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2016年3月14日 (月)

震災から5年、諏訪内晶子×尾高/大フィル定期を聴く

東日本大震災から丁度5年となる3月11日、フェスティバルホールへ。

尾高忠明/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。ヴァイオリン独奏は諏訪内晶子。オール・ロシア・プログラムで

  • リャードフ:交響詩「魔法にかけられた湖」
  • プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番
  • ラフマニノフ:交響曲 第2番

「魔法にかけられた湖」は音楽がたゆたう雰囲気があり、ドビュッシーの「海」を想起させる。

ロシア革命が勃発した1917年に完成したプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲(その翌年、作曲家は日本経由でアメリカに脱出)はノスタルジックで一つのメルヘンを描く。諏訪内の演奏はしなやかで繊細。第2楽章スケルツォは狂騒的で、グイグイ前に進む疾走感があった。

ソリスト・アンコールはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番から第3楽章アンダンテ。やはり3・11を意識してか、”祈り”の音楽に聴こえた。

ラフマニノフの交響曲は例えばソナタ形式の第1楽章だと第1・第2主題は甘美でうっとりするのだが、どうも展開部が冗長で退屈。スケルツォの第2楽章はA-B-Aの3部形式なのだが、それぞれのパートがさらにa-b-aに細かく分かれている。くどい!!ほとほと構成力がない作曲家だと想う。だから1973年にアンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団による完全全曲盤のレコードが登場するまで、カットして演奏されるのが通例であった(作曲家もそれを公認していたという)。帝王カラヤンは見向きもしなかった。

この曲を得意とする尾高は時折アクセントを効かせながらリズミカルで流れるような指揮ぶり。夢見るような第3楽章アダージョはうねり、寄せては返す波のよう。一転して第4楽章はきりりと引き締まり、それでいて開放感に満ちていた。

このシンフォニーは2007年の定期でも聴いている。

あの時は大植が職業病である頚椎症を悪化させた状態で、「死に体」の演奏だったので(その後回復)、今回漸く満足のいく実演を聴けた。それでも繰り返しCDで聴きたい曲では全然ないけどね。

特別な日だからきっとオーケストラのアンコールもあるだろうと期待していた。震災の年には何度もJ.S.バッハ:G線上のアリアを聴いた。果たして今回は?

尾高が選んだのはエルガー:エニグマ変奏曲〜第9変奏「ニムロッド」。さすがイギリス音楽のスペシャリストらしいなと想った。ひたひたと心に沁み入る名演だった。

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