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2016年4月

レヴェナント:蘇えりし者 【IMAXで鑑賞】

評価:AA

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アカデミー賞で12部門にノミネート、レオナルド・ディカプリオが主演男優賞、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが2年連続で監督賞(前年のアルフォンソ・キュアロンと併せてメキシコ人が3年連続)、エマニュエル・ルベツキが3年連続で撮影賞を受賞した。公式サイトはこちら

兎に角、自然光に拘った映像が美しい。刻々と変化する大地の表情、時には人を優しく癒やし、また時には情け容赦なく猛威をふるう。この照明を用いない自然光への執心、逆光の多用はテレンス・マリック監督の映画を彷彿とさせる。因みにルベツキはマリックの「ツリー・オブ・ライフ」や「トゥ・ザ・ワンダー」の撮影監督を務めている。また鳥の鳴き声、雨の音、風で木がしなる音など音響効果も抜群である。

壮大な自然と人間関係を描いているという点で「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」のデイビッド・リーン監督×フレディ・ヤング撮影監督のコンビを想い出すが、あちらが俯瞰ショットを得意としたのに対して本作は仰角ショット(ローアングル)がメインに据えられている。それは常に【空】が画面に映し出されているということを意味し、観客はそこに否応なく【神の眼差し】、【神の沈黙】を感じることになる。映画の台詞にやたらと【神】への言及があるのは、決して偶然の一致ではない。

【神の沈黙】といえばスウェーデンのイングマル・ベルイマン監督だが、イニャリトゥはベルイマンに私淑しており、彼の家を訪ねたりしている。また映画に登場する廃墟と化した教会はアンドレイ・タルコフスキー(露)の「ノスタルジア」を想起させ、主人公の死んだ妻が空中浮遊状態で現れるのはタルコフスキーの「鏡」「サクリファイス」へのオマージュである。

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劇場版 響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜

評価:A+

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映画公式サイトはこちら

テレビシリーズについては下記記事で語り尽くした。

本劇場版は13話あるTV版の単なる総集編ではない。想像した以上に新規カットがあり(いきなり冒頭から!)、アフレコは全て撮り直し、劇伴音楽も全面的にリニューアルされている。またマーチング・シーンが長くなり、オープニング主題歌"DREAM SOLISTER"はエンディングにまわり、伴奏が吹奏楽アレンジに変更というニクイ仕様になっている。

TV版の各話は放送時間24分なので、24分×13回=全話312分を劇場版では103分にまとめている。丁度3分の1だ。しかし取捨選択が巧みで、単なるダイジェスト感は全くない。1本のちゃんとした映画として成立している。

既に過去記事に書いたことだが、テレビシリーズは第八回「おまつりトライアングル」と第十一回「おかえりオーディション」が神回で、最高潮に盛り上がった。僕は劇場版公開が発表された時点で、第八回は丸々カットされるのではないかと覚悟していた。なぜなら県(あがた)祭り(宇治市で実際に開催されている6月5日から6日にかけての祭)は話の本筋(吹奏楽コンクール全国大会出場を目標に一心不乱に練習する)と無関係のエピソードだからである。しかし、しっかり劇場版でも残されており、夜にワンピース姿で現れた麗奈は神々しいまでに美しく、すごく嬉しかった。

ただ、ハイヒールで山を登る麗奈を見た久美子(主人公)が、

久美子「足、痛くないの?」
麗奈「痛い。でも、痛いの、嫌いじゃないし」
久美子「・・・・何それ、なんかエロい」

と会話を交わす、鼻血を吹き出しそうな場面はカットされていた。考えてみれば大人が観ることが前提の深夜アニメ枠から、健全な中学高校生が観に来るかも知れない劇場版へのコンバート(変換)として、致し方ない処置なのかも知れない。結局劇場版は第八回と第十一回を軸に再構成されており、痒いところに手が届く、申し分ない仕上がりになっている。あとコンクールでトランペット・ソロを吹く者を決めるオーディションの場面でTV版では麗奈の方がいいと拍手する生徒と、香織先輩に拍手する生徒が2対2だったのに対し、劇場版では1対1に変更されている。後者の方がより対立構造が鮮明となり、優れた改変だと想った。

僕は中学高校と吹奏楽部に所属していたが、部活動の生体、及びコンクールの雰囲気がこれだけリアルに描かれていることに驚嘆せずにはいられない。そして嗚呼、何という京都アニメーションのクオリティの高さ!クライマックス、京都府吹奏楽コンクールの場面では強い照明に当たり浮かび上がる、ステージ上に舞う ホコリまで丁寧に描かれている(実際僕もそれを見た記憶がある)。

このアニメ映画は火傷しそうなほど熱い。四の五の言わず、今直ぐ劇場に駆けつけろ!

以下余談。

アニメ・ヲタクは格好いい男の子と美少女が恋愛する物語を好まない。「モテない自分」という現実を否が応でも突き付けられ、惨めな気持ちになるからである。アイドルが恋愛禁止なのと同じ理屈だ。しかし、同性愛的関係は許容される。自分たちは関係ない(傷つかない)から安心出来るわけだ。その具体例が「新世紀エヴァンゲリオン」の碇シンジと渚カヲルであり、「魔法少女まどか☆マギカ」の鹿目まどかと暁美ほむらしかり。この萌えの法則は「響け!ユーフォニアム」の久美子と麗奈にも当てはまる。京アニの「けいおん!」も同じような世界観だね。AKB48や乃木坂46などのアイドル・グループでもメンバー同士のイチャイチャはヲタから温かい目で見られる傾向にある。

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蜜のあわれ

評価:B+

室生犀星晩年の小説を映画化。公式サイトはこちら

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監督は石井岳龍(がくりゅう)、改名前の石井聰互(そうご)の方が有名だろう。代表作は「高校大パニック」「狂い咲きサンダーロード」「逆噴射家族」。

老いとエロスについての物語である。効果音がとても印象的。

二階堂ふみ(21)が出演した映画を今まで何本観たかを考えてみた。最初が2012年の「ヒミズ」。この時は宮崎あおいそっくりでびっくりした。それから「悪の教典」「脳男」「地獄でなぜ悪い」「私の男」「渇き。」「ジヌよさらば」「この国の空」。よって「蜜のあわれ」が9本目である。金魚の化身を演じる彼女のことを初めて可愛いと想った(これまでの印象は妖艶・小悪魔・宮崎あおいを一寸下品にした感じ)。自分のことを「あたい」と呼ぶのがいいね。「金魚ダンス」も微笑ましい。

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秋元康プロデュース・欅坂46「サイレントマジョリティー」を讃えて(あるいは、アメリカの闇)

先日、欅坂46のデビュー・シングル「サイレントマジョリティー」をフルコーラスで聴いてガツンと来た!これは紛れもなく「君の名は希望」に並ぶ、作詞家・秋元康の最高傑作だ。歌詞はこちら。因みに、発売前の仮タイトルは「僕らの革命」だったという。

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先行く人が振り返り
列を乱すなと
ルールを説くけど
その目は死んでいる

「その目は死んでいる」という歌詞がドキッとする。これぞ秋元の真骨頂、意外性がある。

夢を見ることは時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない
YESでいいのか
サイレントマジョリティー

歌っている内容そのものは秋元がHKT48のために書いた「キレイゴトでもいいじゃないか?」の延長上にある。それがさらに洗練された形だ。

そもそも「サイレント・マジョリティ(silent majority)」とはベトナム戦争に対する反戦運動が高まる中、1969年にニクソン大統領が「グレート・サイレント・マジョリティ」と言う言葉を演説で使ったのが事の始まりである。「過激な反戦運動や声高な発言をしない大多数のアメリカ国民は、ベトナム戦争に決して反対していない」という、いわば【異議なきは同意とみなす】詭弁である。共和党のこうした体質は9・11のどさくさに紛れて、何の関係もないイラクに対して侵略戦争を仕掛けたジョージ・W・ブッシュまで脈々と受け継がれてきている。この危険性・危うさを端的に表しているのが現在予備選挙で快進撃を続けるドナルド・トランプ氏だろう。アメリカの闇(病)は今に始まったことではない。

どこかの国の大統領が
言っていた(曲解して)
声をあげない者たちは
賛成していると…

選べることが大事なんだ 
人に任せるな
行動をしなければ
NOと伝わらない

アイドル・ソングにこのような深いメッセージを忍ばせる匠(たくみ)のしたたかさ。

また世界に活躍の場を広げ、アメリカの週刊誌ニューズウィークが「世界が尊敬する日本人100」に選んだTAKAHIRO(上野隆博)の振付けが素晴らしい。2番の歌詞(どこかの国の大統領……)で踊りは軍隊行進の様相を呈し、続いてマリオネット(操り人形)の動作に移行する。ヒトラーやムッソリーニに通じる全体主義・ファシズムの恐怖。心が震えた。アイドルは可愛いくなくてはいけないという従来の既成概念をかなぐり捨て、徹頭徹尾力強く、格好いい。

前田敦子卒業以降、AKB48に提供する楽曲はどれもこれも腑抜けだった秋元康の本気を久々に見た!これは彼に霊感を与えるミューズの出現が大きいだろう。勿論、欅坂46のセンターを務める平手友梨奈(14)のことである。ミュージカル「オペラ座の怪人」の作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーと、舞台でクリスティーヌを演じたサラ・ブライトマンの関係を髣髴とさせる(ウェバーはサラのことを"My Angel of Music"と呼んでいる)。平手は既に山口百恵の再来とも言われており、50年にひとりの逸材と言える。因みに百恵の歌手デビューは1973年、彼女も14歳だった。

欅坂46は4月22日(金)の「ミュージックステーション」に出演するが、これは史上最速である。姉分の乃木坂46が「ミュージックステーション」に初出演したのは「気づいたら片思い」。なんと8作目のシングルである。ちなみにAKB48のMステ初出演は2006年6月9日の「スカートひらり」で、インディーズ2作目のシングルだった。

僕は今まで秋元がどうしてアイドルグループを次から次へと新設していくのか理解出来なかった(国内ではAKB48 → SKE48 → NMB48 → 乃木坂46 → HKT48 → NGT48 → 欅坂46)。しかし漸く判った。彼は飽きっぽい。立ち止まると吹いていた風が凪ぎ、創作意欲も失ってしまう。だから常に新しいことを仕掛け、自分を鼓舞するしかない。そして長年待ち続けたものに遂にめぐり逢った。山口百恵(的な存在)を自らプロデュースするという、甘美な欲望はこうして叶ったのである。秋元康はいま、燃えている。これから先、欅坂46(というか平手友梨奈)がどのように坂を駆け上って行くのか、大いに注目したい。

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ボーダーライン

評価:B+

Sicario

映画公式サイトはこちら。アカデミー賞では撮影賞・作曲賞・音響編集賞の3部門にノミネートされた。

原題はSicario。中南米で使用される言葉で”(金で雇われた)ヒットマン・殺し屋”という意味。

冒頭の乾いた質感から、主人公がメキシコに入国してからの地獄行感(「地獄の黙示録」を彷彿とさせる)、そして終盤の暗い闇の底へ。撮影監督ロジャー・ディーキンズ(本作で12回目のアカデミー賞ノミネート、受賞なし!!)の卓越した画面設計を讃えたい。俯瞰ショットの息を呑む異様な緊張感も凄まじい。「ブレードランナー2」がとても愉しみだ。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は映画「プリズナーズ」でも感じたのだが、ルック(見かけ)が非常に素晴らしいのにシナリオの詰めが甘く、傑作になるほんの一歩手前で停滞しているきらいがある。ベネチオ・デル・トロ単独行動の場面がダレる。だって観客には結末がどうなるか見えてしまっているんだもん。ここでは主人公不在というのも弱い。

エミリー・ブラント演じるヒロイン(FBI捜査官)像はどうしても「ゼロ・ダーク・サーティ」のジェシカ・チャスティン(CIA分析官)に重なる。で、「ゼロ・ダーク・サーティ」の方が面白いのだから分が悪い。

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諏訪内晶子 ヴァイオリン・リサイタル

4月16日(土)ザ・シンフォニーホールへ。

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諏訪内晶子(ヴァイオリン)、エンリコ・パーチェ(ピアノ)で、

  • モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第22番イ長調 K.305
  • グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ 第3番
  • 武満徹:悲歌(エレジー)
  • フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
  • クライスラー:クープランのスタイルによる才たけた貴婦人
  • ラフマニノフ:ヴォカリーズ (アンコール)

モーツァルトのソナタは天衣無縫。第2楽章の変奏曲はピアノ単独の変奏あり。やはりこの時代の作品は「ヴァイオリン伴奏付きピアノ・ソナタ」というべき性質のものだなと実感した。諏訪内の演奏はピリオド・アプローチではないが、弾き始めと音尻はノン・ヴィブラートになっており、ハイブリッド(=異種のもの《現代奏法・時代奏法》を組み合わせた)仕様だった。

グリーグの第1楽章 第1主題は力強く、仄暗い情熱を感じさせる。一転して叙情的な第2主題は白夜の微睡み。第2楽章は森の風景で、中間部は湖のほとりで出くわしたすばしっこい鹿とか栗鼠を思わせる。これはグリーグの作曲小屋があるトロールハウゲン(「妖精の丘」の意)の風景(写真はこちら)と無関係ではないだろう。そして第3楽章は民族舞踏の賑やかさ。けだし名曲。初めて実演を聴いたが大いに気に入った。

武満の「悲歌」はゆったりとして瞑想的。

フランクのソナタは循環主題に儚さが感じられ、第2楽章では激流が渦巻くよう。そして終楽章は春の訪れを歓び、生を謳歌する。

アンコールのヴォカリーズは絹のように柔らかい音色で妖しく響く。

いやぁ、文句なし。これぞ円熟の極みと言うべきコンサートであった。

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被害者はさらに傷つけられる〜映画「ルーム」

つい先日、千葉大学工学部の学生が埼玉県の中学校1年生(当時)女子を誘拐し、2年間監禁していたという事件が発覚した。それとよく似た題材を扱ったのが映画「ルーム」である。公式サイトはこちら

Room

評価:A+

ブリー・ラーソンがアカデミー主演女優賞を受賞。他に作品賞・監督賞・脚色賞の全4部門にノミネートされた。5歳の少年を演じたジェイコブ・トレンブレイ君(放送映画批評家協会賞で若手男優・女優賞を受賞)が素晴らしい。撮影当時は8歳だったとか。「ニュー・シネマ・パラダイス」のサルヴァトーレ・カシオ君とか、「シックス・センス」のハリー・ジョエル・オスメント君に匹敵する名演技だと想った。

監督はアイルランド・ダブリン出身レニー・アブラハムソン。原作者のエマ・ドナヒューが映画の脚色も担当している。彼女もアイルランド・ダブリン生まれだそうだ(カナダ在住)。

母子が監禁されているのは映画の前半。後半は【その後】をどう生きるかが焦点となり、後者が本作の肝である。それは生まれた時から【部屋】しか知らなかった少年が、驚きに満ちた【世界】を発見していく旅でもある。

主人公(母)はテレビのインタビューに応じるが、「どうしてもっと必死に逃げようとしなかったの?」と責められる。千葉大生の事件と構図が全く同じである。レイプの被害者に対して「お前が誘ったんだろ?」と合意の関係を示唆するようなものであり、心ない、破廉恥な行為である。どうして死にたいくらい辛い体験をした者が、さらに傷つけられなければならないのだろう?こういう輩は地獄に落ちろ!

最後に【部屋】に立ち戻った母子はそこで何を語り合うのか?我々観客には、ただただ滂沱の涙が待ち構えているのだ。

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シューベルトと性病〜キアロスクーロ・カルテットで聴く「死と乙女」@兵庫芸文

4月10日(日)兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。

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アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)率いるキアロスクーロ・カルテットを聴く。曲目は、

  • モーツァルト:ディヴェルティメント K.137
  • ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第4番 作品18-4
  • シューベルト:弦楽四重奏曲 第14番「死と乙女」
  • モーツァルト:ディヴェルティメント K.138(125c)
    〜第2,3楽章(アンコール)

イブラギモヴァについては「決定版!ヴァイオリンの名曲・名盤 20選」のメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲の項で語った。キアロスクーロ・カルテットは全員が(通常のスティール弦ではなく)ガット弦を張り、ピリオド・アプローチをする団体である。今回は弓もモダン・ボウではなくモーツァルト/ベートーヴェン時代のクラシカル・ボウを使用(弓の変遷はこちらのブログに詳しい。バロック→クラシック→モダンになるに従い、弓の反りが逆になり、段々長くなっていることがお分かり頂けるだろう)。

ヴィオラ奏者は顎当てがない楽器を使用、チェロ奏者はプログラム前半に(床に刺して楽器を固定する)エンドピンを用いず、シューベルトのみ使用。アンコールでは再びエンドピンなしとなった。

モーツァルトは子鹿のようにしなやかで俊敏。勿論ほぼノン・ヴィブラートで、(装飾音など)必要最小限に留めている。

ベートーヴェンは張り詰めた緊張の糸が最後まで緩むことがない。終楽章は畳み掛けるような演奏。

シューベルトで感じたのは激情の嵐。音楽用語のfurioso(猛烈に)がピッタリ。第2楽章「死と乙女」の変奏曲には諸行無常/虚無感があった。

シューベルトは1822年12月(25歳)に梅毒と診断され、大きな衝撃を受けている(→指揮者・藤岡幸夫氏のブログより)。弦楽四重奏曲第14番は1824年に作曲されたので、その時は既に死の影に怯えていたことになる。なお、シューベルト(享年31歳)の死因は梅毒治療で使用された水銀中毒であることが現在、確実視されている(→国際フランツ・シューベルト研究所機関紙より)。このレポートによると、水銀塗布治療は1823年から開始されたものと推定される。だから第14番に歌曲「死と乙女」の変奏曲を入れたことと、彼の闘病の苦しみ・絶望とは決して無関係ではないだろう。そのことを今回、痛感した。

前半のプログラムと比較すると、シューベルトではヴィブラートを増やして演奏された。この時代のピリオド・アプローチによる解釈は初めて聴いたので、とても新鮮だった。

現在ではベートーヴェンやシューベルトの交響曲をピリオド・アプローチで弾くことは当たり前になった。しかし室内楽の分野では非常に立ち遅れていて、例えばベートーヴェンの前期弦楽四重奏ではモザイク四重奏団やクイケン四重奏団の録音があるが(ラズモフスキー第3番まで)、第10番以降になると古楽器による演奏は皆無と言っていい状態である。

故に今後、キアロスクーロ・カルテットに期待したいのはベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲(特に13−15番)やシューベルトの第15番(←名作!)に是非取り組んでもらいたいということである。

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吉野の桜 2016

4月10日(日)奈良県吉野郡吉野町へ。岡山県から関西に引っ越してきてから、春に吉野を訪ねるのは12年連続の恒例行事となった。

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4歳になる息子も0歳の時から連れて来ているので、今回が5回目である。最初の頃は当然、花なんかに興味がなかったが、最近では「綺麗ねぇ」と言うようになった。シートを敷いてゴロゴロ転がり、コガネムシやアリを見ては騒ぎ「愉しかった!また来たい」と。

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日本人は不思議な民族である。桜が満開の時期はせいぜい2−3日で、雨が降り強風が吹けば呆気なく散ってしまう儚い存在である。花見を愉しめる期間は1年のうち僅か1週間程度。しかし束の間の歓びのために惜しみない情熱を注ぎ、木を次々に植え、丹精込めて育てる。外国人には理解し難い独特の美意識(もののあはれ/無常観)がそこにはある。それが長所/利点かどうかは別問題として。

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《宝塚便り》桜

宝塚市の桜といえば大劇場前の「花のみち」が有名だろう。

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でも実は「花のみち」以上に桜並木が美しい場所が、阪急宝塚南口駅から山側にしばらく登った寿楽荘にある。

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地元の人しか知らない場所で、観光客もここまで足を伸ばさない。

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この辺りは春になるとウグイスが鳴き、とても気持ちが良い。閑静な住宅街である。

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スペインにもジャパニメーション・ヲタがいた!〜映画「マジカル・ガール」

評価:A

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映画公式サイトはこちら

スペイン映画である。カルロス・ベルムト監督はイラストレーター出身で、日本の架空のアニメ「魔法少女ユキコ」のコスプレにあこがれる12歳の少女という主人公アリシアの設定は「美少女戦士セーラームーン」や「魔法少女まどか☆マギカ」から影響を受けていると本人が語っている→こちら

ヲタが高じて映画監督になったというのはクエンティン・タランティーノみたいだなと想った。タラちゃんの映画にはマカロニ・ウェスタン(Spaghetti Western)への愛がいっぱい詰まっている。エンニオ・モリコーネの音楽への執着もその現れである。

主人公とその友人のハンドル名がユキコ・マコト・サクラというのからして爆笑もの。相当イカれている。アリシアは長山洋子のデビュー曲で踊り、エンド・クレジットには美輪明宏の「黒蜥蜴」が流れる。そして少女の願いが「呪い」に変化するというプロットは正に「まどマギ」そのままだ。ただし、「まどマギ」に登場する女の子たちは最後にまどかの手で「絶望」の淵から救済され浄化されるが、本作のソウルジェムは黒く濁ったまま。残酷で美しい。覚悟して観よ!

Magi

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荘村清志&福田進一/デュオ・コンサート

4月2日(土)ザ・フェニックスホールへ。

荘村清志と福田進一によるギター・デュオを聴く。

  • 作者不詳:ルネサンス期の2つの小品
    (ドゥリュリーの和音/ナイチンゲール)
  • アルビノーニ(R.ジャゾット/A.ラゴヤ編):アダージョ
  • F.ソル:2人の友
  • F.サイ:リキアの王女*
  • モリコーネ(鈴木大介):ニュー・シネマ・パラダイス
  • マイヤース(鈴木大介):カヴァティーナ
  • タレガ(J.サグレラス):アルハンブラの思い出
  • ファリャ(E.プホール):「はかなき人生」よりスペイン舞曲
  • グラナドス(荘村清志):「スペイン舞曲集」よりオリエンタル
  • プーランク(福田進一):エディット・ピアフを讃えて
  • 久石譲:Shaking Anxiety and Dreamy Globe*
  • ハーライン(江部賢一):星に願いを(アンコール)
  • F.カルリ:対話風小二重奏曲第2番よりロンド(アンコール)
  • グリェーミ(鈴木大介):バラ色の人生(アンコール)

*Hakujuギター・フェスタ委嘱作品

ふたりの演奏スタイルには明確な違いがある。荘村が背筋を伸ばし、客席に真っ直ぐ向いて弾くのに対し、福田は背を丸め、前のめりで俯き加減の姿勢。荘村の奏でるギターの音はストイックで清冽なのに対し、福田はwetで咽び泣くよう。

アルビノーニのアダージョをギターで聴くのは初めて。通常聴く弦楽合奏と違い、決然と進む。

「2人の友」はソルが名ギター奏者ディオニシオ・アグアドと演奏するために作曲した。二人は仲がよく、一緒に暮らしたこともあるという。各パートは1st./2nd.ではなく、ソル/アグアドと書かれているそう。主旋律と伴奏の役割が途中で何度も入れ替わる趣向になっている。序奏/主題と変奏/マズルカという構成で、最後は華やかな舞踏曲で締め括られた。

「リキアの王女」はトルコ出身の鬼才ピアニスト、ファジル・サイ(1970- )が作曲。メロディアスで親しみやすい。

久石譲の曲は2012年初演。各々の拍子が異なり、片方が二拍子のところでもう片方が三拍子といった具合。そして久石得意のミニマル・ミュージックの手法で書かれている。

名手ふたりによるデュオというのは贅沢な体験だった。映画「ディア・ハンター」で有名になったカヴァティーナや「ニュー・シネマ・パラダイス」も素敵なアレンジだった。

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映画「ちはやふる ー上の句ー」

評価:B+

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公式サイトはこちら

競技かるたに青春をかける高校生たちの物語である。高校の部活動を中心に据えた、青春映画の名作の数々を想い出した。例えば長澤まさみ主演、古厩智之監督「ロボコン」(全国高等専門学校ロボットコンテスト、山口県周南市)とか、富田靖子主演、今関あきよし監督「アイコ十六歳」(弓道部、愛知県名古屋市)、田中麗奈主演、磯村一路監督「がんばっていきまっしょい」(女子ボート部、愛媛県松山市)、大林宣彦監督「青春デンデケデケデケ」(ロックバンド、香川県観音寺市)、ペ・ドゥナ&前田亜季主演、山下敦弘監督「リンダ リンダ リンダ」(ガールズバンド、群馬県前橋市)、ももクロ主演、本広克行監督「幕が上がる」(演劇部、静岡県静岡市)などである。考えてみれば、みんな日本映画だなぁ。外国映画にはこういうジャンルを殆ど見かけない。ハリウッド映画にはコーラス部を描く「ピッチ・パーフェクト」があるけれど、あれは大学の話だし。

兎に角、広瀬すずの放つ熱量にやられた!競技かるたは激しいバトルである。火傷しそうなくらい熱い。広瀬は映画「海街diary」(やはり原作は漫画)でも観ていたが、あちらは抑えた演技だったので余り惹かれるものがなかった。ところが今回は彼女の魅力が爆発している。その弾けっぷりは尋常じゃない。

野村周平演じる「太一」は茶髪で「チャラい高校生だな」と想ったが、よくよく考えて見れば漫画の設定自体がそうなっているので仕方ないんだよね。原作の功績であろうが登場人物たちの描き分けが巧みで、各々のキャラが立っている。

また競技大会の場面で、畳の下から(つまり畳目越しに)ヒロインたちの表情を捉えたショットが斬新だった。こんな表現初めて観た!脚本・監督の小泉徳宏、大した才能である。

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