シリーズ【大指揮者列伝】音楽の革命家ニコラウス・アーノンクールの偉業を讃えて
2016年3月5日に指揮者のニコラウス・アーノンクールが亡くなった。享年86歳だった。彼が引退を表明したのは昨年12月5日。直筆で「聴衆のみなさまへ。私の身体の力が及ばないため、今後の計画を断念いたします」「舞台に立つ私たちと会場のお客様の間には特別の深い関係が生まれました。私たちは共に幸せな発見をして来ました」とメッセージが綴られていた。それから丁度3ヶ月。僕は宮﨑駿(脚本・監督)映画「風立ちぬ」のヒロイン・菜穂子のことを想い出した。菜穂子は自分の死期が近いと悟ると堀越二郎の元を離れ、サナトリウム(富士見高原療養所@長野県)にひとりで戻り、ひっそりと息を引き取る。真に美しい最後であった。
アーノンクールってどんな人?と尋ねられたとしよう。一言で言うなら「古楽器演奏のパイオニアのひとり」であり、「モダン・オーケストラによるピリオド・アプローチ(ピリオド奏法)の創始者」である。彼はクラシック音楽界に革命をもたらした。
アーノンクールはドイツのベルリンで生まれ、オーストリア南部グラーツで育った。ウィーン交響楽団のチェロ奏者として活躍し、53年にウィーン交響楽団のメンバーで「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」を結成(ヴァイオリン奏者の妻アリスも参加)、初の公開コンサートは1957年に行われた。
彼は第21回京都賞の受賞スピーチで次のように回想している。「1954年にパウル・ヒンデミットがウィーンでモンテヴェルディの『オルフェオ』を上演しました。コンツェントゥス・ムジクスの弦楽器奏者は全員、楽器を総動員して参加しました。これが私とモンテヴェルディとの最初の出会いでした」ピリオド楽器による世界初録音であり、現在はCDで入手出来る。
ベルギーでレオンハルトとクイケン兄弟がラ・プティット・バンドを創設したのは1972年である。イギリスでデヴィッド・マンロウとクリストファー・ホグウッドがロンドン古楽コンソートを創設したのが1967年(マンロウが33歳の若さで急逝した76年に解散)、ホグウッドがエンシェント室内管弦楽団を創設したのが1973年、ピノックがイングリッシュ・コンソートを創設したのも同年。ノリントンがロンドン・クラシカル・プレイヤーズを、ガーディナーがイングリッシュ・バロック・ソロイツを創設したのが1978年である。またオランダに目を転じると、トン・コープマンがアムステルダム・バロック管弦楽団を創設したのが1979年、ブリュッヘンが18世紀オーケストラを創設したのが1981年だった。
つまりウィーン・コンツェントゥス・ムジクスは世界最古の古楽器オーケストラであると言っても過言ではない。
それまでどこかの貴族の家に眠っていたピリオド(古)楽器をひとつひとつ譲ってもらい、これらの楽器の演奏方法(当時は誰も知らなかった)を研究していく、という途方もない作業を繰り返した。オークションに出品された楽器を競り落とすこともあったという。
アーノンクールは1969年までウィーン交響楽団のチェリストとして務めた。つまりウィーン・コンツェントゥス・ムジクス創設から16年間、二足の草鞋を履いていたわけだ。
1962年に録音されたヘンデル/リコーダー・ソナタ集ではアンナー・ビルスマ(チェロ)も、フランソワ・ブリュッヘン(リコーダー)もモダン楽器を使用している。ブリュッヘンはフツーにヴィブラートを掛けており、この時代には未だ古楽器奏法は手探り状態だったようだ(ビルスマは1962-68年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席奏者だった)。これが69年に録音されたトリオ・ソナタになるとブリュッヘンにアリス・アーノンクール(ヴァイオリン)、ニコラウス・アーノンクール(チェロ)が加わり、全員古楽器になっているので60年代に奏法がほぼ確立されたと考えて間違いない。
僕がアーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏を初めて聴いたのはヴィヴァルディの「四季」である。独奏はアリス・アーノンクール。76-77年の録音で、《衝撃の四季!》のキャッチコピーとともに「レコード芸術」誌で広告を見かけたのが小学校6年生の頃だった。あまりにも革新的だったので、当然推薦盤にはならなかった(今では信じられないだろうが、カルロス・クライバー/ウィーンpo.のベートーベン:交響曲第7番も無印だった。時代が彼らに追いつくためには時間を要したのである)。
僕が初めてクラシック音楽を好きになったのは小学校4年生の時、母が所有していた「四季」のLPレコードを聴いたのが切っ掛けだった。演奏はフェリックス・アーヨ/イ・ムジチ合奏団。59年のステレオ録音である。当時は「四季」といえばイ・ムジチで、クラシック・レコードの月間売上げランキングでも常にロベルト・ミケルッチ/イ・ムジチ(69年録音)のLPがトップを独走していた。そもそも現代ではヒットチャート・トップテンに「四季」が入ることもないよね。70年代は空前のブルックナー/マーラー・ブームが到来する前夜であった。閑話休題。
アーノンクールの「四季」を聴いて、天地がひっくり返った。特に激烈なインパクトだったのが雨の降る情景を描いた「冬」第2楽章である。アーノンクールの演奏時間は1分14秒。僕が慣れ親しんできたイ・ムジチの演奏は2分40秒。なんと倍以上の速さだったのである!とても同じ曲だとは信じられなかった。通奏低音もイ・ムジチがチェンバロであったのに対し、アーノンクール盤はポジティフ・オルガン。「こんなのあり!?」の驚きから、「音楽って自由なんだ!」という開眼へ。それは正にElectric Liberation =電気的啓示であった。僕は声を出して笑った。
今日ではイ・ムジチの「四季」を聴くクラヲタなんかいない。彼らの存在は最早、冗談のネタでしかない。その後に登場したビオンディ/エウローパ・ガランテやカルミニョーラ/ヴェニス・バロック・オーケストラ、アントニーニ/イル・ジャルディーノ・アルモニコといった古楽器による新鮮な「四季」もアーノンクールなくしてはあり得なかったと断言出来る。全ては彼から始まったのである。
しかし晩年の成熟し落ち着いた解釈と比べると、70年代の「四季」は攻撃的で硬い演奏という印象が拭えない。肩に力が入っているのだ。あの時代のアーノンクールは古楽器演奏に対する世間の偏見と戦い、目の前に立ちはだかる壁を何としても突破してやる!という激しい闘争心に燃え、完全武装していたということなのだろう。彼がこの曲を再録音しなかったことが惜しまれる。
1980年代に入るとアーノンクールの新たな挑戦が始まった。モダン・オーケストラに古楽器奏法を取り入れるピリオド・アプローチの試みである。まずは名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を起用してモーツァルトやハイドンの交響曲をレコーディングした。弦楽器はノン・ヴィブラートで弾き、トランペットはピストン/バルブのないナチュラル管を用いるという方法論が確立された。
1990年にヨーロッパ室内管弦楽団と録音したベートーヴェンの交響曲全集にアーノンクールは次のようなコメントを残している。
私たちの録音の中で、ナチュラル・トランペットだけが歴史的な響きを持っています。理由は、トランペットは単なる楽器であるだけでなく、ある種のシンボルでもあって、全てのファンファーレ動機音型があるひとつの響きを要求するものであるからです。もし仮にモダン・トランペットで「高らかに鳴り響く」音を要求された場合、それは大きすぎる音量で演奏されることになります。それを正しい音量で演奏すると今度はファンファーレとしての性格が失われてしまいます。 ナチュラル・トランペットを使えばこうした問題は起きないのです。
ピリオド・アプローチ革命をオランダから開始したということには非常に意味がある。彼の国は古楽のメッカであり、アンナー・ビルスマがいてアムステルダム・バロック管弦楽団や18世紀オーケストラがあった。ハーグ王立音楽院には古楽科があった(日本からは寺神戸亮、若松夏美、鈴木秀美、有田正広らが留学)。つまりピリオド・アプローチを受け入れ易い土壌があったのである。
アーノンクールが初めてウィーン・フィルを指揮したのが1993年、ベルリン・フィルとの初顔合わせは1995年であった。ベルリン・フィルと良好な関係が持てたのは帝王カラヤンが89年に亡くなり、90年からシェフがクラウディオ・アバドに交代したことが大きい。また93年から98年までコンサートマスターを務めたライナー・クスマウル(現ベルリン・バロック・ゾリステン芸術監督)の指導下にベルリン・フィルはバロック・ボウ(弓)を揃え、オーケストラぐるみでそれがもたらす演奏効果を学んだ。
アーノンクールの手法をいち早く取り入れた指揮者たちがいた。チャールズ・マッケラス、デイヴィッド・ジンマン、クラウディオ・アバド、サイモン・ラトルらである。バーヴォ・ヤルヴィ、ダニエル・ハーディング、フランソワ=グザヴィエ・ロトらが後に続いた。またブリュッヘン、ホグウッド、ノリントンら古楽の世界の住人たちもモダン・オーケストラに進出していった。
アーノンクールがヨーロッパ室内管弦楽団とベートーヴェン・チクルスに取り組んでいる時、アバドはコンサート会場に足を運んで熱心に研究した。アバドがウィーン・フィルとレコーディングしたベートーヴェン交響曲全集(85-88)とベルリン・フィルとの全集(99−00)とを聴き比べてみて欲しい。あるいはロンドン交響楽団と録音したペルゴレージ:スターバト・マーテル(84)と、モーツァルト管弦楽団との再録音(07)でもいい。演奏スタイルの豹変に誰もが驚くであろう。つまりピリオド・アプローチを取り入れ、オケが小編成になっているのである。
アーノンクールは2001年と03年の2回、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートに登壇した。遂に彼は世界を手中に収めたのである。レパートリーもシューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、スメタナ、ドヴォルザーク、ブルックナー、そしてガーシュウィン(!!)と広げていった。どうやらマーラーはお気に召さなかったようだ。
アーノンクールの実演を聴いたのは2006年11月、大阪・いずみホールでのモーツァルト:レクイエム。手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを率いての公演だった。これが最初で最後である。しかしあろうことか演奏中に携帯電話がホールに鳴り響いた!本当に申し訳ない気持ちになった(もちろん僕が発信源じゃないよ、念のため)。
僕が今、一番聴きたい音源は2000年にウィーン・フィルとレコーディングしたフランツ・シュミット:オラトリオ「7つの封印の書」(1938年初演)。WARNER TELDECからCDが発売されたが、現在は廃盤。ナクソス・ミュージック・ライブラリー NMLなどの音楽配信もされていない。関係者各位、何とか状況を改善してください。お願いします。
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コメント
>今日ではイ・ムジチの「四季」を聴くクラヲタなんか
ご安心ください、ここにおります(笑)。今のピリオド楽器の奏法が唯一正しいというわけではありませんし、イ・ムジチには現在でも十分存在意義があってもいいのでは。もちろん人により好みは千差万別で、貴君が「モダン・オーケストラでハイドンを演奏する意義はない」と仰るのもあくまで「好み」の範疇でしょう。私はピリオド奏法でもモダン・オーケストラでのハイドンもそれぞれ楽しく聴いております。
投稿: TG | 2016年10月16日 (日) 12時39分
TGさん、希少なご意見をありがとうございます。蓼食う虫も好き好きということですね。
投稿: 雅哉 | 2016年10月16日 (日) 20時35分