいて愛情を持って育てている。

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さて、宝塚花組公演の話に戻ろう。

僕は脳天気でアホみたいなこのミュージカルが大好きなのだけれど、唯一不満なのはフィナーレ。大階段(おおかいだん)が出てきても地味なんだよね。3組の結婚式という演出意図だから仕方ないが、トップが大きな羽を背負って降りてこないのはやはり寂しい。でも第1幕最後「ランベス・ウォーク」のシーンはいつ観ても多幸感で胸がいっぱいになる(「多幸感」とは薬物などがもたらす過度の幸福感を指すが、ミュージカルはいわば麻薬/魔法みたいなものだから構わないだろう)。

以前より明日海りお美の化身だと信じている。彼女が「エリザベート」のトートや光源氏を演じた時はとてもこの世の者とは想えなかった。僕にとっては幽玄の人なのだ。だから逆に、今回のビルは似合っていないと感じた。だって彼女が下町のランベス育ちで、コックニー訛りを喋るなんてイメージからかけ離れているんだもん。むしろ過去に演じたジャッキーの方が良かった。

花乃まりあのサリーは違和感なくはまり役。歴代ベストかも。鳳月 杏は悪くないが、明日海りおのジャッキーには敵わない。今までベテランの専科が演じてきたマリアおばさま役を振られた仙名彩世は若いながら、よく健闘していた。そして最高だったのが柚香 光。コミカルな役なのに男役の美学をしっかり追求しており、こんな格好いいパーチェスターは初めて!いや〜惚れ惚れした。

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2016年5月16日 (月)

ちはやふる ー下の句ー

 スクリーンの少女に恋をするという原体験は恐らく「アイコ16歳」(1983)の富田靖子だったと記憶している。当時僕は高校2年生だった。また同時期に地元岡山の自主上映会で観た「アンネの日記」のミリー・パーキンスにもときめいた。

Anne

その後、大林宣彦監督「ふたり」(1991)、「はるか、ノスタルジィ」(93)の石田ひかりや、「ロボコン」(2003)の長澤まさみにも同様の感情を抱いた。

Haru

「ロボコン」から13年。本当に久しぶりにその想いが蘇った。僕の青春を取り戻してくれた広瀬すずに心から感謝したい。

Chihaya

評価:A

「ー上の句ー」のレビューはこちら、映画公式サイトはこちら

本作最大の魅力は、しなやかに弾ける広瀬すずの肢体であることは間違いない。またずぶ濡れになって髪の毛から滴り落ちる雨粒、彼女が流す涙、撒き散らす汗など【liquid(液体)】が印象的。

競技かるたの場面はスピード感と躍動感に溢れ、まるで時代劇の殺陣を見ているよう(黒澤明監督「椿三十郎」の決闘シーンとか)。静と動のダイナミズム。小泉徳宏監督が醸し出す魔法の瞬間(とき)である。

広瀬すずが「かるた」を弾こうとカメラに向かって飛びついてくるショットで映画は締め括られるのだが、原田知世主演・大林宣彦監督「時をかける少女」伝説のカーテンコールを想起させた。このカーテンコールはももクロ主演、本広克行監督の映画「幕があがる」でも模倣されている。

それからクイーンを演じた松岡茉優が放つ【陰】のオーラが強烈!目眩がした(千早の【陽】と好対照)。僕は彼女が出演したTV「あまちゃん」、映画「愛のむきだし」「桐島、部活やめるってよ」「悪の教典」「はじまりのみち」等を観てきたが、こんな凄い女優だと今まで気が付かなかった。己の不明を恥じたい。

それにしても「かるた」って、試合は和服だし純日本風なのにA級・B級のランク分けとか、"Queen"って英語を使ったりして、何か変なの!

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かなしさは疾走する〜デュメイ&関西フィル「スプリング・スペシャルコンサート」

5月11日ザ・フェニックスホールへ。オーギュスタン・デュメイ/関西フィルハーモニー管弦楽団で、

  • モーツァルト:弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516
  • バーバー:弦楽のためのアダージョ
  • チャイコフスキー:弦楽セレナーデ

前半は室内楽、後半は弦楽合奏という構成。クインテットはデュメイに加え、コンサートマスターや首席奏者達による演奏。

【ヴァイオリン】オーギュスタン・デュメイ、岩谷祐之
【ヴィオラ】中島悦子、山本知資
【チェロ】日野俊介

デュメイのヴァイオリンは鹿の跳躍のようにしなやか。艶と張りがある。しっかりヴィブラートを掛け、ピリオド・アプローチ(時代奏法)とは対極に位置する演奏なのだが、時折ノン・ヴィブラートの弱音を折り込み、ハッとするほど美しい。

ト短調はモーツァルトにとって極めて重要な調性であり、交響曲第25,40番もト短調で書かれている。小林秀雄は「モオツァルト・無常という事」の中でクインテット第1楽章について次のように書いている。

モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡(うち)に玩弄(がんろう)するには美しすぎる。空の青さや海の匂いにように、万葉の歌人がその使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家はモオツァルトの後にも先にもない。

これが現在「疾走する哀しみ」としてしばしば引用されることとなった。

バーバーは祈りの音楽であるが、デュメイの解釈には鋭さがあり、怜悧な知性が煌めく。

チャイコフスキーの第1楽章は激しさと滾るパッション。また強弱の違いが鮮明でニュアンス豊か。第2楽章のワルツでは活きのいい魚がピチピチ跳ねるよう。第3楽章エレジーには歌心があり、第4楽章はエネルギッシュで生命力に満ち溢れ、僕はボクシングの試合を連想した。勅使河原宏監督のドキュメンタリー映画「ホゼー・トレス」の為に武満徹が書いた”トレーニングと休息の音楽”に近いものがそこに感じられた。

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2016年5月12日 (木)

これは便利!映画アプリ WATCHA の魅力

WATCHAは自分におすすめの映画、ドラマ、アニメを人工知能が教えてくれるスマートフォンのアプリ。

今までの採点をデータベースにユーザーの好みの傾向を分析し、映画の評価を予測する「予測採点機能」や、過去に観たものに「似ている作品」を紹介してくれる機能などがある。

僕は以前より、生まれてから今までに何本くらい映画を観たのか知りたいと想っていた。1年に見る本数×年数で、恐らく2千本は観ている筈だと推測は出来たが、確認する方法がない。片っ端からノートにリストアップすることも考えたが、重複を未然に防ぐ手段が思いつかない。そこでふと、「WATCHA」に観た作品を全て評価していけば、本数が判るのではないか?と気付いた。

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こうして少なくとも2,500本以上の映画を観ていることが判明。胸のつかえがおり、気が晴れた。また次のような評価も頂いた。

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読者の皆さんも試してみてください。自分を分析されるのって面白いですよ。もし登録したら「探す」で”雅哉"をユーザー検索すれば、僕のレビューにアクセス出来るのでそちらもよろしく。是非フォローしてください。これから少しずつ昔の映画についても書いていこうと想っているので。

最後にWATCHAに登録がなく、評価出来なかった映画を備忘録として挙げておく。採点は☆5つで満点。

  • 散り行く花(1919)  4.5
    (リリアン・ギッシュの可憐さ!)
  • ピグマリオン(1938)  4.5
    (「マイ・フェア・レディ」の原作戯曲を映画化)
  • チップス先生さようなら(1939)  4.0
  • 教授と美女(1941)  4.0
    (B.ワイルダー脚本、H.ホークス監督。「白雪姫」が元ネタ)
  • 地獄の逃避行(1973)  3.5
    (テレンス・マリック監督のデビュー作)
  • 2つの頭脳を持つ男(1983)  3.0
    (スティーヴ・マーティン主演の劇場未公開コメディ)
  • オール・オブ・ミー(1984)  4.5
    (スティーヴ・マーティン主演の劇場未公開コメディ)
  • ビッグムービー Bowfinger(1999)  3.0
    (スティーヴ・マーティン主演の劇場未公開コメディ)
  • ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!(1999)  3.5
    (M.ブロデリック、R.ウィザースプーン主演の劇場未公開作)
  • ブラック・セプテンバー/ミュンヘン・テロ事件の真実(1999)  4.0
    (アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞)
  • スタスキー&ハッチ(2004)  3.5
  • やさしい本泥棒(2013)  4.0 レビューはこちらに書いた。

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2016年5月11日 (水)

ブロードウェイ・ミュージカル「グランド・ホテル」GREENチーム(宝塚版にも言及)

5月6日(金)梅田芸術劇場へ。ミュージカル「グランド・ホテル」を観劇。

Grandhotel

このミュージカルは1989年にトミー・チューン振付・演出によりブロードウェイで初演、トニー賞12部門にノミネートされ、演出賞、振付賞ほか5部門で受賞した。

日本では1993年に宝塚月組が初演。涼風真世の退団公演であり、他に麻乃佳世(ハリウッドスターを夢見るタイピスト:フラムシェン)、天海祐希(グルシンツカヤの付き人:ラファエラ)、久世星佳(借金まみれのフェリックス男爵)らが出演した。訳詞は「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」の岩谷時子、演出はトミー・チューンと岡田敬二。トミー・チューンは併演された「BROADWAY BOYS」も振付・演出した。

僕が宝塚歌劇を初めて観たのが98年宙組「エリザベート」(花總まり・姿月あさと)なので、当然宝塚版「グランド・ホテル」は未見。版権の問題でビデオ/DVD化もされていないが、ライヴCDは所有している。風の便りに聞くと、涼風の退団公演はファンの間で非常に不評で、その後再演されることもなかった。問題は作品の質ではなく「宝塚に相応しくない」ことにあった。涼風が演じたオットーは余命わずかと宣告されたユダヤ人の会計士。「男役の格好よさ」からかけ離れた役柄である。しかも「かなめさん(←涼風こと)の卒業という晴れの舞台で、死にかけた役とは失礼極まりない!」というわけである。ところが!!なんと2017年に珠城りょうのトップお披露目公演として久しぶり(24年ぶり)に本作が宝塚月組で再演されると、つい先日発表があった(演出は岡田敬二と生田大和)。ファンの反応が気になるところ。

さて、今回演出を担当したのはイギリスのトム・サザーランド。結末の違うGREENチームとREDチームに別れ、僕が観たのはGREEN

トムの演出はミュージカル「タイタニック」もそうなのだが、簡素な舞台装置でそつなく進行してゆく。大変見やすいが、同時に華やかさに欠け物足りなくも感じる。また今回は椅子やテーブルの上で踊る場面が多く、気になった。一寸品(高級感)がない。オリジナルの舞台にはないスペシャルダンサー(湖月わたる)も蛇足だなぁ。「エリザベート」のトートとか「蜘蛛女のキス」の二番煎じ。しかし最後にヒトラー率いるナチス・ドイツ台頭に絡めるコンセプトはすごく良かった!感動した。物語がよく出来ているし、少なくとも「タイタニック」より遥かに好き。

1920年代のベルリンが舞台。冒頭のナンバー"The Grand Parade"はミュージカル「キャバレー」の"Willkommen"や、クルト・ヴァイル「三文オペラ」の"Mack The Knife(メッキー・メッサーのモタリート)"に繋がっている。ちなみに「三文オペラ」は1928年にベルリンで初演された

「グランド・ホテル」は1932年にハリウッドで映画化され、第5回アカデミー作品賞を受賞した。ある特定の場所に集う人々が織りなす様々な人生模様を切り取ったプロットは後に「グランド・ホテル形式」と呼ばれ、数多くのバリエーション(追随者)を生み出した。「大空港」や「タワーリング・インフェルノ」などパニック映画がその代表であり、三谷幸喜脚本・監督「有頂天ホテル」や、荒井晴彦脚本「さよなら歌舞伎町」、そしてミュージカル「タイタニック」もそう。

出演者は中川晃教(オットー)、昆夏美(フラムシェン)、宮原浩暢(フェリックス男爵)、安寿ミラ(年老いたバレリーナ:グルシンツカヤ)、樹里咲穂(ラファエラ)、光枝明彦(オッテンシュラーグ医師)ほか。中川は相変わらずの上手さであり、宮原の歌唱力にも感銘を受けた。そして安寿ミラの貫禄!

終演後は宮原浩暢(バリトン)が所属し、音楽大学を卒業した男性5人によるヴォーカル・グループ"LE VELVETS"のミニ・コンサート付き。曲目は、

  • オー・ソレ・ミオ
  • ミュージカルRENTより"Seasons of Love"
  • ミュージカル「エリザベート」より”闇が広がる”
  • アルビノーニのアダージョ
  • 歌劇「トゥーランドット」より”誰も寝てはならぬ”

こちらも中々、聴き応えあり。"LE VELVETS"の佐藤隆紀(テノール)は今年秋に梅芸で上演されるブロードウェイ・ミュージカル「スカーレット・ピンパーネル」(石丸幹二・安蘭けい主演)にも出演するとのことなので、そちらも愉しみだ。

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ズートピア

評価:A-

Zootopia

ジョン・ラセター(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)復帰後のディズニーは破竹の勢いで、快進撃は止まるところを知らない。その秘訣は企画段階から多人数で繰り返される会議による合議制=ピクサー方式の導入に負うところが大きい。本作も【ズートピア=多民族国家アメリカ合衆国のメタファー】を舞台に、練りに練り上げた物語が展開される。監督が3人、Story(原案)が7人という寄ってたかっての人海戦術である。その根っこは1960年代まであった南部の人種差別政策からキング牧師による公民権運動、そして現在のアメリカが抱える課題、理想郷(ユートピア)作りの困難さまで踏まえている。ミステリー(探偵小説)の要素もあり、エンターテイメント性もバッチリ。パーフェクトである。

しかしながら村上春樹が言うように、人は誰しも「100%の女の子」に恋するとは限らない。完璧な女性と一緒にいると時として息苦しくなることもある。あばたもえくぼ。だからラセター製作総指揮の(無個性な)作品群は商品として文句の付けようがないくらい素晴らしいのだけれど、時には宮﨑駿や押井守、庵野秀明、新海誠が監督した、歪で不完全な(作家性の強い)日本のアニメでお口直しをしたくもなるのである。要するに一文の隙もない「ズートピア」は可愛げがないのだ。

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2016年5月10日 (火)

アカデミー作品賞受賞「スポットライト 世紀のスクープ」

評価:A+

アカデミー賞で作品賞と脚本賞を受賞。映画公式サイトはこちら

Spot

新聞記者が地道な取材で巨悪を追い詰めていくというプロットはウォーターゲート事件を扱った「大統領の陰謀」(1976)を彷彿とさせる。世間で名作と言われる「大統領の陰謀」(作品賞・監督賞を含む8部門でアカデミー賞にノミネート、4部門受賞)を僕は我慢して3回観たのだけれど、未だにその面白さがサッパリ理解出来ない。しかし「スポットライト」は違った。ワクワクした。前者がロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマン演じる2人の記者にスポットライトを当てているのに対し、後者はチーム・プレイ、群像劇になっており、アンサンブルの妙が最大の魅力である。

さて今年のアカデミー賞は作品賞が「スポットライト」、監督賞が「レヴェナント」のアレハンドロ・G・イニャリトゥだという僕の予想は的中した。両者を当てた人は極めて少なく、例えばアメリカの業界紙Varietyの予想では作品賞がマネー・ショート 華麗なる大逆転」、日本の総合映画サイト オスカーノユクエや、映画評論家・清水節 氏の予想は「レヴェナント」だった。

ではどうして僕は「スポットライト」だと判ったのか?論理的に説明しよう。

今年の全米製作者組合(Producers Guild)賞は「マネー・ショート 華麗なる大逆転」、全米監督組合(Directors Guild)賞は「レヴェナント」のアレハンドロ・G・イニャリトゥ、そして全米映画俳優組合(Screen Actors Guild)のキャスト賞は「スポットライト」が受賞した。つまり三者三様の大混戦となったのである。

上記組合員たちはほぼ全員アカデミー会員に一致し、アカデミー賞の投票権を持っている。そして作品賞は会員全員の投票で決まる。では何処の部門が最も沢山の票を握っているか?言うまでもなく役者たちである。それは1本の映画を考えた時、プロデューサー、監督、役者のクレジットでどれが1番人数が多いかを考えれば自明のことであろう。

2005年度のアカデミー作品賞は「クラッシュ」が受賞したが、この年の全米製作者組合賞は「ブロークバック・マウンテン」、全米監督組合賞は「ブロークバック・マウンテン」のアン・リー、全米映画俳優組合のキャスト賞は「クラッシュ」だった。役者たちの意向が反映されたのである。「ブロークバック・マウンテン」はゲイ映画であり、この点が嫌われた原因と思われる。

「ロード・オブ・ザ・リング」のガンダルフ役で知られるイアン・マッケランは英ガーディアン紙のインタビューで次のように語った。「ゲイであることを公表している俳優(マッケランもそう)がアカデミー賞を受賞したことはない。これは偏見によるものなのかな。それとも単なる偶然なのかな」

また僕はVariety誌が予想した「マネー・ショート 華麗なる大逆転」の作品賞受賞は絶対にないと確信していた。頭がいい人が役者になることは稀だ。概ね数字に弱い。経済のことに関してはチンプンカンプンだろう。だから票は集まらないと踏んだのだ。結果はご覧の通りである。

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2016年5月 9日 (月)

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 in ラ・フォル・ジュルネびわ湖 2016 (2日目)

4月30日(土)ラ・フォル・ジュルネびわ湖 2016@大津、2日目。

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まず午前10時より梅田隆司/大阪桐蔭高等学校吹奏楽部で、

  • 歌劇「アイーダ」より凱旋行進曲
  • ミュージカル「ラ・マンチャの男」セレクション
  • スター・ウォーズ・サーガ
  • ミュージカル「キャッツ」より
  • ミュージカル「ライオンキング」

「アイーダ」はアイーダ・トランペットを使用。その後マーチングもあり、約180人によるパフォーマンスが大ホールのステージ狭しと展開された。この4月に入学したばかりの1年生(Freshmen)50人も参加しており、全員暗譜で演奏したので感心することしきり。

編曲者とか曲の詳しい紹介は下記記事に書いたのでご参照あれ。

僕はパンチが効いたカルヴィン・カスター編曲の「ライオンキング」が大好きだ。今回、トランペット・トロンボーン・クラリネット・サクソフォンの四重奏による”ハクナ・マタタ(どうにかなるさ)”を聴いていて、このナンバーにはディキシーランド・ジャズの要素が加味されているなと初めて気付いた。

コンサートの予定は45分間だったが、もぎり(入場口)の混雑で開演時間が遅れ5分押しとなり、当初演奏が予定されていた大阪桐蔭の定番「銀河鉄道999」がカットされたのですごく残念だった。「クリープを入れないコーヒーなんて…」という気持ちになったのだが、このCMのキャッチコピーって多分若い人は知らないよね?

なお2009年にブザンソン指揮者コンクールで優勝した山田和樹氏(現スイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者)は次のようにツィートしている。

桐蔭はこのままバスで移動して翌日の5月1日に鳥取市、3日に米子市、4日は境港市でコンサートを行うとのこと。大変なスケジュールである。

余談だが今年のラ・フォル・ジュルネびわ湖 3日目には京都橘高等学校吹奏楽部も初お目見え。ここは【オレンジの悪魔】として知られ、現在公開中の「劇場版 響け!ユーフォニアム〜北宇治高等学校吹奏楽部へようこそ〜」に登場するマーチングの強豪校、【水色の悪魔】こと、立花(りっか)高校のモデルである。閑話休題。

お昼には会場に出店されていた屋台のハンバーガーを食べたが、これが意外にも美味しかった!

続いて遊覧船ミシガンで湖上公演。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンは今年、東京・新潟・金沢でも開催されているが、湖上公演があるのはびわ湖(大津)だけである。

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演奏はびわ湖ホール声楽アンサンブル・メンバー6名+ピアノで、

  • 木下牧子:春に(作詞:谷川俊太郎)
  • オッフェンバック:歌劇「ホフマン物語」より”ホフマンの舟歌”
    (二重唱)
  • ドヴォルザーク:歌劇「ルサルカ」より”月に寄せる歌”
    (ソプラノ独唱)
  • 荒井由実:ひこうき雲
  • 久石譲:「坂の上の雲」より"Stand Alone"(作詞:小山薫堂)
  • 吉田千秋:琵琶湖周航の歌(作詞:小口太郎)

このアンサンブルの質は極めて高い。「春に」は初めて聴いたが、素敵な曲。”ホフマンの舟歌”は正に湖上演奏にピッタリ。開け放たれた窓から吹き込む湖風を浴びながらの鑑賞は実に心地よかった。

ユーミンの「ひこうき雲」は大学生くらいの時から好きだったけれど、今聴くとどうしても宮﨑駿「風立ちぬ」の映像が脳裏に鮮明に蘇ってくる。最高!

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ミニ・コンサート30分の後は自由行動。連れて行った4歳の息子は一緒に乗船した子供たちと船の1階から3階まで走り回り、屋上では双眼鏡で陸を見たりして、とても愉しそうだった。1時間20分の船旅を満喫した。

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「森の歌」をめぐって〜ラ・フォル・ジュルネびわ湖 2016 (1日目)

4月29日(祝)びわ湖ホールへ。

「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」第1日目。2016年のテーマは「ナチュール」、つまり自然にまつわる音楽である。

最初にレクチャー「森の歌」をめぐって 〜音楽・政治・社会〜 を聴講。 講師はドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」「悪霊」「罪と罰」の翻訳(光文社古典新訳文庫)で一世を風靡した亀山郁夫(名古屋外国語大学学長)、ゲストは評論家の浅田彰。亀山が訳した「カラマーゾフの兄弟」全5巻は僕も読破したが、すこぶる面白かった。

まず亀井はロシア人気質を読み解くキーワードとして熱狂ユーフォリア(多幸感・陶酔感)の対峙を挙げた。

1936年にショスタコーヴィチはオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」をめぐってプラウダ批判を受けた。プラウダとはソ連共産党中央委員会機関紙のこと。生命の危険を感じた彼は交響曲第4番の初演を封印し、代わりに共産党を欺くために第5番を書き、名誉を回復する。

1937年は「黙示録の年」と呼ばれ、スターリンの手で80万人が処刑されたと言われている(大粛清)。激戦だった対ナチス・ドイツとの「レニングラード包囲戦」(1941-44)を経て第2次世界大戦でソ連の死者は2,700万人に及んだが、「真の勝利者はロシア」だと言われた。それは鉄のカーテンによる東欧諸国の支配でも明らかだろう。

大戦後の48年にショスタコはジダーノフ批判中央委員会書記アンドレイ・ジダーノフに由来する)を浴びる。これは反形式主義キャンペーンであり、ベートーヴェンの第九のような作品を期待された彼の交響曲第9番が軽佻浮薄で首脳部の逆鱗に触れたためである。そして状況を打開すべく当時の国策である植林事業(自然改造計画)を賛美する「森の歌」が生まれた。

スターリンは53年に亡くなり、ショスタコは恐怖政治の終結と自らの勝利を宣言する交響曲第10番を世に問うた。このシンフォニーにはDmitrii SCHostakowitchのイニシャルからとったDS(Es)CHの音形(レ・ミ♭・ド・シ)が重要なモチーフ(モノグラム)として用いられている(この音形は他にヴァイオリン協奏曲第1番や弦楽四重奏曲第8番にも登場)。

しかし第3の危機は1960年に訪れた。ソビエト連邦の作曲家同盟第1書記に推挙され、そのための条件としてソビエト共産党への入党を勧告されたのである。そして彼は翌61年に観念し、入党した。

浅田によるとショスタコの音楽にはロシア人の特徴である奔放さ、色彩の豊かさがある。しかし一方で、屈折やアイロニーに満ち、そこからは時代のノイズ、歴史の囁きが聴こえてくる。

今年フランスの作曲家ピエール・ブーレーズが亡くなった。浅田曰く、ブーレーズは”究極のモダニズム”を象徴する存在であり、彼の死とともに前衛芸術の時代は終わった。指揮者としても活躍したブーレーズはショスタコの音楽を全否定したが、その一方でアメリカを代表する作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインがショスタコの分かりやすいプロパガンダ音楽=交響曲第5番や第7番「レニングラード」を得意としたことは象徴的である。

一方でショスタコは本音を見せる先鋭的な交響曲第4番や第8番も作曲している。ここに彼の二面性、分裂した自己が見受けられる。4,8は爆発している。ぜひ一度、聴いて欲しいと。

亀山と浅田は「共産党に迎合したプロパガンダ音楽で、平易な『森の歌』を全面的に肯定することは出来ないけれど、だからといって切り捨てるには勿体ない作品」と位置づけ、亀山は「森の歌」と交響曲第10番を併せて、ベートーヴェンの第九に相当する作品(”歓喜の歌”)なのではないかと述べた。

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続いてダニエル・ライスキン/日本センチュリー交響楽団、ラ・フォル・ジュルネびわ湖「森の歌」合唱団(309名)、びわ湖ホール声楽アンサンブル(15名)、大津児童合唱団(47名)、二塚直紀(テノール)、片桐直樹(バス)でオープニング・コンサートを聴く。

  • スメタナ:連作交響詩《わが祖国》より“モルダウ”
  • ショスタコーヴィチ:オラトリオ「森の歌」op.81

会場には字幕スーパーの装置がなく、歌詞対訳も配布されなかったので「どうするのだろう?」と訝ったが、なんと日本語歌唱だった。クラシック音楽の歌唱法は非常に歌詞が聴き取り辛く、特に合唱は何を歌っているのかさっぱり解らなかったので字幕スーパーは欲しかった(例えばオペラ「夕鶴」は日本語歌唱で字幕付きだった)。

「モルダウ」は速いテンポで切れのある演奏。「森の歌」には亀山が言ったように歓喜と熱狂が感じられた。また総勢370名を超える合唱はド迫力だった。良いものを聴かせて貰った。

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この日の最後はイリーナ・メジューエワ(ピアノ)で、

  • チャイコフスキー:四季 -12の性格的描写 (全曲)

僕は10代の頃から「四季」を愛聴してきた。憂愁の雰囲気が好き。終曲(12月)がチャイコフスキー得意のワルツというのも素敵だ。メジューエワの演奏には郷愁と優しさがあり、かといって感傷に溺れずメリハリもあってお見事。是非この曲をレコーディングして欲しい。

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2016年5月 4日 (水)

《音楽史探訪》古典派交響曲の繰返しは実行すべきか?

僕がクラシック音楽を聴き始めたのは小学校高学年からだが、その頃は未だLPレコードの時代だった。月間売上ランキングは常にイ・ムジチの「四季」(独奏:ミケルッチ)がトップで、また定番としてカラヤン/ベルリン・フィルのベートーヴェン「運命」とシューベルト「未完成」をカップリングしたアルバムが良く売れていた。

ハイドン、モーツァルト、ベートーベンら古典派の交響曲や(ピアノ/ヴァイオリン)ソナタは基本的に第1楽章がソナタ形式である(ほぼ総てと言ってもいい)。ソナタ形式はまず第1主題・第2主題が登場する【提示部】があり、それを変奏する【展開部】、元の主題に戻る【再現部】と続き、【終結部】(コーダ)で締め括られる。そして基本的に【提示部】の最後には繰り返し記号があり、頭に戻るよう指示されている。後の作曲家シューベルトやブラームス、ドヴォルザークも同様の仕様である。

しかしトスカニーニ、フルトヴェングラー、カラヤン、ベームの時代、大抵はこの【提示部】繰返しが省略されていた。つまり後戻りせず【展開部】に突入したのである。僕はそういうものだと思っていた。

ところが、カルロス・クライバー/ウィーン・フィルが録音したベートーヴェンの5番(1974年録音)や7番(76年)を聴いて驚いた。耳慣れない繰返しがあったのだ。その後アバドやムーティが指揮したベートーヴェンやベルリオーズ「幻想交響曲」、バーンスタイン/ウィーン・フィルのベートーヴェン(1977-79)&ブラームス交響曲全集(1981-82)でも全て繰返しが実行されるようになった。

ではどうしてクライバー以前の【巨匠】たちは省略していたのか?一つの可能性としてレコードの容量の問題が挙げられるだろう。LPレコードの基本的収録時間は片面20-25分程度だった。録音時間が長くなれば溝の幅が狭くなり、音質が低下する。だから極力短くしたかったわけだ。もしカラヤンが「運命」「未完成」の繰り返し指示を総て忠実に実行していたら、レコード1枚に収まらなかったであろう。実際、クライバーのベートーヴェン5番と7番のLPはそれぞれカップリングなしの単独で発売された(現在は両者が1枚のCDに収まっている)。消費者としても同じ値段で「運命」しか収録されていないレコードよりは、「未完成」もあるお得な方を当然選ぶだろう。

現在沢山CDが発売されている古いライヴ録音も繰り返しが省略されているが、その多くはラジオ放送用音源であり、やはり番組には時間制限があるからカットは当然である。

ここでそもそも何故、【提示部】に繰り返しは必要だったのか?ということを突き詰めて考えてみよう。ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンの交響曲の主な聴衆は貴族たちであった。彼らが生きた時代は当然、録音機なんかないわけだから交響曲を聴くのはそれが初めてであり、その後一生聴く機会もなかっただろう。一期一会。作曲家としては【展開部】以降を愉しんでもらうために、どうしても第1主題・第2主題を覚えて貰う必要があった。だから【提示部】を繰り返し、耳に馴染んでもらうことは必須だったのだ。

では現代においてはどうだろう?まずCDは全体を繰り返し聴くことが前提なので【提示部】繰り返しは不要だろう。かえって曲の流れが停滞するデメリットが有る。演奏会の場合も今更ベートーヴェンの5番やシューベルトの「未完成」をその場で初めて聴く人なんて皆無なわけで、省略する方法論もあり、というのが僕の意見である。ただし、あまり演奏される機会のない曲の場合はやはり【提示部】を繰り返すほうが親切だろう。

カルロス・クライバー以降の時代の潮流はニコラウス・アーノンクールが興したピリオド・アプローチ(時代奏法)と決して無縁ではない。つまり出来うる限り作曲家の意図に忠実に、(メトロノームや繰り返し記号など)スコアに手を加えずに再現しようという姿勢である。その考え方にも一理ある。

繰返しは実行すべきか?否か?……結局、正解なんてない。「時と場合による(It depends)」というのが現時点で最も相応しい結論ではないだろうか。

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2016年5月 3日 (火)

なにわ《オーケストラル》ウィンズ 2016

5月1日(日)ザ・シンフォニーホールへ。

年1回、日本のプロ・オーケストラの管楽器奏者が一堂に会する吹奏楽の祭典、なにわ《オーケストラル》ウィンズ(NOW)演奏会を聴いた。曲目と指揮者(太字)を列記する。ー丸谷明夫(大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部顧問)、ー中川重則(岡山学芸館高等学校)、ー畠田貴夫(東海大学付属高輪台高等学校)、ー金井信之(NOW代表、大阪フィル首席クラリネット奏者)。

  • 高昌帥:今、吹き渡る風 (委嘱作品・初演) なし
  • ジェイガー:ジュビラーテ 丸
  • ネリベル:2つの交響的断章 丸
  • 山本雅一:スペインの市場で 
    (2016年度吹奏楽コンクール 課題曲II)
  • 鹿島康奨:マーチ「クローバー グラウンド」 丸
    (課題曲IV)
  • 西村友:ある英雄の記憶〜「虹の国と氷の国」より 畠
    (課題曲 III)
  • スパーク:劇場の音楽 畠
  • バーンズ:交響的序曲 
  • リード:序曲「インペラトリクス」 丸
  • 矢藤学:マーチ・スカイブルー・ドリーム 
     (課題曲 I)
  • 島田尚美:焔(ほむら) 
    (課題曲 V)
  • スミス:交響曲第1番 畠
  • グレイアム:交響曲「モンタージュ」 

アンコールは、

  • 真島俊夫:五月の風 
  • 河辺公一:高度な技術への指標 丸
  • スパーク:ザ・バンドワゴン なし

高昌帥(こうちゃんす)の新作はトランペット4人のバンダ(金管別働隊)がファンファーレを奏でる格好いい曲。

ジェイガー「ジュビラーテ」は1978年の吹奏楽コンクール課題曲として委嘱された作品。4曲ある課題曲のうち、全国大会でこの曲を選んだ団体は全体の4分の3を占めたという。当時の出場人数制限は45人。あっきーこと、NHK交響楽団クラリネット奏者・加藤明久氏は全国大会でこれを吹き、金賞を受賞。自由曲もジェイガーだったそう。オーボエの浦丈彦氏(読売日本交響楽団)やパーカッションの安藤芳広氏(東京都交響楽団)もコンクールで「ジュビラーテ」を演奏したと。曲はホルスト「木星」を換骨奪胎したもの。流石にあからさまかな?

ネリベルの「2つの交響的断章」はパンチが効いた曲で、不協和音が決して不快じゃない。霧が立ち込める森で繰り広げられる神話の世界のように聴こえた。

スパーク「劇場の音楽」I.序曲は滑稽。II.幕間の音楽は可愛らしく、III.終曲は祝祭的高揚感があった。僕は以前、スパーク本人が指揮した自作自演のコンサートを聴いたが、味も素っ気もない演奏でびっくりした。断然今回のほうが良い。

バーンズは爽やかに一陣の風が吹き抜ける。中川先生の指揮はスマートでスタイリッシュ。

リード「インペラトリクス」(いにしえの時代の王妃のこと)は初めて聴いた。荘厳で気高い。

スミスの交響曲は金管が刻むリズムが小気味いい。

グレイアム「モンタージュ」はマグマが噴出するよう。複雑で演奏効果が高い曲。大いに気に入った。

今年度の吹奏楽コンクール【課題曲 I 】のタイトル「マーチ・スカイブルー・ドリーム」は丸ちゃん曰く、「何を言いたいのか判らんのですけれど(会場笑い)」。スキップするように軽やかに開始され、堅固なマーチへ。その対比が鮮明で、間違いなく淀工はこの曲を選んでくると確信した。実験は少子化を反映し、11人の小編成で演奏(丸ちゃん曰く「さわかやイレブン」)。こちらはこちらで簡素な魅力があった。

【課題曲 II 】「スペインの市場で」はハバネラが取り入れられ、陽光が燦々と降り注ぐ曲。なんだかビゼー:歌劇「カルメン」とかシャブリエ:狂詩曲「スペイン」みたいにフランス人が見たスペインという感じ。

【課題曲 III 】「ある英雄の記憶」はまるで「ファイナルファンタジー」のようなゲーム音楽。うねるロマンがあった。作曲をした西村友氏は指揮者としても活躍している。プロフィールを見ると劇団四季「ライオンキング」1998年初演から指揮しているとのことなので、僕は初日を観ているから彼の指揮を聴いた筈。実験はバラバラに配置換えした「フルーツバスケット」。

【課題曲 IV 】マーチ「クローバー グラウンド」はメリハリが乏しく、金賞が穫れない曲。爽やかではあるが、なんのひねりもなく凡庸。駄作。

【課題曲 V 】「焔」は例年通りのゲンダイオンガク。

今年の課題曲が駄目なのはバラエティに乏しいこと。他にもロック調/ポップス系/ジャズ風味の曲が欲しかった。選んだ人たちは相当頭が硬いね。もっと柔軟な思考が欲しい。来年度は選考委員の一新を!

アンコールは楽しい曲が揃った。特に先日亡くなった真島俊夫の「五月の風」(1997年度全日本吹奏楽コンクール課題曲)にはメルヘンが感じられた。

プログラムは地味で【知られざる名曲】路線だったけれど、新しい発見が多々あり、充実した3時間20分(休憩込み)だった。今年もライヴCD買おっと!

追記:下記もお読みください。いま吹奏楽をしている総ての中高校生、そして嘗てそうだった大人たちに是非観て貰いたい青春映画です。

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