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「森の歌」をめぐって〜ラ・フォル・ジュルネびわ湖 2016 (1日目)

4月29日(祝)びわ湖ホールへ。

「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」第1日目。2016年のテーマは「ナチュール」、つまり自然にまつわる音楽である。

最初にレクチャー「森の歌」をめぐって 〜音楽・政治・社会〜 を聴講。 講師はドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」「悪霊」「罪と罰」の翻訳(光文社古典新訳文庫)で一世を風靡した亀山郁夫(名古屋外国語大学学長)、ゲストは評論家の浅田彰。亀山が訳した「カラマーゾフの兄弟」全5巻は僕も読破したが、すこぶる面白かった。

まず亀井はロシア人気質を読み解くキーワードとして熱狂ユーフォリア(多幸感・陶酔感)の対峙を挙げた。

1936年にショスタコーヴィチはオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」をめぐってプラウダ批判を受けた。プラウダとはソ連共産党中央委員会機関紙のこと。生命の危険を感じた彼は交響曲第4番の初演を封印し、代わりに共産党を欺くために第5番を書き、名誉を回復する。

1937年は「黙示録の年」と呼ばれ、スターリンの手で80万人が処刑されたと言われている(大粛清)。激戦だった対ナチス・ドイツとの「レニングラード包囲戦」(1941-44)を経て第2次世界大戦でソ連の死者は2,700万人に及んだが、「真の勝利者はロシア」だと言われた。それは鉄のカーテンによる東欧諸国の支配でも明らかだろう。

大戦後の48年にショスタコはジダーノフ批判中央委員会書記アンドレイ・ジダーノフに由来する)を浴びる。これは反形式主義キャンペーンであり、ベートーヴェンの第九のような作品を期待された彼の交響曲第9番が軽佻浮薄で首脳部の逆鱗に触れたためである。そして状況を打開すべく当時の国策である植林事業(自然改造計画)を賛美する「森の歌」が生まれた。

スターリンは53年に亡くなり、ショスタコは恐怖政治の終結と自らの勝利を宣言する交響曲第10番を世に問うた。このシンフォニーにはDmitrii SCHostakowitchのイニシャルからとったDS(Es)CHの音形(レ・ミ♭・ド・シ)が重要なモチーフ(モノグラム)として用いられている(この音形は他にヴァイオリン協奏曲第1番や弦楽四重奏曲第8番にも登場)。

しかし第3の危機は1960年に訪れた。ソビエト連邦の作曲家同盟第1書記に推挙され、そのための条件としてソビエト共産党への入党を勧告されたのである。そして彼は翌61年に観念し、入党した。

浅田によるとショスタコの音楽にはロシア人の特徴である奔放さ、色彩の豊かさがある。しかし一方で、屈折やアイロニーに満ち、そこからは時代のノイズ、歴史の囁きが聴こえてくる。

今年フランスの作曲家ピエール・ブーレーズが亡くなった。浅田曰く、ブーレーズは”究極のモダニズム”を象徴する存在であり、彼の死とともに前衛芸術の時代は終わった。指揮者としても活躍したブーレーズはショスタコの音楽を全否定したが、その一方でアメリカを代表する作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインがショスタコの分かりやすいプロパガンダ音楽=交響曲第5番や第7番「レニングラード」を得意としたことは象徴的である。

一方でショスタコは本音を見せる先鋭的な交響曲第4番や第8番も作曲している。ここに彼の二面性、分裂した自己が見受けられる。4,8は爆発している。ぜひ一度、聴いて欲しいと。

亀山と浅田は「共産党に迎合したプロパガンダ音楽で、平易な『森の歌』を全面的に肯定することは出来ないけれど、だからといって切り捨てるには勿体ない作品」と位置づけ、亀山は「森の歌」と交響曲第10番を併せて、ベートーヴェンの第九に相当する作品(”歓喜の歌”)なのではないかと述べた。

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続いてダニエル・ライスキン/日本センチュリー交響楽団、ラ・フォル・ジュルネびわ湖「森の歌」合唱団(309名)、びわ湖ホール声楽アンサンブル(15名)、大津児童合唱団(47名)、二塚直紀(テノール)、片桐直樹(バス)でオープニング・コンサートを聴く。

  • スメタナ:連作交響詩《わが祖国》より“モルダウ”
  • ショスタコーヴィチ:オラトリオ「森の歌」op.81

会場には字幕スーパーの装置がなく、歌詞対訳も配布されなかったので「どうするのだろう?」と訝ったが、なんと日本語歌唱だった。クラシック音楽の歌唱法は非常に歌詞が聴き取り辛く、特に合唱は何を歌っているのかさっぱり解らなかったので字幕スーパーは欲しかった(例えばオペラ「夕鶴」は日本語歌唱で字幕付きだった)。

「モルダウ」は速いテンポで切れのある演奏。「森の歌」には亀山が言ったように歓喜と熱狂が感じられた。また総勢370名を超える合唱はド迫力だった。良いものを聴かせて貰った。

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この日の最後はイリーナ・メジューエワ(ピアノ)で、

  • チャイコフスキー:四季 -12の性格的描写 (全曲)

僕は10代の頃から「四季」を愛聴してきた。憂愁の雰囲気が好き。終曲(12月)がチャイコフスキー得意のワルツというのも素敵だ。メジューエワの演奏には郷愁と優しさがあり、かといって感傷に溺れずメリハリもあってお見事。是非この曲をレコーディングして欲しい。

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