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カンヌ国際映画祭グランプリ/アカデミー外国語映画賞受賞「サウルの息子」とは何か?

評価:A+

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「サウルの息子」はカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しているが、カンヌの最高賞はパルム・ドールであり、グランプリはそれに次ぐ賞であることを補足しておく。この年のパルム・ドールはフランス映画「ディーパンの闘い」であった。

アカデミー賞授賞式で外国語映画賞を受賞した時、「ハンガリーは2回目」というアナウンスがあり、ハッとした。そうか、イシュトヴァン・サボー監督「メフィスト」(1982)以来、33年ぶりなんだ。「メフィスト」は僕が高校生の頃、岡山映画鑑賞会の自主上映(三木記念ホール)で観た。あれもナチス・ドイツが絡んだ作品だった。

「サウルの息子」はアウシュビッツ=ビルケナウ収容所で強制労働させられている《ゾンダーコマンド》の物語である。「特殊任務部隊」という意味で、

  1. アウシュヴィッツに到着したユダヤ人をガス室に誘導する。
  2. 死体をガス室から引き出す。
  3. 髪の毛を切り、金歯を抜く。
  4. 迅速に焼却する。

という任務を遂行するユダヤ人部隊のことである。彼ら自身も4ヶ月ほどの労働の後、抹殺された。

カメラは冒頭からサウルの肉体をバストショット(上半身)で追い続け、映画全編がシャロー・フォーカスで撮られている。被写界深度が浅い(shallow)=フォーカスが合う範囲が浅いこと。つまりサウルの周囲で起こっている出来事は全てピンボケになっている。因みに対義語はディープ(パン)・フォーカス。「市民ケーン」や黒澤明の映画が代表例である。

そこで展開されているのは正に地獄絵、悪夢のような光景なのだが、監督は観客にはっきり観せない。またカラー映画だが画面はスタンダードサイズ(縦横比3:4)なので余計に視野を狭くしている。つまり情報が足りないところは観客の想像力で補わせようというしたたかな戦略なのだ。《ゾンダーコマンド》たちも自分らが処理する対象物をなるべく見ないようにしていた筈で、つまりこの視野狭窄は我々に疑似体験をさせようという意図も含んでいる。「愛と哀しみのボレロ」「シンドラーのリスト」「ライフ・イズ・ビューティフル」などホロコーストを描く映画は数多く観てきたが、「こういう切り口が未だあったのか!」と目から鱗であった。因みにドイツ兵が火炎放射器で人を焼き殺す場面が出てくるが、中学生の頃テレビでロベール・アンリコ監督「追想」(1975)の洗礼を受けていたので(あれは衝撃的体験だった)、むしろ「穏やかで控えめな描写だな」と感じたくらいである。「追想」は町山智浩氏の著書「トラウマ映画館」に収録されているが、僕にとっても強烈なトラウマになっている。閑話休題。

以下ネタバレあり。「サウルの息子」とは何か?について映画の核心部分に触れる。




さて、本作のレビューをいくつか読んでいて驚いたことがある。約8割の人達が「強制収容所で死体処理に従事するユダヤ人のサウルはある日、ガス室で生き残った息子を発見するも、すぐにナチスの医師の手で息の根を止められてしまう。サウルは遺体をなんとかしてユダヤ式に手厚く葬ろうとするが……」というあらすじを、何の疑いもなく書いているのである。いやいや、それは違うだろ!見当外れも甚だしい。映画を語る資格なし。

サウルの同僚は2度「お前に息子はいない」と言う。サウル自身も「妻との間の子供じゃない」と言う。じゃぁ、愛人との間に出来た子?んなアホな!

「サウルの息子」とは遺伝学的、DNA鑑定的意味での息子でないことは明らかであろう。つまり観念/象徴としての「息子」なのだ。大局的に見て、ユダヤ人にとっての子孫と言い換えてもいい。

ユダヤ教では最後の審判の時にすべての魂が復活し、現世で善行を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れ、悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられている。だから死者は土葬される。キリスト教も土葬であり、これはイエス・キリストの3日後の復活と無関係ではない。つまり遺体を焼却してしまったら復活出来ないのである。ドラキュラやフランケンシュタイン、ゾンビも土葬だからこそ成立する物語である。

だからサウルは少年が焼却炉に放り込まれることに必死に抵抗し、逃げる。それは少年がいつの日にか復活し、自分たちがどんなことをさせられたのかを後世の人々に伝えて欲しいという願い・祈りなのである。

ナチス・ドイツはアウシュビッツで自分たちが行った行為を最終的に証拠が何も残らないように灰にしてしまおうとしていた。焼却炉に残った骨も砕いて捨てたというのが定説になっている。それに対しゾンダーコマンドたちは看守の目を盗み紙に記録を残し、カメラで隠し撮りしてそれらを瓶に入れ埋めた。そうした彼らの必死の想いが、「サウルの息子」を埋葬しようとする行為に集約されている。

映画の最後にサウルは逃走し、仲間たちと無人の小屋で休む。ふと戸の外を見ると少年が佇んでいる。それは地元ポーランドの少年かも知れないし、サウルの幻想なのかも知れない。あるいは我々=映画の観客という解釈も可能だ。そして彼は初めて柔和に微笑む。彼の気持ちを代弁するならば「後は君に託した。俺達の事を忘れないで。そしてより良い世界を築いて欲しい」ということなのだろう。「サウルの息子」とは希望でもあったのである。

イスラエル国歌をご存知だろうか?非常に暗い曲だが、「ハティクヴァ」と名付けられている。ハティクヴァとは希望という意味である。実はスメタナの「モルダウ」に旋律がそっくりで、恐らく起源が同じなのではないかと僕は推定している。

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